作戦会議は

 ヒューマン・アニマル加工は四肢を切り落とすのだと思っていた僕の誤解から、……思いがけない発見につながった。

 まさか人間の身体に戻す方法があるかもしれない、だなんて――。


 どうも僕も興奮状態になってしまって、順番は前後してしまったけれども――僕は、南美川さんに、日曜日のことを伝えた。


 南美川さんは複雑そうな顔になる。


「生物学の先生、なのよね」

「ああ、たぶんね。でも僕も詳しいことはなにも知らない。ただ、その先輩を通して、その住所に日曜の午前十時に、南美川さんといっしょに来いって言われただけなんだ」

「高柱第二研究所……聞いたこともないわ」

「南美川さんでも?」

「うん。高柱研究所のことなら、……わたしは以前はなんどかお世話になってるし、知ってるわ。でも――第二とか第三なんて、知らない。でも、でも、……高柱と名がつくなら、もしかして、わたしの知ってるひとかしら……」

「……やっぱり、細胞学も、業界は狭い?」

「そうでもないわ、高柱さんというのは生物学の分野でもたっくさんいたし」

「高柱という名字をもつ人間ってどの分野でも多いよね。人工知能分野にも、何人もいる」

「うん、そうみたいね。いまの学問界隈は、どこを見渡しても、高柱さんばっかり。優秀なひとは、子どものころに高柱研究所の養子になったりもするらしいわね。――細胞学はいまの流行だし、重要な学問でもあるし、高柱さんはたくさんいた――だから、その先生がだれなのかは、わからないわね。知り合いかもしれないし、そうでないかもしれないし……」


 意地悪かもしれないけれど、……訊いておこう、こういうのは確かめたほうがむしろ誠実かもしれないし――。


「南美川さんとしては、……どっちのほうがいいと思う?」

「どっちのほうがいい――って、どういうこと……?」

「つまり、……その細胞学の先生が、人犬になる前の南美川さんを知っていたほうが嬉しいのか、それとも知らなかったほうが嬉しいのか」

「……なんで、そんなこと、訊くの?」

「あなたが、どちらのほうが楽なのか。それを聞いたうえで――僕も日曜なるべくがんばってそう振る舞うように、するから」


 南美川さんは、くるりと尻尾を丸めた。

 ……わずかに、頬を、染めている。恥ずかしそうに。


「そうね。……どっち、だろう。わからないけど――わたしがそれより気になるのは、」



 南美川さんは明るい表情をつくろうとして口元を引き締めた、……だから南美川さんがせめて笑おうとしたということは僕にはわかった。



「そんな生物学者の先生と会っちゃったら、わたしの知識なんか、もう古すぎるって叱られちゃうことね」



 それは、……あんまりほんとうらしくは聞こえなかった。

 嘘をついている、と思った――けれどもその嘘はきっと僕のためなのだろう、……気を遣わせないように、って。


 そんな南美川さんが、最高に人間らしかったから――僕はその頭にもういちどポン、と手を乗せた。……耳の後ろの少しざらざらとしたところも、いつもの通りにちゃんと強めに撫でてあげる。耳がくにゃりとする。……それだけで南美川さんが気持ちがいいのが、わかる。


「うん。……僕も、できるかぎりがんばる。約束は、明後日だから……まだ、明日がまるごと、あるね。僕は明日は一日オフだ。つまり、休日だ。……だらだらしよう、南美川さん」

「うんっ。……でも、わたしは、ネイルデザインもやるわよ?そうだ、シュン。わたしのネイルデザインも、タブレットに入れて、先生に見せようよ。すこしは話のタネになるかもしれないわ」

