一八. うき世の楽園⑳



 (総司さんの?・・)

 

 漸く夜番勤務から解放された沖田と、今夜、久しぶりに一緒に過ごすことができる。

 朝餉の席で顔を合わせた沖田に、今夜は家へ帰ろうと告げられてからのち、

 現在、近藤の部屋で仕事中ながら舞い上がったままの冬乃の、目にふと映った物は、黒地に紺桔梗の下げ緒だった。

 

 

 紫系の配色がある物をみると、つい沖田のではないかと思ってしまう。紫は沖田がよく使う色だった。これがまたよく似合っているものだから、冬乃はいつしか紫色まで愛するようになっている。

 

 今しがた近藤が開けたばかりの障子の向こう、縁側に無造作に置かれている荷物の上の、その下げ緒を、冬乃はつい手を止めてじっと見つめた。

 

 

 沖田は幾本もの下げ緒を所持している。そのうちの一つなのだろうか。

 尤も、下げ緒には単一の黒が多かったように記憶している。召捕る際の縛り紐としてもよく使うために、血に染まっても構わないようにだろうかと、冬乃は想像していた。



 「・・近藤様」

 結局。

 冬乃は気になりすぎて、尋ねた。

 

 「あちらにある下げ緒は・・・」

 

 「ああ、」

 縁側に佇んで、今日も続く雨を眺めていた近藤が、冬乃の問いに促されて下げ緒のほうを見やった。

 

 「総司への贈り物だ、私や総司が世話になっている刀屋の娘さんから、総司へ是非にと預かってね」

 


 「あ、いや、」

 固まった冬乃に、近藤が慌てたように言い足した。

 

 「たまたま、総司が好きそうな色の下げ緒が手に入ったからとの事だから、他意は無いはずだよ」

 

 (・・・総司さんの好きな色をちゃんと分かっているひと・・)

 

 「総司なら、」

 

 だいぶ涙目になった冬乃に、今ので冬乃の心境を却って悪化させたことには気づいていないらしい近藤が話を続ける。

 

 「貴女ひとすじだから、何も心配しなくていいんだ。総司の、あの娘さんに対する態度も前々からひどく他人行儀だし、こう、にこにこ話してはいるんだが、うまく距離を置いているというかね。だから、何か貴女の心配するようなことはまず無いよ」

 

 

 気づいていなかった様子のわりには結局、的確な言葉を投げてくれて、だいぶ心境が改善した冬乃は近藤の気遣いに小さく会釈で返した。

 近藤がほっとしたように微笑む。

 

 「・・ところで貴女なら御存知かもしれないが、」


 と、そしてどこか図ったように話題転換をした。

 

 

 「古来、我々武士は、下げ緒の色を身分相応に控えなくてはならない。総司への贈り物のこの色組は、どこぞの御家中にいる身ではない我々だからこそ出来るものでもある。・・もっとも、大樹公の緋色だけはさすがに避けるが」

 

 (え)

 「いえ、存知ませんでした。そうなんですか・・」

 

 近藤は大きく頷いた。

 

 「ただ、たとえば会津様のお屋敷へ出向く際には浅黄を締める、というように、その御家中のしきたりになるべく合わせた配慮はしているよ」

 

 (あ・・)

 

 だから時々、近藤も沖田も、普段とは異なる色の下げ緒を帯びている時があるのだと、冬乃は納得して。

 

 

 「貴女も、いずれ総司の妻となる身。これらはぜひ知っておいてくれ」

 

 

 

 

 それから暫く。


 冬乃の頭の中は、総司の妻。

 の響きで埋め尽くされた。

 

 

 

 

 

 

 





 夕の刻に沖田が冬乃の部屋まで迎えにきてくれた時は、

 

 ちょうど冬乃が行李をひっくり返した直後だった。

 

 

 「何事?」

 

 服の大山をばっちり目撃した沖田が、面白そうに尋ねてきて、冬乃は顔を赤らめる。

 

 

 勝負下着。

 というものを探してるだなんて、もちろん絶対に言えず。

 というよりそんなもの、この時代にそもそも概念として存在するのだろうか。

 

 

 (とにかく襦袢とか湯文字っ・・)

 

 以前に千代と行った古着屋でその色彩に一目惚れし、奮発して買った繻子のそれらなら、そして思いついたものの。

 

 

 「あ、あの。ごめんなさ、もう少しだけお時間いただけませんか、荷造りが終わったら、ここちらからうか伺います・・っ」

 激しく舌がもつれながらも言い切って。

 

