123話 イヤよイヤよは凄く嫌
ドラクロワの放った返答。その何の感慨もない、恐ろしく素っ気ない態度と反応とに、ユリアは意外さを感じつつも、直ぐに太めの眉をハの字にし、訝(いぶか)しむような顔となり
「えーそんなぁ。ドラクロワさーん!それ本当ですか!?
何かこう、英雄らしい気分の高揚だとか、実は瞬間的に何処(どこ)かに転移された後なのだ。とか、その他どんな些細(ささい)なことでも良いんですけど、本っ当になんにも、ちっとも魔力の発動を感じませんかー?
うーん。おっかしいなぁ……あぁっ!もしかしたら、それって遅効性のモノなんですかね?」
正しく"諦めきれず"といった具合で、良くできた深紅のミニチュア宝箱からドラクロワの顔へと視線を移し、人差し指で下唇を押さえながらその顔色をうかがうが、そこにある魔界の美貌はいつもとなんら変わらず、ただただ冷然としていた。
しょんぼりとする女魔法賢者の隣のシャンは、やや顔を傾け、不思議な光を湛(たた)えた瞳でドラクロワの瞳の奥を見据えながら
「そうだな。服用した、当のドラクロワが言う通り、この魔法飴は既に英雄である者には重複なる効果であり、蛇足・無効となったのかも知れないな。
フフフ……まぁ仕方ないさ。何がどう起きるか予想もつかなければ、何の保証もない、元来魔具とはそういった気紛(きまぐ)れな物だからな。
いずれにせよ、口にしたドラクロワ本人が何も感じない、というのだから、これ以上は悩んでも悔しがっても仕方のないことだろう。
それよりマリーナ。ここは気分を変えて、あの店主殿のくれた最後の品……。
例の"絵描き道具"を披露しないか?」
そう言って、深紫に染めた細身の革ズボンの長い脚を組み直し、金色のルージュを引いた唇の端を僅(わず)かに上げて、何やら含みと意味のありげな視線を親友の女戦士へと送った。
名指しされたマリーナは、粉パセリと粒マスタードが余すことなく、しっかりと塗布(とふ)された、子羊の骨付き肉のソテーと大格闘中であったが、手元のド派手な柄の手拭きを掴んで、血色のよい艶(つや)やかな口許(くちもと)を拭(ぬぐ)い、何かの合図のように、ブラウンの眉のを忙(せわ)しなく上げ下げして
「うんうん!そーだねぇ!そろそろアレ、出しちゃっていい感じかもねぇ!?」
と愉しそうに言って、ジョッキをひっ掴み、エールの残りをあおり、それをぶっきらぼうに、コンッ!とテーブルに置き放ち、ガバッと広げた長い足の元を、ゴソゴソとやり出した。
無論、芸術(アート)アレルギーのドラクロワとしては、ユリアの比ではない、先ほどの限りなく絶望に近い幻滅体験とも相まって、極めて心証を悪くさせる、その"絵描き道具"という言葉(ワード)を聴き、露骨に顔をしかめた。
そして、さも胸糞悪そうにタメ息をつき、何とはなしに隣席のカミラーを見るが、そこの女バンパイアも似たような顔色で首を傾(かし)げ、小さな顔の横のピンクの発条(バネ)みたいな巻き毛を、クルクルと指先で丸めているばかりであった。
女勇者達とアンとビス等は、今度は何事が始まるのかと興味津々なカゲロウ老士を余所(よそ)に、圧(お)し殺したような笑いを洩(も)らしながら、テーブル上の料理・酒群を手早く整理し、用済みとなった下げられる器類はまとめ、給仕の者を呼んで下げさせた。
そうして、時を置かずして作られたそこの空間(スペース)に出された物品とは、何の変哲もない、正しく"絵描き道具"そのものであった。
その道具とは、数本の木製握りの羽ペンとインク瓶。
