Chap5-6


 気さくな神官の目が大きく見開かれた。その目は食い入るようにまりあを見つめる。


「何を言うか……!」

「我々を愚弄しているのか!?」


 ヘレミアスより先に、護衛から次々に憤慨の声があがる。

 まりあの左手を包む手甲が重みを増し、まりあの護衛たちも反応して呪いの言葉を吐く。

 まりあは急いで言い募った。


「違うんです、これ以上戦わないためにそうしたいんです。境界を戻してほしいっていうのは、元の、二つの世界を等分にするところまで退いてほしいってことなんです。境界が押し出されているから、こちらとしてはそれを戻すために戦わざるをえないというような意見になっています」


 だが騎士たちは更にざわめく。

 ヘレミアスは軽く手を上げてそれを制した。

 考え込むように腕を組み、右手で口元を覆う。目はまりあを鋭く見つめていた。


「……なるほど、そう来るか」

「信じてください、嘘でも冗談でもないんです!」


 まりあは思わず身を乗り出した。

 ヘレミアスの手は唇の下に触れた。


「戦いを避けるために境界を戻せと? でもあんた、《夜魔王》を解放したろ。聖王陛下と休戦を結んで、その間に《夜魔王》は次々と重臣を解放してる。戦争の準備をしてるわけだ」

「! それは……っ、レヴィアタンさんが……! その、レヴィアタンさんは仲間を助けて回っているだけで、戦争の準備をしているわけじゃないです!」

「悪いが、それこそ言い訳に聞こえるぜ。俺たちからしたら、《夜魔王》以下すべて敵だからな。《夜魔王》がこちらをどう思ってるかなんて考えるまでもないし、そいつが仲間を解放して回ってるって言ったら他に意味なんて考えられない」


 まりあは言葉に詰まった。

 レヴィアタンが勝手に行動しなければこんなことには――と恨んだが、止めた。

 厄介なことにはなったが、レヴィアタンは王として正しいことをしただけだ。


 まりあは抑えた声で反論した。


「……それを言ったら、こちらとて同じことです。《夜魔王》側から見れば、あなたたちのほうがが敵です。敵に王を奪われ、重臣たちが封じられたとなれば……危機感は覚えるし、焦るでしょう。王や仲間を助けようとするのは、自衛のために当然じゃないですか」


 なるべく落ち着いた口調を心がけたのに、思った以上に強い声になる。


 ヘレミアスは意表を突かれたような顔をした。

 それから一転して明るい声をあげた。


「あっはっは、確かに!」


 皮肉でも嘲笑でもない、素直に相手を認める笑いだった。

 その笑いのまま、ヘレミアスは続けた。


「……つまり、あんたらは必ずしも団結してるわけじゃないってことか。少なくとも《闇月の乙女》と《夜魔王》の間で齟齬が生じている」


 まりあは答えなかった。ヘレミアスの意図が読めず、だが無意識に身構える。


「まあ、こちらとしては悪くはないな。話のできる相手がいるのは僥倖だ」


 その言葉には、まりあは少し気を緩めた。


「で、だ。境界を戻せば戦わないってのは《夜魔王》の意思でもあるのか?」

「……少し違いますが、それに関しては私に任せてもらっています」


 まりあは慎重に答えた。

 任せる――というより、やれるものならやってみろとせせら笑われただけだが、全力で拒まれたわけではない。


「ふむ……どうにも、あんたらにしちゃ温厚すぎるというか信じがたいんだが」

「嘘じゃないです!! 最終的に、自分たちの身の安全を護るのが最優先ということには変わりないはずです! お互い、戦わずにすめば負傷者も出ないでしょう!!」


 まりあは勢い込んで主張する。

 ヘレミアスにならきっと話が通じる――。


 型破りの神官は思案げに顎を撫でた。


「俺個人としちゃ、あんたの考えにはわりと賛成だ。命の犠牲なく戦を避けられるならそうしたい。が、たとえあんたが類を見ない温厚な奴でも、その方針は《んだろ」


 まりあは息を呑んだ。

 ――

 前のめりになった体を突然刺されるかのような感覚だった。

 嘘でも一致しているとは言えなかった。

 ヘレミアス相手にその嘘は致命的だと本能で察した。


「悪く思わないでくれ。あんたの申し出はそれだけ異例ってことだ。こともことだし、こっちとしては軽率に行動するわけにはいかない。確証がなければ動けない」

「……ええ」


 まりあは目を伏せた。

 ヘレミアスはただ気さくなだけの人物ではないとわかっていたはずなのに、違う立場から対峙するとこんなにも手強い。


 だが彼を責めることはできない。

 ――むしろ、ひどく現実的だった。

 護るべき人、住むべき世界に責任を持つ者の言葉だった。

 自分とは、違う側の。


「……とはいえ、あんたの一連の行動は、あんたの言葉が裏付けてる。こいつが助けられたのも事実だしな」


 ヘレミアスはどこか慰めるように言って、ヴァレンティアを目で示した。

 当のヴァレンティアはかすかに眉間に皺を寄せて不快げな顔をする。


 沈む気持ちの中、まりあはなんとか顔を上げた。

 すべてが予想通りにうまくいくとは思っていなかった。苦さを噛みしめる。


「……私は積極的に戦うつもりはありません。いまはそれを理解してもらえれば、いいです。そちら側から戦いを仕掛けてくるというようなことがない限り、《夜魔王》も少しは私の話を聞いてくれます。戦いを思い止まってもらえるよう説得できます。だから早まらないでほしいと、アウグスト……《聖王》や他のみんなに、伝えてくれませんか」


