一四. 禁忌への覚悟⑤

  


 雨は未だ降っていた。

 

 

 昼前まで続いていた蔵からの怒号は、止み。

 

 桝屋から見つかった書状と武器弾薬によって、桝屋の主が只者ではないと知った近藤土方が自ら、今までずっと蔵内で彼を詮議及び拷問にかけていたのだ。

 

 

 黒谷への使者を乗せた早馬が駆け去ってゆき、

 やがて広間へ隊士達が集められてゆくのを、冬乃は厨房から見ていた。

 

 この後の徹底巡察について触れが出たのか、やがて一同ばらばらと出てきて、各々が準備に取り掛かる中で。

 冬乃は沖田を探していた。

 

 

 (馬鹿、私)

 早朝から出て行く様子を耳にした時に、

 沖田に水筒を手渡す機会が、この先あるだろうかと、

 不安な予感なら、一瞬していたのに。

 

 

 (あの時、追いかけてでも渡せばよかったの?)

 

 昨夜水筒を用意していた時は、翌朝にいつもどおり山南を覘く時に沖田と顔を合わす、その確実な時に渡せるつもりでいた。というより、

 真隣の部屋に居て、まさか一度くらい手渡せないはずがないと、昨夜まで思っていた。そんな自分が呪わしい。

 

 

 (このあと一度も逢えない・・なんてことないよね・・)

 いや、

 離れで張っていれば、必ず逢えるはずだ。

 

 戦闘用の防具類は、部屋に置いてあるのか分からないが、

 少なくても、このところずっと使われていなかった浅葱のだんだらの制服ならば、部屋の行李に仕舞ってあるはずで。

 それを今日の、組挙げての決死の覚悟の日に、取りに来ないはずがない。

 

 だが、もし冬乃が仕事をしていた間に、すでに取りに来て、出て行ってしまっていたら。

 

 

 (・・それでも、いったん冷静になろう)

 

 おもえば随分、動揺している。

 

 (誰かに託すって方法だって、まだある)

 

 

 とにかく今は、離れで待つしかない。

 冬乃は屯所を歩き回ることをやめ、部屋へ戻ることにした。

 

 

 (茂吉さんごめんなさい。掃除、ちょっとさぼります)

 

 これから部屋にこもって襖の向こうに聞き耳を立てるのだから、茂吉が見れば、さぼり以外の何でもなかろう。

 

 

 

 

 

 まんじりとしたひととき。

 

 (・・・山南様)

 襖の向こうからは、時折こんこんと咳が聞こえてくる。

 

 (お水とか、もう無いかもしれない)

 

 だが、今一瞬でもここを離れるのが怖い。

 

 (・・・でも。)

 

 山南用の昼食を早めに持って行ってからまだ、一度も水も、額の手拭いも、取り換えていない。

 

 咳は続いている。

 

 

 (・・・・ああ、もう)

 

 冬乃は立ち上がった。

 

 外の小雨の中、縦横無尽に動き回る忙しげな隊士達をぬって、足早に井戸へと向かい、水を汲んで、冬乃は早々に戻ってくると、新しい手拭いを取り出し。


 「山南様、失礼します」

 襖を開けると、山南が顔を向けてきた。

 

 「手拭いをお替えしに伺いました」

 「ありが、とう」

 

 こじらせた夏風邪は厄介だ。冬乃は山南の苦しそうな顔を見て慌てた。

 「大丈夫ですか?」

 

 「ああ、すまない・・」

 

 山南はこのところ、そればかり言う。

 

 それに、この数日、隊の皆が必死に巡察に廻っている中で、自分だけ体調を崩していることを気に病んでいるようだった。

 

 

 「そんな、どうか今はしっかりお休みになって、早くまたお元気になられてください」

 冬乃にかけられる言葉はこれくらいしかなかった。

 

 飲み水を盆に置いて、

 山南の額のすっかり温まった手拭いを取ると、桶に汲んだ水に浸してあった新しい手拭いを絞って、替わりにのせる。

 

 気持ちよさそうに目を瞑る山南にほっとしつつ、冬乃は、

 声を出すのも辛そうな山南に恐縮しながらも、

 「もし寝てらしたらお気づきでなかったかもしれませんが、ここに一度、沖田様は戻られてますでしょうか・・」

 尋ねて。

 

 山南は一瞬考えた様子だったが、

 「いや、恐らく、来ていない・・はずだよ」

 声を押しだしながら答えてくれた。

 「すみません、有難うございます」

 

 (よかった、きっとまだ来てないんだ・・)

