第15話 モニカレベル14 ノアレベル32 アルマレベル30
剣を構えて突進したモニカ。しかし、ノアの攻撃を回避し、アルマの行動を予測できるゴートンには、足で踏みしめた雑草程度の脅威でしかない。
遅く、鈍間で、たった数メートルのゴートンまでの距離でモニカは躓きながらも進んでいた。
「でやっ!」
ゴートンの前まで近づいたモニカは両手で握った剣の刃を頭上から振り落とした。呆れたようにモニカを見ていたゴートンの腹部に、刃があっさりと吸い込まれる。
ずぶり、と肉に刃が埋まっていく感触。しかし、それが致命傷になることはない。肉に埋まった刃だったが、引っ張られたゴムが再び弾かれたようにゴートンのぶ厚い肉が押し返し、モニカの体ごと吹き飛ばす。
「きゃ――」
モニカは悲鳴を上げて、後方へと転がっていけば、ごろごろと床で後転を繰り返す。
ゴートンは魔力も使っていなければ、身動き一つしていない。モニカ程度で、本来持つ肉体の頑丈さが刃を通すことはなかった。モニカは勝手にぶつかって、一人で転がって行ったに過ぎない。そんなモニカを見ていたゴートンは、深く溜め息を吐いた。
「勇者がどんなものかと思っていましたが、まさかこんな虫のような存在とは。どうやら、これでは味も期待できませんね」
独り言を漏らすゴートン。強者が持つ雰囲気を感じられなかったため、弱い弱いと思っていたが、それはゴートンの想像すらさらに下回る実力だった。
「どうやら、この世界は勇者の選定に失敗したようですね。……おや?」
気にしてないわけではなかったが、他の方法なんて考えられないモニカは自分の攻撃が通用しなかったことなんてなかったかのように、先ほどのやり直しを見るようにゴートンへと剣を構えて向かっていく。
「やあああぁぁ――!」
剣を振り、腹が押し返す前に抜き、再びゴートンの腹を削るように剣を振り落とす。傷つけた箇所からは、流血する様子もなく、真っ赤なトマトのようになった肉体が弾力で押し返すのみ。既にそれだけで、モニカとっては揺るがせることのできない強固な盾だった。
モニカの力では傷つけることも、押し返すことも、顔を苦痛に歪ませることもできない。
「何度やっても同じですよ? 分かりませんか? 虫が飛んでいても気にならない人間は、そのまま相手にすることなく通り過ぎるでしょう。今の貴女は、それと一緒なんですよ。ご理解いただけたでしょうか。言ってしまえば、貴女は私に寄って来る虫。違うとすれば、貴女という虫が勇者という珍しい種類であるということだけ。飾ることが関の山、触れば壊れ、あるからといって役立つこともない。他に使用方法など無い、役に立たない美術品でしかない」
ゴートンの声など聞こえていないように、モニカは必死に剣を落として上げてを繰り返す。
「少しチクッとしましたよ」
食欲を満たすこともできなければ、戦いを楽しむことのできないゴートンは蚊でも払うように手を動かす。その一振りだけで、モニカは見えない手に引かれたように横の壁に叩きつけられた。
つまらなそうに、ゴートンは「ぶっひょっ」と小さく笑う。
「これで、おしまいですね。一番の主食である勇者が、この程度では私どころか……あの方の足元にも及びませんよ。いえいえ、比べることすら失礼ですね」
足音が聞こえ、ゴートンは「お」と僅かに驚き混じりの声を漏らす。
泥の付いた顔でモニカが剣を構えて駆けて来るのをゴートンは見た。
「私は、倒れない。……ここで、倒れたら、みんなが……!」
踏み込んだ右足を軸に、モニカは先ほどよりも力を入れて剣を力任せに振る。その攻撃が触れる間際に、ゴートンの手が動けば再びモニカの体を弾き飛ばし、減速することなく次は反対方向の壁に叩きつけられる。
「妙なところで、頑丈なんですね。……ぶっひょっ!」
意地の悪そうな笑顔をゴートンは浮かべた。
ゴートンが思いついたのは、同じ魔人族といえど顔をしかめる者が多い思いつき。