 ヘレミアスはまりあを見つめて優しげに瞬いたあと、ふっと口元を綻ばせた。


「わかった。確かに伝えるぜ。あんたはなかなか正直者らしいな」


 まりあはなんとか淡い笑みをつくった。


「まあ、そもそも俺はいち神官にすぎないからな。境界どうこうっていうのは俺の身には余る話だ。話す相手を間違ってるよ」


 ヘレミアスにしては少し歯切れ悪く、ばつの悪そうな顔をしていた。

 まりあは数度瞬き、ああ優しい彼らしいな、と微笑んだ。


「でも、ヘレミアスさんなら話を聞いてくれると思ったから。事実、聞いてくれたでしょう?」


 ヘレミアスは目を瞠った。

 数度瞬いたあと、快活な笑い声をあげた。


「これは参った。ずいぶん可愛いことを言うな。もしかして俺はいま誘惑されているのか?」


 まりあは面食らった。


「え、ええ!?」

「はは。まあ、あんたの変わった性格と一緒に、あんたの考えは陛下に報告するよ。それだけは約束する」

「!! あ、ありがとうございます……!! よろしくお願いします!!」


 まりあは力をこめて言った。

 視界が少しだけ明るくなったように感じられた。

 ヘレミアスはどこか面白がるようにまりあの反応を見ていたが、ふいに顔を上げた。


「ああ、そろそろ時間だ。名残惜しいが……」


 まりあははっとする。

 ――これ以上、《世界の狭間》にはいられないということだろう。

 もともとここは不安定な場所、本来は戦闘が行われる場所なのだ。


 まりあもまた本心から未練を感じた。

 まだヘレミアスと一緒にいたい。

 だがかなわぬことだった。


「あんたはそっち側にしとくには惜しいな。どうだ、こっちに来ないか?」

「え……っ!?」


 ――こっち。ヘレミアス側。アウグストの陣営。


 まりあはうろたえ、鼓動が乱れた。

 微笑はあってもヘレミアスの眼差しは真摯で、まりあの反応を待っている。


(アウグスト……)


 ひどい別れ方をした彼の姿が浮かんだ。

 敵を見る目。厳しい声。突き放し拒む姿。

 彼やヘレミアスたちの大事にする《陽光の聖女》は、本来なら自分だった。


 もし、いまからでも彼らの側に行けるなら――取り戻せるなら。


 だが、左手を凍てつく冷たさが刺し、思考を中断させられた。

 その冷たさにまりあは顔を歪め、手甲を見た。

 息を呑む。手甲は背筋が寒くなるような禍々しい紅の光に輝いていた。


 その冷たさと紅が、まりあの中の熱を奪っていった。

 名状しがたい罪悪感を覚え、目を伏せる。

 彼やレヴィアタンたちを置き去りにすることを一瞬でも考えてしまったこと――裏切りに心が揺れてしまったことを、見透かされたのかもしれない。


(……いまここで私が投げ出したら、レヴィアタンさんたちはどうなる)


 自分がいなくなったら戦いを止めるものがいなくなる。

 ラヴェンデルは言うまでもなく激怒するだろう。

 レヴィアタンはきっと自分を軽蔑する。

 アレスも、きっと怒る――悲しむ。


 とたんにまりあの全身はすくみ、見えない鎖に縛られる。

 自分の行動を周囲がどう捉えるか。自分の行動が何をもたらすか。


『太陽と月の乙女』という別世界ゲームはそのしがらみを忘れさせてくれたのに、その世界の中では結局同じものに縛られている。

 直面する現実からは逃れられない。


 まりあはヘレミアスに目を戻した。

 そして精一杯の感謝を表して笑った。


「そうできたらよかったんですけど、いまはもう無理です」

「そうか? 何事も遅いってことはないと思うぜ」


 善意か策略か、ヘレミアスは更に心を揺さぶろうとしてくる。

 まりあはただ笑って、それ以上答えなかった。

 それで、もう決めたのだということを示した。


「わかった。引き際の悪い男は嫌われちまうからな。でも改心に遅すぎるってことはないんだ。それだけは覚えておいてくれ。俺は、悔い改める者を見捨てたりしないからな」


 気さくな神官はおどけたように片目を瞑ってみせた。

 まりあは目を丸くし、それから噴き出してしまった。

 いかにもヘレミアスらしい冗談だった。


「さて、今回はここでお別れだ。また会えるよう女神に祈っておくぜ」


 そう言って一歩前へ出て、大きな手を差し出す。

 まりあも一歩出て、手を差し伸べた。


「いつか……」


 ヘレミアスを見つめながら、まりあは小さくつぶやいていた。

 いつかまた会えるように。いつか、そちら側に行けるように――。

 そんな思いをこめて、差し出された手を握ろうとする。


 突然、ヘレミアスが目を見開いた。

 その目はまりあの手を見ていた。


 まりあは自分の右手を見下ろす。

 握手のために差し出した手。


「――え?」


 だが、その手が

 冷たく、重い。

 爪も肌も一切が黒く染まってしまったかのように、闇色の籠手が指先から肘までを覆っている。


「あ――」


 とっさに左手を見る。

 そこも既に黒い籠手に覆われている。細い鎖の手甲はもはや原形を留めていない。


 意思を置き去りにして、黒くよろわれたまりあの両手は何かを

 その手の中に、昏く輝く長大な剣が現れる。

 夜の深奥のような色の刃が妖しく輝く。




 そして




 柔らかなものを捉えた感触があった。


「――ヘレミアス様!!」


 鮮やかな紅の飛沫が舞い、ヴァレンティアの絶叫が響く。


 まりあの顔を、真紅の飛沫が濡らした。

 ヘレミアスの見開かれた目。


 ――斜めに大きく切り裂かれた胸。


「い、やぁあっ!!」


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