96話 格別なるお調子者

 代理格闘遊戯板のモデルとなった、不毛にして荒涼たる渇いた大地に四方を囲まれし、辺境の町ダスク。


 そこの深部ともいえる、陽も月も届かぬ「黒い川獺(かわうそ)亭」という、酷く澱(よど)んだ不健全な地下酒場には、沈鬱で鉛のごとき重い空気が満ちていた。


 カミラーが喚(よ)び出して、今しがた消失したばかりの昆虫を想わせる醜怪な黒い大顎と、先の割れた、誠おぞましき節足の左手とを生やした、悪夢の支配人のごとき、奇っ怪この上ない代理格闘戦士が見せつけた、余りに陰惨極まる残虐な闘い振りにより、モヒカンモドキの若い男女(なんにょ)達は未だ圧倒されていた。


 今現在この場にいる、ダスクの夜遊び悪童仲間等の内では、他の追随(ついずい)を許さぬ、ぶっちぎり最強の代理格闘戦士であった、あの黒豹頭の屈強な猛者が、あそこまで無惨、かついとも容易く掻き裂かれて倒されたのを目の当たりにしては、流石に

 「じゃあ、次はこの俺が!」

 と、手を挙げてカミラーに挑む者はなかった。


 カミラーは毛細血管の透けるような、真っ白い小さな顔の横、鮮やかなピンクの発条(ばね)みたいな、見事にカールした毛の先を指先で丸めつつ

 「これ、田舎ゴロツキ飛蝗(バッタ)共よ。さっさと次の対戦相手を出さぬか。

 わらわは、この奇妙キテレツな遊戯、中々に気に入ったぞえ。

 今一度と言わず、もっともっと遊びたいのじゃー。

 確かお前は、ここでは"二番手"で通っておるとか申しておったな?

 では早速に、その"一番手"とやらをそこに座らせるがよい」

 真珠色の爪の人差し指で、荒野のジオラマを隔(へだ)てた向こう側にて、茫然自失とした顔で珍妙なヘアカットの頭を抱えるカサノヴァの腹辺りを指差した。


 ガリガリ痩身女のルリは、沈痛な面持ちでピアスまみれの下唇を噛みしめ、凸凹に痩(こ)けた顔の色をいよいよ悪くさせ、すがるようにして恋人に寄り

 「ど、どうすんだいカサノヴァ?

 このクソガキの言う通り、シャクだけど、アンタの黒豹がやられたとあっちゃあ、ここはもう……」

 男の金髪鶏冠(とさか)頭を見下ろす形で、にじり寄った。


 カサノヴァ青年は、黒革のパンツと刺々(スタッズ)ブーツの両足を荒野模型の下に投げ出し、恐ろしく不機嫌な顔で

 「わーってら!お前ぇなんかに言われなくっても、あんな化け物出されたんじゃ、この俺じゃどーにもなんねぇのは百も承知よ!

 だぁー!仕っ方ねぇ!誰か足の速い奴!ちょいと駆けってオンボロ教会まで行ってきてくんねぇか?

 あの"ラタトゥイユ"の不細工な面なんか見るのもゴメンだが、余所者(よそもの)の餓鬼女にここまで調子こかれたまんまじゃ、胸糞悪くてたまんねぇからよー!」


 これを聴いて青年の仲間達は騒然となったが、その中の1人、両の頬に各々(それぞれ)太い=(イコール)みたいな二線を描いた、少女みたいに小柄なモヒカンモドキが、手近なテーブルにグラスを置いて、ピョンピョンと跳ね

 「分かったよカサノヴァ。じゃオイラがちょいと走って喚んで来るよ!」

 と甲高い声を上げ、Sサイズの黒いレザーアーマーを脱いで、隣の仲間に預けようとしたその刹那。


 「格別、その必要はない!!」

 と地上階へと続く暗い階段の辺りから、平々凡々な男の声が鳴った。


 その階段を踏む男とは勿論、見るからに聖なる光属性を帯びていそうな(実際はただの白塗り)、穢(けが)れなき(ような)純白の甲冑、光沢のある豹柄のマント。

 腫(は)れぼったい一重瞼(ひとえまぶた)に団子っ鼻、噛み合わせが絶妙に醜い、実に"ちぐはぐ"とした、しゃくれた丸い顎。

 その全てがドラクロワの真逆態である、ラタトゥイユ=トルティーヤその人であった。


 若者達は思わずと振り返ったが、生けるお粗末の顕現(けんげん)たるラタトゥイユ青年ではなく、その背後の武装した、室内カンテラの灯火にも美しい、マリーナ、ユリア、シャン、そしてアンとビスに騒然となった。


