この期に及んで

 昼休み、社内食堂。

 僕は鶏唐揚げミニ定食、杉田先輩は大盛りのカツ丼。

 杉田先輩は僕には理解のできない速度でカツ丼をかきこみながら、状況説明をしてくれた。


「まあ、まあ、そう焦りなさんな。昨日ベリーかわゆいオンナノコちゃんたちにお小遣いあげたばっかだからさあ」

「え? 女の子にお小遣いをあげると……どうなるんですか?」

「……あー、そっかそっか来栖、おまえは純情ボーイだもんなあ。そこはわからんでもいい、いい、ハナから言った俺が馬鹿だったよ。まあ私秘探偵に依頼したくらいに思っといてくれや。あんま厳密に説明しすぎちまうと、ホラ、橘さんがまーた鬼のように――」

「……私が、なんだって?」


 杉田先輩は「げっ」と声に出しながら振り向く。そこには、ヘルシーボウル定食を手にした橘さんが立っていた。

 あちゃー、と思いながら、僕は唐揚げをひとつ口に入れた。


「いやいやいやいや、なんでもないす。ほらその、いま、来栖の気になっちゃう住所のこと、俺も協力してるじゃないすか。……昨日ですね、若いコたちと遊ぶついでに、こう、パーッとお小遣いを派手にあげたんですよ。ばらまいてきたんですわ、それだけですわ。や、べつになんも買収とか強制労働とかじゃないですよ――ああいう街はそういう道理には敏感じゃないすか。ねえ?」

「……杉田は繁華街に精通してるからね。私には、杉田が遊んでるような街を動かしている内在論理ってサッパリだから、まあ杉田がその辺わかっててうまいことやってくれるなら、助かるには助かるわ」


 ……なんの話だろうか。街の話?

 僕のわからない話を、僕以外のチームのふたりである杉田先輩と橘さんがするというのは以前と変わらずだ。けども、僕は以前よりは、そのたびにうつむいて不安で胸をばくばくさせないで済むようになっていた。

 それこそ――南美川さんが、うちに来てから。南美川さんの身体を人間に戻すため、……情報を、集め始めてから。

 そして。先輩と、上司が、……見返りもないだろうに僕に協力してくれるらしい、とわかったときから。

 杉田先輩。具体的に何をしてくれているのかまでは、僕にはまだわからないけれど――杉田先輩が僕のために動いてくれているらしい、というのは、わかる。

 ただでさえ杉田先輩は、仕事で普段、出来の悪い僕をかばってくれているのに。それ以上のことを、……プライベートタイムまで使って、してくれているらしい。


 以前とは、違った意味で、……すこし、怖くはある。

 なんで――このひとたちは、こんなに僕によくしてくれるんだろう、って。


 こんな、僕に……。


 杉田先輩は、右手をひたいの前に上げて、びしっと敬礼のような仕草をする。


「不肖、杉田馨意っ、夜のネオン輝く街のことなら何でも、お任せくださいっ! 俺らのね、まあ、ナワバリですからね、あのネオン街は、ナワバリ! ホコリ叩きに大掃除、はたまたネズミ捕獲まで、いつでもこの杉田をご指名くださいませー!」

「あー、はいはい、あんま調子に乗らないのよー、発言があんたいつも色々とギリギリなのよ」


 橘さんは呆れ顔で、テーブルの定位置に座った。……これも、いつも通り。

 社内食堂のテーブルは、三角形の三人用。うちの会社のチームの最小構成人数は三人で、そして少人数制を重んじるのが特徴でもあるから、三角形のテーブルも多めに用意されている。

 おかしなことに、それも前時代の反動だと聞いたことがある。奇数で座りやすいテーブルがあまりにも少なすぎると主張して、奇数用テーブルをデザインしたブランドがあったらしい。



 思考を進めて。

 デザイン、というワードに、自分で勝手にひっかかる。デザイン。デザインか。……南美川さんも、デザインをした。



 ――ネイルを。



「……あ、の。盛り上がってるとこ、すみません」


 ふたりは軽快なやりとりをやめて、僕の顔を見た。ああ。……やっぱり僕は、うつむいてしまう、前髪が視界を覆い隠してくれる、この期に及んでごめんなさい――僕は、やっぱり、真正面から見られるのがいまだに怖い。それも、こんなにお世話になっているひとたちに。

 ……ほんとに、情けないとは、思う。だって、僕のためだ。……僕はなんにもしかるべき対価をこのひとたちに返せないのに、このひとたちは、なぜだか無償で僕に協力してくれているのだ――本当に、なぜだか。


 ありがたい。ありがたくって。でも……怖くって。


 そんな気持ちもほんとうなのに、

 ……まだ、甘えようとしている自分がいて。



 そんな気持ちがうずまいて、混ざって、かたちとなって……結果的に、僕は。

 顔を上げることはできなかったけど、口もとだけは小さく笑って、以前よりはまだはっきりと――述べていた。



「……いまって、中流工程の納品とか、受注とか、……そういうのって、オープンネットで、できたり……しないでしょうか。その――僕の、前からその、飼ってる、当のそのひと――その人犬が、デザインしたもの、なんですけど、……その、とっても、上手だから、売れたり……しないかなって……」



 これでも、こんな言葉でも、どもりかたでも、弱々しさでも、

 以前よりは、ずっと、はっきりと――僕は、このひとたちに、言いたいことを言えているのだ。……ふしぎだ。ほんとうに。この期に及んでほんとうに――。

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