94話 本性

 さて、突如として始まった、世にも不思議な錬金魔具を用いての代理決闘遊戯であったが、精妙に荒野を模した盤上に屹立(きつりつ)せし黒豹頭の戦士と、それに真っ向から対峙(たいじ)する、オールバックの口裂け貴公子の体格差は歴然としており、それはまるで小学生と大人の喧嘩のような、極めて不釣り合いな、正しくルール無用のランク違いの決闘の様相を呈していた。


 黒豹頭の戦士は、艶やかな黒毛の顔をシワにして、ハルルルル……と小さな唸り声を上げ、猫科の猛獣の手で器用にハルバードを握りしめ、まさに見上げるような巨人を威嚇する。


 だが、地下洞穴に拡がる集団墓地を想わせるような、そんな不吉で真っ黒い瘴気を全身に淡く纏(まと)う口裂けの美男子は、何気なく腕組みをして、何処から出したか、その右手に持ったシルクらしきもの。

 その隅角(すみかど)に微細な宝石を縫い付けた輝く純白のハンカチで、鮮血の滴る口元を天雅・優雅とさえいえる動きで上品に拭き清めた。


 すると、あの耳まで裂けていた、蛟(みずち)のごとき恐ろしい口腔は、嘘のように白い肌が上下から伸び合って、スウッと縫い合わせられるようにして縮小し、血の気のない、やや厚ぼったくも形のよい誘惑的な男の唇に整ったのである。


 だが、対する黒豹頭の戦士には人並みの知能はないのか、ピンと伸びた長い髭を震わせての恐ろしげな威嚇の表情のままであり。

 別段、このある種変形ともいえる、奇怪なお色直しを前にしておきながらも全くたじろぐことなく、あまつさえ、直ちに一切の前置きなしの先制攻撃に移ったのである。



 この対決の先手をとった野獣戦士は、筋骨隆々たる逞しき体躯(たいく)を模した、二枚の鋼の板にて上半身を前後に挟んで、それを肩と腰辺りの紐で留めただけという、極めてシンプルな造りのブレストプレート(胴鎧)を纏っており、ハルバードの長い柄を両手でしっかりと握って支えたかと思うと、ブオンッとそれを真横に振りかぶり、それを一切の小細工なしの気合い一閃にて振るおうとしていた。


 そして頑健そうな太い腰を回し、一種無造作ともいえる動きで、下から巨人貴公子の白い顎を目がけ、ボウッ!と空気を千切りながら、鋼鉄の槍の先端の極厚刃、その凄まじい殺気を放つ斧部分を、鈍い銀色の尾を引かせながら、信じられない速度での斬撃として放ったのである。


 だが、巨人貴公子はその真下からせり上がって来る斧に、どこか野生的な美貌を僅かに横に移動させ、見事死の刃に最小限の動きで対応し、捻(ひね)りのない蛮族的一薙(な)ぎなど何するものぞと、実に事も無げに交(か)わすかと思われた、が。


 ジャリゴジャッ!!と、耳を覆いたくなるような、生々しい肉と骨を断つような音がして、黒豹頭の戦士の斧斬撃は、見事その白く大きな顔の顎を下から真っ二つに割りつつ、下唇はおろか、白い歯列の上下を滅茶苦茶に撒き散らしながら、蠱惑的(こわくてき)な上唇を断ち割りつつ、一瞬で顔面の皮膚と軟骨の組織を無惨に切り裂き、なんとその鼻筋の半ばまで駆け上ったのである。


 黒豹頭の戦士を出現させたカサノヴァはこれを見て、この初弾が致命傷として見事に命中したことにより、余りにも呆気なく勝負が付いたと確信したので、黒革の膝を叩いて

 「てっ、おいおい!何だよソレ、フツーに喰らっちまうのかよ?」

 と思わず声にした。


 子分達も、驚きと称賛の入り混じった短い声にもならぬ吐息を漏らす。

 

 だが、何と唸(うな)ろうとも、盤上の代理戦士達にとっては全く外野の声であり、黒豹の戦士は素早く手を返し、斧の先を巨人の顎から、バラバラと白い歯をばら蒔(ま)きつつ抜き去り、今度は驚異的脚のバネで斜め上へと大跳躍した。