それから、ありふれた羊皮紙が数枚だけであり、これが彼(か)の大店「ダゴンの巣窟」の秘蔵中の秘蔵というには、些(いささ)か地味に過ぎた。
カゲロウも冒険美女たちに混ざり「ほうほう……」と片眼鏡(モノクル)を凝らすが、どれもこれも大陸のどこででも手に入りそうな物ばかりであり、この芸術の都カデンツァを数歩歩けば、もっと華美で気の利いたものが直ぐにでも見つかりそうだった。
これらの品々をざっと視て、所謂(いわゆる)印象深い特徴(とくちょう)というモノを強(し)いて探せと言われたならば、その中のガラスの四角いインク瓶。その中身が血のような真っ赤である、という事くらいであった。
ドラクロワは片手の白い指三本で陶磁器のごとき白い額を押さえ、再度タメ息を洩らし
「ウーム。この街に着いた折にも言ったが、俺は絵だろうが音楽だろうが、その他、芝居も踊りも含め、およそ"芸術"という名の付くもの全てが好かんのだ。
生まれつきに魔法も剣術も秀でたこの俺だが、子供の頃から、この芸術というヤツだけは反りが合わん。
正直、最前から下の舞台で繰り広げられておる下らぬ歌劇も不快で不快で仕方がないのだ……。
そういう訳だから、絵描き道具などは金輪際(こんりんざい)、見たくもないのだがな……」
その最高級のアメジストを想わせる美しい眼は、スウッと細まり「そんなモノは直ぐにしまえ!」と明言していた。
マリーナは、その返答に少しも意を介すことなく、むしろ先ほどより余計に愉しげに微笑み、二つある四角いインク瓶の片方を手に取り、それに燭台の蝋燭(ロウソク)の光を浴びせ
「まぁまぁそう言わずにさー、アタシの話をちょっと聴いておくれよー。
あのね?この真っ赤なインクなんだけどー、これもエルフの商売人から有り難く貰った、結構オモシロイ魔法のかかった優れモンでね?
なんとビックリ!コイツを使って絵を描くと、その絵が上手ければ上手いほどに、紙に描いた絵が動き出すんだってさー!?
アハッ!スッゴいシロモンだろー!?
んでんで、絵が元気イッパイに動くかどーかは、このインクと絵の腕前だけにかかってるみたいでさ、別に紙自体はなーんでもいいっていうじゃないさ!?アハッ!一体どーいう感じで動くんだろねー?コリャ早いとこ見てみたいよねー!?
ねぇねぇ!?光の勇者団の棟梁(とうりょう)で何でもこなせるドラクロワさーん!?
んな景気の悪い顔してないでさー、ここはホンの軽いお遊戯(あそび)って感じで、今から一発、アタシとお絵描き勝負と行こうじゃないー!?」
この確かな絵心を保有する、至極分かりやすい美人の女戦士は、ドラクロワの中の虚栄心を刺激して、彼を何とか絵描き勝負の舞台に引っ張り上げようとしたのである、が。
「マリーナよ、何度も言わせるな。俺は絵など苦手で大嫌いだ」
と虚栄心の欠片もない魔王に、すげなく蹴飛ばされた。
「これ無駄乳っ!!黙って聴いておればお前!ドラクロワ様が嫌いと申されるモノを強いるでないわ!!
ふーん、ふんふん。さてはお前、少し絵描きの腕に自信がありそうじゃなぁ?
ギャハハ!ならば、その鼻っ柱をへし折ってやるのも一興かのー?
ドラクロワ様!誠に僭越(せんえつ)ながら、幼少の頃より当家付きの画家達により、確かなる絵の才が光る!と評されて育ったこの私が、先(ま)ずはこの片腹痛い、およそお粗末な勝負とやらを受けてやろうかと存じまする!
ギャハハハハ!先に言うておくが、このわらわの画力とは、そこらにありふれた凡百の絵描きなんぞを遥かに凌(しの)ぐ、超絶的なるモノじゃぞ!?