 風呂敷に包んでいるところを見られるのも、無性に恥ずかしいのだから、沖田には彼の部屋で待っていてほしいと冬乃は願う。

 概念が無いのなら、見られようがそれと気づかれる心配は無用なのかもしれないけども。

 

 

 「・・手伝わなくて大丈夫?」

 「はいだいじょぶですっ!」

 

 ほとんど叫ぶように即答した冬乃に、沖田が目を見開いた。

 何かよほどの事情があるのだと思ってくれたのか、沖田はまもなく部屋を出て行った。

 

 

 

 今さら、これまでの自分が恥ずかしくなってくる。

 

 あのときも、あの時も。

 

 (どんなの着てたっけ・・)

 

 

 変な組み合わせをしてなかっただろうか。

 色気の無い服だとか、思われなかっただろうか。

 

 なにより初めて沖田に家へ連れられていった日、冬乃はあの時だって、そのつもりで行ったのに。緊張でのぼせすぎていて、とてもこんなことまで気が回らなかった。

 

 

 「~~~」

 

 否、今だって、のぼせ具合ならば大して変わらない。多少、場数を踏んだだけである。

 

 それでも、やっぱりまだ、

 

 (・・勇気ない)

 

 第一、沖田のほうは今夜もこれまでと何ら変わらない夜だと思っているだけだろう。

 

 冬乃の心は、あの疎外感とたたかう準備が整ったことなど。彼が知るはずもないのだから。

 

 

 (でも)

 

 今こうして逃げ腰になっていても、きっと、

 今夜、彼を前にしたら、気持ちが溢れだして止まらないだろうことも。容易に、想像できてしまって。

 

 

 (やっぱり、服だけは持っていこ・・)

 

 

 後のことは。その時のなりゆきに、任せるしかない。

 

 

 冬乃はそう己に言い聞かせると。目標の肌着たちを探すべく、服の山を見据えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駕籠で乗りつけて、降り立った玄関からまっすぐに式台を上がる。

 客間を開け放てば、縁側の向こうは梅雨に濡れそぼつ枯山水。

 

 初めての日と同じように。

 背から抱きくるめる沖田の腕のなかで、冬乃は眼前の小宇宙に魅せられた。

 

 只あの日と違うのは、雨がしとやかに降りつづいて、いつにもましてこの空間がふたりだけの世界として隔絶されているかの錯覚に、

 引き込こまれることで。

 

 

 静やかに均一に奏でられる心地よい雨音と、強く優しい温もりに包まれ、

 恍惚と冬乃は、沖田を背後に見上げた。

 

 このままずっとふたりきりで、このうき世の楽園に居られたなら。

 この隔絶された世界に、

 

 

 (それなら本当に貴方をひとりじめできるのに)

 

 

 訴える眼差しを感じたのか、沖田が冬乃の額へ口づけると冬乃を抱く腕の力を強めた。

 

 「冬乃、」

 

 「やっと来れたね」

 (あ・・)

 どきりと冬乃は目を瞬かせた。

 

 「ようやくふたりきりになれた」

 

 

 同じことを、思っていてくれたのだと。冬乃は感激で震えた心に素直に従い、沖田の腕のなかで動いて彼へと向き直った。

 

 ねだるように見上げる冬乃を、優しい眼が見下ろす。彼の大きな手はそっと冬乃の首の後ろに添えられ。

 冬乃はうっとりと目を瞑った。

 

 

 「ン……」

 

 庭石を打つ時おりの雫の音さえ、聞こえなくなった頃、ふたりの息遣いだけが冬乃の朦朧とする意識の内にまで届いて、

 あとは常のように、まるですべての感覚が彼へと向かいゆくさなか、

 

 不意にがしりと腰元を支えられ。冬乃は、瞼を擡げた。

 

 (・・あ)

 ぐらりと冬乃が大きくふらついたところを、支えられたのだと、すぐに気づいて。

 

 (総司さん)

 今ので解放された唇から浅く吐息を零し、未だ重たい睫毛をひと扇ぎした冬乃を、

 見下ろしてきた沖田の眼は。

 冬乃のからだの芯を灯らせる、あの深い熱を宿す眼で。

 

 とくとくと打つ鼓動を胸に冬乃は、彼のその眼に、またいつかのように捕らわれたまま逸らせずに。

 「総司…さん…」

 浅いままの呼吸に唇を震わせた。

 「まだ…」

 

 してて

 

 囁きかけた言葉ごと、次には塞がれ。

 目を閉じた刹那ふたたび襲った身のふらつきに、冬乃は咄嗟に、閉ざした視界のまま沖田の襟を掴んだ。

 同時に、

 挿しこまれる舌を感じ。

 

