2-22【あの山を登るために必要な船頭の数11:~魔人たち~】




「まもなく定刻となりますので、皆様配置に付いてください」


 遠くから女兵士のその言葉が聞こえたとき、自分に向けられた訳でもないのに体を強張らせるアイヴァーを、トリオンはなんとも言えない気持ちで見ていた。

 今のは魔王入場に参列する魔国の臣下の者に向けた声掛けだ。

 城の様に巨大な特製の”舞台車”の天辺の玉座に座らされるアイヴァーはとっくに配置に付いているし、今更できる事もない。



「やはりもう少し目元の印象を柔らかくはできんか?」


 だが、そう言って玉座の金属面に映る自分の姿を見るこの小さな魔王にとってその言葉は、刑場行きを待つ囚人への宣告のように聞こえたようだ。

 感覚の鋭いトリオンでなくとも、自分達の目の前にそびえ立つ大扉の向こうで、とてつもない熱量の”悪感情”が渦巻いていることは感じられるのだから仕方はない。

 そしてその悪感情は、玉座の上に座るアイヴァーに集中することになる。


 一応大臣たちも罵声の分散を狙って、シセルを舞台車に先行させる事にしているが、見えぬところで罵声を浴びせることはできても実物の大魔将軍を相手に同じことができる強者がどれだけいるか疑問だ。

 シセル大魔将軍アイヴァー魔王、喧嘩を売るにはどちらが良いかは聞くまでもない。


「遠くから見られるのです。 それくらい濃くないと、印象に残りませんよ」

「・・・残りたくなどないわい。 わらわは煙のように消えたいのだ」


 だからトリオンは、自分の言葉にアイヴァーが駄々をこねるようにそう返しても、いつものように強い口調で押し通す気分にはなれなかった。

 まあ、気分にならなかったとはいえ、押し通さないわけにはいかないのだが。


 今このタイミングで魔王用の手間のかかる化粧の直しなどできようか。


「少しの辛抱です。 むしろちょっと目が怖い方が、相手も怖がって何も言わないかもしれませんよ」

「・・・本気でそう思うのか?」

「ええ」


 トリオンは一切の躊躇なくそう答える。

 だが長い付き合いのアイヴァーはすぐにそれが嘘であると見抜いたらしく、その表情の苦々しさは更に深まってしまった。

 さりとていつまでも駄々をこねるほど幼くもないので、ものすごく嫌そうに玉座の上で背筋を伸ばしてくれるのだが。


 だがその時、顔の装飾の向きを揃えていたアイヴァーが不意に動きを止め、その視線が前方で固定された。

 何事かと思いトリオンが振り向けば、入場行進列の先頭に立つシセルの所に、伝令役と思われる兵士が駆け寄り何かを呟いているのが見える。

 何かあったのか?


 するとシセルが僅かに表情を強張らせ、すぐに地面を蹴って飛び上がり、トリオン達のいる玉座の前に降り立った。


「陛下、失礼いたします。 ・・・トリオン」


 シセルはアイヴァーにそう断るなり、すぐにその横にいたトリオンの耳に口を寄せると、短く用件を告げた。


「沿道に”モニカ・ヴァロア”が来ているらしい。 入場警護の手伝いを申し出ているようだ」


 その言葉にトリオンが固まる、何を言っているのか全く理解できなかったからだ。


「・・・どういうこと?」


 あまりの意味不明さで、大魔将軍相手だというのについ昔の言葉遣いに戻ってしまうトリオン。

 だがシセルにも、それを咎める余力は感じない。


「・・・アイヴァーを襲撃したいのかしら?」


 言った瞬間、トリオンは”しまった”と心の中で口走った。

 あまりの衝撃に言葉を隠しそこねたのだ。

 当然、シセルやトリオンに比べれば見劣りするとはいえ、常人よりは遥かに耳の良いアイヴァーがそれを聞き逃す訳がない。

 ビクッと体が跳ねたかと思うと、こちらを見る目がカッと見開かれたのだ。


「誰ぞ妾の首を狙っておるのか!?」


 それに対し即座にシセルが頭を垂れて言葉を放つ。


「いえ、ご安心ください。

ただ、良からぬ事を考える可能性のある者がおるゆえの報告を受けただけのこと。

 舞台車の下には私が、陛下の近くにはトリオンが控えております、陛下の安全が脅かされる話ではありません」


 そう言ってアイヴァーを宥めるシセル。

 だがその姿に、トリオンは僅かに驚いた。

 100年以上共に戦ったのだ、トリオンにシセルの嘘を見抜けないわけがない。

 だが、この最強の大魔将軍が”陛下の安全が脅かされる話ではありません”等という言葉を、”嘘”として自信もなく言わざるをえないとはどういうことか?


