105話 なんか有り難いの出た
このダスクの悪童である、目の周りを黒く塗ったモヒカンモドキの若者達は、眼前で巻き起こった前代未聞の大珍事に、まさに腰を抜かさんばかりに仰け反って、お互いの身体をぶつけ合い、襲い来る光の氾濫(はんらん)と必死に戦いつつも最大限にその目を見張って、それを見つめていた。
それというのは、黄に燃え盛る炎の竜巻であった。
カミラーとシャンとが水晶球に手を置く、代理格闘の遊戯盤上にはいつもの通り、代理格闘闘士出現の合図である、黄色い螺旋を描く焔(ほむら)が逆巻いていたのである。
だが、この度はその火の柱が縦横150㎝の盤から外へと氾濫せんばかりに荒れ狂い、この魔法テーブルの天板一杯に太く拡がり、その高さは天井を舐めて焦がさんばかりに噴き上がったのである。
すわ火災発生か?と思われたが、その回転する大火炎は急速に勢力を失って、黄色の火の粉を回転運動的に舞い散らせながら、猛火の光柱本体は盤に吸い込まれるようにして鎮火・消失した。
そうして、そこに現れた光景というものは、いつもの蕭々(しょうしょう)たる荒野ではなく、それからは全くの別世界の様変わりと形容すべき、一面、白雪の積もった冬景色であった。
その白銀の盤上、シャンの座る直ぐ前にはクリスマスの飾り付けのごとき、雪を被った高さ50㎝程の針葉樹が二十本ほど、二列にわたって群立しており、盤の上
の高さにして二メートル程の何もない空間から、深々(しんしん)と雪の舞い降る雪原となっていたのである。
この盤上の造形すら別物へと変容させた、前代未聞・未曾有(みぞう)の模様替えの大作用には、カサノヴァ、ラタトゥイユも、そして悪童達も全くの例外なく呆気にとられていた。
だが……。
そこに立って雪を踏みしめる代理格闘闘士は独りだけだった。
それは、カミラーの目の前にて、薄く降雪した艶やかなオールバックを撫で付ける、彫りの深い顔の漆黒のマントとスーツの貴公子のみであった。
無論、ギャラリー達はそこの雪舞台に必死に目を凝らし、女アサシンの眼前の針葉樹の垣根をもくまなく見回す。
が、この貴公子の他には、代理戦士らしき者は見受けられない。
(んー?もしかしてこの樹林が、この大木こそが、このマスクの痩せた女の代理格闘戦士なのか?)
と皆が思い始めた頃。
そのミニチュア樹林の間から、忽然(こつぜん)と一匹の野獣が現れたのである。
それは銀の毛皮で包まれた生物であり、四つ足で雪を踏み、檸檬(レモン)色の瞳で辺りを見回して、大きな口腔から白い吐息を漏らしていた。
対戦席のカミラーは、それを覗き込むような前のめりになって視認し
「ん?これは……犬?いや、狼か。
ほう、これは若い狼じゃな?
フンフンフン……。ま、確かに銀狼のライカンであるお前が顕(あらわ)すモノとしては、誠、相応しいわい。
じゃが、わらわの代理格闘闘士の腰までしかない、なんの変哲もない野の獣(ケダモノ)を出したところで、大した戦闘力は無さそうじゃし、些(いささ)か興醒(きょうざ)めじゃのぅ。
これシャンよ。もっと気張れんかったのかえ?」
美しい女児らしき風貌の女バンパイアは、さも面白くもないといった顔で、盤上の獣を眺め、もの足らなさを露(あらわ)にした。
その奥の闇に座するドラクロワも、それを、ジッと熟視し、異様に光る紫水晶の瞳を細めていた。
だが、シャンとしては、この代理格闘戦士の造形・有り様に何らかの創意工夫を出来た訳でもなく、ただ無心で水晶球に手を置いただけであり、今現在は、内奥(うち)から湧いて出た己の本性の抽出である、この銀毛の塊を見つめることしか出来なかった。
傍(かたわ)らのマリーナは、その樹木の根元のミニチュア狼を眺めて
「ヘェー!コイツってば、スッゴくカッワイイねぇー!出来ることなら箱に入れて飼いたい位だよー!
でもさ、アンタが出したってことはさ、ソリャトンでもなくオソロシー怪物なんだろうねぇ?