 カミラーは捲(まく)った袖口を引っ張りながら

 「おお、三色馬鹿団子と犬娘等か。

 フムフム、今度ばかりはつまらぬヘマをやらず、何事もなく戻って来おったようじゃな。

 うん。皆の者ここへと参れ。こんな片田舎で埃(ほこり)を被せておくには少々惜しいほどの風変わりで、誠に愉快な遊戯があるでの。

 低知能娘なんぞには、間違いなく垂涎(すいぜん)モノではないかのう?

 おい、早(はよ)う来い。こっちじゃ、こっちじゃ」

 言うまでもなく、極めて高度な錬金術と精神魔法とが組み合わさった、見事な結晶体とも形容すべき、眼前の代理格闘遊戯板へと招く。


 最奥の席のドラクロワも、頬杖の秀麗な顔を僅(わず)かに上げ、女勇者達を迎えた。


 「えっ!?カミラーさんが"愉快"だなんて言うの初めて聴きましたー!

 えっー!?それって何です何ですー!?」 

 物々しい若者等を空気としつつ、蜂蜜色の三つ編みのサフラン色のミニスカ女が、先の反った革のサンダルで、ドタバタと駆け寄る。


 美しい半裸姿も露(あらわ)なマリーナは、若者達の下衆(げす)な視線を、たわわな胸元へと一身に浴びさせつつ、安煙草で煙る薄暗い店内を、持ち前の漲(みなぎ)る快活さでもって晴れやかに照らしながら、真反対の個性(キャラクター)である、陰鬱にして、不健康なヒステリックメイド服に手を振り

 「あー、居た居たー!何だかお楽しみのとこ悪いけどさー、そこの"イケてる"黒甲冑のハンサムさんとこに、エールをジョッキで五杯、あぁ、泡は少な目でお願ーい!

 えーとそれから、キッツいブルーカクテルとー、林檎の絞り汁に蜂蜜・檸檬(れもん)をチョイと混ぜたのも頼むよー。

 あーっと、アンとビスはアブサンだったっけ?

 でもま、最初のイッパイはアタシのエールに付き合ってくれんだよね?

 うん、取り合えずそれで頼むよー!

 アブサンと料理の方は飲みながらゆっくり決めっからさ!」

 仲間の分も含めて、まとめてルリに頼んでやる。


 その給仕としての当然の"お仕事"に、緑を基調色とした、炎に包まれて手を合わせる、伏し目がちの毒々しい淫婦の入れ墨が首まで入った、吊り目の鶏ガラメイド服の女は、真っ赤なルビーの据(す)わった眼帯の美人女戦士を、キッと睨んで

 「うっ!るっ!せぇー!!今、ソレ所じゃねぇんだよ!この薄らデカイ、クソデブ女がよー!」

 と、紅いロケットみたいな巨大なバスト以外には、無駄な肉一つない、古傷だらけのマリーナに怒鳴ったのである。


 斬馬刀のごとき大剛刀を担いだ、深紅の部分鎧の女戦士は、左の頬を、ポリポリッと掻きながら、その恫喝(どうかつ)に呆れ返って

 「へっ?それってーアタシのことかい?えっ?アタシ、アンタに何かヘンなことでも言ったかい?

 んー……。あっ!分かった分かった!じゃさ、馬鈴薯(ジャガイモ)のフリットと豚の腸詰めグリルも二皿づつ頼むよー!

 んー、そっかそっかぁー、この店じゃ飲み物だけじゃ不味かったんだねぇ。

 アハッ!ゴメンよ!さっ!みんな!飲もう飲もう!

 今日はアンとビスの大活躍に乾杯だよー!」

 OK!OK!と正解を引き当てた者のように勝手に納得し、満足そうに何度もうなずきながら、機嫌良くも鼻唄混じりでカミラーの元へと歩もうとした。


 これに、何処(どこ)と無く蛇みたいな顔をしたルリは、その細い目をかっ広げて

 「くっ、コイツッ!丸ごとバカなのか!?別に注文増やせって言ってんじゃねぇんだよ!

 イカれてんのかよ!?この糞タコーッ!!

