56~それぞれの前夜~・3

 月明かりが煌々と照らす中、ほんのりと雪がちらつき始める。

 優しく舞い降りるそれは、魔物の襲撃に日常を壊された王都を癒すようにも見えた。


「少し冷えてきたか……」


 つい先刻は戦場だった城下町の空き地で、誰に言うでもなく、シーフォンが呟く。

 てのひらに乗せた雪が体温で儚く溶けて消える様子を、カーマインの瞳がじっと見つめた。


「なにたそがれてんだい」

「君か……何か用かい?」

「いや、メリーゼのとこに行かないのかなってさ」


 アンバーローズの長い髪を揺らしながら、パンキッドが現れる。


「僕を探して来たのかい? よくここにいるってわかったね」

「まあ……さっき戦った場所だし、それに思い入れもあるようだったからねぇ」


 それもそうか、と白い息を吐いてシーフォンが笑う。


「メリーゼは……彼女にはカカオがいるから。恋愛感情とか抜きにしても、あの二人は……ね」

「そうだね」

「僕じゃダメなんだ。今の彼女に必要なのは、カカオだ」


 この王子は幼い頃にメリーゼに一目惚れして、何かというと彼女の後をついて回っていたという。

 幼馴染で当たり前のように傍にいるカカオと違い、シーフォンのアプローチは全力で、時には周囲を省みない、子供っぽくもあるものだったが……


「失恋宣言の割には、慰めてほしそうにも見えないね」

「はは、そうかい? 少しは吹っ切れられたからね」


 シーフォンは、この短い間に確実に変わっていた。

 出会って日が浅いパンキッドにもそれは目に見えるほどだ。


「……僕はね、本当に自分のことしか考えられない子供だったんだ。好きだ好きだと言いながら、メリーゼのことなんて何ひとつわかっていなかった」


 は、と吐き出した呼気が白く残る。

 伏せられたカーマインの目は、ここではない遠くに思いを馳せていた。


「この短い間にいろいろあった。騎士団に所属していたとはいえ王都の周辺しか知らなかった僕は、広い世界に出て初めてこの目で、肌で世界を感じた。思い通りにならないことがたくさんあった。世界の広さ、そこで生きる人々は、書物の中だけではわからなかった……わかった気になっていたよ」


 パンキッドはただ黙って王子の言葉を聞いている。

 首を振るでも、頷くでもなく、ただ静かに。


「そしてカカオを見て、僕はメリーゼに気持ちを押しつけていただけだって思い知った。本当に彼女のことを考えて動けるのは……あいつだ」


 肩までの月白の髪が微風に揺れる。

 哀しげに微笑むシーフォンの表情が、パンキッドには妙に大人びて見えた。


「以前の僕だったらこの世の終わりのような顔をして、みっともなく喚き散らしていただろうね。それこそ空回りだ」

「シーフォン……」

「でも、いろんなものを見てきた今の僕には、世界はメリーゼだけじゃない……大切なものには違いないけれど、たくさんある大切なもののひとつだ」


 もちろん、君も。

 ふいにそんなことを言われ、パンキッドは驚き、慌てた。


「えっ、え……?」

「最初は正直、なんて野蛮で乱暴な女性だろうと思ったさ。剣を手にしながら気高さ、気品も忘れない淑女のメリーゼとは月と何とやらだってね」


 聞き捨てならない発言に一瞬パンキッドの頬が僅かに引き攣るも、構わずシーフォンは続け、そして思い出したように笑い出す。


「けど、違った。仲間として共に並び立ってみればメリーゼも大概だってさ」

「な、なんだい、ずっと見てたくせに今頃気づいたのかい?」

「だから、僕は僕のことしか考えてなかったって言ったろう。勝手に彼女を神聖視していたんだよ」


 戦士としてのメリーゼはその可憐な見た目とは裏腹に、激しく、雄々しく、荒々しい。

 同じ騎士団にいながら長年それに気づかなかったなんて、シーフォンのフィルターは相当分厚いものだったのだろうとパンキッドは呆れた。


「……まあ、そんな訳で、だ。これからは仲間として、友人として、彼女を応援することにしたよ。もちろん他の皆のことも」

「そうかい」


 ようやく先に踏み出すことができた王子の顔は晴れやかだ。

 と、なんとなく安心していたパンキッドに、シーフォンはにっこりと笑顔を向けて、


「聞いてくれてありがとう。君は思ったより優しい女の子なんだね、パンキッド」

「なっ……なんだい、そりゃ!?」


 そんなことを言って、彼女を赤面させたのだった。

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