勇者の力で頑丈な体を手に入れていたモニカには、目立った外傷はなく、ただ単に鎧が汚れているだけのようにも見える。しかし、ゴートンの衝撃は確実にモニカに痛みを与え、吐き出される言葉は神経を削っていく。それでも、なお――モニカは剣を構えて走る。
「そちらがその気なら、心が砕け散るまで……たっぷりがっつり、相手をしてあげますよ。ぶっひょっぶっひょっ!」
ゴートンによるモニカへの一方的な暴力の始まりだった。
※
(私……何してんだろ……)
モニカの体が飛び上がる。手を伸ばせば、すぐそこにシャンデリアが届きそうだ。しかし、ゴートンに足を掴まれれば地面に叩きつけられる。
何度目か分からない衝撃に意識を失いそうになりながら、モニカは再び立ち上がろうとする。そのたびに、ゴートンは嬉しそうにいやらしく笑うのだ。
勇者の力のおかげで痛みはかなり抑えられているが、さすがに小さな痛みも重なってくれば気がおかしくなりそうだった。意識がぼんやりとしてきているのは、受け続けた衝撃や振動のせいで、どこか頭がおかしくなっているのかもしれない。
(そういえば、頭もたくさんぶつけたな……)
確実に体が弱っているのは分かる。両手で握っていたはずの剣だったが、今は片手で握る。意識しているわけではなく、手放してしまえば敗北だという気がして無意識に掴んでいるといった方が正しいかもしれない。
何度も立ち上がり、ただがむしゃらに突っ込むモニカは、自分から見ても役立たずなゾンビのようだと思えた。
(そうだよね。いつも、アルマちゃんやノアちゃんに助けてもらって……。正直、心のどこかでは、これから先もずっと助けてもらうつもりでいた……)
ゴートンに蹴飛ばされ、モニカの体が支えを失った人形のように高く上がる。
(二人が負けるはずがない。私が手助けして、二人が戦う。それで、どこまでも行けそうな気がした)
高く上がったモニカは、視界の隅に身動き一つしないアルマとノアの姿を見た。
もしも、彼女達が勇者なら、もっと戦えたのに。自分の体が頑丈なのは、本当に無駄な力だ。強くもないのに、馬鹿みたいだ。
(ねえ、教えて。樹木神のおじいちゃんは、どうして私に力をくれたの……。私、元の世界でも、ここにいてもダメダメなままなんだよ? 今だって、何もできないでいるのに!)
ゴートンの頭上で浮遊していたモニカが重力を受けて落ちていく。力の入っていないモニカの体をゴートンは、球遊びでもするように、もう一度蹴り上げる。
「ぶっひょっ! 人間の体を玩具にしての球遊びというのも、面白いものですね! ちょうど娯楽を求めていたところです、私の趣味にしましょうか!」
柱に体をぶつけたモニカは、瓦礫だらけの地面へ落ちていく。
戦う方法も知らないし、逃げるなんて考えもしていない。弱く脆い、それでもとモニカは手放すことのなかった剣の先を地面に突きたてて、剣を支えに立ち上がった。
どうやら、勇者の力で守られていたのは、そろそろ限界だったようで、指先は切れてところどろころ出血が見える。おそらく、このまま戦えば、指先どころか全身が元のモニカと変わらないほど脆弱な肉体に戻ってしまうだろう。
ゴートンはモニカの姿を見て、本物の豚のように短い鼻を鳴らして笑う。
「ぶっひょっ! まだ立ち上がるのですか!? 弱くて小さな存在の貴女達にしては……いやいや、だからこそ、この世界の汚れのようにこびりついて取れないのでしょうね!」
攻めることもなく、ゴートンは薄ら笑いを見せる。それは、わざわざ近づかなくても、モニカから接近してくるのが分かっているからだろう。
既にモニカの意識は落ちる手前だ。後、何発耐えられるのだろう。そう考え始めた思考を振り払うが、すぐさまそんなマイナス思考が頭の中でいっぱいになる。
