夢の細胞
手足を切り落とされるのではなく。細胞をいじられて、ヒューマン・アニマルになる?
そんなことは、僕は、知らない――。
「……どういう、こと? それ。南美川さん……」
「え? だから、ヒューマン・アニマル加工っていうのは、手足を切り落としたりなんか……しないわ。そんなこと、いまでもいちいちしてたら、コストがすごいかかっちゃう」
「コストの問題……なの?」
「うん。現代では、そうだわ。だってヒューマン・アニマル加工って、一般にひろく、おこなわれることでしょう? 仮に人の四肢を切断するのであれば、それは相当の……外科手術のコストが、必要よね。時間的にも、費用的にも」
「え、じゃあ、あのさ、……ヒューマン・アニマル加工がどうやってなされてるかって、南美川さんは、もしかして、……なにか知っているの?」
「なにかってほどのことは知らないわよ? っていうか、そんなことくらいなら、高校の歴史と生物の教科書に書いてあったじゃない――」
僕はそれを聞いて思わず南美川さんの肩を激しく揺さぶってしまった。
「教科書なんて僕はそこまで読み込んでないし、そもそも意味だってそんなに理解できなかったんだよ! 僕はあなたほど勉強もできなかったし頭もよくないんだってこと、知ってるだろう!?」
僕がそんなコンプレックスをそのまんまに叫んでしまっても、南美川さんはきょとんとしていた。
けれどいちおうは気遣うような表情を見せる。耳が、垂れる。
「……あ。そうよね。わたしたちが、ううん、わたしがシュンを高校時代にああやっていじめていたから、あなたは高校時代にそこまで勉強をする機会がなかったのだわ。でも、教科書なんて読めばだれでもわかるように書かれているものなのに――わたしはあのとき、あなたから、そんな気力さえも奪ってしまったのよね。……ごめんなさい」
僕は南美川さんの肩に両手を置いたまま、頭を抱えるかのようにうなだれてしまった。
違う、……違う。南美川さん。
教科書は、読んだよ。僕だって。……理解しようとしたんだ、だって人生一発逆転したかった。
けれども――それでも、理解ができなかったんじゃないか。どうしても。
南美川さんは、……読めばだれでもわかるって言うけど、じゃあ、僕は、僕は――なんだったんだ。
だれにでも理解できるものだとしたら、それさえも理解できなかった僕は、ああ、だからつまりして――。
あなたにとって、人間ではなかったんだね。……あのとき、は。
……もちろん、そのことで、僕は動揺している。
感情が、ひさしぶりに、嵐のようになっている。
けれどもそれ以上に優先すべきことが、いまは、ある、……もちろん。
僕はふうと息を吐くと、顔を上げて、南美川さんの両肩から手を離した。
そして後頭部をくしゃ、と片手で押さえると、――いちばんだいじなことを問うことにする。
「ごめん。南美川さん。……感情的になった。教えてくれないかな――ヒューマン・アニマル加工は、……切断するのでなければ、どうやっておこなわれるのか」
「それは、その、……答えられるけど――その」
「いいよ。なに?」
「……高校のレベルを、超えてしまうかも、しれないの。……わたしは大学で生物学をやっていたから、その……人間のときにやったこと、いろいろ知ってて。いまも、けっこう、覚えてはいるの。もちろん、もういまでは、古くなってしまっている知識もあるだろうけど――」
「いいんだ。南美川さん。……僕はもうそのあたりは気にしないようにする。ごめん。……さっきは、感情的になった僕が悪かったんだ。僕は、あなたほど、……呑み込みがよくないけれど、がんばって理解するようにする。理解できなかったら、質問をさせてもらうかもしれない。僕は、その、あのときとおなじでニブいけど――気を悪くしないで、答えてほしい。……お願いだ。僕はこのところずっと――あなたの身体のことを考えていたんだよ」
南美川さんは、ぱちくりと目をしばたたかせた。
そして、……短すぎるその両前足で、またしても、僕の胸部を捉えた。格好だけ見れば――すがりついているかのように。
