Chap2-2


 全身が不快に熱くなる。いきなり炎天下に放り込まれたかのようだった。

 息を乱す。

 だが吸い込む空気までもが火に侵されているように、喉や肺をじりじりと焼く。


「――気を抜くな。ここは敵地だ。光精が濃い。空気そのものが我々にとって毒だ」


 ラヴェンデルの押し殺した声が聞こえた。

 まりあは息を呑む。

 プレイヤーのときは力の源であったはずのものが、いまは毒のように感じている――自分が、まったく別の存在になっている。


 まりあは周囲を見渡した。

 そこは、一転して青空の広がる世界だった。

 陽光はくまなく世界を照らし、雲一つない。あらゆる影を焼き払う強烈な光。


 そのまばゆさに、まりあは目を灼かれるように感じた。

 地上に目を転じると、遥か遠くに輝ける大地が見えた。地を覆う黄金色、遠くに見える森の緑までもが明るく、彼方の山々は白い光の影そのものだった。


 湖らしき巨大な水たまりは、湖面が無数の銀の刃を刻んだように光を反射している。

 青い輝きを放っていた夜の大地とはまるで真逆だ。


(な、なんだか……!)


 ――主人公プレイヤーとして、ゲーム中の背景画で何度か見てきたはずの舞台。漠然と、きれいだなと思ったのを覚えている。


 なのにいま、この三次元に現れた世界は眩しすぎる。

 目を射る、一切の陰を許さぬかのような厳しさに息が詰まる。


(こんな世界だったっけ……?)


「おい《闇月の乙女》、早く案内しろ。《イグレシア》に侵入するのだ。急げ!」


 苛立った声に叱咤され、まりあは慌てた。

 そしてラヴェンデルの白い顔はますます血の気を失い、形の良い眉は険しくなっていることに気づいた。

 自分と同じように、ラヴェンデルもいま体の不調を感じているのだ。


 まりあは気を引き締めて、空を見渡す。

 澄み渡った青が続く空はどこか水中にも似ていて、静謐な世界でただ一つ浮かんでいるものがある。

 馬をそちらへ向けると、ラヴェンデルがすぐ後ろに続いた。


 それは遠目に、白い扇に見えた。中央が突出した扇だ。

 その根元は、ガラスの破片を散りばめたように無数の輝きをまとっている。


 ――天空神殿《イグレシア》。


 天に浮かび、光の世界すべてを見渡すことができる輝ける神殿。

『太陽と月の乙女』の主たる舞台だった。


 近づくにつれ、長く過ごしてきた神殿の全貌がはっきりと見えるようになる。

 遠目に扇型に見えていた神殿は、間近にすると水晶の集合体クラスターによく似ていた。半分透き通って、空の蒼を反射して薄青に染まっている。

 その周りを浮遊する光が囲んでいた。

 不可思議な神殿はどんな建材なのか想像もつかなかった。


 ゲーム内で背景画像として見ていたときとはまったく異なる圧倒的な存在感と質量感。

 まりあはつい見入りそうになり、頭を振って断ち切る。


(正門から行くとさすがに目立ちすぎるし……)


 ゲーム中のマップ表示を思い出しながら考える。

 この光の世界に、敵はいない。聖女たちの敵は《闇の眷属》――本当の意味で別世界の者たちだ。


 だからイグレシアには警備兵などは配置されていない。

 もとから騎士たちがいる上、防御に長けた《光の眷属》たちの住むイグレシアは難攻不落の要塞でもある。


 まりあは自分の手を見た。

 ――思いも寄らぬ魔法を発した手。防御とは真逆の、攻撃の力。


(……ゲームだったら、レベルを上げてごり押し正面突破とかできるけど……)


