一六. 五蘊皆空⑨



 沖田とふたりきりの朝食。

 

 冬乃の心は、天まで舞い上がったきり、ほわほわ漂って、もちろん降りてこられないままである。


 

 変わったのは、冬乃の頭の中で続いていた昨夜の回想のほうが、いったん止まり、目の前の沖田との会話に集中し始めたことくらい。

 

 

 冬乃はおそらく最早連続で紅潮した状態であろう頬を、冷奴で膨らませた後、ひんやりと良く冷えたその感触を喉に滑らせながら、

 (あ、)

 つと顔を上げた。

 

 「あの、着物・・洗ってお返しします」

 

 冬乃の言葉に、沖田がすぐに微笑んだ。

 「まだ着れるでしょ。そのまま俺が使うからいいよ。洗うにしてもこっちで俺の洗濯物とまとめて出すし」

 

 

 人数が増えて仕事に余裕が出来た組の使用人達は、隊士達の洗濯も引き受けるようになっていた。

 冬乃が使用人をしていた頃の、隊士部屋の掃除と炊事で精一杯だった時期には、考えられなかったことだ。

 

 

 (ていうか)

 冬乃が素肌に着ていた服を、そのまま沖田が使うといま言ったような。

 

 (・・・っ)

 

 冬乃の頬は当然さらに火照って、慌てて俯きながらも。

 

 「でもどうして、服を取り換えてくださったんですか」

 気になっていた疑問を、なるべく声にさりげなさを装って聞いて。

 

 「それを聞くの?」

 だが何故か笑う沖田に。

 「え」

 冬乃は顔を上げた。

 

 

 目を瞬かせる冬乃に、沖田がどこか邪気のある笑顔で、にっこりと微笑む。

 

 「貴女が感じすぎて、服を濡らしたせい」

 

 

 (わ、)

 

 やはりそんなに自分で気づかないほど、激しく汗をかいていたのだ。

 冬乃は慌てた。

 

 「お手数おかけしてすみませんでした・・っ」

 謝る冬乃に。

 

 しかし何故か、沖田がよけいに笑いだした。

 

 (・・?)

 

 「いや、貴女を濡らしたのは俺だし・・むしろ、」

 そう言って見返してきた沖田の眼に、

 冬乃はどきりと息を呑んで。

 

 「あれだけ・・水浸しになってくれれば。甲斐もあったよ」

 

 (水浸し!?)

 そんなに酷い汗だったなんて。

 

 (恥ずかしすぎる・・)

 

 沖田の言う甲斐というのはよく分からないものの、

 

 「ごめんなさい、そんな酷かったなら、ご面倒おかけしてしまいましたよね・・」

 

 冬乃は項垂れて。

 

 きっと汗で服が全身に張り付いて、取り換えるのも一苦労だったに違いなく。

 

 

 「・・やはり話が噛み合ってないようだけど」

 沖田のほうは何故か尚も、笑いで苦しそうに呻く。

 

 「まあ、いいや」

 気づいてないなら

 

 沖田はそう囁くと愉しそうに、邪気たっぷりに。微笑んだ。

 

 「次の時、詳しく教えてあげるよ」

 

 

 (次・・・?)

 

 何故に笑われているのかは分からないものの、沖田の言う次の時とは、昨夜のようなことをまたする時、という意味だと。

 それだけは分かって、

 冬乃は。

 もはや全身、真っ赤になったんじゃないかと思うほど体じゅうが熱くなって、襲ってきた動悸に焦って冷えた茶を飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (うう、近藤様・・)

 

 部屋に訪ねた時よりずっと。微妙に目を合わせてくれない。

 

 冬乃は背に冷たいものを感じながら、本日の仕事に取り組んでいて。勿論まともに取り組めていないが。

 

 

 (これって・・ぜったい聞こえてた反応、だよね・・)

 

 沖田と近藤の部屋の間には、近藤の押し入れが挟まっている造りではあり。

 つまりは一応、土壁と襖で二重に遮られているわけで、よほどでないかぎり、声が筒抜けることは無い・・はず。

 

 (ようするに、よほどだった・・・てこと・・?)

 

 

 泣きたくなってきた冬乃が、『でも隣が土方様でなかっただけ、まだ良かったんだ』と前向きな思考をむりやり心掛けているうち、

 だが急に近藤が「あ、そうだ」と振り返った。

 

 

 「今日は御典医の松本様がお越しになる。夕刻に私の部屋で酒宴を設けることになるが、茂吉さんにはすでに伝えてあるので、協力して用意のほう宜しく頼みます」

 

 (あ)

 一瞬、目が合ったが、すぐ逸らされた。そのあからさまぶりに心内で完全に涙目になりつつも、

 冬乃は、ついにこの日が来たかと、同時に息を呑んで。

 

 

 今日、近藤と土方が、屯所を見たいと言い出した松本を案内しながら、松本からいろいろ指導を受けることになるのだ。

 

 後世に伝わっている話によれば今日の主な指導は、

 清潔を心掛ける事、

 病人をきちんと隔離し、看護の者をつけ、医者を定期的に呼ぶ事、

 残飯を使って豚と鶏を飼い、食事に役立てる事、

 などだったはず。

 

 そして何故か、屯所に浴場を作る事も。

 

 

 (お風呂ならもうあるんだけどな・・)

 

 恐らく屯所中を案内しきれていないうちに、不衛生な隊士部屋の状況だけで早合点した松本が、浴場を作って彼らをきちんと風呂に入れろと言い出すのかもしれない。

 

 なんにせよ、土方もそこで「もうあります」とは言わないところが機転の利く彼らしい。

 

 暫くしてから、「さっそく病室を用意し病人を移し、浴場も設置しましたのでご覧ください」と言って土方は松本の前に再登場し、あまりの対応の速さに驚いた松本に、

 「兵は拙速を貴ぶとは言いますので。これが新選組の得意とする事です」と不敵に哂ってみせるのだから。

 

 

 

 (あとたしか山崎様に、臨時の医術の伝授もあった?)

 

 そういえばまた最近、色男山崎を見かけない。

 今日は屯所に帰ってくるということだろうか。

 

 

 揶揄い半分で冬乃を誘った前歴ありの山崎だが、組の監察の彼なら内部事情にも精通しているので、冬乃と沖田が恋仲になったことも当然聞いているはずだ。

 

 (でも今度はその方向で揶揄われそう・・)

 

 

 とにかく今日は、いろいろと忙しそうだと。

 

 冬乃は、激しく気まずいままに、手元の仕事の再開に励む。

 

 

 いや。

 

 (だめかも・・・・)

 

 

 励むだけで終わりそうだった。

 

 

 

 

     

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