191話 過猶不及也

 なぜか突然ヘソを曲げ、不意に席を立って自室へと戻るドラクロワに続いて、それの小さな影のように連れ立ったカミラーもまた、宿の上階へと消えた。


 その唐突で、極めて不可解な退去を呆然と見送った女勇者達とアンとビス等は、なんだか急に気の抜けたようになって、ソロソロと元の席へと戻って、幾らか反省会然とした会食を済ませると、銘銘(めいめい)が女子部屋へと戻って行った。


 そうして、それから幾ばくかの自由な時間がそれぞれに流れ、秋の夜は深々と更けていった──


 つと、宿の提供した光沢のあるシルクの寝間着に着替えたマリーナが、なにやら手にひとつの包みを携え、自室から廊下に出た。


 そして、そこの暗澹(あんたん)とした狭い廊下をグレーのウサギ革のスリッパで、パタパタと闊歩し、ギイギイと鳴く階段を上り、そうして辿り着いた先とは──


 自らにあてがわれた小部屋とは明らかにランク違いで、露骨な高級さをさえ感じさせる、意匠化されたスズランの高浮き彫りも美しい、良質なオーク材の扉の前であった。


 マリーナはその真ん前で、はたと立ち止まると、なんら淀(よど)みもなく動いて、そこの硬い面(おもて)をノックしようとした。


 そこへ──


 「ん?なんじゃ?その粗野で田夫野人のごとき無遠慮なる足音から察するに、フム、無駄乳か──」


 マリーナの折った指が木扉に到達する前に、その室内から、小気味良い、鈴を鳴らすような吸血貴族の声が飛んできた。


 「アハッ!さっすがはカミラー、バレッバレだねー」

 そのカミラーのなんとも失敬な分析の言葉に少しの不快感も覚えず、むしろ、その洞察力に頼もしさを感じるのがマリーナという女戦士だった。


 「なんじゃ?こんな夜更けにお前のほうから、ワザワザわらわに会いにくるとは……。

 おぉ、そうじゃそうじゃっ、そういえば、頗(すこぶ)るお前向きの土産があったぞよ。うん、そこの鍵は掛けとらんから遠慮のう入ってこい」

 と、あっさり入室許可が出され、その室内で小さな気配が動くのが感じられた。


 「うん。じゃ、オッジャマしまーす」

 朗らかに言ったマリーナが真鍮のドアノブを握った。


 そうして進入した懐深い室内とは、マリーナが連泊する部屋よりも優に二回りは広く、また、そこにさりげなく置かれた調度品群からも、気品と高雅な趣とが溢れていた。

 が、生憎とこの女戦士には、それらを嗜む感性などハナからなかった。


 そのマリーナが黒革眼帯の顔を上げると、そこの中心に在(あ)る貴賓(きひん)、世にも美しい女児にしか見えぬカミラーが、寝間着にしては華美に過ぎる、薄桃色の見目麗しいフリルワンピースを纏い、純白のティポットを傾け、仄(ほの)かにハーブの薫る茶を唐突の来客へと振る舞うべく注いでいるのが見えた。


 「ホレ、コレじゃ。まったく真偽のほどは解らぬが、何やら、ひと掛けすれば、如何(いか)に脆弱なる肌の持ち主であろうとも、一生涯、痒み、汗疹に苛(さいな)まされることなしで、その名もズバリ、''汗疹(あせも)知らず''とかなんとかいう、まぁなんとも大仰な触れ込みの霊妙薬らしい。

 ま、気が向いたら試してみるがよい」

 と、カミラーが翡翠のテーブルから小さな手を退くと、あの魔王崇拝の街にて少女趣味全開の怪僧ジハドから、ちゃっかりと奪っておいた戦利品である、妖しさ剥き出しの白い粉の封入された円筒小瓶が見えた。


 「へぇー。コリャまた、アタシにうってつけの薬もあったモンだねぇー。

 うんっ、あんがと!んじゃ遠慮なく使わせてもらうよー!

 アハッ!コレで全身鎧も夢じゃないっ!だとイイねぇ?」

 言って、金色の捻(ひね)り蓋の薬瓶を拾い上げ、燭台の灯りに照らして、しげしげと眺めた。


 「うん?それより、その意味ありげな包みはなんじゃ?

