第五章 もう一人の勇者

第26話 もう一人の勇者 レベル???

 ――この物語は、勇者モニカのものではない。しかし、それはもう一人の勇者と呼ばれるある少女のお話。

 モニカとは遠くて近い、近くて遠い。そんな、少女の話。


          ※



 モニカが異世界にやってくる数ヶ月前。世界の異変の噂が警戒から、災害へと変化しようとしていた頃。そんな時、ある深い森の中、一人の少女が木々の隙間から差し込む薄明かりの下で目を覚ました。


 「ここ……は……」


 頭痛を感じ、頭に手を当てながら少女は立ち上がった。

 体に付着した泥や枯れた葉の欠片を見るに、長時間ここに寝ていることが分かった。汚れを払い落としつつ、頭痛に顔を歪めながら考える。そもそも――。

 そもそも、私は……俺は? ……ボクは、何者なんだ。

 場所も分からないが、今までの記憶もない。こういうの、何て言うんだっけ? ああ、そうだ。――ボクは記憶喪失だ。

 視線をさまよわせれば、そう遠くないところから水の音が聞こえる。幸い服を着ているところを見れば、追い剥ぎにあったわけではなさそうだ。地面から飛び出した木の根元に気をつけながら、次の木から次の木へと手をつきながら水音の方へと足を進める。


 「ここ、川が流れている」


 緩やかな速度で上流から下流へ流れていく川を見て、そこでホッと安堵の息を漏らす。それは、乾いた喉を潤せる安心感だけで出たものではない。

 心配事は多々あるが、それでも日常生活を送れるほどの記憶は持っているようだ。失っているのは、過去と存在。もっとも大事なものをどこかに落としたのだろうが、それはもう探しようがない。しかし、自分の外見は知ることはできそうだった。

 さらさらと流れていく川の水面へと顔を近づけた。そこには、一人の少女がいた。

 耳の下で垂れる髪は、左右で結んだ際にできるもの。誰からも目を引くような水色の髪はおさげをしているようだが、それでもかなり長い髪のようで二つに分けた髪が胸の下まで垂れている。左右で結われた髪には、青いリボンが結ばれているが、それをどれだけ見ても記憶に繋がることはない。そんな中、顔に特徴的な部分があった。


 「なにこれ」


 ソレに触れてみるが、痛みはない。顔の三分の一の面積を隠しているのではないかと思うほどの黒い皮の眼帯が右目を覆っていた。自分の顔だ、興味のままに眼帯を外そうと触れてみれば、顔から外れることがない。


 「なんなの、これ」


 少しだけ怒りと困惑を混ぜたような声が漏れる。

 外すことができない眼帯は何だか不気味だが、とりあえずそのままにしておく。そして、改めて自分の顔と服装を見た。

 肌は病的に思われるかどうかの瀬戸際で、そんな白い肌を藍色の自分の片目が見つめている。顔つきは、第一印象として悪くない。もしかしたら、記憶を失う前の自分が凄い自己愛に満ちた女だという可能性もあるが、今は思ったことだけを考えてみる。

 次は服装だ。フリル付きの膝までの靴下、黒を基調としたチュニックの裾は太腿まである。膝まで到達していない短いデニム生地のパンツは、そうなるように狙っていたかのようにチェニックから見え隠れするために特殊な色気を感じさせた。

 服は可愛い方だと思う。これも自分のセンスだからか、そう思ってしまった。やはり、記憶を失う前の私は自己愛に溢れていたのだろうか、なんて考えて小さく笑う。そこでやっと、自身に余裕が出てきたのだと気づくことが出来た。

 今まで自分の顔を映していた水を両手ですくえば、味わうようにゆっくりと飲む。冷たい刺激が喉を流れ、ずっと感じていた頭痛が少し楽になった気がする。


 「これから、どうしよう」


 そんな風に考える少女の声は落ち着いたもので、慌てる様子はない。川の流れを横目に腰を下ろすが、上から記憶が流れてくることはないのだ。


 「とにかく、川沿いを歩こう」


 記憶を失ったことでの不安を誤魔化すために、独り言を言う。自分がなんであれ、このままならきっと記憶が戻ることはない。

 少女が歩き出そうとしたその時――。


 「きゃあああ? うわあああ?」


 いきなりそんなことを言えば、まず間違いなく初対面での挨拶なら失敗しているだろう。疑問と共に聞こえたものを口にしてしまった。

 少々ぼんやりとしているが、その声が何なのかに気づくのは、それほど時間はかからなかった。


 「……誰かの悲鳴?」


 その結論に辿り着く。勝手に足がその声のした方向へ向かおうとする。一度、足を止めて、少し考えてみる。

 一体、ボクに何ができる? 記憶もないのに、何がやれる?

