一六. 五蘊皆空⑪



 豚がブヒブヒ鳴きながら、冬乃達の後ろをついてくる。

 

 正確にいうと沖田の後ろを。

 母豚について子豚たちも連なる。


 (なにこれ)

 あれから沖田たちと一緒に幹部棟へ向かい。

 その時も豚がついてきたので、沖田たちは笑ってしまいながら玄関で追いやって、冬乃は近藤へ挨拶をした後、恒例の近藤、沖田、冬乃に、土方たちも加わって朝餉に向かうべく再び外へ出て。

 歩いていたら、また豚がいつのまにか戻ってきて。

 

 

 冬乃は何度か後ろを振り返っては、すっかり沖田を気に入った様子の母豚を、溜息まじりに見つめる。

 べつに、土方に揶揄われたようにライバル視しているわけでは・・ない。


 

 

 豚をつれた珍妙な御一行と化している幹部達に、すれ違う隊士達のほうは一様に呆然として。

 

 そもそも原田同様、豚を見たことが無い隊士も当然いるだろう。彼らの中には挨拶も忘れて、いきなり後ろの豚たちをぽかんと見つめる者もいた。

 

 

 土方がいうには、今朝これから広間で豚についての説明をするのだそうで。

 

 「ちょうどいいさ。お披露目に、わざわざついてきてくれるってんなら」

 

 土方の一笑に、たしかにと冬乃は思いつつも、

 

 (なにこれ)

 どうしても、振り返るたびその感想が喉から出掛かる。

 

 

 当の沖田は、当然ながら愉しそうで。

 

 この、自分を慕う豚を近いうち食べることになると。沖田のことだから勿論、見越しているのだろうが故に、よけいに、

 

 (シュールすぎる・・)

 

 冬乃は再び溜息をついた。

 むしろ、俺が真っ先に頂いてやるよ、と沖田なら深い愛情を籠めて言うのだろうから。

 

 

 

 

 

 

 「そういうわけで松本様からの御指導に従い、豚の他に鶏も飼うことになる、使用人だけでは面倒を見きれないだろうから、貴方がたにも当番で担当してもらうことになる。以上宜しく」

 

 朝餉の席にて。土方はそして、隊士達にひととおりの説明を終えた。

 

 豚はさすがに広間には上がらせずに、玄関で追い払ったものの、

 ここまでついてきたおかげで、多くの隊士が豚たちを目にし。成程、お披露目を無事に済ませたのだったが。

 

 

 「あの豚さ、あれじゃ沖田を見つけるたびに寄ってくるんじゃないの」

 朝番を終えてそのまま来た藤堂と、先ほど玄関のところで出会った。沖田の袴に擦り寄ったままの豚を目にその時に一部始終を聞いた藤堂が、

 広間にすでに来ていた斎藤とともに今一度、沖田を見やった。

 

 「さあ」

 としか沖田も答えようが無い。

 

 「沖田の何をそんなに気に入ったんだろ」

 藤堂が苦笑する。

 

 (私も知りたい・・)

 藤堂と沖田に挟まれながら、冬乃も心で囁く。

 

 

 「沖田のほうも愛着もっちゃ辛いよね。食べちゃうのにさ」

 

 「儚いな」

 やはり斎藤も想うところあったのか、ぼそりと珍しく言葉を発して。

 

 

 沖田が穏やかに微笑った。

 

 「愛着もつならもつほど。その時は有難く頂くよ」

 

 「・・だよね」

 藤堂が、一方でその答えを予測していたように肩を竦めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 井戸場で花入を洗い、新しい水に季節の花を挿しながら、冬乃は晴れわたる空を仰いだ。

 梅雨明け後の京盆地は、憎らしいほど照り付ける日射しに、高温で蒸され続ける日々で。

 

 (暑すぎる・・)

 

 気づけばもう六月も半ばに差し掛かっている。

 太陽暦でならば八月も始まった頃だろう。

 

 外は風さえ無く。誰一人として、この日の下に長居する者はおらず。

 例の豚たちも、最近はめっきり木蔭や高床の下に潜り込んでいて、

 昼間から屯所を歩いても、そんな『豚の子一匹いない』閑散としたもので。

 

 (暑すぎる)

 冬乃はもう一度、じっとしていても滲む汗を手の甲にぬぐった。

 

 

 生きながらの、ちょっとした灼熱地獄なこの瞬間すら。

 それでも冬乃は当然。幸せだった。

 

 沖田とは、以前のように逢える機会が格段に増えて、時折また文字読みの特訓もしてもらえたり、そのまま抱擁と口づけで長々と中断してしまったり。

 冬乃はこれ以上は何に感謝したらいいのかが、もう分からなくなるほどに、幸せな毎日を過ごせているからで。

 