 やはり、ここに居れば逢える可能性がまだ残っている。

 

 

 (でもあと少ししたら、もう皆、出かけてゆくはず・・)

 

 

 もっとも、

 隊士達が屯所をばらばらに出てから、一同が祇園の会所へ集合し次第、早くから始めるはずだった一斉巡察が、

 夕刻にずれ込むまでに、結局、会津や幕府からの応援は待てど暮らせど来なかったのだが。

 

 そのまま待っている間に、夜に向けてもしも志士側に動きがあったらと、危機感のあまり居いても立ってもいられなくなった近藤達は、ついに会津らの到着を待たず、巡察を開始することになる。

 

 

 

  

 不意にからりと開いた副長部屋側の障子に、冬乃は、はっと顔を上げた。

 

 (沖田様!)

 

 よほど目を輝かせてしまったにちがいない。

 沖田が冬乃の表情に一瞬、目を見開いた。

 だがすぐ、床の山南に視線が向かい。

 

 「山南さん、お加減はいかがですか」

 そのまま奥まで進んできながら尋ねた沖田に、山南が顔を向けた。

 「あり・・がとう。大丈夫だ」

 とまったく大丈夫そうでない声音が、山南から返されて。

 

 心配そうに沖田が、山南の床の横、冬乃の横でもある位置へと座った。

 

 「先生から言付かっています。今日は少々巡察に廻る場所が多いため、相当の隊士を連れて行きます。帰営は深夜になると思います、屯所には数人残るのみとなるのが心配ですが、もしもの時はどうか宜しくと」

 

 (近藤様・・)

 

 とても、山南が屯所の護りとして闘える体調にはみえないが、近藤はそのように山南に敢えて頼ってみせたのだろう。

 山南は近藤の想いを感じ取ったのか、にっこりと苦しい息の中、微笑んだ。

 

 此処に寝ていても、早朝の桝屋の件も耳にしているし、屯所の騒ぎも聞こえているはずだ。

 近藤がたとえ、さらりと少々巡察廻りの数が増えたと言付けても。

 只ならぬ気配も、ゆえに皆が決死の覚悟でこれから出勤することも、山南は感じているだろう。

 

 「ありがとう」

 山南は、もう一度言った。

 

 「沖田君も、御武運を」

 

 沖田は頷いた。

 「いってきます」

 

 

 沖田が立ち上がり。

 冬乃は、はっと顔を上げた。

 

 「あの、沖田様」

 慌てて呼び止めた冬乃を、沖田も山南も見やって。

 

 「あ・・と、今日もじめじめとして熱気が酷いですので、沖田様に水筒を持っていっていただきたくて、・・塩と砂糖を入れてあるんです、こうすると水分が体に取り込まれやすいみたいですので。祇園の会所についたら水を入れて、巡察のあいだ持ち歩いて飲んでいただけないでしょうか」

 一気に言ってから、冬乃は急いで水筒を取りに立ち上がった。

 

 「・・・祇園の会所に集合すると、誰かから聞いたの?」

 

 (あ)

 追ってきたその問いに、冬乃は一瞬動きを止めた。

 

 (・・・この際)

 

 「未来から、来てますので。知っているんです」

 

 「・・・」

 

 むしろ、山南のほうから強烈な視線を感じ、冬乃は逃げるように襖を開け、水筒を取りに女使用人部屋へ入る。

 

 すぐに戻ると、沖田が行李から、やはりだんだらの制服を取り出していた。

 そして水筒を手にしている冬乃に向き直り、沖田は微笑んだ。

 「ありがたく頂いてくよ」

 

 水筒を手渡しながら冬乃は、「御武運をお祈りしております」と。想いをこめて告げて、沖田の目を見た。

 

 沖田が頷く。出てゆく背を見ながら冬乃は、胸内でもう一度、彼の武運と、無事を祈った。

 

 

 そして何か聞きたげな山南を振り返り。

 「お水、山南様も少しでも飲まれてください」

 枕元に先ほど置いた水をちらりと見て、山南を促す。

 

 山南が起き上がろうとしたので手伝い、水を手渡した。

 起き上がるとやはり辛そうで。「少しお寝みになられてください」と、水を口に含んで再び横になる山南の額へ手拭いをのせて。

 山南が素直に頷いて目を閉じるのを見届け、冬乃は局長部屋を後にした。

 

 

 冬乃も山南も、次に沖田達に会うのは。近藤が告げたような深夜ではなく。明日の昼である。

 

 

 

     




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