 フーン。どうやら、それが今宵の来訪の訳じゃな?一体何を持ってきた?」

 マリーナの左の手にある薄く四角い包みを眺めて言った。


 「えっ!?あーそーそっ!これがまた凄いシロモノでねぇー!

 この村の仕立て屋でなんとか手に入れたドレスでさー、も、アンタにゃ、ドン!ズバ!の──」


 「いらん。よかれと思って手に入れたお前には悪いが、わらわも着衣、それも殊(こと)、ドレスに関しては固着とも云える程に、顕在なる''好み''というモノがあっての、断じて何でもよいという訳にはいかぬのじゃ。

 となれば、このわらわに合わせて買ったモノなら、お前と根暗狼はおろか、あの低知能娘にも着れぬものじゃろうから、明日を待って即刻返品交換でもするのじゃな。

 さて、用が済んだのならさっさと''いぬる''(去るの意)がよい。わらわも一篇の詩を紡いでおったとこじゃでな」

 瀟灑(しょうしゃ)な寝床の脇にある机、そこの羊皮紙とペンへとに顎をしゃくって言った。


 「ウンウン、だよねぇー。まぁアンタもそんだけ長く生きてりゃ、そら色んなことに、コダワリってのがあるだろねー。

 うん、そんくらいハッキリ言ってくれた方が、逆にコッチも気が楽だよ。

 んー、そーだね、なんか無理して受け取ってもらうより、あの店、えと、なんつったっけ?あーと、そっ、''赤きドラコニアン''だっけ?

 うんうん、元々コレってさ、そこの看板みたいな見本のトンでもないお宝だったのを、無理に譲ってもらったんだよねー。

 よしっ!んならコレ、確かー''乙女雪(ハツユキ)''とかナンとかいったっけか?

 コレがもー、信じらんないくらいに、とびっきりキレイだったからさ、ちょーっとモッタイナイよーな気もすっけど、誰も着ないってんなら、それこそ激しくモッタイナイからさー、アンタのいう通り、朝一番に返してくるよ」


 マリーナがさして落胆する風もなく、包みを振って言ったとき──


 「置いて往(ゆ)け」


 それは、あの怪談''置いてけ掘''の一幕を想わせるように重く、それでいて、実に音吐朗朗たる一声だったという。


 「ハッ?」


 「……うむ。よくよく考えてみれば、斥候作戦機動中にあったわらわを思い、折角、お前が''無い気を利かせて''選んできたモノを、無下に引っ込めろというのも、こう、なにやら酷な気がしてきたでな。

 ま、ちょっと袖を通してみてやるか、といったところじゃ」


 「えっ?いやいや、アンタの長年のコダワリを、ボキッと曲げてまで受け取らせちゃ悪いからさ、んー、ホントいいっていいって!

 まぁコレ着て、あのドラクロワにお酌でもしてやりゃー、アイツがアンタを見る目も、グッと変わるかもねー、とか想っただけだからさー。

 んじゃ、どーもヤブンにシツレーしましたー、おっ休みぃー」

 と、マリーナがこの女らしくもなく気を遣って扉に振り返ったとき。


 「置いて往けと言うておろうが……。

 まったく、お前という人間とはつくづく反りが合わん。

 まぁ一応、礼はいうておくぞよ」


 気付くと、確かにマリーナの手に有ったはずのその包みは、奥の天蓋付きのベッドに腰かけたカミラーの手へと、幻のように移っていたという。


 さて、その翌朝──


 とうに朝のパンの焼ける芳ばしい香りが漂い昇って来てはいたが、事前のマリーナの指示により、女勇者達とその従者達は一階に降りることを禁じられ、各々の部屋に籠ったままでいた。


 そうしていると、朝の葡萄酒を求めて階段を踏むドラクロワが、単身一階の食堂へと降臨した。


 そして、様々な料理の芳しき香りが渾然一体となって充満するそこを見渡すと、この弩(ど)のつく田舎の村の一軒宿屋には、当然のようにドラクロワ達一行の他には、誰も利用者などない筈だったが、そこの中央テーブルには、なぜか一人の''女影''が座しているではないか。


