第36話 モニカレベル90

 森や川にたくさんのクレーターを作りながら、モニカとキリカはぶつかり合えば弾け、ぶつかれば引き離されるように弾かれることを繰り返す。

 巨大な光の弾丸のようになった二人が拳を交えれば、周辺の木々は空高く飛び、一緒に地面も土を撒き散らす。危険を感じた動物達は、大急ぎで森から離れ、近隣の村は不規則な地震を感じていた。そんな二人の戦いの時間の長さを表すように、眩しいほどに照らしてきていた太陽は半分ほど地平線に隠れ、夕焼けがモニカとキリカの影を映す。

 既にモニカにいたっては、自分が何のために戦っていたのかも分からなくなっていた。ただ目の前のキリカという少女が憎く、自分の大切な何かを傷つけたことだけは間違いないことだけは断言できた。そのただ一つ、心に残されたものだけのためにモニカは拳を乱暴に突く。


 「うあああぁぁぁ――!」


 人を殴るなんて一生しないだろう、そんな風に考えていたモニカは今日だけで既に三桁に届くほどの回数キリカを殴っていた。


 「楽しいけどさぁ」


 相対するキリカも既にモニカに近い数の蹴りや拳を叩き込んでいた。ただモニカとは違うところは、キリカにはまだ我を忘れているわけではなく、狂気に近いものだったがはっきりとした自意識がそこにはあった。

 モニカの突き出された拳を、キリカは己の手で弾けば、頭を引いた。


 「これじゃあ、まるで」


 モニカに向かって頭突きを行うキリカ。少女二人の頭突きで、互いを守る為に張った魔力障壁が崩壊し、その衝撃の余波を周囲に与える。このぶつかり合いが、点々と作られたクレーターの原因の一つだった。

 何度目か分からない土の味を噛み締めるモニカを身ながら、キリカは魔力を体内で溜める。


 「――どっちも勇者になんて見えないよ」


 魔力を練った掌底を接近するモニカへ叩き込む。だが、そこで体を逸らしたモニカには衝撃が浅く、瞬時にモニカはキリカの胸元へと膝蹴りを放った。

 掌底をしてない方の手で膝蹴りを防げば、先ほどの仕返しのようにモニカはキリカに頭突きを決める。そこで初めて意識が落ちそうになるのをキリカが堪えれば、全身の神経を後退することだけに集中させて背後へ飛ぶ。すかさずキリカの立っていた場所に振り落とされるのはモニカの拳。そして、また一つ地面に大穴をあけた。

 このままいったら戦いは平行線であることに気づき始めたキリカは、右手に魔力を込める。密度を高め、今までにないほどの研ぎ澄まされた魔力。それは形になり、一つの魔力の剣となる。


 「断つ理、アンナス・セイバー。勇者の剣だって、切れちゃうかもよ?」


 モニカにも僅かに残された意識が、キリカの考えに気づく。そうでなくても、研ぎ澄まされた神経が生身で向かっても勝機がないことを教えてくれていた。


 「ゆうしゃの……つるぎ……」


 たどたどしくモニカが言えば、光の粒子がモニカの手の中で膨れ上がり、一つの剣を召還する。狂戦士のように乱暴に宙に浮いた勇者の剣を手にすれば、豪快に振るう。ノアの構えでもなければ、モニカが普段するような弱々しいものではない。ただ戦い振るためだけに考えられたような、敵を叩きのめすための構え。


 「これが最後にしましょう。互いの刃を剣で防ぎ合うなんて無粋な真似はやめて」


 しっかりとした形を保っていたはずのキリカの剣が炎のようにメラメラと炎のように燃え盛る。キリカの強大な魔力を高めた結果、アンナス・セイバーは辛うじて剣の形をしていた。しかし、手でも離してしまうならば、濃縮された魔力の大爆発を起こすことになるだろう。


 「ぜったいに……みとめない……」


 対するモニカの勇者の剣の刃が、強化魔法を受けて輝きを増していく。白き刃は黄金とも誤解してしまいそうな目に焼き付けるような乱暴な光り方をしていた。一度でも振れば、魔力の波動となりキリカの小さな体ごと周囲の木々を粉塵に変える破壊だけを追及した一撃を放つことができる。

