どうしても、それを
そして、僕は晴れていじめられっ子デビューを果たした。
高校時代の南美川幸奈は最悪だった。
と、いうか、僕がそんな印象を抱いたのは、仕方がないことだと思う。
形式上は峰切狩理があれこれと提案して、南美川幸奈は「いいねいいねーっ」とそれに乗っかっていく体を取ってたけど、実質的に僕を苦しめたのは、自信にあふれる同性の学年主席よりもむしろ――南美川幸奈だった。
クラスの全員は僕のことをシュンと呼ぶのに、僕はクラスの全員をさんくん付けで呼べ、と言われた。
だから、僕はずっと、いまだに、……南美川幸奈のことをとっさに南美川さん、と呼んでしまうのだ。……トラウマのなかでも、悪夢のなかでも、たとえば風邪のとき熱にうなされてなにか幻覚をみるときも。
……数えきれない。あのころのことはほんとうに数えきれない、のだけど。
ただ僕のなかでダイジェストになっているだけでも、南美川さんにやられたことといえば――、
まず、教室ですべて服を脱がされて、ゲラゲラ笑われた。あれはなにがそんなにおかしかったんだ。僕の身体は、そんなにどこかヘンだったか。いまだによくわからない。だから僕はもう半袖や短パンが着られない。僕の身体って、きっとどこかおかしいから。
手で前を隠そうとしたらまたヒールの足で蹴られた。「隠すほどのモンかよ!」って、人間はふつう、羞恥心というものがあるんじゃないですか。そんな心を読まれたみたいに「一人前に恥ずかしがってんじゃねーよ!」ってまた、ゲラゲラ笑われた。だから僕はきっといまも羞恥心なんかほんとはもっちゃいけないし、恥ずかしいなんて僕には傲慢な感情だと思う。
そのあとヒューマン・アニマルごっことかいって、首輪つけられたり、廊下のほかのクラスにまでさらし者にされたり、二本足でも四つん這いでも引き回されたり、あと、あと、プールでも遊ばれたし、授業中正座させられたし、そんなとこぜんぶ写真に撮られてグループメッセンジャーで共有されて、家族に見られたくないだろって脅されたり、掃除用具でもてあそばれたり、クラスの奴隷になって、すべて――
……もう、ここらへんで、僕は、あ、むりだ、ってなる。
いじめのダイジェストは、きれいに数珠繋ぎだ。いまだに鮮明に順序よく、思い出していくことができる。
僕が、人間でありながら、あの空間で人間の資格をうしなっていったプロセスのことを。
そして、僕は――僕をそんな地獄に堕とした南美川さんのことを、
……いま、そこから、引き揚げようとしている。
それは、そうだね、……むしろ南美川さんのほうが信じられないだろう。あのこと――すべて、ちゃんと、覚えているのであれば。
現実。会社の、昼休みの、喧騒なんてそのままよどんだ空気に溶けてしまう社内食堂。
橘さんが杉田先輩に僕のことを怒涛の勢いで愚痴りまくっている。杉田先輩ははあ、はあ、とへらへらと苦笑ぎみに、それでもひとつひとつの言葉にうなずいている。からあげマヨ丼ミニサイズをぼそぼそ食べている僕には、杉田先輩は話を振らずにいてくれた。ありがたかった。僕はとにかくずっとうつむいて、ただからあげマヨ丼ミニサイズをすべて食することだけに意識を向けた。
上司が僕の愚痴を先輩に言いまくるのをBGMに過ごすランチタイム。もちろん、できるのであればいますぐに僕は両耳にイヤホンを突っ込んで好きな音楽の世界に閉じこもりたかった。けど、ふたりが僕のことをなんだかいないみたいに扱っていてくれるから、そうやって衝動的に行動することはまだ、避けられた。
「もうそれでくるちゃんったら、理由訊かれても寝不足ですとかなんとか、もう、そんなのだんまりとおなじだと思わない!? そうではなくて私は、直接的な原因を、って――あ」
「ハハ、またカレシさんっすか」
「やだ、そんなんじゃないって言ってるでしょ。……ちょっと、席外す。すぎぴょんからも、くるちゃんのことしっかり説教しといて」
橘さんは、スマホを片手に席を立った。
「……来栖。なにが、目的だ」
僕は顔を上げた。
杉田先輩はいつものような軽薄な笑顔を浮かべている。
でも――目だけが、笑ってなかった。
「……なにが、って、」
「履歴を抜いたぜ。……こちとら、プログラム屋上がりの営業なんでね。同チーム内のアカウントのログ抜きくらいは、権限もあるんでな、できるんだわ、わりぃな」
「……先輩、営業だけじゃなくて、プログラムも、できたんですか。はは。なんだ。ひとが悪いな……」
「世のなかのすべての人間が最初っからその職業なんだとか思っちゃいけねぇぜ? 危険だ、そりゃ。このご時世に。
……まぁ世のなかの厳しさの話は置いといて、だ。
正直になってくんねえか? ――なんだ、あの酔狂は。寝不足なんざ、ウソだろ。――ありゃどう見たって意図的だ。
いいか、俺は、先輩としていまからお前に説教と詰問をする。パワハラだなんだ言われても、……こりゃ俺の職業倫理なんだ。わりぃな、後輩。
……お前、Necoとの会話を試みたな。
それも、感情系――エモーショナル・コマンドを命令した。当然、エラーで弾かれる。
おまえは知っててやったんだろうが、Necoにいちばん負担が高いのはエモーショナル系のコマンドすべてだ――Helloコマンドだからまだ、エラーで済んだんだぜ。
……Necoに『こんにちは』と語りかけるだけで、俺らに割り振られたNecoのキャパはあっけなくオーバー、俺らのフロアのNecoは不具合が起こったってことだ。……Necoに語りかけるだなんて正気の人間のすることじゃねえよ。
まあいくらお前がエモーショナル系のコマンドをやりたかったとこで、そんなんすぐ弾かれる。三度もやれば、意図的と言われる。監査、入るぜ。AI関連のこた、重罪だぜ。……いまどき犯罪者なんざ死ぬよりツライ目に遭うって、知ってんだろ、そのくらいのこと。
お前の技術がそうとう高いのは、認めるよ。まさか、エモーショナルコマンドまで使えるとはな、ぶっちゃけたとこ恐れ入ったよ。ほんとに期待のルーキーだったんだな、お前、ハハ。
けど、まさか――お前の技術力を社会やら会社やらに誇示してえとか、んなわきゃねえよな、来栖だもんよ、なあ来栖? じゃあ、じゃあ、――お前何がしたかったんだよこんなバカなことしやがって!」
僕は、うつむいた。
「なぁ、来栖」
先輩の声が、ふっと柔らかくなる。
「……喋ってくんねえか。……いまの俺は、営業屋で雑務屋だ。後輩のメンタルケアも仕事なんだ。
だから、その、その……」
杉田先輩はガシッと僕の両肩をつかんだ。僕はびくん、と怯えるが、……こんどは杉田先輩の呆れたような笑顔は目も笑っていた。
「社会人は情報シェアも仕事だぞ!」
そんな、耳ざわりのいい言葉、そのものよりも、
……僕に対してどうも対等らしくつきあってくれるらしい、このひとは、……ほんとうにあのころのクラスのやつらとは違うんだなって思って、
「……Necoに、尋ねたいことがあったんです、どうしても……どうしても」
僕は、言っていた。まるでひとりごとのように。
「Neco、いや――
どうして――ひとは、動物にならなきゃ、いけなかったのか、って。
たとえば、それを……修正していくすべは、なかったんですか、って、……それだけのことを、僕は、どうしても」
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