 あのとき沖田に言ってもらえたように、幸せである事を、怖がらず。

 そして罪の意識にばかり囚われず、幸福は幸福でまっすぐに受け止めることに。冬乃はやっと慣れることができた。そう言ったほうが正しいのだろう。

 

 

 

 

 障子を開放したやや北向きの庭先からは、廊下側の半分開けた襖を抜けて、幹部棟の玄関まで風が通り抜ける。

 

 こうして近藤や沖田の部屋の中にいる時は、そこそこ快適で。

 先程までの灼熱地獄からめでたく生還したような想いで冬乃は、今日も近藤の後ろで手元の書簡を確認してゆく。

 

 「冬乃さん、この後すこし一緒に町に出てもらえないだろうか」

 だが唐突に放たれた近藤のその言葉に、冬乃は驚いて顔を上げた。

 

 「その、・・私の妾に簪を贈りたくてね・・やはり女性の目で見立ててもらいたく」

 

 「承知しました」

 断れるはずもないので冬乃は笑顔を作って返す。

 

 正直、この暑い中、町に出たくはないものの。

 しかも近藤と外出するならば、頭巾を被らなくてはならないのだから。

 

 「有難う。せめて日を避けられるよう、町までは駕籠で行こうと思う」

 まるで冬乃の心の声を聞いたかのように、近藤がそんなふうに言い足したので冬乃は慌てて頷いた。

 

 

 「なんだ外出か」

 冬乃が外行き用の帷子へ着替えようと、近藤の部屋を出た時、

 通りかかった土方が、部屋の中で近藤がしたくをしているのを見止め、尋ねた。

 

 「ああ、ちょっと買い物にな」

 「護衛は」

 すかさず聞いた土方に、近藤は「駕籠だから要らないよ」と返す。

 

 「駕籠といえども買い物じゃ、町中では歩き回ることに変わりねえだろ。誰かつけてくれ」

 「いや、しかし、公用でもないただの買い物に、隊士を付き合わせるのもなあ・・総司も夕方まで巡察でいないし」

 「俺もこれから所用で外せそうにない。今日じゃなきゃだめか」

 「・・・しばらく顔出してないんだよ。機嫌損ねてるだろうから、その・・今夜行く時に簪くらい持っていってやろうかと・・」

 「ったく甘えな、勇さんは」

 

 土方が苦笑する。そんなふうに殆どの近藤の行動をいつも一笑して流す土方も、相当近藤に甘いような気がする、とこっそり思いつつも、

 二人のやりとりを興味深く聞いていた冬乃へ、いきなり土方が振り返った。

 

 (え)

 

 「こいつを見立てに連れてくんだろ、どうせ」

 

 「ああ」

 近藤が土方の後ろで返事をする。

 

 

 「だったら、おまえ男装しろ」

 

 

 今。

 土方が、冬乃に命じた内容を、冬乃は俄かには理解できず。

 

 「・・・それは、どういう・・」

 土方の背後からは、同じく理解に苦しんだらしき近藤の戸惑った声がした。

 

 

 「遠目から男を連れてるように見えさえすれば、或いは護衛の者だと思わせることができる。少なくとも、あからさまに女連れてるよりかずっといい」

 

 

 (あ・・そうゆうこと・・)

 

 「さいわい、こいつはいざとなれば、足手まといにならねえだけの腕もある。・・と、近藤さんは、未だこいつの剣を見たことが無いんだっけな」

 

 「ああ、だが総司から聞いてるよ。たしかに妙案だ。冬乃さん、頼まれてもらえないだろうか」

 

 (ですから断れるわけがありません・・・)

 

 しかし遠目は騙せても、

 近くで見たらどうせ、女の男装とバレバレか、がんばっても若衆にしか見えないだろうと思うと、

 傍まで来られたら最後、とても威嚇になるようには思えないが、

 

 「私なんかでも宜しければ。全力で、近藤様のお役に立てますよう励みます」

 冬乃は身を引き締めた。

 

 

 

 

 

 

 「一応洗濯してあるものを借りてきたから安心しろ」

 「ありがとうございます・・」

 

 この短時間でいったい、隊士の誰から調達できたのか気にはなるものの、冬乃の背丈に合った男物の着物と袴を渡され、

 「着終わったら俺の部屋へ来い」の土方の言葉を背に、冬乃は一度自分の部屋へと戻る。

 