口なんかがこう、バカッ!て感じで、花が咲くみたいに派手に割れたりしてさー、そんでもって相手の頭に喰らい付いて、もう、ゴリゴリって感じで噛み砕いちゃうとかねー。
ウーン。コリャ目が離せないよねー」
流石は精神世界にて多種多様なモンスターの退治を生業(なりわい)としていた女ハンターである。
その経験則に基づき、初見のみでは対象を決して見くびらない慎重さというモノがあり、"かも知れない"の危機管理能力・想像力も中々に備わっていた。
アンとビスの二人も、まさに賛嘆するような目で盤上を凝視しており、神秘的な野生の美の凝縮である、この銀狼に熱い視線を送っていた。
さて、その皆の期待を双肩に担いし孤狼は、雪原に丸っこい足跡を点々と付けながら、断じて犬のモノではない長い尾を振りつつ、トコトコと漆黒マントの貴公子へと、実に軽妙的・リズミカルに歩み寄り、そこの長いスラックスの脚にまとわり付くようにして、そのしなやかな身体を擦り寄せた。
カミラーの代理戦士は、娘そっくりの真紅の瞳でそれを見下ろし、一切の白い吐息を出さない魅惑的な口元を吊り上げて、邪悪な笑みを見せた。
シャンの精神が産み出した狼は、その長い銀毛の顔を上げて、のっぽの貴公子の顔を見上げ、クーンと一鳴き、甘えるような声を出し、数歩軽やかなたたらを踏んだかと思うと、その漆黒のマントの腰辺りを嗅いだ。
すると突然、それこそ何の前触れもなく、オールバックの貴公子は右手の鉤爪を無造作に振り降ろして、その狼の左顔面を抉(えぐ)り取ったのである。
その唐突で残酷過ぎる死の一撫でに、モヒカンモドキ達は、あっと仰天して息を飲み、ユリアは小さな悲鳴を上げた。
狼は貴公子の怪力無双の引っ掻きにて顔の半分を削り取られ、グーッと右へと頭を反って、白い頭骨の断面を露出して、そこに硬直していたが、カッ!カヒュッ!と奇怪な呼吸音を吐いて、不意に痙攣し始め、右後方へと糸で引っ張られるようにしてバランスを崩し、真横に数歩、ヨタヨタと歩き、直ぐにそこへと倒れ、雪原を深紅に染め出したのである。
カミラーは「なぬ!?」と拍子抜けし、次いで怪訝な顔となり
「うん?なんじゃあコイツは?
わざわざ引っ掻かれる為に出て来おったのかえ?
フーム……。ちと惨(むご)いようじゃが、飽くまでも、ここは命の取り合いの戦場じゃぞ?
人懐(ひとなつ)っこい獣の出る幕ではな、」
その時、突然、雪を降らせる何もない宙空から、一条の金色の光の筋が、ミニチュア雪原に横たわる、無惨な狼の骸(むくろ)を照らした。
そして、その空間から、スーッと鮮烈なる楕円形の光の卵のような球塊が降臨し、それは光輝く人型となった。
その新たなる登場人物は、カミラーのオールバック戦士と同じほど大きく、それでいて、あまりに異様な姿をしていた。
全体の像としては、男か女か判別の付かない、半眼の優しげな顔。金無垢の痩身であり、それは生物というよりは純金の彫像を想わせた。
その頭髪も金色であり、クルクルとカールしていて、その其々(それぞれ)の細分された毛束はきつい癖毛(くせげ)ゆえ、その根元で丸くまとまっており、それらが密集・集中する頭部とは、まるで黄金のブロッコリーの先を無数に張り付けたような、そんな恐ろしく珍妙なヘアスタイルであり、その額にもそのブロッコリー状の小さなものが真ん中の中央、眉間の場所に一つ張り付いていた。
そしてその着衣とは、光沢の有る袈裟懸(けさが)けのシルクのような、純白のゆったりとした物を、涼風のごとく纏(まと)っており、黄金で出来たような足、その裏は素であり、それは雪の上に僅かに浮いており、そこに足跡を付けることはなかった。
そして、その神々しく輝く代理格闘戦士は動く。
その全くもって戦士らしからぬ、慈母のごとき優しげな笑みを浮かべた者は、足元の狼の骸へと音もなく屈み込んだ。
そして、右手を手刀のようにして、スラリとした鼻梁の前に掲げ、七分袖の左腕を伸ばして、狼の顔の無惨に抉り取られた、毛皮と骨の隙間から、トクトクと鮮血を溢れさせる、白と赤の骨肉を晒す孔(あな)に触れ、無毛の眉の根を寄せて、金色の瞳をふせ、ひどく悲しげな顔をした。