 そして大魔将軍の嘘を見抜けるのは”トリオン”だけではなかった。


「シセル、妾に嘘はやめろ。 不安があるのだろう?」


 アイヴァーは不安の混じった、だが毅然とした視線をシセルにぶつけながらそう言った。

 それにシセルが困惑しながら軽く頷く。


「問題がないのは事実です。警備変更の報告を受けていますし、私の”目”も正常ですので。

 ただ・・・」


 シセルはそう言うと、額の三眼をギョロリと動かし正門の大扉を向こう側を睨んだ。

 その視線が、気のせいかいつもよりも弱い。


「・・・胸騒ぎがします」


 ゴクリ・・・


 トリオンが生唾を飲み込み、額を冷や汗が伝い落ちる。

 天下の大魔将軍が不安を吐露するなど異常事態も良いところだ。

 だがそれが”不安”だと気づいた瞬間、トリオンの心は少し軽くもなった。


「・・・そういえば、シセルは初めての経験なんだっけ?」


 トリオンのその妙に馴れ馴れしい声かけにシセルが不安そうな三眼をこちらに戻す。

 その強烈な視線を受けながら、それでもトリオンは引かなかった。


「自分より力が強い存在に相対するのは初めてでしょう? それが”不安”よ」


 トリオンの言葉にシセルが目を細める。


 このシセル・アルネスは、生まれたその瞬間からつい最近まで”最強”だった。

 それは単に”勝てる、勝てない”を通り越して、力で勝る者もいないという意味でもあったのだ。

 だが今回、自分達を待ち受ける相手は、力だけならシセルを上回る可能性が高い。

 そして、そんな存在を相手にした経験が、シセルには決定的に足りなかった。


 だからトリオンは、不敬と知りつつシセルの胸を軽く小突く。


「魔人の誇り、”魔神の代行者”、天下の大魔将軍シセル・アルネスを過小評価するのはよしなさい。

 それに魔人の本質は”己の強さ”に非ず、自身の数倍数十倍の敵すら屠る”技術”を扱う能力よ。

 そして、あなたは誰よりもその技術を見せてきた」


 トリオンはそう言うと、シセルの瞳をじっと見つめた。


「警備は万全なんでしょう?」


 天下の大魔将軍と、トルバの魔導騎士が2人も警護につくのだ。

 これ以上の万全が他にあろうか?

 しかもそれだけではなく、トリオンを始めとする大量の”補助戦力”が揃っている。

 この大勢を相手に、力が強いだけの小娘に何ができるというのか?


 言外にそう込めるトリオンの問いにシセルは諦めたように小さく息を吐いた。

 

「・・・君が”魔将軍”を退いたことを、ここまで嘆いたことはない」


 シセルはそう言うと胸を小突いた返礼とばかりに、トリオンの胸を小突き返す。

 それと同時に、シセルが鋭く小さな声でトリオンに告げた。

 