 もしかしたら、記憶を失う前までは魔法使いだったのかもしれない? いや、凄腕の戦士の可能性もある。――だって。


 「――どうして、こんなにも悲鳴を懐かしく思うのだろう」


 運命の糸に絡め取られるように、少女は今なお断続的に声が聞こえる森の中に飛び込んだ。



                 ※

 


 少女が走りだし、地面を蹴れば、顔の前には木の枝が出現する。たったの一歩で、体三つ分はある高さはある木の枝の上にいる。最初は驚きはしたが、そのまま速度を落とすことなく、次の枝へまた次の枝へと足場を探して飛び回る。


 (ボクって、こんなに運動神経良かったんだ)


 もともとの能力が判断力すらも補い、難なく慣れた動きで木の間を地上のように駆けた。少しずつ大きくなっていく悲鳴に、さらに踏み込む足に力を込めた。まともに走れば、何十分もかかっていた距離を僅か数分で走りきる。

 十分に足場がとれるほど大きな枝を見つけ、そこに着地すれば足を止めた。――男性と女性がモンスターに追いかけられている光景が目に飛び込んできた。

 男性と女性を追いかけるのは、オオグと呼ばれる二足歩行のモンスター。泥風呂でも入って来たのかと思うほど茶色の体に、膨らんだ大きな腹。丸太のように太い大きな足と腕。やっと人語を喋る程度の知識しかないオオグは、どうやって作ったのか不思議に思える太い木の棍棒を振り回す。


 (どうしよう)


 困った。もしも森で怪我をしているなら、助けられるかな、ぐらいに思っていた少女。しかし、今の状況はモンスターに襲われている人間の悲鳴だ。助けようと行動すれば、間違いなくオオグの標的になることは避けられない。

 手を見て、足を見てみるが、同性が羨む足の細さに、異性からは守りたいと言われそうな細い腕。何だか心もとない。

 武器もなければ、魔法なんて知識程度しかない。さて、どうしたものか。

 男性と女性はお互い別方向に逃げればいいのに、何故か一箇所に覆いかぶさった。とうとう、力尽きたのかと思った少女。だが、事実は違う。

 男性と女性のうつ伏せに倒れこんだ地面がもぞもぞ動く。そこには、小さな女の子がいた。子供を庇うように泥だらけの地面に体を押し付ける二人は、その女の子のものと思われる名前を何度も呼んで、泣き笑いの表情で安心させようとしていた。


 (理解できない)


 何をしている。そのままでは、三人まとめて潰される。

 無力だから、命を捨てて守るのか。

 弱いから、こんな風に体を寄せ合うのか。

 では、偉そうに上から目線で考えるボクはなんなのだ。

 彼らにここまで惹かれる理由は、きっとボクの知らないボクが知っている。そして、今のボクも知りたいと思う。


 「やっぱり、少しこわいな」


 言ったこととは反対に、少女は地面へと落ちて行く。一度反転して衝撃を抑えれば、音もなく着地。そして、オオグへ向かって駆け出した。


 『ウアァ?』


 (本当に人語喋れるのかな?)


 鼻と口から液体を垂れ流す辛うじて人の顔をしているオオグの表情を見て、そんなことを考える。


 「えい」 


 やる気のないとも思われそうな掛け声と共に少女は、オオグの肩に乗れば顔面を蹴る。しかし、声に反して、オオグの顔面は大きく背中側に傾いた。既に、蹴りだけで首を支える骨が悲鳴を上げていた。


 『イダアァ!?』


 オオグが鼻から出していた透明の液体とは違い、真っ赤な液体を宙に放出する。

 少女を追いかけるオオグは、声のした方向へと棍棒を振り回した。平常心を失ったためのオオグの攻撃だからか、そのどれもが少女に当たることはない。しかし、大きな棍棒を振り回しているので、どこかしらには当たる可能性は必ずある。それでも当たらないのは、少女が冷静にその攻撃を見極めて回避しているからだろう。


