Chap4-2


 しばらく時間を潰してから、まりあはアレスとともに部屋を出た。

 王妃どうこうについては拒否を伝えておくべく、レヴィアタン当人に会うことにする。

 しかしゲームを何周もしたまりあにさえパラディス内部は未知の場所で、しかも広大だった。


「……アレスさん、レヴィアタンさんがどこにいるかわかりますか?」

「いいえ」


 即答だった。その表情は涼やかなままで、眉一つ動かさない。


(お、思いっきり興味ありませんって感じの顔をしておる……)


 まりあは苦笑いした。しばらく廊下などを歩いて周囲を散策する。


(玉座の間かなあ……)


 聖女とラヴェンデルの最終決戦が行われた場所であり、プラネタリウムのような空間で、まりあが《闇月の乙女》などというものになって目が覚めた場所でもあった。


 突然、深い夜色の廊下に《闇の眷属》の姿が浮かびあがった。


 まりあは危うく声をあげかけた。

 近づいてくるのはほとんど上半身裸の女性――だがその両腕は巨大な翼で、へそから下は濃茶の体毛に覆われ、鳥の足を持った異形だった。

 長い髪が前に流れ、かろうじて胸を隠している。


 グラーフや、下半身が蛇の女性も見たとはいえ、やはり現実の異形の姿は見慣れない。だが奇妙なことに、どこか既視感もあった。


 半人半鳥の女性のほうもまりあに気づき、目を見開いた。


「こ、こんに……こんばんは」


 まりあはとっさにそんな声をかけた。

 すると女性は目を伏せて、いかにも困惑した様子ではい、とつぶやいた。

 まりあは少し焦った。声をかけてはいけなかったのかもしれない。


「いきなりすいません、あの、レヴィアタンさんがどこにいるか知りませんか?」

「……存じません」


 女性はまりあを見ずに答えた。

 これはいよいよ困らせてしまっているらしいと悟り、まりあは礼と詫びの言葉を述べて早々に立ち去ろうとした。


 だが女性がおずおずと顔を上げ、言った。


「《闇月の乙女》……無礼を承知で、お聞きしたいのです。あなたが《光の眷属》と戦ってくださらないというのは、本当なのですか?」


 今度はまりあが驚く番だった。

 手と足以外は美しい人間の女性が、不安げな表情を見せる。


「嘘ですよね? あいつらの王が率いた軍を退けてくださった方が、そんな……。だって《闇月の乙女》は、私たちを守り導いてくださる方……私たちの月なのに……」


 縋るような目に、まりあは声を詰まらせた。

 気まずい無言の後で歯切れ悪く答える。


「その……、《闇の眷属》のみんなを傷つけたくないし、戦わせたくないです。危ないし、《光の眷属》と戦いたくないというか……」


 ためらいながら言葉を選ぶ。

 まりあは相手の怒りや不快感を買うとわかってはっきりとした発言をするのは苦手だった。

 社会でも、露骨な物言いは避けるのが正しいと学んでいる。


 ――だがここは職場でもなく、現代日本ではない。

 これはよく言えば《温厚な》、悪く言えば《臆病》《八方美人》的な態度だと自分でもわかっていた。

 ただ、相手に嫌われるのをおそれている。


 そして異形の女性もまた、同僚のような反応はしなかった。

 耳を疑うというような顔になり、数秒の間絶句した。

 まるで裏切りにあった者のような顔だった。


「私たちには、戦う力があります! 王も帰還されました! みんな、いまこそ立ち上がるべきだと思っているんです!! あいつらに復讐を……っ!!」


 悲痛な声にまりあは怯み、とっさになだめるような言葉を吐いていた。


「その、戦えば味方も傷つきますし、攻め込まれない限りは戦わないほうが……」


 精一杯選んだ言葉だった。

 だがそれに力はなく、女性は眉をつり上げて怒りに顔を歪めた。


「《陽光の聖女》たちは私たちの同胞をたくさん殺した!! 執拗に追いかけて、何度も何度も襲ってきた!!」


 まりあを睨む目の、白い部分が突如として黒く染まった。 

 詰る声に甲高い鳥の威嚇のような響きが重なり、大きな翼と体毛がざわめき立つ。


 まりあは反射的に数歩後退した。

 同時にアレスが一歩前へ出て背に庇う。


「《闇月の乙女》は私たちの標のはずなのに……戦ってくれないなんて……!!」


 半鳥半人の女性はなおも獣声まじりの非難の言葉をぶつける。

 だが突然身を翻すと、両翼を一打ちして元来た道を飛んで戻っていった。


 闇の向こうへ消えるその姿を、まりあはアレス越しに呆然と見つめた。

 衝撃が遅れてやってくる。


 既視感の原因に思い至った。


(……ハルピュイア……)