 互いにタイミングを計ったわけではないが、自然と二人は息を合わせたように同じ瞬間に駆け出した。


 「さようなら、壊れた勇者」


 キリカが剣を頭上に構えた。


 「ともだちは、私が……守る!」


 モニカは剣を腰に巻くように引いた。そして、二人は同時とも呼べる速度で剣を振り切った。



                ※



 これで戦いが終わる。そう、考えていた二人だったが、振り切ったままの体勢で二人の動きは停止していた。それこそ、二人だけ時間を止められてしまったかのように。

 魔力が放出される様子もなければ、敵を切る感触もない。と、思えば、自分の体に一切の痛みもない。ただただ、最後の攻撃を放った直後でそのまま停止しているのだ。


 「――まったく、やんちゃな女の子だね。こういうの、おてんぱ娘て言うんだっけ?」


 よいしょっと、と言葉が続けばモニカとキリカのゼロ距離になりかけていた距離が一気に離された。ただ二人には離れた自覚なんてなく、見ていた人物がまるで視界の中で小さくなっていくような不思議な感覚。足に車輪でも付いていたように、そのままの姿のままで後退していく二人は十メートル以上離された。

 動きが完全に止まったままで、意識だけははっきりとしたモニカとキリカはようやく、声の正体に気づいた。


 「ていうか、私もなかなかのおてんぱ娘だから他人のことは言えないかー。て、私が娘じゃないって? おいおい!」


 一人ノリツッコミをするのは、マントをなびかせる青の鎧の騎士に身を包んだクルミ。ここまで尖ったりゴツゴツしたり外見が凶悪そうな鎧はモニカはもちろんことキリカも初めて見るようだった。

 状況もそうだが、本当ならモニカとキリカは戦いを強制的に止めた得体の知れない存在に恐れるものだが、一人でクネクネとする鎧の騎士は不気味さを感じても恐怖を感じさせない。動きや言っていることも確かに妙な様子だが、それ以上にキリカには騎士に対してツッコミたいことがあった。

 

 「……何か言いたいことありそうだけど? あ、そういえば、声も止めていたわね! はいはいはーい、喋って頂戴ふたりともっ」


 「――声が高いわね」


 じっとり見つめるキリカに言われて、騎士クルミは首を傾げて「あーあー」と発声練習のように試すように声を出してみる。


 「くっ……あのじいさん……。声が変わるて、むっちゃ声高いじゃない!? 何、このロリロリボイス!? 私、きいていーなーいー! それとも、あのジジイ、ただの変態なのかしら……もういい、もういいわ! このゴツイ騎士にロリ声のギャップで頑張るわよ!」


 頭を抱えてそれをガンガン振るうクルミ。このままだと、話が続かないことに気づき始めたキリカは嫌々ながら声をかけることにする。


 「ところで、貴女は誰なの?」


 「え、私? ……うーん、あえて言うなら……先輩勇者?」


 「先輩勇者? 勇者ていうのは、何十年も現れていないはずだけど」

 

 「まあまあ、それは勇者的解釈で何とかしてよ。キミは、ちょっとおかしくなっているだけだけど……」


 クルミはキリカに向けていた顔を、ぐるりと反対側に向ければ相変わらず青い目をギラギラとさせるモニカ。


 「――モニカちゃんは、盛大にぶっ壊れているわね」


 溜め息混じりにクルミが言えば、敵がどちらか分からなくなったのかモニカと騎士を交互に見た。その目には、どちらを攻撃しようか迷っているようにも見えるが、そこには理性の輝きはない。それどころか、モニカは自力でクルミのかけた停止の魔法を強引に解こうとしていた。


 「たおす、たおす、たおす。ともだちきずつけるひと、たおす」


 「こりゃひどい、あの可愛いモニカちゃんがねえ。このままにはしたくないんだけど、ちょっと、一旦停止」


 すっとモニカの方へ手の平を見せれば、モニカの動きは大きく口を開けた状態でピタリと止まった。それを見たキリカは、目の前のクルミの見方を変えることにする。

 仲間の能力を使っていたとはいえ、それでも勇者の力を全力で使ったモニカは少なくともこの世界を見回しても例え神話級の最高位モンスターであるドラゴンが敵でも負けることはないだろう。現在、力を解放した”キリカ”から見てもモニカは最強と呼ばれてもよい。それに対して驚くべきは、目の前の騎士が、そんなモニカを赤子の手をひねるように、動き停止させた。

 能力的にも言動的にも怪しげな騎士が、キリカの方を振り返った。


 「とりあえず、キリカちゃんから何とかしようか」


 耳障りとさえ思える高い声を発せれば、足を動かすこともなく身動きのとれないキリカの前に立つクルミ。その手が右目を覆う。


 「やめっ……やめろ……! これが、正しいのに……この姿が正しいのに……また私を忘れさせる気か!?」


 右目から魔力を放出させて、首を必死に動かして逃げようとするキリカ。しかし、クルミは手の先から淡い光と共に魔力を放つことでキリカの動きを完全に停止させた。


 「いつかはキミも目覚める時が来るよ。だけど、まだ早い。この状態は、キミにもモニカちゃんにも早過ぎたんだよ。今はお休み。もしも、できることがあるとするなら……キミはキミの宿主を守ってあげなさい」