 だが見知ったキャラクターたちのいるイグレシアに攻め込む、などというのは避けたかった。

 まりあはイグレシアの下部、右側を指さした。


「あそこに庭園があります。そこから入って、奥の螺旋牢を目指しましょう。多少遠回りですが、中に入りさえすればあとは戦闘を避けて進めば大丈夫なはず……」


 説明しているうち、まりあははたと気づいて周囲を見回す。


「……でも、もう向こうに気づかれているかも……」

「その心配は要らぬ。この馬に乗っていれば、奴らがこちらに意識を向けぬ限り我々の姿は見えん。いまごろ奴らの目は、先ほどの大穴の痕に向いているだろう」

「な、なるほど……」


 まりあは感心して、自分がまたがっている黒馬を見た。空を駆けられるだけでなく、すばらしく役に立つ能力が備わっているらしい。


 まりあはイグレシアの南東側へと馬を走らせ、ラヴェンデルも続いた。

 庭園の入り口――水晶の集合体クラスターの根元の右側までかなり接近しても、いかなる出入り口も見えなかった。

 神殿の壁は薄青からほとんど透明になっている。向こう側は見えそうで見えず、内側から白く輝いているようだった。


 だがゲーム内でも、こういったギミックはよく見かけた。扉なき扉なのだ。

 それがいまでも通用するのか――まりあは一瞬ためらったが、そのまま馬を進ませた。


 透明な壁に接触する瞬間、その壁が大きな波紋を描いて揺れた。

 水面に飛び込むように、まりあとラヴェンデルは壁を通り抜ける。


 とたん、風景が切り替わった。薄青の世界から、無限の色彩の世界になる。

 白、黄色、緑、青、紫、赤、桃――鮮やかな色の花々が咲き乱れ、絨毯のごとく足元を覆っている。侵入者が足を踏み入れたせいか、一瞬花びらが舞った。

 色とりどりの花びらが舞うと虹色の飛沫ができて、まりあは言葉を失って見入った。


「――なんと悪趣味な」


 ぼそっと不機嫌な声が聞こえ、まりあは正気に引き戻された。

 青白い肌に紫色の唇を持つ少女は心底苦り切った顔をしている。


(か、変わった趣味なんだなあ……)


 やや名残惜しく思いながら庭園を横切る。庭の北側には純白の柱が等間隔で並ぶ吹き抜けの廊下があった。

 馬で中に入ることはできないため、下りる。


 ここまで運んでくれた従順な黒馬は、嘶き一つあげず足元の草花を食むでもなく、ただ静かにたたずんでいる。主を見つめる黒い目は透き通っていて無垢だった。

 まりあはぎこちなく手を伸ばし、馬の首を優しく撫でた。


(待ってて。すぐ戻ってくるから)


「……わかっているとは思うが、戦闘は極力避けろ。力を使わなければ気付かれずにすむ」


 ラヴェンデルは声をひそめて言う。

 その険しい表情に向かって、まりあはうなずいた。


 廊下に足を踏み入れると、いきなり重くなった。

 驚き、アレスの甲冑だろうかと思う。

 だが急に全身が重く感じた。肌をじりじりと焼かれるような痛みさえ感じた。


(……中に足を踏み入れたせい?)


 聖女とその騎士たちのいる神殿は、清浄な空気に満ちている。

 ――だが、これも《闇月の乙女》の体には毒となっているのかもしれない。

 まりあは内心で落ち込んだ。

 アレスの甲冑が音をたてないことを確認して、走り出す。


 見慣れたはずの景色が、三次元になるとまるで違う。

 こんな状況でなければ大喜びで探索していた。


(螺旋牢に行くには……)


 最深部までの道のりを頭に描く。

 イグレシアの内部は方位ごとに四つの大きな区域と、塔の中央で計五つの区域がある。それらは、中央を二重に囲む大円通路によって行き来できた。


 中央の塔には最上階に聖女の居住区などがあり、下の階には王の間がある。

 西の区画は騎士たちが詰めており、悪しきもの、汚れを封じる螺旋牢は北に位置していたはずだ。

 ――そう考えて、唐突にまりあの中に疑問がわいた。


(……聖女って)


 自分はいま、こうして《闇月の乙女》などという敵キャラになってしまっている。

 なら、本来の主人公プレイヤーキャラである聖女はいま、どうなっているのだろう。

 動かす者のいない主人公。ロードされるのを待っているのか――それとも。


 唐突に思い浮かんだ疑問は、脳に深く食い込んでくる。

 だが頭を振って、無理矢理追いやった。いま考えても仕方ない。


 先ほどの庭園は、マップの中では南南東だ。

 そこから北の螺旋牢に向かうには、奥へ進んで二重の大円通路のうち、内側の通路まで行かねばならない。


 吹き抜けの廊下を抜けると、屋内に入った。

 水晶のような、透き通って輝く建材が天井にアーチを描き、続いている。

 そこを過ぎると、足元は緋色の絨毯になり、同じアーチ型の天井だが壁は不透明で純白になる。

 白い壁や柱に金色を使った装飾がちりばめられ、おとぎ話に出てくるような城をそのまま再現したような姿をしていた。


 突き当たりまでいくと、左右に道が延びた。

 大円通路のうち、外円の通路に出たのだ。

 まりあは左右と上下を見渡し、現在位置を確かめて、円の東側から北へ向かうことにする。


 走り出そうとして、寸前で踏み止まった。

 隠れられる場所がそんなに多くないので、通路上で人に出くわす危険がある。


 足音を殺し、壁沿いに周囲を警戒しながら進んだ。

 しばらくして、人の話し声と足音が聞こえた。


 すぐに隠れられる場所を探し、大きな柱の陰に身を潜めた。ラヴェンデルが小柄なために、かろうじて二人同時に隠れられる。

 息をするのもはばかりながら、人が通り過ぎるのを待つ。


 ほんのわずかだけ顔を出して足音の正体を観察した。

 白を基調とした軍服に身を包み、腰に剣を佩いた騎士たちが二人。どちらも金色の髪をした青年だった。長靴がかすかな金属音をたて、やがて遠ざかっていく。


 まりあはおそるおそる息を吐き出した。

 心臓がうるさく鳴っている。


(うう、やっぱりこういう潜入系苦手……)


