sideマルティネルシーラ 後編


 生まれたばかりの赤ん坊は……正直な話、最初は死んでしまったのかと思ったわ。だって、泣きもせず、動きもせず、微動だにしないで寝転がっているのだもの。

 でも、息をしているのを確認して、ようやく私もイェンナリエアルもあの呪いが事実だったのだと理解する事になった。


────同族以外から生まれたハイエルフの子どもは、魂を宿さない────


「私は、諦めませんわ。魂がなくても、いつかきっと何かを感じ取る事は出来るようになるかもしれませんもの」

「でもイェンナリエアル。貴女は……」

「わかっていますわ。私の力が及ぶ最期まで、諦めないという事です。それが母として出来る精一杯の事ですもの」


 泣きもせず、笑いもせず、何の反応も示さない赤ん坊は、あまり可愛らしいとは思えなかった。

 時間を決めてきちんとミルクを与え、寝かせ、運動させて。そんな同じ日々の繰り返しの中、突然高熱を出したり、嘔吐したり。普通の赤子より身体も弱い個体だったから。体調不良を泣く事で示すこともないから、ずっと付きっきりで見ていないといけないのよ? 少しでも放っておいたら、あっという間に消えてしまう命だったの。


 けれどね、イェンナリエアルはいつも笑顔で声をかけ続けていたわ。愛情をたくさん注いで、いつも愛を囁いて。そうやって子育てを手伝っているうちに、私も愛情が湧くようになっていったの。彼女が言うなら、事実いつかこの子が自らの意思を示すようになるのかもしれない。そんな淡い期待を抱けるようになったのよ。


 メグが泣きも笑いもしない子だった事で良い事もあったの。時折訪れるシェルメルホルンの目を容易に誤魔化せた事よ。

 この子の存在が知れたら、すぐに殺そうとするかもしれないと危惧した私たちは、郷の誰にもメグの存在を秘匿していたわ。幸いイェンナリエアルとともに閉鎖的な空間で過ごしていたし、他の者は誰も気にも止めていなかったから。

 でも、シェルメルホルンは別。帰ってくる度にイェンナリエアルの様子を見に来たから。その間は私がメグをこっそり預かったものよ。


 そのおかげで、20年ほどはメグの存在が外に漏れる事はなかったの。でも、その時は来たわ。


「……ハイエルフが1人増えているな?」


 メグの身体が成長する事で、人としての気配が誤魔化せなくなってしまったのよ。ついにシェルメルホルンがメグの存在に気付いた。


「どういう事だ! 穢らわしい……虫ケラとの子などと……!」

「この子は確かに他種族との間の子ですけれど、エルフではなく間違いなくハイエルフですわ! 貴方もわかりますでしょう!? 他種族との間の子でも、ハイエルフとして産まれる事が出来るという証拠ですわ!」

「ふん、虫ケラの血が混ざっている時点で虫ケラも同じ事よ。中身のない器だけの存在など、生き物としての価値さえなかろう」

「なっ……」


 流石に生き物とさえ見なさないという発言に、イェンナリエアルの怒りが爆発しかけたわ。けれどその時、シェルメルホルンはある事に気付いた。


「む、待て。……そうか、この器の父親は魔王か? ふむ、それはなかなか面白いかもしれん。虫ケラにしてはなかなか良い。その器、私がうまく使ってやろう。寄越せ」


 シェルメルホルンは人の考えが読める能力を持っているわ。私たちはいつも読まれないよう、気を張っているのだけれど、イェンナリエアルが感情を荒げてしまった一瞬の気の緩みを突かれて、考えを読まれてしまったようなの。イェンナリエアルは後々までずっと自分を責めていたわ。