そうして、ひたすら無言で、雪原に浮いたまま滑らかに動き、極めて貴重な形見の品でも拾うようにして、狼の剥ぎ取られた左顔面を手にするや、上下の掌で包み込んだ。
そして、スーッとまた獣の骸へと無音の平行移動にて滑るように戻り、その銀毛の顔面パーツを元の位置、赤黒い大穴へとあてがってやり、哀切この上ない悲痛な顔となり、静かにうつむいたかと思うと、その両眼から、スーと二条の紅い滴を下降させ、正しく血涙を流した。
この奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)な所作・行為の光景に、観ている者達はどう反応して良いのか分からず、ただ呆然とそれを見守ることしか出来なかった。
その光輝く代理格闘戦士は、盤上の血戦舞台にて、未だ戦闘的構えを見せず、ただ顔の前で両の掌を合わせたまま、滾滾(こんこん)と紅い涙を流しているだけであった。
カミラーの代理戦士はそれを無機質に、それこそ何とはなしに眺めていたが、突如、暗黒のブーツで雪を踏みしめ、それへと足早に歩み寄り、その至近距離にて突然、両手で漆黒のマントをバサリッ!と外側へと跳ね上げた。
すると、その裏地。目が痛くなるような鮮やかな真紅が深雪の景色へと躍り出て、なんと、そのマントの外側は無数の鋭い黒い螺旋刺(ドリル)となって、貴公子の肩越しに超スピードで伸長し、シャンの代理格闘戦士の身体を穴だらけに貫(つらぬ)かんと、まるで漆黒の巨大な化け物の巨掌のように、バッ!と広がって、黄金色の標的を全方位から襲った。
それに顔の前で両の手を合わせるだけの謎の代理格闘戦士は、全くの無反応であり、正しく微動だにしていない。
カミラーが、この無抵抗主義みたいな立像に薄気味悪さを感じたその刹那、黒衣の貴公子の背中。
その悪夢の世界の魔煙(まえん)のごとく、バアッ!と恐ろしく広がったマントの変異武器形態である無数の黒いトゲは、その全てが前方に伸び切ったまま、ピタリとそこの空間にて固定されていた。
なんと、シャンの黄金戦士のその背中からは、360度の全方向へと、千を越えるような無数のしなやかな金色の腕が噴出しており、それらが背中越しに前方へと伸び、襲来した漆黒の螺旋刺を其々(それぞれ)の指先にて捉えていたのである。
それを俯瞰(ふかん)で観た有り様は、二人の対峙する黒色と金色の戦士達が、まるで広げた巨大な傘を背中に担ぎ、その蝙蝠の縁(ふち)の先端を向け合って硬直しているように見えた。
この意外なる防衛行動に、漆黒の装いの貴公子は、その対面する敵の全身から溢れ出る金色の輝きに体表を照らされつつ、悪鬼羅刹(あっきらせつ)のごとき兇相となって、憎々しげに歯軋(はぎし)りを軋(きし)み鳴らせて、赤熱する炭のようにその瞳を爛々(らんらん)と輝かせた。
すると、無限の手を菊の花のごとく咲かせた金色の半眼戦士は、尚も血涙を流しつつ、女魔法賢者のユリアも、魔王ドラクロワさえも聴いたことのない、何かの呪文のようなものを朗々と唱え始めたのである。
すると、突然、カミラーの代理戦士の額に透けていた蒼い毛細血管は、目を背けたくなるような、まるで屍の表のごとき黒々とした色となって、その頬の辺りまで蜘蛛の巣のように拡がり、その顔は苦悶の形相となったのである。
カミラーはそれと全く同じ、煩悶(はんもん)苦痛の顔となって
「な、なんじゃコイツは!?」
と喚いて、堪(たま)らずその黄金の光に手を翳(かざ)した。
そして、その後方のドラクロワでさえも、悲痛な面持ちで盤上より届いた、目も眩(くら)むような黄金の光に眉根を寄せ
「こ、これは……聖光。か?」
と唸ったのである。
この魔界の王さえ苛(さいな)む、霊妙神秘なるシャンの代理格闘闘士とは、一体何者なのであろうか?
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