 男物の着物はさすがに持っていないが、袴ならばそういえば平成からの稽古着の袴が、まだ行李の奥にあったことを冬乃は思い出したが、

 なにせ白一色でこの時代では見かけないので、どうせ土方に却下されただろうと同時に思い直す。

 

 (だいたい袴はくの、すごく久しぶりな気がする・・)

 

 このところ稽古だって全然していないのだ。

 多少なり鈍っていることは覚悟したほうがいいだろう。土方の言っていた“いざ”という時があった場合が、冬乃は少し心配になった。

 

 (ほんとに近藤様の足手まといには、ならないくらいでいれたらいいけど・・)

 

 それに。

 

 (私は、大刀のほうは使えそうにない)

 

 短時間、腰に差しているだけならいい。

 だが、抜くとなると。

 

 暴漢と闘ったあの時、脇差でも手の内にずしりと重みがあった。

 あれ以上の重さの剣を、鍛錬なしで即座に自在に扱える自信は無い。

 

 

 (だけど脇差では、間合いがあまりにも不利・・)

 

 

 

 

 

 

 「長脇差?」

 

 着替え終えて土方の元へ出向いた冬乃は、冬乃のために用意されていた大小の刀を前に、尋ねた。

 

 「はい・・こちらの通常の脇差の代わりに、御貸しいただけませんか」


 長脇差は、仮に大刀を損じても、通常の脇差よりかは代わりと成りえるため、組では奨励され、皆はこぞって脇差の代わりに差している。



 「私の筋力では今すぐには大刀を扱えそうにありませんが、長脇差ならなんとかなるかもしれません」

 「すると大刀のほうは、竹光でもくれってか。・・なるほど悪くねえ」


 「まさか、想定しているのか?斬り合いになった場合を」

 土方の隣にいた近藤が、驚いた顔を向けてくる。

 

 「あくまでねんのためです・・」

 

 「頼もしい・・と言いたいところだが、その時はどうか無理はしないでくれ。貴女に何かあったら、総司に詫びても詫びきれん」

 

 (近藤様に何かあったら、私が総司さんに詫びても詫びきれません)

 冬乃は心の中で呟く。

 

 身軽な男装をして、刀も持っていて闘える状態にあるのに、その場で何もしないなど、冬乃にはありえない選択肢だ。

 

 

 「今すぐ用意しよう。もう少し待てるか、近藤さん」

 「ああ」

 土方が出て行った。

 

 

 「しかし、似合ってるなあ、若衆姿」

 

 開け放った障子を背に、つと近藤が微笑む。


 (若衆姿、て)

 どうやら、初めからそれを狙った男装をした、と思われているらしい。

 

 後ろへポニーテールにしたものの、束ねるには長さが足りなかった前髪が残ってしまったせいか。

 

 「それも絶世の美少年というところだ。これはこれで目立つだろうな」


 (うう?)

 絶世の美少年。喜んでいいのかよく分からないが、とりあえず大人ですらない。

 

 冬乃は少々項垂れつつも、まだ微妙に性別上の男に扮せているならいいのだろうか、と考えてみる。

 

 

 やがて長脇差と、軽量を重視した竹光とをそれぞれ持ってきた土方に、腰帯への大小の差し方を教わって、

 その案外に丁寧な教え方に内心驚きながら、無事に男装が完了した冬乃は。

 

 近藤と共に、炎天下に繰り出した。

 女の恰好でないために、頭巾はしなくて済むだけ有難い。

 

 外に出てすぐ近藤に断って、数度、長脇差で袈裟方向に素振りをしてみれば、やはり振り被る時点で痛感する重さに、不安になったものの。

 「太刀筋が、さすが綺麗だ」

 初めて冬乃の剣を見る近藤が、すぐに満面の笑みで褒めてくれて。

 

 しかし近藤はすぐに困ったように腕を組んだ。

 

 「片腕になってしまう抜刀での攻撃は、見たところ貴女の手首には負荷がかかりすぎるから、避けたほうがいいだろう・・。お分かりだろうが、当然、大技も狙うべきではなく、その不利な間合いも、素早い動きで補う必要がある・・」

 

 「やはり、もしも斬り合いになってしまった場合は、私の背にいて、貴女自身の護りに徹してもらいたい」

 それだけでも、

 と近藤はその優しい笑顔に戻って続けた。

 

 「冬乃さんに貴女自身の護りを任せられるだけで、私は大いに助かる」

 

 「・・承知しました」

 

 「まあ、といっても町中で、かつ真っ昼間の炎天下だ。斬り合いになど、そうそうならないだろう」

 

 「はい」

 冬乃も、どこかでそんな楽観的な想いなら持ちながら。

 

 二人は呼びつけておいた駕籠に乗り込んだ。

 






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