38話 限度
魔王は暗黒色のブーツで草の大地を踏みしめ、ザッと踵を返すや、何の前触れもなく、無言で黒い両掌を祈るように握り合わせて天へと振りかぶり、ブン!と真下へ振り下ろした。
ガゴインッ!!
森に轟(ごう)なる衝突音を鳴り響かせ、魔王の組んだ両鉄槌にて、ドンッ!と奇妙な白い影が緑の大地に叩き落とされた。
その肉厚なドラクロワへと飛翔してきた物体は、海洋に漂うエイのような身を半ばまで、直径1.5メートルほど、すり鉢型に草の絨毯をめくり、黒土をえぐって地面に突入していた。
それを投擲したのは触手顔の殺戮者であった。
白目のない真っ黒い眼で、素手で大地に叩き伏せられた斧型武器の白い柄を見下ろし
「我の必殺の下僕を、只の一叩(はた)きで地に落とすとは。お前は何者だ?興味が絶えん」
魔王はそれに受け答えることなく、右の暗黒ブーツのトウで足元に埋もれた、仄かに緑光を明滅させる白い四角い刃を蹴り上げた。
バキャンッ!
ドラクロワの凄まじい前蹴りによって、その投擲武器は粉々に砕け散った。
白い破片と粉、そしてなぜか緑の液体が、バサバシャッ!と穢(きたな)い半円を描いて飛び散った。
「グガァアーー!!」
それは男の声だった。
その断末魔は、明かに今、粉砕された白い四角い武器から上がった。
殺戮者は大きな黒い眼を剥いて驚愕し、十数メートル先の声の地点へ手を伸ばし
「ナムゥレルドゥン!!」
投げて使う部下の名らしきものを叫んだ。
飛び散った柄と白い破片は、七輪網の上の炭に焼かれる烏賊(いか)の切り身のように蠢きながら、シューッ!ブスブスと表面を泡立たせ、夏の真昼の太陽に熱せられた海草ヘドロのような、むせかえるような嫌な匂いと煙を上げて融解していく。
この世の物ならざる禍々しい生きた武器は、見る間に完全に大地へと吸い込まれた。
アンとビスは父親の腕を斬り飛ばした憎き武器の消滅見て、特に感慨もなく悠然とするドラクロワに戦慄した。
ドラクロワは緩慢とさえいえる動きで、無造作に暗黒色の拳を開き、白い左掌を十数メートル先で固まる殺戮者の方へ伸ばし、詠唱ゼロのファイアーボールを発射した。
ボッボッボボッ!!
その数四発。オレンジの灼熱塊はエルフ族の弩弓の矢よりも早く、火線を引いて二弾が触手の顔、残りが妙な光沢を放つ黒い魚鱗の胸元へと命中。
その大人の男の拳骨より一回り大きな火球は、標的に着弾するや、四方八方へと眩い花弁を開き、巨人の体の裏側まで手足を伸ばして、その頭と胴体を包んで抱きしめた。
炎は消えず、オレンジの荒波のごとく天へと逆巻いて、三メートル超の炎の竜巻となり、暫し殺戮者の大きな上半身を思う様に焼き、神の兵士、いや、邪神の忘れ形見を人型の火柱とした。
アンとビス、そしてその母親は、焚き火の柔かな光量とは比べ物にならない、見ている顔を熱くさせるような、残酷で猛烈な巨大灯火へと手をかざした。
本来、ファイアーボールとは典型的な初歩の攻撃魔法であり、対象に閃光で恐怖、熱で軽度の火傷を負わせるといった、主に威嚇を目的とするものである。
流石は魔王ドラクロワ。その放つ初歩魔法もSSSクラスであり、断じて威嚇射撃のレベルではなかった。
だが、それを放ったドラクロワは釈然としない顔で炎柱を見つめている。
そう、邪神兵は1,000度の炎に身を焼かれながらも、悲鳴どころか苦鳴も洩らさず、あまつさえ身じろもしないのだ。
只、その場に鉄塔のごとく立ち尽くし、大人しくという表現が相応しいか、特に反応もなく荒れ狂う業火にその身を焼かせていた。
アンとビスは渇いた小さな唇から
「正か……あいつ、立ったまま死んだ?」
同士に洩らした刹那。
邪神兵は右の肘を胸元へ上げたかと思うと、下方に向いた手でマントコートを掴んで、バサリとひるがえした。