 キリカの肩が電流でも走ったように震えた。そのまま事切れたように力なく全身の力が抜ける。手にしていた魔力の剣は、空気に溶けるように消えた。

 前のめりに倒れこむキリカをクルミが抱きとめれば、そっとその場に寝かせた。


 「今はおやすみ。きっと、今度出て来る時は本当にキミが必要になる時だ。――さてと」


 クルミがキリカの頭を軽く撫でてあげれば、屈んでいた体を起こした。そして、軽い動作で指を鳴らした。


 「おいで、モニカ。遊んであげるよ」


 クルミの停止魔法が消えた。瞬間、モニカの周囲に溜まった魔力が弾け、閃光迸る弾丸のようにモニカがクルミへ突っ込んでいった。


 「うわああああぁぁぁ――!」


 「血気盛んだねえ」


 剣を振り上げたモニカの右手を軽く左手で触れれば、勇者の剣が宙を舞う。武器がなくなったことも気づかずに、剣を落としたモニカは不思議そうに握った手を開いたり閉じたりする。


 「よく聞いて、モニカちゃん」


 「友達を傷つけないでぇ――!」


 右手拳の先に魔力の塊を生成する。それは触れれば周囲を焼き尽くす魔力の爆弾。アルマの知識にはない、ただ破壊尽くすだけの魔法。

 右腕の関節を曲げつつ振るう拳は、本来のモニカなら使えるはずもない破壊の一撃。


 「これは、ちょっと危ないね」


 魔力の塊に軽く触れるクルミ。一瞬にして魔力の塊は、跡形もなくモニカの手の中で消えれば、二人の頭上で魔力の爆発が起こる。それは単なる爆発とは違い、色とりどりの花のような輝き。


 「どう? 花火をイメージしてみたんだけど?」


 モニカは狼狽していた。頭の上での輝きは、モニカもよく知っているものだった。それは、花火の光。


 「は……なび……?」


 「綺麗だよね、花火。綺麗ついでに、ちょっと聞いてほしいんだけど。モニカちゃんさ、気づいてる? ――モニカちゃんの守りたい綺麗なモノが、壊れかかっているよ?」


 モニカの虚ろな目が、クルミを見た。その瞳の中には、混乱渦巻いている。

 自分の兜を指でコツコツと叩きながら、思い出した名前を口にする。


 「ノアちゃん」


 「ノアちゃ……ん?」


 名前に反応するモニカの髪が少しずつ抜け落ち、短くなっていく――。


 「あと、アルマちゃん」


 「アル……マちゃん……?」


 金色の髪は色を変え、落ち着いた黒色を取り戻していった――。


 「今、二人がどんな状態か知ってる? モニカちゃんに力をあげ続けた二人が、どうなっていると思う?」


 魔力の輝きともいえる青い瞳が不安に揺れて、徐々に色は薄くなっていく。そこからは、少しずつ本来の黒い瞳が見えて来る。

 つい数秒前まで満ちていた魔力は抜け、傷ついた両手がクルミの腕を掴む。


 「……二人は、二人はどうなっているの!?」


 クルミはそっとモニカの頭を撫でた。


 「キミが強引に二人から力を奪ったことで、二人は危険な状態になっていた」


 「いやぁ、そんなぁ……」


 モニカの視界が暗くなっていく。

 自分は何てことをしてしまったのだろう。どうして、こんなになるまで戦いを止めなかったのだろう。取り返しの付かないことをしてしまった。

 そんな恐怖と疲労感でモニカの意識は暗闇へと転がるように落ちていこうとする。それを直前で支えるように、クルミはモニカを優しく抱きしめた。


 「だが、二人には私から魔力を供給しといた。もう数分もすれば、目覚めてキミを迎えに来るはずだよ」


 「ほんと……?」


 「本当、私は先輩勇者なんだよ。こういうところは、信用してよ」


 「あり……がとう……。声の高い騎士さん……」


 安心したのか先程よりも落ち着いた表情のモニカの足から力が抜けていくのを感じるクルミ。

 キリカと同じように優しくその場に寝かせれば、愛しそうにモニカの頬を撫でた。


 「モニカちゃんは、大丈夫だよ。自分を信じるんだ。……きっと、大丈夫よ」


 鎧のクルミの手の平の冷たい感触が、不思議と心地よいと思いながらモニカは目を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る