 


 ――まりあは、初期の頃はとくにレベル上げを行った。

 そのほうが手っ取り早くステータスを上げられたからだ。

 ゲーム内にある、イグレシアとパラディスの狭間にある戦闘エリアで、意図的に敵と戦闘を行った。


 ゲームの中では何種類もの《闇の眷属》が敵として現れる。

 その中で、半鳥半人は、《ハルピュイア》という種族だった。

 彼らは毒や痺れといった状態異常攻撃をしかけてくるものの、攻撃力は低く、経験値を稼ぎやすい敵だった。

 だから積極的に追い求め、


 ――あのハルピュイアの女性の怒りは、主人公プレイヤーが経験値目当てに狩ったせいだ。


(……嘘、でしょ……)


 頭で否定する。だがそれは願望でしかなかった。

 怨恨の原因となった当の本人が、いまさら戦いたくない、復讐をさせまいとするなどというのはあまりに悪意と滑稽さに満ちた言動だ。


 まりあは無意識に口元を手で覆った。


(……そうか。《闇の眷属》の側ってことは……)


 ――《夜魔王》やラヴェンデルのみならず、かつてただの経験値としてしか見ていなかったモブエネミーとも仲間として接するということなのだ。


《夜魔王》やラヴェンデルを倒し、無数の《闇の一族》を経験値のためにだけ狩った張本人が。


(最悪……)


 まりあは頭を抱えたくなった。

 罪悪感は重く、自分の行動が滑稽で醜悪なものに思えてくる。


「……排除しますか?」


 アレスが気遣わしげにそんな言葉をかけてきて、まりあは目を瞠った。


「あなたに敵意を向けた、あの者を斬りますか?」

「! そ、それはだめ!! 絶対にだめです……!!」


 言葉とは裏腹にアレスの口調は飲み物でも勧めるかのような気軽さで、まりあは肝を冷やした。

 そっとため息をついて、重く澱む気持ちを少しでもやり過ごそうとする。

 たとえ罪悪感を抱いても、だからといってアウグストたちと戦おうとは思わない。




 それから更に城内を歩いていると、何度か《闇の眷属》たちの姿を目にした。

 ハルピュイアの女性に自分プレイヤーの行動の意味を気づかされてから、まりあは彼らをいままでのように見られなくなった。

 かつてモブ敵として出てきた者たちが数えきれぬほどいる――。


 彼らのほうはまりあを見て好意のようなものを向けた。

 声をかけられることもあった。

 たった一人で、敵の大軍を退けた《闇月の乙女》――その話が瞬く間に広がり、期待や敬意、勝利への希望さえ抱かせているらしかった。


 息の詰まるような後ろめたさと後悔のような気持ちが喉を締め付ける。

 まりあは逃れるようにして足を速め、玉座の間を目指した。


 だいぶ迷いながら、突き当たりにようやく巨大な両開きの扉を見つけた。

 巨人でも通れそうなほどの大きさで、重厚な石作りに月や星を模したと思われる装飾が施されている。


 まりあがおそるおそる手を触れると、重い扉は内側に向かってひとりでに開いていった。

 足を踏み入れると、藍色の夜が広がった。星々に似た無数の銀光が空間を満たす。

 足元には細長い絨毯があって、奥へと真っ直ぐに伸びていた。

 行き止まりに壇があり、夜に棲む者たちの王の座がしつらえられている。


《夜魔王》レヴィアタンはそこに座していた。

 その周りに、《闇の眷属》たちが集っている。

 グラーフの姿もあった。彼らは一様に頭上を見上げていた。まりあも視線の先を追う。


 藍色の闇の中で、何かの映像がほの明るく浮かび上がる。


 青い色調で統一されたかのような、山を背にした青の湖、荒涼とした紫色の砂漠、朽ちた列柱が並び、かつて城が存在したことを思わせる廃墟、背の高い草が生い茂る向こうに岩山と洞穴が見え――どこともわからぬ風景たちが、水面に映る影のように次々と切り替わり、揺らめいている。


 思わず見入るほど美しい場所もあれば、生物の気配を感じないようなうら寂しい場所もある。


(……何かに似てる……?)