もともと、自分はこういう存在だ。ずっと、マイナスで決してプラスになることはない。体育の授業のチーム分けは、いつも最後まで残る。勉強だって、先生達が呆れるぐらいに苦手だ。それなのに、みんなは私を一人にする。できないこともあって、難しいこともあって、助けてほしかった。だけど、誰も助けてくれない。助けを求める強さすらないからだ。
何が勇者だ。今の自分は、『ただの花美咲もにか』だ。この間まで中学生で、やっと高校生になったばかり。子供で、女で、弱くて、異世界に来たことで、雰囲気に流されていただけだ。
(ダメだ、足ももう思うように動かない……)
肉体が限界を迎えていた。それでも、反射的に体が動いていく、ふらつき、こけそうになりながらもゴートンへと走る。
ノアちゃんみたいに疾走とは呼べない、鈍走。
アルマちゃんみたいな作戦は浮かばない、単純。
今思うと、二人はずっとギリギリの状況で戦っていた。
ノアちゃんは、自分の命よりも私の命を優先して全力で戦い続けた。
アルマちゃんも、傷つきながら女の子を守る為に最後まで戦おうとしていた。
レットくんだって、危険と承知で私達を牢屋から救い出そうとしてくれた。
思い出す人達、みんなが誰かのために戦うことのできる人。傷ついても、苦しんでも、その先で誰かを思いやれる力をみんな持っている。そんな彼らの顔を思い出す――。
(――諦めたくないよ。諦めたくない)
モニカは息を吐いた。それがあまりにも熱過ぎて、血でも吐いたかと思うほどの呼気。
「また、みんなに会いたい……。私、みんなに会いに行きたいんだよ……!」
弱い自分を受け入れてくれた人達がいた。欠点だらけの自分を、この世界の人達を求めてくれた。――そんな世界を守りたいと思う。
(弱くてもダメでも、初めてこんなに……誰かのために何かをしたいと思えた。だから、誰かのために戦う勇者というものに惹かれて憧れた。きっと、樹木神のおじいちゃんが求めたんじゃない。私が、勇者になることを望んでいたんだ)
ゴートンに近づいたモニカは、背中まで振り上げた剣を再び振り落とす。
「私がダメでも嘘でも……きっと、勇者は、大切な誰かのために戦える人なんだっ!」
モニカの全力を出した一振りをゴートンは嘲笑うように、回避することもなくその腹で受け止める。案の定、その剣はゴートンを切り裂くこともなく、それから先はピクリとも動かない。
モニカは全体重を乗せて、剣を握り締める力をさらに強くする。
「諦めない、絶対に諦めない!」
剣を握り締めたせいで、指の傷口からは血が流れ、垂れた血が肘の方まで濡らしていく。
「ぶっひょっぶっひょっ~! 何度やっても、何百回斬っても、何千回向かってきても同じこと……ぶっひょ?」
モニカの右手の甲が輝いていた。そこで光るのは、ゴートンも知っている勇者の証。
『テッテテー! モニカのレベルが上がった。諦めない気持ちが”ご”上がった。』
「私が欲しいのは、みんが持っているそんなものじゃないよ。もっともっと、私が誰かを守れる力が欲しいんだよ! 樹木神のおじいちゃん――!」
力強いモニカの声に、右手の甲の輝きはさらに光を増していく。
ゴートンは今までと違う光景に、何やら良くない出来事が待っているのではないかという答えに辿り着く。
ゴートンはすかさず、右手の拳を振り上げる。
「それ以上、喋るなぁ――!」
焦燥感に駆られながら、ゴートンは横殴りの拳を放つ。しかし、再び予想外の事態が起きる。
腰を屈めてモニカがその拳を避けたのだ。
「へへへ……。私だって、これぐらいできるよ?」
『――モニカはスキルを手に入れたのじゃ。その名は――』
それ以上言わせていけない。
そんな気がしたゴートンは、空振りをした拳をそのままに、もう片方の空いた拳をモニカに向けて振り落とした。
「――黙れえええぇ!」
爆薬でも使ったのではと思うような轟音と共に、モニカの姿は土煙の中に消えた。
「はぁはぁ……。これで、終わりですね。少々やり過ぎた気がしますが……体の一部だけでも回収すれば、問題ないでしょう」
