124話 命、吹き込むが如し
進行役のシャンが、そのスレンダーな身体にフィットした、部分的にプロテクターじみた形状をもつ、実にスタイリッシュな造りの細身のレザーアーマーの腹部。
そこのポケットに手を差し入れ、引き抜くと、彼女が毎夜行うヨガ的なストレッチの際に使用している、煌(きら)めく青い粒の入った砂時計が現れた。
東洋的美女は、衆目を浴びるそれを振り、テーブルの中央に据(す)えるようにして置くと
「さて、いよいよ勝負ということになるが、当然、作画には時間の制限を設けることとしたい。
この瓶の砂は、およそ600呼吸程で全てが下へと落ち切る。
そこで、二人にはこれを往復させる間に肖像画を描き終えてもらおうか。
では、異論がなければ早速始めてくれ」
そう言って手首を返すと、木製の枠に閉じ込められた瓶の内部。
そこの極めてキメの細かい砂が音もなく落ち始め、魔法画対決の火蓋が切って落とされたのである。
マリーナは「イギなーし!」と喚(わめ)き、羽ペンを眼前に立てて、それらしい仕草で双子のモデルを推(お)し測るようにして見つめると
「オッケー!じゃ、良い絵を描けるよーに、おもっきりガンバっちゃうよー!!
ねえねえ!アンもビスも、んなにキンチョーしないでさー、もっと笑って笑ってー!」
と、この女らしく快活に言って、一旦ペンを置き、深紅の指ぬきグローブの両の手の指を、バキボキと鳴らし、次いで首まで左右に捻(ひね)って鳴らし終えると、フッと一息吐いて再度ペンを取り、その金属のペン先を赤い魔法インクの瓶に浸(つ)けた。
カミラーはそれを横目にし、大柄な半裸の対戦相手を小馬鹿にするように、ちんまりとした鼻を、フンスと鳴らし
「ま、精々、丹精込めて必死に描くがよい。
なにせこの闘い、やる前からわらわの勝利は確定しておるからの。
大体にして、教養・品性の欠片もない粗忽(そこつ)モノの無駄乳の描く絵などは、その底が知れておるというヤツじゃでな」
相変わらずの上から目線で言ってのけると、スカーレットのフリルブラウスの袖口を丁寧に捲(まく)り上げ、自分の手前のインク瓶の蓋を捻り、同様に羽ペンを取った。
この展開を少しも解(げ)せぬドラクロワは、両の肩をすくめ、不満を露(あらわ)にするように、ガチャッと暗黒色の甲冑を無遠慮に鳴らして、カデンツァの地酒の瓶をくわえ、口惜しそうに、コキリとそこに白い歯を立てた。
ユリアは、視野に何ら影響しないのに、無意味に鼻の下を伸ばして、二名の対戦者の手元を覗き込み、正しく興味津々に二枚の羊皮紙を眺めていたが、急に、ハッとしたような顔になり
「マリーナさん!カミラーさん!それからそれから、モデル役のアンさんとビスさんも、みんな頑張って下さいー!」
と、魔法画が動き出すのを今か今かと待ちながらも、両選手と動きを制限された姉妹への応援を始めた。
普段は下戸(げこ)であり、あまり飲まない葡萄酒を、それが極めて稀少なる「神聖酒・聖オーギュスト」ということで少しだけ分けてもらった為、すっかりと赤ら顔になったカゲロウ老士は、上着の内ポケットから赤と黒の斜め縞(しま)の上等なハンカチを取り出し、片眼鏡を手にそれを丹念に拭き
「フムフム、私もこの芸術の都で画廊を持つ者として、殊(こと)、絵の勝負となれば少しも見逃す訳にはいきませんな。
それも魔法のインクを使用してのモノとなりますと、これはもう拝観料を支払ってでも観たいほどです。
ほうほう、お二方。下書きには鉛筆をお使いか……」
と目を見開いて皺(シワ)の首を伸ばすその様は、まるで年老いた大亀を想わせた。
さて、剛剣を振るう時と同じ程に、真摯(しんし)かつ難しい顔で描き進めるマリーナとは対称的に、泰然自若なままにハーブティのカップなどを片手に、時折、主君の葡萄酒を注文しつつ、実に優雅に創作作業を進めるカミラーであった。
こうして両名は、青い砂の時計が作業を締め切る前に、ほぼ同時に肖像画を書き上げたのである。
そして出来上がった二つの絵とは、瓶は違えど、同じ魔法インクのみの赤一色で、かつモデルが同一にも係わらず、全く異なるスタイルのモノであった。
先(ま)ず、誰にも師事したことのない、良く言えば天衣無縫(てんいむほう)。その実、単なる天然系の女画家のマリーナの作品であるが、それは粗削りながらも豊かで確かな絵心が描出されており、インクによる線画でありながら、何処(どこ)と無くクロッキー画を想わせるような、強めの筆圧による柔らかな線が持ち味の細部を描き過ぎない、僅かにデフォルメの効いた、牧歌的で素朴な味わいのある中々のモノであった。
対する吸血貴族カミラーの作品とは、確かに流石の五千歳の長命族。