 まりあは眉根を寄せた。

 ゲームのどこかで、見たことがあるような気がする。

 だがキャラクターと違い、ただぼんやり見ていただけの風景はおぼろげな記憶でしかなかった。

 喉に引っかかった小骨のような既視感をもてあましていると、力を持った声に引き戻された。


「頭は冷えたか、闇月」

「……冷えてます。でも私の考えは変わっていません」


 まりあは玉座の《夜魔王》に目を戻して言った。レヴィアタンだけでなく、その周囲の眷属たちまでもが目を向けてくる。

 レヴィアタンの片眉が物言いたげに上がった。


「《闇月の乙女》……仮にも俺の妃である者がいつまで寝言をほざく」

「!! そ、それですけど……っ!! 私、妃になるつもりないです!!」


 まりあはここぞとばかりに全力で訴えた。

 レヴィアタンは色の違う目で一度瞬いたかと思うと、座したままゆっくりと前屈みになり、長い指を組んだ。


「ほう。なぜだ?」

「な、なぜって……、その、私、あなたのことよく知らないし、あなただって私のことよく知らないじゃないですか! 変な慣習に縛られて無理に結婚する必要なんてないと思います!!」

「お前は《闇月の乙女》で俺は王だ。それ以外に何を知る必要がある? 俺以外に、お前を伴侶にできる者がいるか?」


《夜魔王》は即座に切り返す。

 その落ち着いた口調は、淡々と事実を述べているだけだと言わんばかりだった。


「そ、そもそも結婚する必要はないと思います!! したくない!!」

「何を言っている。王の妃となるのは義務であり栄誉の極みだろうが。まして俺ほどの男の正妻になれるなどこの上ない幸運だぞ」


 まりあは絶句する。

 ――ともすれば自惚れどころではない、勘違いの極みのような反論。

 だがレヴィアタンは王で、強大な力をもっていて、確かに忌々しいほど魅力に溢れた男だった。


 そのたたずまいと存在感でうっかり納得させられそうになり、まりあははっとした。


「し、知りません!! レヴィアタンさんが結婚したいなら、他の誰かとすればいいと思います! 私は邪魔しないので!!」


 勢いのまま壇上の男を睨む。

 グラーフや他の異形たちが驚いたようにまりあを見つめていた。


「……まったく」


 壇上の男はため息まじりに言うと、玉座から立ち上がった。

 ゆっくりと壇を下りてまりあに近づく。


「あれはいや、これはいやと……子供のころの我が姉か、お前は」


 呆れた声。まりあのほうが聞き分けがないと言わんばかりだった。


 まりあはぐっと、口を噤んだ。

 ――別に彼のことが生理的に受け付けないとか、嫌いというわけではない。

 拒んでいるのは、こんな望まぬ異常事態に放り込まれているからだ。


 それは自分のせいではないし、妥協できることも他になく、結婚など論外で――。

 だがそう考えてはっとした。


(でもこれって……現実じゃないし……)


 現実とは違う、つまり現代日本に生きる昏木まりあの一生にかかわることではないのだ。

 あくまで、《闇月の乙女》が《夜魔王》と結婚するかしないかという問題だった。


 だったら、そこまで深刻に悩む必要もなく、その場が丸くおさまるような選択をしたらいいのではないか。

 ――少なくとも、アウグストたちと戦うかどうかというよりはよほど妥協できることなのではないか。


 そう気づいてしまえば、まりあの心は大きく揺れた。


「お前は《闇月の乙女》。だがそれは己の責務を果たしてこその地位だ」


 その言葉が、ふいに冷たい氷片となってまりあの胸に刺さった。


「同族のために戦うことも拒み、王の妃となって力を与えることも拒む。――では、お前は何のためにそこにいる?」


 まりあは息を止めた。

《夜魔王》の蒼と紫の目が細められる。その眼差しに耐えられず、目を背けた。

 ふいに、まりあは《夜魔王》から遮られた。

 アレスの背が盾となって周囲からの視線を阻む。


「私の女神に依存するな。お前たちのために《闇月の乙女》がいるのではない。《闇月の乙女》のためにお前たちがいる。――貴様もだ、《夜魔王》」

「道具ごときが口を挟むな。身の程を弁えろ」


 黒衣の背中越しに、まりあはレヴィアタンの冷厳な声を聞いた。

 自分では、王の言葉を反駁することはできなかった。


(何のために……)


