136話 フリュース・デュ・マル(悪の華)

 夕闇の帳(とばり)に幽(かす)かに満月が架かり始めた今宵まで、小規模な宮殿を想わせる古風な造りの館をあてがわれたドラクロワ一行であったが、いよいよとばかりに其々(それぞれ)が必殺の得物を引っ提(さ)げて出陣し、その一団の伸ばす長い影達は、ここ「リッパー通り」へと辿(たど)り着いたのである。


 住み慣れた街を行くがごときドラクロワは、彼女達の先頭を少しの淀(よど)みもなく歩き、ある異色・風変わりなる建物へと向かう。


 その特殊な建物とは、ちょっとした神殿を想わせるような、三階建ての白い城郭(じょうかく)風の面(おもて)を、ところ狭しと翡翠(ひすい)の装飾にて、ゴテゴテと派手派手しく扮飾(ふんしょく)した、そんななんとも言えない仰々しき異様な館であった。


 その開け放たれた、やはり翡翠の枠で覆われた、恐ろしく華美な柱廊の挟む大門を、平然・無造作にくぐろうとするドラクロワに

 「ドラクロワ殿!なんと!こ、ここは娼館にございますぞ!?

 しかも所謂(いわゆる)……その、一般の遊女・娼婦をおくモノではなく……」

 正に慌てふためくようにして、足早に暗黒色の背に迫る老人警視であった。


 だが、その貴公子の禍々しき闇色の戦闘靴は歩みを止めず

 「ウム。そんなことはとうに知れておるわ。

 カゲロウよ、時が惜しい。問答は後にして先を急ぐぞ。

 なにせ、俺は本格的な闇が降りる前に、ここの所有者に会わねばならんのでな。

 ウム。場合によっては、その者を一刀両断に処さねばならん」

 そう当たり前のように言って、左の腰に提がった暗黒色の魔剣、"神殺し"の柄頭(つかがしら)を左の白い親指で撫で、毒々しい極彩色の華々の咲き乱れる、庭園のごとき門内へと分け入った。


 その歩に準じて、物珍しげに辺りを見回す女勇者団とその従者等も進む。


 が、この何処と無く享楽的(きょうらくてき)不健全さの漂う、取って付けの美が艶(あで)やかなる館が、"娼館"と聴いて、芝生(しばふ)の飛び石を踏む其々(それぞれ)の若い乙女達の顔には、流石にやや羞恥(しゅうち)を帯びた困惑の色を隠せずにはいられなかったという。


 マリーナは館の入り口の緑石で飾られた白い扉の両脇。

 そこにて燦然(さんぜん)と輝く鋼細工の篝火(かがりび)に、さも眩(まぶ)しそうに手をかざし、露骨に顔をしかめるや

 「ふがっ!この変なニオイはなんだい!?うへぇっ!なんか目が回って鼻がひん曲がりそーだよ!!

 しっかし、ココはオッソロしく変わったとこだねぇー。

 なんかあの人さ、ココのこと、"しょーかん"とか言ってたけど、あの人斬り変態ヤローって、こーんなケバケバしいとこに住んでたのかい?

 アタシャてっきり、草ボーボーのきったないあばら家なんかに隠れてんじゃないかと思ってたけどねー。

 ッヘェー!コイツァーまた意外だねぇ?」

 と、深紅の指ぬきグローブの指で鼻を摘まみ、フガフガと所見・感想を述べた。


 その脇を腕を組みつつ行く、純黒の頭髪の女アサシンは

 「うん。ここは恐らく、男娼をおく娼館だな。

 フンフン。この匂いは、とても稀少なる香木、そして高価な乳香と香水。

 と、それから……うん、白粉(おしろい)だな……。

 フフフ……件(くだん)の望月某(ぼうげつなにがし)とは、女の柔肌を斬る以外にも、化粧でもする趣味でもあるのか?

 それとも、もしや奴は、ここに通いつめる常客の女、なのか?」

 と、少し顔を上げ、マスク越しの鋭い嗅覚で、篝火の燃料油ではなく、この館の懐中から放たれる独特な香りを分析してみせた。


 ユリアは指先で不安そうな顔の唇を撫で、歩ごとに近くなる大きな玄関を眺め

 「だんしょう?えっ!?それって、もしかして……」

 と、頼りの魔法杖を握って顔を下へと落とした。


 実質年齢は三十路手前のアンとビスは、その蜂蜜色の三つ編み頭を横目にし、一瞬、何か言いたそうな顔になった。

 が、お互いを見合わせると、ただ浅くうなずくだけで、そのまま黙り、小柄な女魔法賢者に従った。


 先を進むカミラーは、それらの重く不穏な空気を感じ

 「うむうむ、ここはじゃなー、寂しい皺(しわ)餓鬼女が、あ、いや皺餓鬼もか……。

 ま、とにかく、そんな暇と金とをもて余した者共が、幾ばくかの対価を支払って、個室に容貌(すがた)の良い男を呼び寄せてじゃな、それに暫(しば)し酒の相手をさせたり、按摩(あんま)をさせたりするところなのじゃ。

 フム、またそれらは往々(おうおう)にして夜伽(よとぎ)、房事(ぼうじ)へと発展し、果ては、くんずほぐれつの毒蛇の交尾のごとき裸相撲へと、」

 この五千歳の女バンパイアの解説は、赤裸々にして身も蓋もなく、それがこの極めて美しい"幼女"らしき風貌より放たれるのが、余りに不穏当で痛々しかったのか、カゲロウ老士が殊更(ことさら)・過剰に大きな声で

 「ンンッ!ゴホンゴホンッ!!