 その人間には決して真似の出来ぬ、瞬的な大飛躍は凄まじく、黒豹戦士の舞う高さは巨人の背丈を優に越え、逞(たくま)しい鋼のごとき黒い肉体は空中で逆海老に反り切って、そこで半瞬力を貯めて、今度は巨人の脳天を唐竹割りにしようと、瞬時に身体を丸めるようにして暴力的エネルギーを解放しつつ、巨人の艶やかなオールバックへとそのハルバードを叩き落とした。


 観ている者に、その長々とした鋼の柄が、グワンッとしなるような錯覚さえ覚えさせた、正しく致命的に猛烈な斧刃は、この代理決闘の早過ぎる決着にして、その止(とど)めとなったかというと、断じてそうではなく、上空へと伸ばされた屍人のような蒼白き手によって阻まれた。


 巨人貴公子は片手、その左の手を漆黒のマントより抜いて伸ばし、鉤爪の並ぶ手先で、頭上より迫り来る、恐るべき斧刃を摘まもうとしたのだ。

 だが、黒豹戦士の圧倒的な膂力(りょりょく)で振り下ろされた高速の剛烈刃はそれを許さず、巨人の人差し指と親指の間を紙のように切り裂いて、手首のフリルブラウス、漆黒の袖を滅茶苦茶にしながら、その肘まで突入・分け入ったのである。


 だが、斧刃はそこで急停止し、貴公子の縦真っ二つになった肘から先、そのくしゃくしゃになった白い皮膚と黄色い脂肪細胞、それからピンクの筋肉と真っ白い骨とを露(あらわ)にしたきり、肘辺りの骨肉に挟まれて、それ以上先へは斬り進めず、万力によるかのごとくそこに完全に固定されていた。


 だが、黒豹戦士は欠片(かけら)も狼狽(うろた)える様子はなく、ハルバードを素直にそこに手放し、音もなく真下へと着地して、直ぐさま漆黒の手甲から出た猛獣の黒い手と、黒い鉄のブーツとの四つ足で立ち、油断なく巨人を見上げ、トトンッと地面を蹴ったかと思うと、軽やかに後方へとトンボ返りをして見せ、そこにて鉤爪を構えて立ち、未だ息のある敵との距離を取ったのである。


 この予想外の一方的な展開に、グラス片手に唖然としていたモヒカンモドキ達は、一瞬の無音の刹那、一斉に熱狂し、口笛を鳴らして狂ったように手を打った。


 ルリから勝利の琥珀色グラスを受け取り、金色モヒカンモドキを撫で付けて、左手を団扇(うちわ)のようにして顔を扇(あお)ぎつつ、すぼめた口で、フッと息を吹くカサノヴァ青年であった。


 「ふぅ。なーんかトンでもねぇ化け物が出たかと思って、ちょいと心配したが、どーやらソイツはだだの見かけ倒しのウドの大木だったみてーだな。ったくビビらせんなっつーの!

 さっきこの図体ばかりの役立たず見て、"父"とかどーとか言ってたが、このパパさんは躾(しつけ)がちっと厳しくて、お嬢ちゃんにとって恐怖の対象だったせいか、こーんな気味悪く、んでもってデガブツにイメージされたってとこか?

 ま、とにかくコイツァ戦闘向きじゃなかったって訳よ。

 さーて、今度は田舎(ダサ)いカッコの伯父さんに出てきてもらおーか?」

 すっかり温(ぬる)くなったグラスを、グッとあおり、「美味い!ルリ、もう一杯作ってくれ」と言って、ズズッと鼻をすすり、ブーツの先を上げて腰を浮かせ、カミラーの手元から銅貨を一枚取り上げ、ピンッと指で弾いて宙に跳ね上げ、座席に深く座り直した所で、器用に内ポケットで受け止め、そこへと納めた。


 だが、ルリは「うん」とは言わず、その場を動かない。


 「カ、カサノヴァ……。アイツ、あのデガブツさ、負けたのに、カンペキ敗けたハズなのに全然消えないよ?