 それは自分自身ですら思うことだった。

 なぜゲームの世界に入り込み、よりによって《闇月の乙女》などというものになってしまったのか。

 主人公の、《陽光の聖女》ではなく。


 自分の脳が見せている幻だと考えても、目の前にいるレヴィアタンは同じ世界に立ち、考え、言葉を発する生きた存在だった。

 意思と力を持っていた。


おれも、眷属共も、形だけの月に従う道理はない。お前が己の定めを拒むというなら、お前もまた他の者から拒まれるのだということを理解するがいい」


 まりあは肩を揺らした。

 低く冷たい声に、体がすくむ。

 レヴィアタンの周囲の《闇の眷属》を見た。


 みな、夜のような色の目をして、口を挟むことなくただまりあを観察している。

 ――困惑、疑念、あるいは蔑みにも見える目。


「出て行け。いまのお前に、王の間へ足を踏み入れる資格はない」


《夜魔王》が命じ、その右手が軽く指を鳴らした。

 とたん、まりあは見えない壁に押され、よろめいた。


 数歩後退して顔を上げると、そこには重く閉ざされた扉があった。

 反射的に手を伸ばして触れる。

 冷たく固い感触が返るばかりで扉はぴくりとも動かなかった。

 ――追い出されたのだ。


(……どうしろって言うの)


 まりあは足元に視線を落とした。

 別に、レヴィアタンたちに特に好意的になってほしいとか親しくして欲しいなどとは思わない。

 だが、白い目で見られるのもまともに拒まれるのもいやだ。


「無礼な。王とはいえども所詮は女神の従僕だというのに」


 不快感も露わなアレスの声がして、まりあは顔を上げた。

 彼もまた、追い出されたようだった。

 アレスもまりあに目を向け、視線が絡み合う。


「あんな無礼者のために、あなたの心を痛めないでください。あなたは何ものにも従う必要はなく、何ものにも縛られません。《夜魔王》ごときが何を言おうと、あなたが気にする必要はないのです」


 その優しい言葉とまりあのために怒る声は、乾いた土に甘い水を注がれるに似て、まりあの胸にひどく染みた。

 アレスのどこにも、皮肉や嫌味は感じられない。

 涼やかで整った顔には、レヴィアタンたちのような冷ややかさも、ハルピュイアのような怒りもない。

 ――本当に自分に寄り添い、慰めようとしてくれている。


「それにあなたがあの男の伴侶になる義務などありません。あなたが拒絶していなければ、私が異を唱えていたところです」


 穏やかな口調に、まりあはきょとんとした。

 だが意味を理解したとたん、鼓動が急に乱れはじめた。


「そっ、そうですよね!! それはもう、はい……!!」


 動揺を抑え込もうとしてなんとか返答する。


(か、勘違いしちゃだめ! もとから、そういう設定なんだから!! だから、別に……っ!!)


 アレスは最初から自分に親切だったし、優しかった。

 だがそれはアレスが《闇月の乙女》の武器だからで、たぶん主人には好意を持つとかいうような設定があるのだろう。

《陽光の聖女》の武器である《スティシア》がそうであったように。

 ――頭では、そうわかっている。


 まりあはおそるおそるアレスを見上げた。そうすることを待たれていたかのように、すぐに目と目が合った。


「あ、あの! アレスさん……」

「はい?」


 声をかけられたことが嬉しいとでも言うように、アレスは微笑を浮かべる。

 そのせいでまたまりあの心音は乱れ、口ごもることになった。


 ――なぜ、自分にそこまで優しくしてくれるのか。


 そんなことを口走ろうとしていた。頭では答えがわかっているはずなのに、わかりきった答えを聞きたい――あるいはもっと自分に都合の良い答えが聞きたいと思っている。


(恋する少女じゃあるまいし……!)


 浮かれた自分を戒める。

 仮にも二六にもなる大人にふさわしい反応ではない。

 両手で顔に風を送って、頭を冷やせと自分に言い聞かせる。


「な、なんでもないです……」


 アレスは不思議そうに長い睫毛を瞬かせた。

 その無垢な表情にまりあはまた数度体温が上がったように感じて、両手をばたばたと動かして耐えた。

 理由はどうあれ、一人でも自分の味方になってくれる人がいる――。


(勝手に《闇月の乙女》なんてものにされたわけだし、これぐらいの救いはあってもいいよね)


 騒がしい心臓にそう言い聞かせ、落ち着きを呼び戻す。

 そうしてから、アレスに再び目を向けた。


「あの……ありがとうございます、アレスさん。その、親切にしてくれて」


 紅い目の青年はちょっと意表を突かれたような顔をしたが、また優しい微笑を浮かべた。――まりあ以外に向けたことのないような微笑だった。


「礼には及びません。私はあなたのもの。私だけは、常に、あなたと共にあります」


 率直な、真摯で嘘偽りない言葉と眼差し――まりあは目眩を覚え、またも鼓動が速くなった。


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