 その女、ワザワザこっちで熟視してみるまでもなく、まさに息を飲むほどに美しい、ピンクに艶めく巻き毛を絢爛と垂らす、すらりとした可憐な若い女である。


 そしてまた、この''場違い''としか云えぬほどに美しい謎の女とは、絶妙に均整のとれた痩身でありながらも、実に女らしい曲線を描く優美なる身体に、まるで溶ける寸前の雪で構築したとしか表現出来ぬような、そんな誠に名状し難き美しさを放つ、誰もが一目で極上と分かるような、眩(まばゆ)い純白のドレスを纏っていた。


 そして、その女が保有する、見ていると胸の詰まるような可憐なる美貌と、その天上の至宝のごとき着衣の素晴らしさとが、いいようもなく溶け合い、織り合わされ、まさしく慄然とさせられるような、絶対的なる美の結晶となってひとつの人型を成していた。


 これを認めたドラクロワは、その魔界にもかくやというばかりの神憑(かみがか)りの美貌に目を奪われたが、直ぐに

 (なんだこの女?なぜこんな女が、朝も早くから俺の席の隣に陣取っておるのだ?

 しかも、ここの俺好みの葡萄の瓶を胸に抱えて黄昏(たそがれ)ておる……。

 ウム……何とも気味の悪い女だな)

 と、この正体不明の女の放つ異様なまでの美しさも含めて心底不審に思い、想わず睨むような眼となった。


 これに、女の方でも気付き、どこか恥じらうような面差(おもざ)しで以(もっ)て、ドラクロワを上目遣いに見上げ、純白の長い睫毛をはたかせ、いつも彼が座する席に流し目をするのだった。


 その伏し目がちに傾けた顔とは、この魔界を統べる王ですら、一瞬、ドキリとさせられたほどの凄絶なる美しさであった、とか。


 その潤んで煌めく真紅の瞳により誘われた席だったが、流石のドラクロワも、このだだっ広い食堂の数ある席の中から、ワザワザ見も知らぬ他人の隣に座るのも気が退ける。


 かのようにも一瞬見えたが、この真魔族の貴公子、そんな繊細な神経などは持ち合わせていないようで、いつもの冷え冷えとした仏頂面で、ここは元より俺の席だ、と宣するように、ドッとそこへ腰掛けた。


 そして、なんとも云えぬ違和感に満ち満ちた静かな時が幾ばく過ぎたが、そのドラクロワも、また謎の美女も、互いに意地を張るように一言も発さない──。


 (クッ……この女。先ほどから、むっつりと押し黙ったままで一体なにがしたいのだ?

 特に用もないのなら、なぜに俺をこの席に招いた?)


 この気まず過ぎる沈黙の継続に、この自若不動を常とするドラクロワでさえ、次第次第に妙な居心地の悪さを感じ、なんとも息が詰まってきた。

 

 そこで、ここに来た当初の目的をまっとうすべく、都合よく姿を見せた女給を呼び寄せ、好みの銘柄の葡萄酒を頼むこととした。


 すると、この家族経営らしき宿の娘であろうと思われる、やや年増の女給は、この二人の放つ人外魔境的な異様なまでの美しさに露骨に圧倒されながら

 「あぁ、ハイ。あの、そ、その葡萄酒なんですが、生憎とこちらの方にお出ししたので終わりなんです。ほ、本当にすみません!!

 か、代わりといってはなんですが……あの、こ、こちらなどはいかがでしょう?

 スッキリとした飲み味で、その、評判もよく、とってもオススメですよ?」

 さも申し訳なさそうに、メニューにあるドラクロワのお気に入り、その銘柄の三行下のモノを差して言った。


 「クッ!!なん、だと……。是非もなし、では直ぐにそれを持て」


 (ウヌゥ、こ、この若い女!朝も早くから現れては、ワザワザこの俺の好みの葡萄を奪いおって……一体どういうつもりなのだ!?)


