親娘の語らい


 フワリとお茶の香りが室内に広がっていく。カチャカチャと鳴る茶器の音と、お湯を注ぐ音。それから父様の衣擦れの音だけが聞こえる静かな空間がそこにはあった。


 父様が慣れない手つきでお茶を淹れてくれている。普段はクロンさんが淹れてくれるのだろうから、これはかなり珍しい光景だ。時々、手こずっている様子ではあったけど、淹れ方をちゃんと知っている辺りがさすがだ。


「飲みやすい温度にしてある。ゆっくり飲むのだぞ」

「……うん」


 あれから、どれだけ泣き続けただろう。泣きすぎて頭が痛くなるなんていつぶり? 小さな子どもみたいにわぁわぁ声を上げて泣いちゃったし、自分だって悪いのに父様のせいにして怒ったし。

 それに、ポコスカ胸を叩きまくっちゃったなぁ。ビクともしていなかったけど。はぁ、情緒不安定にもほどがある。


 でも、魔力が暴走せずにいられたのは助かった。リヒト、ごめんね。私たちは魂が繋がっているので激しい感情は遠くにいても気付いたはず。

 今頃何があったって思っているだろうな。そしてありがとうだ。乱れた魔力を整えてくれて。クロンさんとの二人の時間を邪魔しちゃったかも。あとでお詫びしなきゃ。


「メグ、我はとても嬉しい」


 お茶の入ったカップを持ち、ほわりと上がる湯気を腫れた目でぼんやり眺めていたら父様が静かな声で告げた。

 今、嬉しいって言った? どうして? 私ったら、言いたい放題だったのに。


「メグに言われるまで、我も気付いていなかったのだ。確かに、我はユージンに父親の役目を譲っていたように思う。その方がメグにとっても良いだろうと、勝手にそう思い込んでおったのだ」


 うっ、ちょっと罪悪感。本当に好き勝手なことを言っちゃったよね、私。

 父様はなんにも悪くない。お父さんや私のことを考えて、しかも我慢をしてくれていた側だというのに私に責められて……。申し訳なさで俯いてしまう。


「だが、もう我慢などしなくてよいな。これからは我ももっとワガママを言おうと思うぞ」

「あ、ワガママは今も言っていると思います」

「そんな!?」


 けど、うっかり突っ込んでしまった。だ、だって! 仕事を放り出して二人の時間を作りたいだの、やる気が出ないだのは日常的に言っているってリヒトやクロンさんから聞いていたから、つい。


 と、冗談はさておき。実際はかなり我慢していたと思うよ。クロンさんたちに愚痴る程度のワガママなんて、可愛いものだって思うくらいに。


 だってさ、実の子どもが親友とはいえ別の男の下で娘のように扱われているんだよ? 仲違いしているわけでもないのに。

 本来ならこちらの言い分を無視して連れ帰ったって良かったのだ。それが父様には許されている。なのに、私がオルトゥスにいたいと言っただけですんなり納得してくれていたのだ。懐が広すぎるにもほどがある。


「我はメグの前で、どこまでも情けない姿しか見せておらぬな」

「……そんなことないよ」


 持っていただけのカップをようやく口にし、お茶を飲む。じんわりと身体が温まっていくのを感じてホッと息を吐いた。


 父様は確かに情けないし残念な部分が際立つけど、自分のことより人のことを思いやれる優しい人だ。心配になるくらい優しすぎる。

 たぶんだけど、私と同じで魔物にもあんまり攻撃出来ないんじゃないかな? 私の場合は優しさというよりビビってるだけなんだけど。


 父様は無駄に生き物を傷付けたりしない。乱暴な言葉も使わないもん。


「父様は、世界一かっこいいよ」


 うん。やっぱりかっこいいよ。見た目は美しすぎるんだけどね。

 それはそれとして、人のために頑張れる父様は私の自慢の父親だ。いざという時はすごく頼りになるし、ちゃんと仕事をしている時はやっぱり尊敬出来る。

 それに、ちょっとダメなくらいがいい。その方が、みんなが父様を助けてくれるから。たくさんの人に慕われているのは、父様のそういう魅力にみんなが気付いているからなんだよね。


 ……ところで、反応がないのですが? そこで黙られるとそれはそれですごく恥ずかしくなってくるんだけど?