なんと、その動きだけで、猛っていた大炎は巨大なマッシュルーム型の黒い煙をその頭上へ、ボワンと挙げたきり、名残惜しそうに大地へ黒いズボンに沿い這うように火の粉を落とし、ウソのように消え去ったのである。
首から上も同様に完璧な消火が成されていた。
だが、そこには1,000度の舌の愛撫が幻でなかった証拠に、ねずみ色の頬に炎の形の煤(すす)、滑らかな黒い魚鱗コートの表面には僅かな陽炎が揺れていた。
白目のない、潤んだような漆黒の目は蒼月が射すドラクロワを写して
「無駄だ。我に魔法の類いは効かん。神に能えられしこの体には、如何なる魔法も無効にする力が宿っている。
我を倒したければ魔法以外の違う力で来い。
まぁ、貴様のファイアーボール、有りがちな火球より少しだけ派手で驚いたがな」
邪神の忘れ形見の使う大陸の共通語は、急速な進歩を見せており、聞くものにその知能の高さをまざまざと感じさせた。
アンとビスはその言葉に意気阻喪となり、ドラクロワの半ば失われた暗黒色の天鵞絨マントの掛かった、黒く広い背中を見上げた。
だが、当のドラクロワは少しも怯む事なく、いつもの寂寂たる美しい顔で
「お前達邪神軍団は、いつの世もその様に自己を呈示してきたようだが、俺はそれを聴く度に怪しんで来た。
果たして邪神の手の者に神聖魔法以外は本当に無効なのか、とな」
邪神兵は、それを口の触手を蠢かせて聞いていたが
「フン!この数万年来の公の通説事実を、今更に解せぬと申すか?
醜怪な容貌はさておき、少しは腕も立ち、賢そうに見えたが、所詮は幾らか魔法が使えるだけの猿だったようだな。
そこに倒れた男の治療も出来なかったところから察して貴様、神聖魔法は苦手か、使えぬなようだな!?
フフン!益々我の敵ではないわ!!」
邪神兵はドラクロワとの僅かな会話のやり取りで共通語の自然な言葉遣い、抑揚までもを習得し、ドラクロワの声の質までも見事に模倣して見せた。
だが、魔王は生まれてこのかた、自分の声音を外部から聴いたことがなかったので、それを特に気にもせず
「ならば……」
邪神兵はそこでブツ切られた言葉に、思わず聞き返した
「ならば?」
ドラクロワは何の前触れもなく、物真似兵士へと大跳躍し
「試してみるまでよ!!」
ネズミ色の顔が見上げる高みから両手をかざした。
そこから、またもや一切の詠唱もなく稲妻、バシバシと大気を鳴らすほどの冷気、火炎の放射、景色を歪ませる鎌鼬の渦が惜し気もなく浴びせられた。
下方の漆黒の魚鱗コートは両の手を広げて、それらを待ち兼ねた遠方よりの恋人の来訪のごとく歓待した。
ジャバリバリッ!!ビシビシバシバシッ!!ヴァリヴァリヴァリヴァリッ!!
ボワンッ!!ボボボボボーッ!!!
その十字の巨躯は真空に斬られ、凍らされ、感電させられ、暴龍のような炎に食いつかれた。
眩い雷光とオレンジの爆炎、超低温で森の大地は激動し、目まぐるしくその色を変えた。
アンとビス、母親は
「キャアッ!!」
と、堪らず顔を手で覆って、大魔導師四人分の超魔法の嵐に戦(おのの)き、数歩たたらを踏んだ。
左の顔半分に氷の仮面を着けた邪神兵が哄笑する
「ハハハハハ!!効かん!効かんぞー!!魔法など神の使いの我には効かんと言ったであろうがー!!
そうか!納得がいかんか!?では魔力が尽き果てるまで射ってこい!!ハハハハハ!」
超魔導攻撃の無力さに触手のうねりも忙(せわ)しく、仰け反り笑う。
その高らかな嘲笑の破顔で顔の氷の覆いはひび割れ、四散する。
確かにドラクロワの放った攻撃魔法は、どれもその身に傷1つとして負わせてはいないようだ。
邪神兵は両手を広げて天空を仰ぎ
「神よ!感謝致します!!私をこれ程迄に強靭に造られたことを!!そして、この虫けらどもを無慈悲に刈れる力を賜りしことを!!