デッサンに少しの歪みも狂いもない、ライカンの双子姉妹の柔らかな頭髪からブラウスの細かな皺に至るまで、繊細かつ写実的・克明に描かれており、全体的にほぼ均一の線というモノが保たれ、誠に洗練された都会的で美しい肖像画へと仕上がっていた。
カミラーは、ここカデンツァに来る途中の馬車内でも、チラリとも観なかったマリーナの画というものを、作業が完了した今、実に初めて熟視した。
すると、その路傍(ろぼう)の石ころを見下ろすような揶揄(やゆ)するような顔は、途端に感心したような顔へと変貌し
「フム……。これは……無駄乳の手によるモノとは信じられんわい。
うむうむ。中々に佳(よ)い絵を描いたの。
うーん。正直、お前の事を少しだけ見直したぞえ。
お前という人間。剣だけが取り柄の無骨な大酒飲みの武辺者(ぶへんもの)というだけではなく、こっちの方もそこそこイケるクチじゃったか……。
フゥム。お前がここまで描けるとはのう。これならば充分に金を取れるぞえ。
うん。素直に感心したわい」
マリーナの予想外の力作の腕前に舌を巻いて唸ったのである。
サラブレッドから好評価を得た野生牝馬(ひんば)も、カミラーの前の肖像画に目を落とし、それをしげしげと見つめ
「っへぇー!アンタがドラクロワ以外に他人(ひと)を認めるよーな事を言ってくれるとはねぇ。
それにしても、コラマタ、キレーな絵だねぇ。一体、どーやったらこんなにホンモノそっくりに描けるんだい?
こんなのアタシにゃー、百年経ってもムリだよー」
と、殆(ほとん)ど写真に迫るような、カミラーの見せた写実的手法を少しも知らぬ、野良の我流画家は、紙幣の肖像画を想わせる様な画に見惚れた。
これらの良くできた二作品には、シャンも、モデルの美女達も、また、ここ芸術の都で審美眼を頼りに画廊のオーナーを営む老人でさえもが、皆で手を打って、お世辞なしの大称賛を贈ったのである。
だが、ここで極めて不満そうに咳払いをする男が一人居た。
無論、その男とはドラクロワであり、呆れ切ったような顔で、完成間際の二枚の羊皮紙を見下ろしていたが、その咳払いには
「さっさと捺印(なついん)を済ませ、魔法インクの効果とやらを見せろ!」
という、極めて攻撃的な意志が満載にされていた。
そして見れば、珍物件好きのユリアも無意識ながら、それに何とはなしにうなずいており、少なからず、このせっかちな魔王の所望に恭順している様子だった。
鋭敏で目敏(めざと)い女シャンは、二人の醸(かも)し出す、この鉛(なまり)を想わせるような重い催促(さいそく)の空気に了解したように首肯し
「うん。二人とも毛色・風合いは異なるとも見事な腕前だ。
では早速、それぞれの画に完成の証である左手親指での印を付(ふ)してくれ。
いや、同時にやると動きを見比べにくいかも知れない。
そうだな、ではマリーナから頼む」
それを合図に、指先でインク瓶の口の縁(ふち)を撫でるマリーナ。
果たして、味わい深い肖像画の左下辺りに、長い親指の印が押されたのである。
そして、皆が固唾を飲んで注目するなか、その絵は動き出した。
その魔法インクの作用だが、それは特に閃光を放ったりはせず、マリーナの素朴な画風に相応しい形で顕(あらわ)れた。
それというのは、ややデフォルメの効いた、本人より少しだけ大きな目をした、羊皮紙上の点と線のみで構成された二次元のアンが、まるで時計仕掛けの人形のごとく、実に、ギクシャクとした感じで、ゆっくりと動いたのである。
それは隣に描かれた姉のビスの方へと顔を傾(かたむ)けると、そこで何事かを囁(ささや)くような仕草を見せたのである。
すると、黒髪を赤インクで表現されたビスは、それに呼応するように顔を動かして、横向きになった妹に少し寄せ、僅かに幾度かうなずいたように見えた。
そして気の利いたジョークを聴いたように確かに微笑み、次いで上品な仕草で両の手でその口許を押さえ、メイド服の肩を揺らして笑ったのである。
「な!なんと!ほ、本当に動いたぞ!?
こ、こいつは素晴らしい!なんと独創的で素敵な現象だろうっ!!?」
片眼鏡の老人が息を飲んで喚(わめ)いた。
この世界には、所謂(いわゆる)"アニメーション"というモノにあたる芸術・表現手法はなく、このパラパラマンガでさえない、実に愛らしい動きを見せた魔法インクの摩訶不思議なる効果には、ただただ驚嘆する他なかったのである。
これには、大の芸術アレルギーのドラクロワでさえも瞳孔を円くし、左手の親指、その紫色の滑らかな爪を歯にあてたのだった。
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