「そうだね、……そういった材料は多く持っていくことに越したことはない。コードをひとつでも覚えたほうがプログラミングが捗るのとおなじだ」

「……ちょっと、違わない、かしら?」

「はは、やっぱそうかな。ごめん、いまのはちょっと適当だった。……そういえば、南美川さんって、チョコレートは好きだっけ?」

「チョコ……? チョコなんて、ずっと食べてないから……」

「あ、っていうか――犬はチョコレートが駄目だって聞いたことがある。その、南美川さんのいまの細胞が、すこしでもイヌのものなら、そっか、もしかしてあなたはチョコレートが食べられないのか?」

「そうね……わからない。そういえばそのあたりの、食材への反応っていうのは、……細胞加工とどうやって関連してるんだろう……。でも、やめときましょう。そもそも人犬加工の細胞加工は前提として、人間の食事を食べることは、度外視されているはずだしね、……犬のエサばっかり食べるの前提のはずだから」

「危険を避けるに越したことはないから、やめておこうか」

「でも、なんで、チョコレートなの?」

「生物学者のその先生が好きなんだってさ。手土産に持ってけって、先輩から言われているから。……チョコレートが好きな生物学者って、南美川さん、知り合いにいなかった?」

「やっぱり、思いあたる範囲では、いないわ。……どうなんだろう、知り合いなのかしらね……」

「まあ、……二日後に全部わかるよね」


 さて、と僕は立ち上がった。

 両手に腰を当てて、南美川さんを見下ろすかのように見つめる。


「きょうは先にお散歩行ってしまおう、南美川さん」

「えー……? きょうも行くの? 嫌よ、寒いわ……」


 僕は今晩も素肌を露出させないように、ネックウォーマーや手袋を自分自身に取りつけつつ、壁に垂らしてある南美川さんのリードを持ってくる。


「これからもっと寒くなるんだし、僕だって、……南美川さんほどじゃないけど寒いものは寒いよ。でも、行ったほうがいい。この家のなかだけじゃあまりにも運動量も足りないし、……そもそも僕はもうあなたの存在を保健局にも大家さんにも申し出ているからね。そうやって散歩をするってことも大事なんだって――前に話して、いちおうは納得してもらっただろう?」


 不満そうな顔をしている南美川さんの首輪の金具に、リードを取り付ける。


「僕はね、南美川さんはずっと人間だって思ってるし、人間として扱って、できるだけ人間に近い生活をしてもらいたいんだよ。……でも、いまの南美川さんは、まだ、人犬だろう? だから、あなたは――そのあいだは、人犬として生きなくちゃいけないんだよ」

「シュンのその言いぶんは、いまだによくわからないわ……」


 僕はむくれる南美川さんをよいしょっ、と抱き上げた。


 ……わからなくてもいい。

 僕の考えることなんていうのは、――どうせ、ヘンなことばっかりなんだから。


「南美川さん……今日は洋菓子店に寄ろうと思うんだけど、なにかおすすめのチョコレートのブランドとかある? 駅前の総合店のほうに行けばまだ、スイーツ専門店コーナーが営業してると思うんだよ。ほら、生物学者の先生に手土産買わなきゃだから。もう今日、買っちゃおうと思うんだ。明日は一日、家にいたい。「明日はひさびさにふたりでだらだらゆっくりしよう、南美川さん。ネイルデザインもいいけど、たまには僕とも遊んでよ。一日じゅう家にこもって、オープンネット見たり、動画を見たり、どうでもいいことだらだらしようよ。。まさしく、休日だ」

「え、じゃあ、あしたは、お散歩も、なし……?」

「そうだね。南美川さんがいい子でお散歩コンプリートできたら、あすの散歩はお休みにしよう」

「ほんとっ? じゃあね、じゃあね、チョコレートだったら良いお店を知っているわ――」



 家を出る。鍵を閉める。

 南美川さんを地面に下ろす。


 人のいる繁華街では、僕は当然、ペットである南美川さんとこうやって会話を交わせない。

 だから――。



 僕たちの作戦会議は、社会から見られてはいけないのだ。





(第四章、終わり。第五章へ続く)

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