 「ボクの服、汚さないでね」


 肩に乗った少女はぴょんと飛ぶ。オオグは、自分の肩の方向に棍棒を振り回すが、それは空で虚しく音を上げた。


 (武器が欲しいな)


 跳躍した状態でオオグを見下ろしながら、そう願った。ただそれだけで、少女の手の中に魔力が満ちていく。


 「願ってみるもんだ」


 とぼけた様子で言う少女は魔力の輝きを増していく右手を握り締めた。球体の形をしようとしていた魔力の塊は、指先から漏れ出ると一メートルほどの魔力で作られた剣を少女の手の中に出現させた。

 色は黒一色。重くもなければ、柄もないのに痛くもない。先端の反り返った剣の姿は、そのまま刃を握り締めたようだ。


 (そうか、これはボクの魔力の剣。ボクは干渉を許されている。だけど――)


 少女は魔力の剣を背部方向へと引いた。やっと少女が頭の上にいることに気づいたオオグは、すぐさま棍棒を頭上へと突き上げた。


 「この剣は、他者の干渉を決して許すことはない」


 オオグの突き出した棍棒を中心に体をひねり、軽やかにオオグの攻撃をすり抜ける。そして、剣をオオグの首に当てれば、力を入れることもなくそのまま地面へと落ちいく、ただそれだけ。ハサミがするりするりと、紙を裂くような質量を感じさせない動作でオオグの肉体を半分に切り裂いた。


 「断つ理。――アンナス・セイバー」


 自然とその剣の名前が口から出た。そして、それが当然のように出現した剣が手の中に吸収される。

 オオグを見れば、まるで高熱に焼かれたように裂かれたせいで鮮血を上げることもなく黒ずんだ切り口だけが確認できる。どちらにしても、完全にオオグは絶命した。

 血にまみれるオオグの姿を見て、鼻を鳴らす少女。屍の臭いが不快なのか、それとも自分の下した死が違和感なのか、それは不明。だが、それでも、オオグの地に伏せた姿からは目を逸らすことはできなかった。


 「あっ」


 小さく声を漏らす少女。左手が紫色に発光し淡く輝く、そこには見覚えのない印が浮かぶ。中心に骸骨と竜が混ざり合ったような生物、それを囲むように二体の蛇が左右で半円を描いている。もっとよく見ようとしたが、すぐに消えてしまった。


 「なんなの、今の?」


 そう呟くが答える人間はいない。仕方がない、返事が返って来るように探すだけだ。そう思い再びどこかへアテもなく向かおうとした少女――。


 「――勇者様、ありがとうございます!!!」


 先程まで腰の抜けていた男性が駆け寄って来た。

 勇者、という言葉に不思議と懐かしい気持ちになってくる。その感情も不明瞭、だがしかし、何か心に引っかかる。

 男性に続いて女性も駆け寄って来る。その腕の中には、先程助けた幼い女の子を抱いている。


 「やはり、勇者様ですよね! まさか、こんなところで勇者様に助けていただくとは! ありがとうございます、ありがとうございます……」


 何度もぺこぺこと頭を下げる両親を真似してか、少女もぺこりと頭を傾けた。


 「ありがとぉ」


 大きな目に舌足らずな喋り方が、実に可愛らしい少女だった。

 ポカポカと胸の奥が鼓動を繰り返し、今の状況に相応しい言葉を知らない。そのためか、直感的な物言いしかできなくなる。


 「……ボクは勇者なのか?」


 男性と女性は一瞬、顔を見合わせる。そして、すぐに笑顔で少女を見た。


 「先程の手の輝きは、勇者の印なんでしょう? はっきりと見えませんでしたが、あれは勇者にしか出ないもののはずです」


 「そうか、ボクは勇者か……」


 他者から強く言われると、不思議と納得してしまう。他には何もないせいか、第三者の言葉が何よりも信用できた。気がつけば、頭の中で”勇者”という文字を何度も繰り返していた。

 胸の奥で小骨のように引っかかる”勇者”という文字。間違いない、これはボクに関連するものだ。


 「勇者様、ところで……お名前はなんというのですか?」


 人の良さそうな笑顔と共に女性が聞く。

 勇者という文字がきっかけになったのか、それとも戦闘の経験が影響を与えたのか。しばらく考えてみれば、すぐに頭に浮かんだ。


 「――キリカ」


 少女――勇者キリカは、剣のような危うさを持った名前を告げた。

 

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