僕の胸を支えとして、座っている僕の脚のあいだで、二本足でどうにか立っている南美川さん。
とても、近い距離で、――彼女はなにかとても一生懸命な顔で僕を見上げていた。
「
ぱたり、と彼女の尻尾がいちどだけ大きく振られる。
「もともとは、病気の治療のために研究されていたものなの。壊れてしまった細胞や、病気として進行してしまった細胞を、……わかりやすく言うならば、巻き戻して、なかったことにしてくれる、――旧時代の最後の時代における、夢の発見よ。いま、……病気で苦しむひとって、ごく一部のどうしても戻せない細胞の問題を抱えたひと以外では、まず、いないでしょう? 難病って概念をほとんど崩してくれたのが、可逆細胞なの。……だから、ね。可逆細胞っていうのは、どう使うのがもっとも適切なのか、使い道の検討が、なされていたの。すくなくとも――わたしが国立学府で生物学を研究していた時代には。可逆細胞を使えば、理論上は、不老不死にもなれるわけ。身体的な、病気が、だいたい治るだけだって――旧時代までは、夢だった。だから、可逆細胞は、……夢の細胞、って呼ばれてた」
……夢の細胞。
「可逆細胞はね――ヒューマン・アニマルの加工技術にも、いっぱいいっぱい取り入れられているのよ。より、低コストで。より、いろんな動物のパターンで。そして、犬なら犬で、いろんな犬種を揃えて、いろんなニーズに応えて。ヒューマン・アニマル加工も、よりローコストに、需要のあるかたちに」
南美川さんは、もういちど、……ぱたり、と尻尾を振った。
「……あのね。だからわたしは、可逆細胞を使っていろんな形のヒューマン・アニマルに加工できることを、知っていた。わたしね、最初は、小型犬のモデルパターンにされるのかな、って思ってたの。チワワとか、トイプードルとか、パピヨンとか。ほんとうに変な話だけど――わたしはたぶん、現実を受け入れることを拒否して、妙に現実感がなくってね、加工前の短い期間に、自分がなんの犬種になるのかなあなんて、妙に冷静に、そんなことも考えていたのよ……。ねえ。わたしの犬種、わかる? シュン」
「……柴犬、だろ。あなたには言わなかったけど、あなたが来てから、僕はそれも、……こっそりと調べたんだ。ごめん」
南美川さんの尻尾は、くるりと丸まっている。
そして、耳はデフォルトでは垂れていなくて、ピンと直立した三角形だ。
「謝ることないのよ。あたり。わたしは柴犬にされた……正確に言うなら、種としてのシバイヌをモデルとした身体パターンに、細胞を加工された」
外科的に、手術をしたのではない――。
細胞ごと、……変えていたのか。
「ヒューマン・アニマル加工の歴史上、ほんとうのほんとうに最初期だけは、外科手術もされていた。だから当時はよっぽどの重罪人じゃないと、ヒューマン・アニマル加工にならなかったのよ。外科手術でのヒューマン・アニマル加工は、とにかくコストがかかるから。そこまでコストをかけてでも、その、なんというか……」
「……貶めたいほど、被害者やその関係者とか、あと世間に恨まれているような――そんな人間ってこと、かな」
「そう。それよ。……だからヒューマン・アニマル加工の初期は、ほんとうに重たい刑罰を受けた人間だけが施される、その、なんていうのかな……」
「……見世物だった、ってことかな」
「そう。それ……シュンはそういう言葉がすぐに出てくるのね」
「僕自身があなたたちに貶められて見世物にされてたからだろうね」
「あ……ごめんなさい」
「いいよ」
南美川さんは、ぱた、ぱた、と、……柴犬の尻尾をまたしても大きく、振った。
耳を、――これ以上なくピンと硬くさせて。
「夢の細胞は、――ヒューマン・アニマルの一般化をも、かなえたのよ。わたしは自分の研究してた細胞学の進歩によって、……人犬にされたと思ってる。とても、皮肉ね――」
ばたん、と
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