 魔王は凄まじい怒気を纏った瞳で、至近距離の目も覚めるような美女を睨みつけた。


 だが、そのピンク髪の女は、それを受け流すようにうつむき

 「あ、あの……どうぞ」

 と、胸にかき懐(いだ)いていた葡萄酒の瓶を差し出すのであった。


 「ん?なにぃ?」


 これにドラクロワは一瞬困惑して、只、唸(うな)るしかなかった。


 (なんだ?この女……。見てくれは決して悪くないが、やること為すことすべてが不可解だ。

 全体、なにがしたいのだ?こんなに朝っぱらから来店して、好みの葡萄を確保しておきながら、それをスンナリと差し出そうとは……。

 ウーム……こやつ、単なるお人好しか、或いは''少し足らん奴''なのか?

 ウム、いずれにせよ、この魔王たる俺が、人間族の女の買った酒を、あっそ、じゃあ遠慮なくー、といった具合に横取りなどできるか!

 そんな真似、この星の覇者としての沽券(こけん)に関わるわっ!)

 と、魔王は軽くなぶられたような気分となり、心中にて憤慨した。


 さて、この一部始終を、先にドラクロワが踏んで降りたのとは別の階段の下にて密集し、そこで息を潜めて観察していたある群れがあった。

 無論、それらは女勇者達の三名、そしてアンとビスである。


 (ッひゃあー!!それにしても、あの氷と雪で作ったみたいなドレスって、本当にスッゴいですねー!!

 ウンウン!!流石は不世出の奇跡の仕立て屋さんがあつらえた''乙女雪(はつゆき)''ですーッ!!

 アレッて、カミラーさんみたいな、トンでもなくキレイな人が着たときに限り、その纏った人間の美しさを究極最大限に引き出す魔効がある、とは聞いてましたが……。

 まさか、あんなスンゴイ美人さんに変貌させるとは……スッゴい!スッゴい魔装具ですー!!!)


 (しっ、ユリア、少し声が大きいぞ。そうだな、あのドラクロワでさえ、あれがカミラーとはまったく気付いていないようだな。

 フフフ……しかし、あの姿、なにやらどこかで見たことがあるような気もするが、うん、あの時と比べると、些(いささ)か胸囲の盛りに欠けるか……)


 (アハッ!だよねーだよねー!?でもでもアレってさー、変身したトウニンにはゼンッゼンジカクはないみたいだねー?

 カミラーからしたらさ、ちょっとオシャレしてみたんですけどー?って感じなんだろうけどねー!!アハッ!

 しっかし、いつになったら気付くんだろねー?ドラクロワ。

 あっ!葡萄酒が来たみたいだよっ!)


 と言ったマリーナの指摘通り、今やまるっきり別人と云えるほどに、急成長的なる大変貌を果たしたカミラーの差し出した葡萄酒を、依然として腕組みにて、むっつりと拒絶したままのドラクロワの前に、先ほど渋々注文した別の銘柄の瓶が運ばれてきた。


 これに「ウム」と唸ったドラクロワが、腕を解いてその首を掴もうとする、その前に、なんと謎の凄絶美女が流れるように動き、まるで当然のようにそれを奪ったのである。


 そして、横取りしたそれを、なにかの酷い嫌がらせのようにドラクロワの前から滑らせて、大きなテーブルの端へと遠ざけるではないか。


 「あの……確か、これなる品は、滅法(めっぽう)値段も安く、ただ酸(す)いばかりで、少しも佳くないハズでは?」

 と、線の細い、どこまでも整った、抜けるように白い顔を物憂げにして宣(のたま)い、代わりに先ほど献上したドラクロワお気に入りの一本の方を、ズイッと押し出すのだった。


 「なっ、なんのつもりだ!?こ、こんなものが飲めるかっ!!」

 これにドラクロワは、そんなもの意地汚く受け取れるか!とばかりに一喝して、そっぽを向いた。


 こうして、憤懣遣(ふんまんや)る方無しと、テーブルに金貨を叩きつけるように置いたドラクロワは

 「ええいっ!!この度しがたき無礼者めっ!!呆れ果てるとはお前のことよ!!

 クッ!!当座の俺が光の勇者で命拾いしたなっ!!」

 といった捨て台詞を吐き、恐ろしい怒気を撒き散らしながら、また最上階の自室へと戻って行ったという。

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