ハハハハハーー!!」
星の彼方の主へ届けとばかりに叫んだ。
アンとビスを抱き締め、絶望に打ち震える母親は夫の倒れる所まで、ト、トと退がった。
「あの方、きっとあなた達の言うように、伝説に出てくる勇者様のように、素晴らしい魔術師の勇者様なのだろうけど……あ、あいつには効いてない。一体どうした……ら……いいの?」
ビスのおかっぱ頭に涙が落ちて跳ねた。
アンとビスは鉄壁の邪神兵に、よもやこれまで、と諦念恐怖し
「ママッ!!」とその腰に小さな顔を埋めた。
その時、ドラクロワによく似た断末魔が轟いた。
「ウギャアーー!」
三人の母子達がハッと振り向くと、そこには異様な光景。
天を仰いだ邪神兵の首根っこ、そこに白光の首輪が見えた。
よく見れば、いつの間に回り込んだか、ドラクロワがその背後から、鋳鉄よりも遥かに白く輝く手先で、邪神兵の首を絞めているのが見えた。
灰色の首、漆黒のコートの襟はその手により、左右両側から煙もなく、ゆっくりと消滅していた。
一体何度の高温か、そこへ向けて森の全ての空気が吸い寄せられてゆく。
木々は暴風のごとく震え、木の葉の混じる大気がその輝く手へと吸い込まれる。
遂に触手がだらしなく伸びきった、ねずみ色の首が前へ垂れるように地に落ち、ドサッと音を立てるや、その禿げ頭は草をキューッ!と焼きながら、グツグツと沸騰し、直ぐに液状化して形を失った。
それが生えていた首なしの体も、襟元から外へめくれるように融解し、そこにそそり立った白い心棒の頸骨が、直下でブクブクと沸騰する内臓の中へ垂直に引き込まれ、腕とマントコートも、腰も脚も共に混ざり合って、大地をも溶かして地の底へ蒸発しながら沈んでいった。
ドラクロワの約束、殺戮者をこの世に欠片も残さない、というのが、見事ここに果たされたのである。
魔王は、未だ大気の集まる白光の両の掌を目線までかざしながら
「なんだ。ちゃんと魔法は効くではないか。
うーむ。今までコイツらと戦った魔法使いは、どいつもこいつもレベルが低過ぎただけの事であったか。
無効というからには、どこまで魔法が効かぬのかと、良い機会だからあれもこれ試してやろうかと思った矢先に、こうもあっさり死なれるとはな……。
こいつらは正確には、決して魔法が無効なのではなく、強い耐性があるだけ、ということか。
フン、つまらん奴だったな」
両手の先を緩い拳にして幾度か振ると、不可思議な大気の殺到は急速に凪いでいった。
なんと魔王は神聖魔法ではなく、火炎魔法を究極までに高め、その手に魔力を集中させて邪神兵の首を燃焼ではなく、消滅させながら捻り落としたのである。
並の魔法使いでは真似どころか思いもよらない、超強力を超えた正しく滅殺の魔法であった。
後少し続けていれば、被害は大気のイオン化による暴風程度では済まなかったであろう。
その滅殺の魔法はこの大陸を、いや星そのものでさえも破滅に至らせる、超核撃にまで発展する所であった。
そんなことなど気にもしない魔王は、草の大地へおかっぱ頭をめり込ませる双子の女児の
「お、恐ろしいほどのお力です!!ふ、震えが止まりません!
正にその御力は神に匹敵、いや、神をも越えられるものにございます!!」
「ま、参りました!!貴方こそ、貴方様こそが真の伝説の勇者様にあらせられます!!私共はこのご恩を一生忘れません!!
いえ、もしもこの先、子を持つようになるならば、貴方様の素晴らしさをその子へ、更にその孫へと語り継がせまする!!!」
若い母親は、急に平伏し、おかしな事を喚く我が子達にオロオロし
「あらあら、あなた達どこでそんな言葉を覚えてきたの?」
魔王は冷めた紫の爪の白い手で美しい顔を覆い
「フハハハハ!!そこまで頭を下げんでもよいよい!
フハハハハ!!そうかそうか!!
うん?そこの黒いの!俺が神を超えておるときたか!?
いやいやいやいや、流石にそれほどでは、あるな!?こりゃ間違いなく越えておるわー!!
フハハハハ!よーし!よしよし!その言葉を忘れるなよ?!
フハハハハ!フッハッハッハッハー!」
魔王は時空を超えようが、星が滅せようが、そこに賞賛さえあれば心から幸せだった。
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