社会性向上レクチャー(2) ましてや、いまさら、この期に及んで

 ネネさんは道具を持ち出してきた。

 ハサミと、電子カミソリ……でもネネさんはまるで先回りするかのように、「これは一見男性も髭剃り等に用いるカミソリに見えるが、これは電子シェーバーというもので、おそらくオマエが使うようなモノよりは繊細なモノだぞ」と説明をしてくれた。……こちらから訊いてもないのに。


 しかし、ハサミ、……ハサミかあ。

 たしかにハサミも、電子シェーバー……とかいうやつとおなじ淡いピンク色をしていて、いちおう女性向けのかわいらしいデザインではある、んだろうけど。それに僕にはぱっと見じゃわかんないけど、なにかそういう肌の手入れに特化したような工夫もある道具なんだろうけど。


 それにしたって。

 なんというか、……女性のそういう手入れにも、僕もふつうに知っていて、ふつうに使うような、そんな道具が登場するんだなと思ってふしぎだった。

 ハサミも、カミソリも、僕も日常で使うモノだし……。



 二人掛けのソファ。横になってもちょこんとひとりぶんのスペースしか取らない南美川さんが、仰向けの格好で横たわっている。

 僕とネネさんは、床に直接に膝立ちになって、……南美川さんの身体が隅々までよく見える体勢になっている。


 目に毒だ、と最初思って、……いまもまあまあそう思う、南美川さんの露出された人間の肌。


 ネネさんはまずハサミを手にして、ジャキン、ジャキン、と、……その金色のアンダーヘアを切り刻んでいった。

 南美川さんはわずかに頭を持ち上げて、脅えたような顔で、ネネさんのその手つきを凝視している。

 僕から見ていてもその手つきがあまりにも雑な気がしたので、僕は思わず言ってしまった。


「あの。……そんな雑で、いいんですか?」

「どうせあとでシェーバーで整える。まずはかたちをイメージして、具現化をする作業からだ。彫刻とおなじだ。アートだ」


 そうか……アートなのか。アンダーヘアの手入れというのも――なんて、……いったいどこまでが冗談なのだろうか。ネネさんは、わりと、そのあたりがわかりづらい。



 そして、ネネさんは、南美川さんのアンダーヘアを処理しはじめた。

 さきほど南美川さんの顔にお化粧を施したときとおなじような真剣さで。


 ジャキン、ジャキン。

 だれもしゃべらないから、その音だけがやけに大きく高柱寧寧々の研究室に響くのだ。


 僕は南美川さんの感情の変化を細かく見つめていた。

 最初は気丈に唇を結んで。でもだんだん、耳もしおれて、表情も悲しそうになっていって。最後はむしろ耳をピンと硬直させて、不満といっても足りない悔しそうな顔で――顔を、そむける。

 そんな感情、南美川さんが、がんばっていた、一貫してがんばっていたのは――変わらない。……南美川さんはひとことも不満を漏らさなかった。


 ジャキン、ジャキン、ジャキン、と、……ハサミの音は躊躇がなく。


 だが、いくら同性といったって、善意といったって、無性愛者といったって、無性欲者といったって、生物学者であったって、

 ……こんなことをされていること自体は、――人間の心を失っていない南美川さんには、つらいものでは、……あるだろう。

 そのくらいのことなら――僕だって、察しがつく。


 だって、僕だって、……こういうシチュエーションっていうのは経験済みなんだし。

 つまり、……毛を刈られる、みたいなことだけど。

 僕も、南美川さんに、というか南美川さん主導で――そうとう、刈られた。頭の髪も、そのへんの体毛も、……もっとも馬鹿にされたくなかったはずの、そこも。


 あのときの、僕自身の感情の記憶と、

 ……いまそんなところの毛を刈られている南美川さんの感情を、照らし合わせる。


 あのときの南美川さんはほんとうに楽しそうにニヤニヤと僕を見つめていたね。

 いっぽうで、いまの南美川さんは――


「シュン、なんでそんなじろじろ見るの、わたしの顔、そんなに見ないで、あの、あの、わたしがんばってるでしょ、がんばって、いい子でおとなしくしてるから、あの、その、……そんなに、見ないで……恥ずかしいの、恥ずかしいのよ、恥ずかしい顔を見られると、もっと恥ずかしいの、わかるでしょ……」



「うん。わかる。――僕もそうだったからな」



 南美川さんの表情がふたたび凍りついた。

 べつに、責めるつもりではない。意地悪でもないし、皮肉でもない。

 どうしようもないことだ、……ましてや、いまさら、この期に及んで。

 ただ――そういうことをぽつりと言ってしまう、僕のそういうどうしようもなさだけは、……いまこうやって髪が伸びても、消えないのだということ。



 うん。それだけのこと――なんだけどね……。

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