 「ン…ッ」

 冬乃の歯列が開かれ、奥へと。

 口内を侵す沖田の、舌の先が冬乃の先へと触れた。

 

 「っ…ふ、…」

 

 絡められた舌に、すべての感覚までもがまた捕らわれてゆくかのようで。冬乃はくらくらと、

 呼吸の追いつかない胸で喘ぎながら、体じゅうから力が抜けてゆく感に、おもわず手の内の襟を慌てて握りこんで。

 

 応えるように、冬乃の腰を抱き寄せた力強い腕が、

 やがてそのまま下ってゆき、

 あっと気づいた時には冬乃は、彼の両腕に抱き上げられた。

 

 唇が離されても、はあはあと乱れた呼吸のまま、冬乃はうっすら目を開ける。

 

 互いの舌先をつたう水糸が、途切れぬうちに今一度ふわりと口づけられ。

 「んっ…」

 ぎゅ、と次いで抱き締められた冬乃は。

 

 「風呂を沸かす間、いいことしてようか」

 

 どこか悪戯っぽく耳元で囁かれたその言葉を、

 (・・・?)

 沖田の腕の上で。夢うつつに聞いた。


 

 

 

 

 

 

 

 雨除けの、簡易屋根の下で。

 

 

 「…あ…っ…」

 

 此処は屋外で。

 

 

 塀のすぐ向こうからは、夕の刻の物売りたちの声が響いてくる、というのに。

 

 風呂場の外に張り出す風呂釜の横で、薪の束に腰かける沖田の、

 膝の上に座らされて冬乃は、

 

 先ほどから。

 

 「ん……」

 「良さそうだね。・・ここはどう」

 「ンンッ…」

 

 

 「ここ、凝ってるな」

 

 按摩。

 を受けていた。

 

 

 最近の厨房の手伝いで、暫く使っていなかった筋を酷使していた冬乃なので、あちこち変な所が張っていたのを、

 沖田は冬乃の動きを見ていただけで気づいたらしい。

 

 

 時々薪を投げ入れながら、

 パチパチと音を奏でる温かな火の前で、

 

 しっとり降りつづく雅な雨に囲われ、

 きっとこの世で一番安全な場所、沖田の膝の上。

 

 

 (・・しあわせ)

 

 ではあるし、

 

 

 「ひもの~」

 

 塀の向こうを物売りが通り過ぎる声も、また一興ではあるのだけれど。

 

 

 「ひも~の~ひも~」

 

 「…っあ…ン…!」

 

 冬乃は慌てて手で口を覆った。

 

 

 「・・・・の~」

 

 

 干物売りの声が一瞬とだえたから、何かしら聞こえたであろう。

 

 冬乃は頬を膨らませて、背後の沖田を振り返った。

 

 

 「なんて声だしてるの」

 

 冬乃を膝の上に抱き締めたまま、低く哂いながら沖田が悪戯な眼で見返してくる。

 明らかに愉しんでいる。

 

 冬乃にこんな声をださせているのは紛れもなく沖田だというのに。

 

 「わざと・・ですよね・・?」

 膨らませた頬に口づけられながら、冬乃は抗議する。

 

 

 冬乃の脇の下を揉みほぐしている沖田の手が、止まった。

 

 「それは、こういうのを言ってる?」


 そう、

 

 もう何度も。

 

 「…っん!」

 

 沖田の指が、胸の先端を掠めて。

 

 

 「ゃ、だめ、…っ」

 「まあ、ここも負けじと凝ってるようだから、そろそろ集中してほぐそうか」

 「えっ」

 

 冬乃の両脇から完全に下ってきた大きな両の手が、冬乃の左右の胸横に添えられ。

 

 その手が後ろから両の乳房を包みこむようにして。

 二本の硬く太い指先が、それでいてあいかわらず繊細なまでに、冬乃の胸の頂を摘まんだり擽ったり本格的に甚振り始めた。

 

 「…ン…ッ」

 着物の布越しなのに痺れるような刺激に何度も見舞われだして、声を出すまいと冬乃は強く唇を噛みしめる。

 

 「やさい~」

 

 塀の向こうをのんびり野菜売りが通り過ぎてゆく。

 

 「…んぅ、…っ…」


 「冬乃かわいい」

 すぐ後ろで耳元に囁かれ。冬乃はもう揶揄われているのは分かっていてもよけいに煽られ。


 「きゃ!」

 そのうえ突然ぐいと両襟を開かれ、冬乃はついに声をあげた。

 

 露わになった肌へ滑り込んだ沖田の大きな両の掌が、ゆっくりと、感触を楽しむように乳房を揉みしだいてゆく。

 