荒い呼吸を繰り返して、ゴートンは右手の拳を持ち上げた。しかし、そこにモニカの姿はない。自分が粉々に砕きクモの巣のような亀裂を走らせた床があるだけだ。
「ど、どこに……」
またどこかに吹き飛ばしたのか。それとも、肉体が潰れるほどの攻撃だったのだろうか。そう考えるゴートンは完全に慢心していた。だから気づいていない、そういう発想すらしていない。
モニカはあの拳の中から逃げ出していた。
「――どこを見ているの? 私はここだよ」
ゴートンは声のした方向に顔を向ける。
モニカはゴートンの背後、十数メートル先に立つ。しかし、ゴートンを驚かせたのは、もう一つある。
「すまない、長いこと眠りすぎていた」
「傷だらけじゃない、モニカ……」
モニカの両隣には、ノアとアルマの二人が立っていた。だが、アルマは杖を支えに体を半分傾かせ、ノアの腕には深い傷が覗かせる。
ノアがモニカの体を支えているところを見ると、あの拳からモニカを助けたのはノアだということにゴートンは気づいた。同時に、ノアに気づかないほどの冷静さを失っていた自分を恥じた。
「ぶ……ぶっひょっぶっひょっ! 今さら目を覚ましたところで、手負いの身でどうするつもりなのですか!?」
戸惑いの表情を見せていたゴートンも、二人の傷ついた姿を見て安心したようにいつもの笑い声を上げた。
モニカの危機に立ち上がったノアとアルマだったが、実際のところ二人に勝利に結びつく手はなかった。そのため、ゴートンに図星を指された気がして二人は口を閉じた。
これ以上戦っても結果は見えている。ほぼ全力で立ち向かったノアとアルマが勝てない敵だ。今は全力で逃げることを考えるしかない。ノアとアルマは視線だけで会話すれば、その結論に至ろうとしていた――。
※
「――大丈夫だよ。二人とも」
モニカの言葉に、ノアとアルマの思考は一旦停止する。
ノアの体を押して自分から離せば、モニカは二本の足でしっかりと立つ。幸いにも、右手の剣を離すことはなかったようでモニカは安心する。
ゴートンは満身創痍のモニカの姿を見て、吹き出して笑う。
「ぶっひょっ!? 勇者様は、いたぶられる趣味でもあるんですかねえ。虫で、役立たずな美術品で、さらには変態ですかあ!?
いいですよいいですよ、私がた~ぷり教えてあげますよ!」
ゴートンなんて眼中にもいれていないように、モニカはノアとアルマに交互に視線を送る。どこか大人びた、それでいて優しげな目をしていた。
「私、勇者だけど……無理して勇者にならなくていいと思ったんだ。だって、その人が勇者かどうかなんて、自分じゃなくて誰かが決めるものなんだよね。誰かを助けるのに自分が勇者だから、とか関係ないよ」
二人に背中を向けたモニカ。ノアとアルマは、そんな今まで見たことのないようなモニカの姿に言葉を失っていた。
そこにいるのは、今まで見たことのない強くて逞しい誰かに見えた。モニカの言葉は続く。
「誰かを守りたいと思う人、例え自分が傷ついても、それでも立ち上がろうとする人。それが、勇者なんだよ。私は、最初から特別じゃない。ううん、特別になんてなれない。ノアちゃんも、アルマちゃんも、誰かのために困難に立ち向かおうとする人は――みんな勇者なんだ」
モニカは右手を胸元まで持ってくれば、手の甲が輝き出す。それは、モニカの新たな力の産声でもあった。
「だから、二人とも力を貸して。私だけが勇者じゃない、だって……みんなが勇者。……一緒に戦おう」
闇を切り裂いてくれ、この力が誰かの勇気の証明であるように、そんな祈りと共に叫んだ。
「絆のスキル発動! 繋ぐ絆。――アブソリュート・フォース!」
この屋敷すら光で焼き尽くしてしまったのではないか、そんな錯覚を覚えるような激しい光がモニカから発せられた。
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