無駄乳よ!止(や)めておくなら今のうちじゃ!」
この一見、ドラクロワの忠心なる、よき理解者ともとれる発言をした、世にも美しい女児にしか見えないモノも、しっかりと「ドラクロワ赤っ恥計画」の仕込みの工作員であった。
マリーナは長い指を景気よく、パキンッ!と鳴らし
「アハハハハッ!良いね良いねー!そーこなくっちゃっ!
なんたってコリャアレさ、そっ、お遊戯なんだからさぁ、そーいう感じで、かるーくのって来てもらわなきゃねぇ!?
じゃ、ココはサクーッと、棟梁のドラクロワ様の前に、万年幼少期の子分のアンタをやっつけとこうかねぇ!?」
と、この女らしくもなくカミラーの発言の意図を素早く汲(く)んで、思い切りもよく、実にスムーズに絵描き勝負へと繋(つな)げたのである。
この珍妙なるやり取りに、ユリアとシャンは顔を動かさず、ただ眼球だけで互いに目配せをし合った。
彼女達としては、この魔法インクの一風変わった魔法効果さえ披露してしまえば、代理格闘遊戯盤にあれほど喜んだドラクロワのこと、ほぼ間違いなく、その好奇の心を惹(ひ)ける筈(はず)!と踏んでいた。
ただ問題は、このドラクロワが容易(たやす)く不機嫌の臨界点を越えてしまい、最悪ヘソを曲げて退店してしまわぬように、何とかしてそれを実演させる必要があったのだが、カミラーがこうまで気を利かせて、この場の空気を読んで、魔法画の勝負を受けてくれるとは思わなかった。
さて、こうして「ドラクロワ赤っ恥計画」は順調な滑り出しを見せたのである。
これに、標的のドラクロワは、少しも落ち着きのない左右非対称(アシンメトリー)な造りの椅子に仰(の)け反(ぞ)り、ウンザリ顔で呻(うめ)くようにして
「カミラーよ……そういうことではない。俺はな……」
と言いながら、この不愉快極まりない展開に嘆き、深いタメ息を吐きながら天井を見上げた。
が、その上向いた顔の視線と眼光とは、紅いインク瓶へと向かって一直線に彗星のごとく流れ落ち、確かに、ギラリと輝いていた。
その一瞬の好奇の煌めきを見逃さないのが、シャンという美しき狩人(ハンター)であった。
「フフフ……面白い。では早速、絵描き勝負といこうじゃないか。
そうだな、では二人には、このアンとビスを描いてもらおうか。
オーズ殿の説明によれば、絵が完成した時点で、其々(それぞれ)の作画者が絵の端に、左手の親指にインクを着けての"完成印"をする。
すると、その捺(お)し印を合図に、その絵は作者の腕に見合った動きを見せる、いうことだ。
そこで、今回の戦いの勝敗は、その絵をより躍動的に動かせた者の勝利とする。
マリーナ、カミラー。これでいいな?」
司会進行役を執(と)った東洋的スレンダー美女は、取り急ぎルールの説明・確認を行った。
これに灰銀のメイド服の愛らしいモデルの二名は、お互いを見合わせてドーベルマンを想わせる屹立(きつりつ)した犬耳を、パタパタと振るわせ、幾分緊張した面持ちで背筋を、スッと伸ばして、両手を膝上に置き、少し前に出た顔を固くした。
その双子の姉、ビスの隣席。珍物件には目のないユリアは、テーブル上で祈るようにして両の手を握り、潤んだような鳶色(とびいろ)の大きな瞳を、キラキラと輝かせて、この紅い魔具の超然的な効果の発動を今か今かと待機する。
こうして、テーブルの二枚の羊皮紙を前に、先の代理格闘遊戯の対決とは異なり、剣を上等な羽ペンに持ち替え、静かに深くうなずくマリーナ、カミラーの両名により、ドラクロワの微塵も望まない魔法画(え)合戦。その序章が幕を開けたのである。
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