 アタシは、今はソレ所じゃねぇっ!って言って、いっ!?」 


 その全く理不尽な内容の怒号の飛ぶ前に、襟の高い、深紫のプロテクターじみた、恐ろしくスタイリッシュなレザーアーマーを纏った、総髪(くくりがみ)の黄色人種的美貌の持ち主が、西洋人的マリーナの前に、激昂砲撃への遮蔽壁(しゃへいへき)として立ちはだかり、光沢のある紫のマスクの上、上質なトパーズみたいな、美しくも、妖しい輝きを放つ瞳を煌(きら)めかせ

 「女。それ以上、私の親友マリーナを侮辱することは許さん。

 いいか?私達は、ここで憩いの一時と美味い酒を楽しみたい。只それだけだ」

 そのメタリックパープルのシャドウ直下の目にも、マスクで幾分くぐもった声音(こわね)にも、少しも威圧するような響きはなく、その口調は極めて淡々としつつも、どこまでも穏やかでいて、まるで駄々っ子に常識・礼儀を諭すような響きがあった。


 その妖しい眼光と目を合わせた、ルリの厚化粧の顔からは、瞬く間にあらゆる感情が消失し、茫然とシャンの瞳、というより、その先の何か得体の知れない、強大にして巨大な何かを見つめる目となり、あまつさえ潤いのない頬を、ポッと桜色に染め

 「うっ、うん……。あの女に言われた通り……酒と料理を直ぐに持って来る……来ます。

 あ、あのスンマセン……。えーと、アンタの、いや、貴女のこと、姉御(アネゴ)って……そう呼んでもいいッスか?」

 奇妙なことに、このヒステリー女は一瞬でシャンにすっかりと魅了されたようになり、求めていた理想のカリスマ教祖に辿(たど)り着いた狂信者のごとく、何やら譫言(うわごと)を言うようにして、そのかすれた声を響かせた。 


 すると、闇の教典の挿し絵のように美しい、細い腕を組んだシャンの両脇から、ヌッと鈍く光る鋼の六角棒が現れて、その前で、ガキンッ!とXの形を作って、向かって左のプラチナブロンドのショートボブが

 「そんなのダメ!」

 そして、右の褐色の姉が間髪入れず

 「に決まってるでしょ!」

 と、何故か憤然として、正しく吠えるように言った。

 

 ルリはそれに舌打ちしつつ

 「あんだよ……。テ、テメー等にゃカンケーねぇだろがよぉ……」

 と、ブツブツと文句を垂れながらも、暗いカウンターへと向かった。



 さて、この奇妙なやり取りとはまるで無関係に、純白の偽勇者が大鷹の翼の意匠(いしょう)の入ったブーツを鳴らし、代理格闘遊戯の二番手、カサノヴァに歩み寄り

 「えっ!?さっきの話と、格別に暗い雰囲気からするとさ、何だかカサノヴァっちは負けちゃったっぽいねー?

 まー後は、この僕が格別に頑張っちゃうからさ、まっかせといてよー!」

 と言って、早く対戦席を空けろとばかりに、カサノヴァの棘(とげ)の左肩を指先で突っつく。


 やさぐれ美男子のカサノヴァ青年は、さも口惜(くちお)しげにモヒカンモドキを乱暴に撫で付け、呻(うめ)くような声で

 「ちっ!テメーのその顔はいつ見てもムカつくが、この遊戯板のチャンピオンにゃ違ぇねぇ。

 だがよ!言っとくけどこのガキ娘。マジ半端ねぇからな?気ィ抜いて無様に負けんじゃねぇぞ!?」

 ギロッ!とラタトゥイユを睨むや、ギゴッとぶっきらぼうに椅子から立って、黒革グローブの拳骨(げんこつ)で、能天気にその席にふんぞり返る、長髪・金髪の醜男(ぶおとこ)の純白の鎧の腹を殴って、ゴインッ!と鳴らした。


 「あ痛っ!エヘッ!まぁ任せといてよー!僕の代理戦士の恐ろしさは、格別に君が一番よく知ってるだろ!?

 へぇーっ!あの、まぁまぁ強い黒豹戦士を倒したってのは君かー。

 うーん!コリャ格別に可愛いねぇー!

 でも、君みたいな格別なチビッ娘がカサノヴァをやっつけたなんて、ちょーっと信じられないねぇー!?

 格別に訊くけどさ、君ってば、一体何歳なんだい?」


 怪訝な顔のカミラーは、左手の指を小指から人差し指まで順に握って折り、ピキピキッと鳴らしつつ

 「五千歳」

 と、極めて不愉快そうに答えた。

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