 「あ…、ぁ」

 

 

 やがて。片の胸を離れて裾を割る手を、感じ。



 物売りが時折また塀の向こうを通っても、もう。冬乃は己の喉を零れ出る声を止めることなどできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬乃は、そのまま抱き上げられて風呂場へ来た。

 

 まだ湯に浸かってもないうちから当然のぼせあがっていた冬乃なので、風邪の時のように殆ど沖田が冬乃の全身を洗ってくれて、

 

 ただ、風邪の時と違ったのは、沖田の手は冬乃の敏感な箇所をとても丁寧に、意図をもって撫でまわしながら洗ったこと。

 おかげで冬乃はもうよけいにのぼせて、あちこち全く力が入らない。

 

 冬乃をこの状態にした張本人は、現在もわもわと湯気の立ち昇る湯舟のなか、冬乃を胡坐の片膝に乗せて横向きに抱いたまま冬乃の頬やら髪やら背やらを、一転して只々優しくさすっており。

 

 そんな沖田の肩先に頬を寄せながら、冬乃のほうは、湯越しの沖田の温かく硬い肌の感触に、この直に肌の触れあう状況に、

 未だに慣れず始終どきどきして心臓が壊れそうになっている。

 

 もとい。慣れる日が来る事など無いと、もはや冬乃は断言できるが。

 

 

 格子窓の向こうでは、日が暮れて、物売りの声もしなくなって久しい。雨だけが降り続いていることだろう。

 

 

 「家選びをした頃も、そういえばこんな梅雨の時期だったね」

 

 優しい手に頭を撫でられながら、冬乃はそんなことばを聞いた。

 

 此処での一年前に、ふたりで一つの傘で歩いた光景が、再び冬乃の脳裏に浮かぶ。

 家へ来る時、駕籠の簾の内から見えた道端の紫陽花たちに、重ねていた光景。


 「はい・・」

 此処の時間においてはそうして一年近くも離れてしまっていた事に、改めて冬乃は頭を垂れた。

 

 

 どうして待っていてくれたの

 

 冬乃の心内に一方で、漂い続けてきた疑問が同時に擡げて。

 

 「・・総司さんは」

 

 きっとすごくもてるのだろう。

 

 今まで冬乃が知っているだけでも、露梅と、呉服屋の娘、そしておそらくは刀屋の娘も、

 そして本来ならば千代。

 

 冬乃がまだ知らないだけで、きっともっとたくさんの女性から。

 

 

 なのに。

 

 他の女性に向かうことなく、冬乃が戻るのをずっと待っていてくれた。

 

 

 「どうして・・私を選んでくださったのですか」

 

 

 また変なことを聞くと言いたげな眼が、勇気を出して顔を上げた冬乃を見返してきた。

 

 「冬乃を好きになったからに決まってるでしょ」

 「でも、総司さんにだったらいくらでも素敵な女性が、他にいるのに・・」

 「なら冬乃は、どうして俺を選んだの」

 

 冬乃は息を呑んだ。

 

 今の突然の返しとは真逆に、向けられる穏やかなその眼をまじまじと見つめ返し。

 

 (・・そんなの、)

 

 

 「選ぶも何も・・」

 

 初めから貴方だけ

 

 

 (どうしても貴方以外の人を好きになれなかった)

 

 沖田を好きでいることが苦しくて懸命に逃げようとしていた頃を思い出した冬乃は、

 おもわず目を逸らした。

 

 「私には・・総司さんしかいませんから」

 

 「そんなことないだろ、冬乃なら」

 「ほんとにっ、そうなんです・・!総司さんが初恋ですし・・っ、そして最後の人なんです、私にはっ・・」

 

 訴えてしまって再び見上げた先、

 

 沖田が一瞬の瞠目ののち。ひどく嬉しそうな、冬乃のほうが瞠目するような眼差しを返してきた。

 

 「だったら、また同じだ」

 「え」

 

 「俺にも、冬乃しかいない。こんな想いは初めてで、つまり」

 

 

 冬乃は。

 

 

 「俺にとっても、初恋という事」

 

 

 「・・・総・・司さ・・」

 

 胸奥が、急激に熱くなる感をおぼえた。押し出した声が震え。



 「それから、」

 沖田が間近にまっすぐに、冬乃の瞳を見つめたまま添える。

 

 「こんなふうに愛せる相手がこの先もいるとは思わない。貴女は俺にとっても、最後の女」

 

 

 

 冬乃は沖田の肩先へ、一瞬に溢れ落ちた涙ごと顔をうずめた。  

 

     





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