 あーと、その……。そう!ドラクロワ殿!一刀両断とは穏やかではありませんなー!?

 無論、我々の度重なる立ち入り調査により、ここの通りに軒(のき)を連ねる店の経営者達の全ては、この怪事件への関与の疑いなしとして、出入りする者等も含め、徹底的にその反証が済んでおります!

 それを、独創的に特異なる存在の光の勇者であられるとはいえ、貴殿個人が持つ裁量にて彼等を猜疑(さいぎ)し、あまつさえ斬り伏せるなどとは、これは単なる正義感の行き過ぎどころのはなしではなく、直ぐにでも大陸全土に轟く、伝説崩壊の大問題へと発展すること、これ必至にございますぞ!?」

 と、穢(けが)れを知らない純真無垢な乙女達を気遣ってか、芝居がかったようにいきり立ち、あえて喚(わめ)くようにしてカミラーの前へと割り込んだのである。


 ドラクロワはそれに黙殺を極(き)めつつ、既に館内の受け付け口。

 そこの深紅の絢爛華麗(けんらんかれい)なる盛り花の鉢も美しい、白い大理石の大きな円形テーブルの傍(かたわ)らに立つ、襟高(えりたか)、肩当て付きの純白の礼服を、目もあやな、恐ろしくきらびやかな金刺繍にて飾り付けた衣裳を身に纏った、ひとりの美貌の痩身男子へと迫っていた。

 

 「俺の名はドラクロワ。至急、ここの所有者との面談を要求する」


 なんと唐突に、少しウェーブのキツい、七三分けの金の美髪を肩まで垂らした青年に、座元の呼び出し・目通りとを請(こ)うたのである。


 この単刀直入にして、凄まじく自分勝手な物言いに、濃いめの化粧を施した美青年は、その尖鋭的に描いた茶金色の眉をひそめ

 「お客様。先ずは当館、"フリュース・デュ・マル"へようこそ。


 失礼ですが、カゲロウ様。これは一体どういう事ですか?

 我々としては、これまでの当局からの捜査、事情聴取には誠心誠意、良心的に協力・対応して参ったつもりですが?

 それをなんら事前の告知もなく、こうして武装集団を率いてのご来訪とは……。

 いかにカゲロウ様とはいえ、これはあまりに横暴が過ぎるのではありませんか? 


 当方は都の認可を得て、なんら後ろ指を指されることのない、合法的なる営業をしております。

 ゆえに、この営業妨害的行為は然(しか)るべき場所へと訴え出ることも考慮させていただきます」

 この受け付け係。パッと見て、二十代前半ほどであろうと思われる若さの割りに、実に、いや妙に落ち着いた物言いでの受け答えを返してきた。


 カゲロウは、この至極尤(しごくもっと)もな異議に少し怯(ひる)み、困ったように片眼鏡を押さえ

 「う、うーむ……。その、こちらは大陸王の正式認可を授与された、彼(か)の高名な伝説の光の勇者団の代表であられて、だな……。

 えーその、望月魔人の捜査において、こちらの座元であられるバラキエル殿が重要参考人であるとされ、再度、実見面談をしたいと、こう申されておいでなのだ……。

 その、つまりは、これ決してバラキエル殿にあらぬ嫌疑をかけておられるという訳ではないから、ご多忙にはあろうが、少しの質疑応答をさせて欲しいのだよ。

 無論、何ら不行き届きのなきよう、この私も立ち会い、それが可能な限り手短なものとなるよう誠心誠意努めるつもりだ」

 この都の名士にして顔役であるはずの老人は、いつの間にか、このドラクロワという、単なる思いつきで超法的措置をとる者の介添人となってしまったことを不可思議に思いつつも、今、精一杯に悔やんだという。


 美青年は少し考え、そっぽを向いたままのドラクロワが、なぜか極めて不機嫌そうに、今更ながらにタメ息混じりに、目の前の大理石の上へ、ガカッと音を鳴らして、鮮やかなブルーの鋼鉄の五芒星を置いて示したのと、その後方に控えた光の勇者団の胸元に輝く、同様の青い星達を認めると、途端に、パアッと輝くような笑みを見せ

 「なんと、これはこれは……。

 知らぬこととはいえ、大変な無礼を働きましたことをどうかお許しください。

 私とてこの星に生きる人間。このようにして命あるうちに、伝説の光の勇者様のご尊顔を拝しまして恐悦至極に存じます。

 では、直ちにバラキエルの部屋へとご案内致します。

 ささっ、此方(こちら)です!!」

 と、恭しく頭を垂れて、噎(む)せかえるような香料の薫りと、貪婪(どんらん)なる雌と雄とが放つ、まるで獣じみた欲望の臭気とが渾然一体となって渦巻く、そんな薄暗い淫蕩邪淫(いんとうじゃいん)の魔窟の奥へと、我らが清廉の勇者団を導くのであった。 

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