社会性向上レクチャー(1) 南美川さんをひっくりかえして
目を赤くした南美川さんは、なんで? と問うように口を小さく開いて僕を見上げた。
まるでなにかを嫌がって、どうしてもやらなきゃいけないの、という気持ちを抱えた小さな子どものような表情だ、――気持ちとしてはいまの南美川さんはじっさいそのような感じなのだろう。
とても距離が近いから、その口のなかも赤いってことがわかるし、
涙と鼻水で化粧も剥がれてきてしまっているらしい南美川さんの頬も、……僕がこのごろ見慣れたように、やっぱり火照るように赤く染まっていた。
「ネネさんの言うことは聞いておいたほうがいいと思うんだよ」
すこしばかり、……ただすこしばかりの嘘を僕はついた。
僕は南美川さんの頭をくしゃくしゃにするように撫でた。南美川さんが嫌がることをお願いするときには、僕は、撫でる力をすこし強めることにしている。
「ね。お願い」
僕が重ねてそう言うと、南美川さんはぎゅっと唇を引き結んで、なにかを悩み、でもそれも一瞬だったのだろう、決意してくれたかのように思い切って――ソファの上に自分であおむけになってくれた。
犬の、こうさんのポーズ。
両手も両足も尻尾も、……肌も、いつも通りで。
顔をそむけてしまうほどには恥ずかしいんだろうなっていうのも、いつも通りで。
なんどやっても、なんどやっても、……慣れきれない南美川さんは、かわいい。
ちらり、と僕をうかがい見てきた。
「……これで、いい……? シュン」
「それでいい。ありがとう、南美川さん」
南美川さんは、やっぱり良い子だ。
そのタイミングで、ネネさんが観察モードから戻ってきたようで、立ち上がり、ひょいと僕の後ろから仰向けの南美川さんを覗き込んだ。
「おお。なんだ、ふつうに暴れずとも仰向けになれるんじゃないか。それでは春。私の社会性力向上のレクチャーを、よく見ておけよ。……それにもっと幸奈をかわいくしてやるぞ」
もうすでに充分かわいいんですけど、なんて、――そういうことでないことはよくよく存じ上げておりますよ。
南美川さんの白くて丘のような人間の肌の仰向け露出を、前にして。
「さて。さっそくだが春、オマエは童貞のようなので基礎から私が教えてやろうと思うのだが」
「なんだか誤解を招くような表現ですね……」
「ふむ、そうか。であれば春、オマエは無性愛者ではなく無性欲者でもなく変態でもないというのに性交渉をしていないので、基礎から私が性経験者であれば当然とされているいろんなことを、教えてやろうと思うのだが」
「先生、訂正するとこ、そっちじゃないです……」
「先生はやめてくれと言ったろう?」
いや、だって、その、……なんか、さ。
「……ねえ。なんで、おしゃべりしてるの。わたし、待ってるんだよ。なにかあるなら早く済ませて……」
ごもっともだ。
ネネさんもそれを聞いて、もっともと思ったらしい。
ソファの前にしゃがみ込んで、……南美川さんのそこに生えている金色の毛を掴んだ。
南美川さんが言葉にならない声を小さく鋭く漏らした。――恥ずかしいときの声だった、いまの。
「いいか? 春。ここの毛は、デザインなどでいじらないかぎりは、体毛なので、頭の髪の毛とおなじで、生えて伸び続けるものなのだ」
「知って……ます」
女の子もそうなんだってことをついこのあいだまで知らなかったとは、さすがに、……言えないからなあ。
「うむ。それでな、男はともかく、女はココの毛をキレイに整えることが鉄則、というかまあ文化ジェンダー的に基準のひとつだ。なので原則整えるべきものなのだ」
「すべて剃る……って、ことですか」
「いいや。みんなそうというわけではないよ。すべて剃る女も多いが、なかにはカタチを整えるひともいるし、私はカタチを整えるというのもそれはあんがい慎ましくて、好きだな。私はそっち派だな。……もしや春もアダルトコンテンツの見すぎか?」
「見すぎってわけではないです……」
必要最低限ですよ。
「……ねえ、ねえ、なんでおしゃべり楽しんでるのよーう……」
じたばた。じたばた。
そうだよね、南美川さん、――それは当然の反応だ。
だから、僕はネネさんにできるかぎりの余裕をもって愛想のよい顔と声で、言ったのだ。
「よく、わからないことも多いんですけど、――ネネさんの思う通りでいいんで、その手入れ……教えてくれませんか」
「私が幸奈にふれてもいいのだな?」
「いいよね。……南美川さん」
「いいって、言うしか、ないじゃない、わたしは……」
南美川さんはすっかりむくれてしまっていた。
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