 てか、あの顎……。手も……な、なんだいありゃ!?」

 枯れ木のように痩せたメイド服女は、ピアスまみれの口元を押さえて盤上を指差した。


 女の戦慄もやむ無し、そこの150㎝四方の小さな戦場では、面妖にして奇怪な光景が展開されていたのだった。


 つい先ほど、黒豹戦士の放ったハルバードの先の斧刃で断ち割られた巨人の顔の下半分であるが、なぜかそこにからは血の一滴も流れておらず、それどころか、その内部からは長い裂傷に沿って縦に割れた新たな大口が形成されていたのである。


 なんと、その鼻梁から顎の下までは、まるでスズメバチかイナゴのような黒曜石のごとき黒い顎に成り代わっており、数本の昆虫の触角らしきものが、傷口から皮膚を幕のように捲(めく)って外へと這い出て、左右に歯噛みする黒い大顎はスズメバチが肉を噛み切るときのような、ガチッガチッ!というイヤな音を鳴らしていた。


 さらにその顎のみならず、破壊された左手も同様であり、腕内部から、ビッシリと剛毛の生えた、先が二つに割れた黒光りする昆虫の腕が、リンパ液の泡を纏ってヌラヌラと艶(つや)めきつつ外へと這い出ていたのである。


 そして、皆がそれに吐き気を催すような嫌悪を覚え、眉をしかめ、思わず口をへの字にして目を細めた刹那、その昆虫顎の巨人の姿は、突如、ぶれるようにして揺らいだのである。


 それは瞬(まばた)きするよりも早く、まるで瞬間移動を想わせる速度で、離れた黒豹戦士の眼前に屈み込んでおり、その光沢のあるおぞましき黒枝のごとき節足を豹の口に、その下顎の鋭い猛獣の牙の奥、ピンクの舌の上に乗せるようにして掛けたかと思うと、一気に下へと引き下ろし、ベリベリベリベリッ!ミリミリッ!ブチンッ!と凄まじい音を響かせて、その艶めく毛並みも美しい黒い顎、喉、鎖骨、鳩尾(みぞおち)、下腹部までを黒い帯を引くようにして、一気にむしり取ったのである。


 この全く反応不可能な、正しく超スピードで繰り広げられた、余りに陰惨な処刑劇には一堂が絶句し、暫(しば)し何が起きたか理解がついて行かなかった。


 そうして呆然としていると、力任せに部分鎧の肩の留め具をさえ引き千切られ、胸骨ごと皮と肉をむしられた黒豹戦士の体、その中央の暗い竪穴から、艶やかピンクのモノ、湯気のそそり立つ臓腑(はらわた)が、ノッソリと逃げ出すように現れ、ゾロッとはみ出て、次いで、ボチャボチャッと足元へと落ちて、ヒクつき蠕動(ぜんどう)する温かな小山となってわだかまった。


 黒豹戦士は、ただの一声も上げられず、膝崩れさえも許されず、その場に前のめりに倒れ伏して、登場時と同じく、瞬く間に螺旋型の黄色い火柱に包まれて、音もなく消失したのである。


 それを見下ろしていた、昆虫の大顎を、ガチガチと鳴らす巨人は、身体の割りに小さな頭を真横左右に反らして、首の骨をボキボキと鳴らして、黒いバッタみたいな左手で、スウッと漆黒のオールバックを撫で付け、燃える石炭みたいな紅い眼をふせたところで、黄色い螺旋の火柱に包まれた。



 確かに、この代理決闘遊戯盤上では現実世界さながらに、徹底的に臨場感溢れる格闘が繰り広げられてきた。


 斬る、突く、或いは噛み付き、引っ掻く等は常套手段であり、ときに陰惨な光景を見せることもあった。


 だが、未だかつてここまで不気味な戦い方をした代理戦士は居(お)らず、若者達は驚愕しつつも、どう反応してよいか分からず、ただただ美醜の垣根を越えた、漆黒の魔界貴公子が盤上から消えた事に、ホッと胸を撫で下ろしていた。


 ドラクロワは、新たな緑色の葡萄酒瓶の尖端に、紫の親指の爪を刺して栓を抜きつつ

 「カミラーよ。大儀であった。

 しかし、お前の父に酷似したあれだが。何故に初めの二太刀をかわさなんだのであろうな?」


 カミラーは神妙な面持ちで小首を傾げて

 「それにごさいますが、正直なところ皆目、分かりませぬ。

 強いて申さば、私の知る父は、よく他人(ひと)をもてなし、それらを大いに楽しませるという、誠、気遣いの行き届いた性分にありましたから、この決闘においても、あえて見世物然として振る舞ったのやも知れませぬ。

 ただ……。あれが私の内奥(うち)より呼び出され、生まれ出たというのは、なんと申しますかその……甚だ遺憾に御座りまする……」


 世にも美しい女バンパイアは、タメ息を一つ吐いて、左右の手の銅貨を、ピピンッと指で弾いて、器用に左の平手一つで受け止め、四枚銅貨の重なりの上へと重ね、一礼するようにしてガックリと頭を垂れたという。  

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