 気になってチラッと目だけを動かしてみると、耳まで赤くなって言葉を失っている超絶美形がそこにいた。わぁ……。


「……しっ、幸せ過ぎて、今すぐ死ぬかもしれぬ、我」

「も、もうっ! 父様はいつも大げさなんだよぅ」


 結局はこうなるんですよね! 父様らしいけど締まらなーいっ! でも、なんだかおかしくなってついクスクス笑ってしまう。

 そんな私を見て、父様も目を細めて微笑んでいた。


「父様。魔王のことも、ちゃんと教えてね。私、聞くから」


 気付いたら、私はそんなことを口にしていた。それは本当に自然と言葉になっていて、これまで抱えていたウジウジとした悩みがどこかに消えてしまっているような気がした。


「……良いのか? メグはあまり魔王にはなりたくないのであろう?」


 むしろ、父様の方が戸惑っているみたいだ。心の底から私を気遣ってくれているのがその目でわかる。

 ちゃんと私の気持ちを知ったうえで、だから話しにくいと思っていたんだろうな。父様らしいや。


 良いのか、か。そんな風に聞かれたら良くないと答えるに決まってる。

 そりゃあ全然良くないよ。魔王になんてなりたくないし、自分にはとても出来ないって全力で答えちゃう。想像もつかないし。だけど、だけどね。


「ふふっ。うん。出来ればなりたくないよ。父様と一緒だね?」


 本人を目の前にして魔王になりたくないって断言するのはどうかと思ったけど、考えてみればこの人だって力に怯えて逃げ出した人である。魔王になんてなりたくなかったんじゃないかな。

 だから、一緒なのだ。私も、父様と。


「……ふっ、そうであるな。一緒だ」


 呆気に取られたように目を丸くした父様だったけど、バツの悪そうな顔で一緒に笑ってくれた。

 えへへ、私たちって本当にワガママで迷惑な魔王候補だよね。けど、似ちゃったんだもん、仕方ない。親子なんだから。


 逃げたって、喚いたって、悩んだって、その時というものは来てしまうのだ。覚悟がないとか言っても、時間は待ってくれない。そんなことはこれまでだってわかってたよ。


 必要なのは、考え続けることだ。考えずに急にその時を迎えるか、ちゃんと考えて準備をした上でその時を迎えるのかの違いになる。当たり前のことだったよね。

 でも今、私は初めてそのことに気付いたんだ。初めて、魔王になることについてちゃんと考えなきゃいけないって思えた。


 覚悟が出来ているわけじゃないよ? 相変わらず不安だらけだし、務まらないって思ってる。でも、これは進歩だ。ちゃんと進めてる。それだけで自信になった気がするんだ。


 その日は、父様のベッドで一緒に眠った。先にベッドを占拠してポンポンとベッドを叩いたらまたしても幸せで死ぬと顔を両手で覆っていた父様。乙女か。

 それなのにいつまでもまごつく父様に、こんなことはもう二度とないかも、と言ったら風のような素早さで一緒に布団に入ってくれたのである。頬をほんのり赤く染めて。だから乙女か。


 余裕ぶってはいたけど……もちろん私だって恥ずかしかったよ。もうお姉さんなのに父親と一緒に眠るだなんて、そりゃあ照れ臭くてドキドキしちゃうでしょ!

 だけど、大きくて温かい父様の体温を感じていたらあっという間に意識が消えて……気付いたら朝になっていたから熟睡したんだと思う。それは父様も。


「……父様の寝顔だぁ」


 だって、起きた時に父様はまだスゥスゥと寝息を立てていたから。これはとんでもなく貴重な姿である。しっかり覚えておこう。


 ううん、そんな意識なんかしなくても一生覚えていると思う。これは私と父様の、貴重でとても大切な思い出になったから。


 死に別れるなんてやっぱり嫌だよ。考えるだけでも胸がギュッと締め付けられるし、回避出来る方法があるならなんだってしたいって思う。

 だけど、寿命についてはどうしようもないことだもん。ちゃんとわかっているんだ。


「早く、大人にならなきゃ」


 それなら、一刻も早く大人になって、父様やお父さんを安心させてあげなきゃ。たぶん、それが一番の親孝行になるはずだから。

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