 これまで遊んできたRPG系ゲームでも、潜入イベントが何度かあった。

 ゲームであっても、緊張して体が強ばったのを覚えている。


 過剰なぐらいにまた左右を確認して、柱の陰から出る。

 隠れられる場所はあまり多くない。

 早くここを抜けてしまいたいという焦りを抑えつつ、慎重に進んで行く。


(……エルネストとかヘレミアスたちはいないのかな)


 緊張の中、ふとそんなことを思った。『太陽と月の乙女』で一緒の結末を迎えられるキャラクターたち。

 近衛隊長で寡黙なエルネスト、神官らしからぬ飄々とした性格のヘレミアス――。


(アウグスト……リアルで見てみたかった)


 スマホの壁紙にまで設定した、最愛キャラの《聖王》アウグスト。『太陽と月の乙女』の世界なのだから、彼らこそを三次元で見てみたかった。

 淡い思いを追いやり、先に進んでいく。


 それから二回ほど隠れて敵をやり過ごすと、再び道が分れた。

 北へ出る通路だ。


 まりあはラヴェンデルと共に駆け出した。

 この先は螺旋牢しかないため、基本的に人の行き来がない。警備兵などもいない。

 だがそれは無防備であるという意味ではなかった。


 ひたすらに白い一本道を走っていくと、閉塞感が強くなり、時間の感覚が少しずつ狂ってゆく。

 ずいぶんと長く走ったように感じた後、ようやく道に変化が現れた。


 巨大な光の魔法陣が行く手を塞いでいた。わずかに赤く色づいた光は、警告の色を思わせ、円の中に複雑な文様を描いている。この先が禁域であることを示す証だ。


 まりあは手前で立ち止まり、ラヴェンデルを振り向いた。


「この封印はここを含めて三箇所あって、解かないと進めません。私たちではまともに解くのは無理なので……」

「……力で破る、ということだな。わかった。ここからはわずかたりとも時間を無駄にするな」


 まりあはうなずいた。力ずくで封印を破れば、さすがに侵入が発覚するだろう。

 ここから先は本当に時間との戦いだった。


 ラヴェンデルはまりあの体を一瞥した。


「……そこのなまくらも一緒に使え。単純にものを壊すのに向いているだろう」


 まりあはぱちぱちと瞬きをした。両手を少し持ち上げ、アレスが変化した黒の鎧を見る。

 すると言葉はないまま、右手に心地よい冷たさが生じた。

 手の中に、暁を思わせる紅い光が乱舞する。

 次にはその光が色濃い黒へと変化し、手の中で硬化した。


 まりあがとっさに握ると、手の中の黒は肥大化し、一瞬で長細い剣の形になった。

 この白一色の空間で、より拒絶的に見える艶やかな漆黒の剣。


 手の中の剣は最初に見た姿より一回り小さく、あるいは細くなったように思えた。


「――行くぞ」


 短くそう言って、ラヴェンデルは華奢な手をかざした。黒い雷が迸る。

 まりあもためらいがちにアレスを両手で握った。

 剣など持ったこともないが、黒剣アレスは手によく馴染む。


 とたん、柄から赤黒い光が生じた。

 剣を握る両手に、茨のごとく絡みつく。アレスが補助してくれている。

 まりあは剣に意識を集中し、大きく掲げ――振り下ろした。


 漆黒の風が奔った。


 反動が腕から肩へと抜け、まりあは顔を歪める。

 爆発音が轟き、白い空間を揺らす。

 魔法陣は大きく斜めに切り裂かれ、無数のひびを広げて砕け散った。


「走れ!」


 ラヴェンデルが駆け出し、まりあもアレスを握ったまま後に続いた。

 少しあってから第二の魔法陣が現れる。今度は薄く黄色がかった光を帯びていた。


 近づくなりラヴェンデルは手をかざし、まりあは一瞬立ち止まってまた剣を振り上げた。


 体の底に響くような衝撃のあと、再び魔法陣が破れる。

 更に走って第三の魔法陣を目指す。


 最後の封印は、前の二つより大きな魔法陣だった。

 円と緻密な文様を描く光は、赤と黄色、そして青の間で忙しなく明滅している。


 ラヴェンデルは今度は両手を突き出す。白い手から尖った闇が飛び出し、衝突する。

 まりあは再び黒の剣を振りかぶった。


 ラヴェンデルの攻撃で揺らいだ魔法陣は、黒剣の一撃で完全に両断された。

 反動が再びまりあの全身を襲い、一段と体が重くなった。

 消耗しているのだとはっきりわかった。


 今度はまりあが走り、ラヴェンデルが追う。

 一本道が唐突に終わり、目の前に空洞が見えた。

 飛び込むと、大きな空間が広がった。

 その中央に向かってまりあは走った。中心で止まると、足元が光り出す。


(この下――)


 足元から閃光が飛び出したとたん、二人の侵入者の姿は消えた。

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