「嫌ですわ! 誰が貴方なんかに……!」

「面倒な娘よ。だが、お前の持ち物である事に変わりはないからな。私も悪魔ではない。暫し時間をやろう。今宵、ソレを私の手に渡せ。良いな? 族長命令だ」

「っ!!」


 族長命令。それはハイエルフの血に深く刻まれた呪いの1つ。決して背く事の出来ない命令なの。去っていくシェルメルホルンを睨みつけるイェンナリエアルの目からは悔しさの涙が止めどなく溢れていたわ。




「私の能力を今こそ使う時。貴女と、その子と。さあ、願いなさい」


 シェルメルホルンが去った後、私は彼女にそう告げたわ。私の能力は、1人につきたった1つだけどんな願いも叶えられるというもの。流石に不老不死だったり死者を蘇らせるなどの無理な事もあるけれど。

 郷のみんなは全員その能力を使い終えてしまっていたけれど、彼女は未来予知によって、まだ頼んではダメという事を知っていたから頼んでいなかった。けれど、今がその時。それは正しかったようで、彼女は真っ直ぐこちらを見て言ったわ。


「この子を、安全な場所に」

「……この子だけ?」

「ええ。だって私も、だとこの子の願いになってしまうでしょう? この子には、この子の願いを叶えてあげてほしいもの」


 メグを安全な場所に。それは彼女の願い。もしそこに彼女も加わってしまったら、2人分の願いとして換算されてしまう。一生に一度しか受けられない恩恵を、こちらの望みとしてメグに使わせる気はないのだと彼女は言ったわ。


「でも、この子は……」

「魂がありませんわ。でも、わずかに意思のようなものを感じる事があるのです。きっと、この子にはこの子の望みが芽生えるはず。その望みを叶えてあげたいの」

「そう、わかったわ。それなら少し形を変えましょう。イェンナリエアル、その子の耳飾りを渡しなさい」


 そこまで言うのなら、何かしらを視たのだと思ってそれ以上何も言わなかったわ。そして、生まれた時に与えた耳飾りを渡してもらったの。ここに力を込めておく事で、いつか願いが出来た時に自動的に叶うように、と。


「これに、能力を?」

「そう。この子とはもう会えないかもしれない。ならばいつでも私の能力が発動出来るようにしておけばいいでしょう? この子自身が強くなにかを願った時、それが発動するように」

「ありがとうございます……マーラおば様」

「ふふ、そう呼ばれるのは久しぶりね? ……メグが何を願うかはわからないわよ? もしかしたら目の前にご馳走をと頼むかも」

「それはそれで構いませんわ。この子の願いですもの。でも、きっともっと大切な事をこの子は願うと思います」

「未来予知かい?」

「ええ、それも遠くない未来ですわ。でもあくまでそれは予定に過ぎません。未来は大なり小なり常に変化するのですから」


 こうして、私はまず耳飾りに魔術を施すとメグの耳に着け直した。そして、今度はイェンナリエアルの願いを叶えるべく魔術を発動させたわ。安全な場所とは言ってもどこへ行くのかまではわからない。行く先がわかってしまえば、そこから族長に勘付かれてしまいかねませんからね。

 族長命令も、ソレを手元にとしか言われてなかったのが幸いしたわ。ソレが何を意味するのかは、こちら次第だもの。


 メグを安全な場所へという願いを行使する前に、イェンナリエアルは持てる全ての力を耳飾りに注いだわ。何があっても身の危険があればメグを守るように。強力で絶対的な守護の魔術を。そして、メグを保護してくれるに足る信頼できる者と出会えるように、と願いを込めて。それが魔王であったり、彼女が共に旅をしたという仲間であればいいとは少し思ったそうだけれど、限定するのはやめたそうよ。まぁ、危険だものね。


 こうして、イェンナリエアルの望みを叶える魔術を発動させて、無事にメグはどこかへ転移したわ。最期の別れに、彼女は貴女と何かを話していたわね……その時のことは、覚えていないわよね、きっと。仕方のない事だけれど、少しだけ惜しいと思うわ。


 それからまもなくして、イェンナリエアルはその生を終わらせたの。……穏やかな表情で、眠りについたわ。

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