レオ爺との思い出 後編
天気の良い休日。今日はレオ爺との約束の日だ。この前教えてもらったふわふわシフォンケーキを私が作って持っていくのである! シフォンケーキって本当に難しくてさ……なかなか膨らまなかったんだけど、レオ爺に教えてもらったように作ったらなんと上手く出来たのだ。感動したよ! だから今日はその出来を見てもらうため、そして一緒に食べるためにレオ爺の元へと向かっていた。
「こんにちはー! メグでしゅ!」
私がいつも行く日は大抵レオ爺が料理する準備やお茶を淹れる準備をしてくれているから、勝手に入ってきて良いと言われている。だから今日もいつものように元気に声をかけながらレオ爺の家の中に入っていったのだ。
「あれ?」
けど、この日は違った。いつもはすぐに帰ってくる優しい声がない。それどころか物音ひとつしないのだ。不思議に思った私は家の中を歩き回る。それでもなんの音も聞こえない事が不安で、思わずショーちゃんに声をかけた。
「この部屋から、何か聞こえる?」
『ううん、何も聞こえないのよー』
それはつまり、生き物はいないという事だ。ショーちゃんは声の精霊だから、口に出した声でなくても生き物なら必ず発している何かを感じ取って声を拾う事が出来る。それが言葉ではなくても、生き物がいるかどうかはすぐにわかってしまうのだ。ショーちゃんすごい。
しかしそうなるとますます不思議だ。レオ爺が約束を忘れて出かけるなんて今までになかった事だから。でも、もしかしたらお茶っ葉か何かがなくて買いに行ってるのかもしれないし……
そうやって、私は心の中に渦巻き始めた嫌な予感を考えないようにしていたのだ。
「レオ爺……?」
キィと小さな音を立てて寝室の戸を開ける。寝室だから、何となく入るのが躊躇われたけど、そこへ行かなきゃいけない気がしたから。
ベッドに目を向けると、まだ誰かが横たわっているのがわかった。誰か、だなんて。決まっているのに。
「レオ、爺……」
声をかけても、レオ爺は起きない。それどころか全く動かない。穏やかな顔をしていて、まだ眠っているみたいだ。
『ご、ご主人様……』
「うん。……みんなに、伝えてきてくれるかな」
『わ、わかったのよ!』
そっと布団の外に出ている手に触れた瞬間、私は1度思わず手を引っ込めてしまった。だって、予想していた感触じゃなかったから。
それは、レオ爺が旅立って暫く時間が経っている事を意味していた。
でも、何故だろう。どうしても、レオ爺の魂がもうここにはないのだという実感がわかない。目の前で、明らかに旅立っているのがわかるのに、変なの。妙に冷静でいるように自分では思っていたけど、実はパニックになってるのかもしれなかった。
「メグっ!」
「メグちゃん! レオが、レオが死んでいるって……!」
そう時間をかけずにギルさんとチオ姉が私の元へとやってきた。私はゆるりと2人の方へ顔を向けた。後で聞いたけど、この時の私は表情が抜け落ちていたらしい。私はすぐにギルさんに抱き上げられた。
「レオ……?」
息を切らしていたチオ姉が、そう呼びかけながらレオ爺に近付き、ベッドの脇に跪く。
「レオ、嘘だろう? お別れも、言わずに……こんな、突然……」
突然ではあったけど、近いうちに来るだろう事は誰もがわかっていた。けれど、やっぱりなかなか受け入れられない。特に私たちは長命で、丈夫で。余程危険な任務にでも当たらない限り命が失われる事はあまりないから。だから、こんな時にどう対応したら良いのかわからないんだ。
「逝かないで、逝かないでくれよぉ……! レオぉっ!!」
ギルさんが私を抱えて部屋を出ると、背後からチオ姉の悲痛な泣き声が聞こえてきて、胸が締め付けられる思いがした。私たちと入れ違いにやってきたルド医師とメアリーラさんがチオ姉を宥めている気配も感じた。
「……よく、頑張ったな」
「ギル、しゃん……」
そうして、ギルさんに頭を撫でられた私だったけど、なぜかその時でさえ涙を流せずにいたのだった。
レオ爺の通夜はその日の夜に行われた。この世界の弔いは地方によって違うみたいだけど、この国では火葬が一般的なんだそう。日本との違いがあまりなくてどことなくホッとする。目立たない地味な服装で、故人に花を手向けてお別れをする、という簡単な決まりがある程度で、決まりも難しくない。
「我々にとっては短い間だったが、レオポルトはその人生の半分以上をオルトゥスの料理人として務め、貢献してきてくれた。その事に感謝の祈りを捧げよう」
お父さんがそう言うと、みんなは揃って目を瞑り、レオ爺に祈りを捧げた。私も一生懸命お祈りしたけど、なんでかな、ここまできたというのにまだ実感がわかないんだ。
「……では、お別れだ!」
だけど、お父さんのその一言でレオ爺の棺が燃え盛る炎に包まれた時、私の中で何かが弾けた。怖いと思った。あの中にレオ爺がいるのに、あんな火の中に入ったら熱いよって。熱いよ、って……
「や、やだぁ……やだぁ! レオ爺ぃっ! レオ爺ぃぃぃっ!!!」
「め、メグ……っ!」
突然ワァワァ声を上げて泣きながらレオ爺を呼ぶ私。それを見て驚いたギルさんに、私が炎の近くへ行かないようにと慌てて抱き上げられた。それでも手を伸ばしてやだやだと泣く私を見て、みんなが堪えていた涙を流し始めた。
自分でも、何をしてるんだと思う。だけど、泣いて、叫んで、レオ爺を呼ぶ事をどうしてもやめられなかった。やめられなかったのだ。
こうして泣き疲れていつの間にか寝てしまった私が次に目覚めた時は、全てが終わっていた後だった。
「はぁ。つい思い出しちまったね。未だに引きずって情けないったらないよ」
チオ姉はそう言って苦笑を浮かべた。それから、人間なんかに惚れちまったのがいけないんだけどね、と笑う。そう、チオ姉はレオ爺にずっと想いを寄せていたのだ。自分よりずっと早い速度で成長し、自分を置いて行く姿を見るのはとても苦しかったと前に話していたのを聞いたことがある。
「出会った頃はあたしより見た目も若くて生意気だったのに。置いて行くなんてさ。人間に恋なんかしちゃダメだよ、メグちゃんは」
そう言いながら照れ隠しなのか私の頭をぐりぐり撫でるチオ姉。ああ、髪がー!
「ま、後悔はしてないけどね!」
そう言って笑ったチオ姉の顔を見ると、いつもの明るい笑顔に戻っていたから安心した。髪はぐしゃぐしゃになったけどね!
「チオ姉。私はチオ姉のスープ好きだよ。レオ爺のスープも、チオ姉のスープも、同じくらい好き。だからね、あの、チオ姉はチオ姉の味を守ったらいいんじゃないかなって……」
ちょっと生意気言っちゃったかな、と思ってやや尻すぼみになりながらそう言うと、一瞬目を丸くしたチオ姉がフッと笑ってこう言った。
「ああ、そう言えばレオにも同じこと言われたんだっけね」
そう言って軽く伸びをし、仕事に戻ったチオ姉は、何か吹っ切れたような顔になっていた気がした。
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