「・・・行進の時は陛下のに」


 その言葉に今度はトリオンの表情が曇る。

 予定では確かに舞台車上ではあるが、アイヴァーから2段下の位置に構えることになっていたはずだ。

 それが


「・・・良いの? 大臣達が怒るんじゃなくて?」


 だがトリオンがそう答えながら脇をチラリと見れば、苦々しい顔の大臣達が目に入った。

 どうやらシセル配下の魔国兵が”トリオンの配置”を伝えているらしい。


 護衛としてトリオンに不足はない。

 一線を退いたとはいえ、実力だけならまだトルバの特級戦力に比する。

 だが、トリオンの立場はアイヴァーの侍従でしかない、つまり”使用人”だ。

 服装こそ礼服ではあるが、あくまで”それ相応”のもの。

 それが魔王の晴れ舞台で、その魔王と同じ位置に並ぶなど外聞が悪い事この上ないだろう。

 だが、シセルはそんなものなど気にしない。


「安全には変えられない。 ・・・それに私が上がる訳にはいかないからな」


 トリオンはその言葉に抗うことはしなかった。

 ”シセルを魔王に”という声はまだ強い。

 その中でシセルが、アイヴァーと同じ位置に立てば、ようやくシセルが決意したのかと血気づく者も出るだろう。

 そうなれば、せっかく纏まった”トルバ加盟”の話もどうなるか。

 だからトリオンは、それでこの大魔将軍の不安が晴れるのならば、引き受ける他ないだろうと考えるしかなかった。


「・・・シセル。 要件はそれだけか?」


 トリオン達のやり取りを見ていたアイヴァーが、徐に口を開いた。

 その声に、シセルは姿勢を正してアイヴァーに一礼する。


「仰せの通り、以上でございます陛下」

「では持ち場に戻れ、そなたがここにいる一時は、そなたが持ち場を見回る一刻に劣る」


 アイヴァーがそう言うと、シセルは拝命するように恭しく頷き、チラリとトリオンを見てからくるりと体の向きを変え舞台車を降り始めた。

 その様子をアイヴァーが見送ると、すぐ近くのトリオンにだけ聞こえる声で悪態をついた。


「不愉快じゃ・・・トリオンに心配される役までシセルに取られるのか」


 その言葉にトリオンは、思わず吹き出しそうになるのを必死に堪えながら、下に並ぶ者達に指示を飛ばした。


 トリオンがアイヴァーの横に並ぶのは仕方ないとはいえ、それで不格好になるわけには行かない。

 ”そういうものなのだ”と取り繕うため、トリオンと同じ格好をした側仕えを反対側に立たせて、アイヴァーを挟む形を作る。

 これならば、知らぬ者が見たときの違和感が幾分和らぐだろう。


 あとは、トリオンが立つはずだった配置に見てくれの良い魔国兵を立たせれば、侮る者はいないはずだ。

 そしてそれらの再配置を終えたところでトリオンがシセルに視線を送ると、それを準備完了の合図と受け取ったトルバの警備隊長が大声を張り上げた。


「これより、”アムゼン魔国”の入場を始めます!!!」


 ギギギという文字からは想像もできない程の重低音を上げ、眼前の大扉が軋みながらゆっくりと動き始める。


 するとその瞬間、門扉の間にわずかに開いた隙間から強烈な”声の波”が流れ込み、その音の濁流がトリオン達を包み込んだ。


 待ち構えていた大群衆が歓声を上げたのだろう。

 それが肯定的であれ否定的であれ、待ちかねた末のその声には新鮮な好奇心が満ちてる。

 シセルの歩調が強まり、それに合わせるように舞台車の速度が加速していく。

 

 アイヴァーの肩が僅かに震えている。

 だが同時にトリオンは、別の事に震えそうになる自分を押し留めてもいた。

 トリオンの三眼が、即座に”それ”を見つけ出していたのだ。


 さっと横を見れば、周囲の者たちの中で”三眼”が開眼している全員がトリオンと同じ方向を見ているではないか。

 これから自分達が通る道の向かって右側、人混みに隠れるようにして一つの”魔力源”が佇んでいるその場所を。


「・・・あれがモニカ・ヴァロア」


 気づけばトリオンは小さく呟いていた。


 何というバケモノかと。






 扉が開いたと同時に、まるで周囲が爆発したかのように群衆の声が噴き上がった。

 俺達のときとは比較にならないほどのその轟音に、モニカが僅かに眉を顰める。

 余りにもの量と圧力に言葉の原型を留めていないが、周囲から発生しているのは間違いなく”罵声”だったのだ。

 肩に抱えている”リャーダ迷子の幼女”の足が強ばるのを感じて見上げれば、驚いたことにこんな小さな幼子ですら、表情に否定的な感情を浮かべているではないか。


『みんな”魔王さま”が、きらいなんだね』


 モニカが俺にそう呟く。


『話には聞いていたが、これはそれ以上だな』


 百聞は一見にしかずということだろう。

 確かにこの数十年、魔国はトルバの一員として穏便に過ごし、かつての恐怖の存在としての側面は鳴りを潜めている。

 トルバ正式加入への足がかりとして今回のラクイア軍事会議へ参加が認められたことから分かるように、国際的な地位は確実に良くなっているのは間違いない。

 だが、それでも数百年もの間と魔王と命がけで対立してきた人々の心までは変えられない。


「シネエエエエエエ!!!!!」

「地獄に落ちろ!!!」


 すぐ近くにいた者達が口々に、心の中の怨嗟を隠そうともせずに吐き出すその光景に俺は少し気分が悪くなってきた。

 俺達の入場の時に向けられた、あの”妙なまでの好意的な反応”の正体がこれなのだ。

 民衆は、”魔王への対立者”として俺達を支持していたということである。

 だがそれは、事を穏便に・・・できれば友好的に収めたい俺達の思惑にとって、必ずしも好都合ということではない。


 ただ、その”罵声”は長くは続かなかった。


 唐突に、俺達の周りを静寂が包み込んだのだ。

 

『・・・?』


 何事かと俺が周囲を見回すと、つい一瞬前まで顔に憎悪を浮かべていた群衆達の困惑顔が飛び込んでくる。

 皆、この突然の”声の消失”に困惑していた。


 いや、”消失”ではない。


 その証拠に、まだ遠くから罵声が聞こえてくるし、周囲の者達が発した言葉もハッキリと聞こえている。

 だが、それが”纏まり”を持たないのだ。

 横にいた女性が顔に力を込めて罵声を捻り出そうとするが、出てくるのは気のない弱々しい声のみ。

 全員が、なぜか声に嫌悪感を込められていない。


 モニカの視線が素早く、まだ残る”罵声”を追いかける。

 内門の方・・・つまり入場行進が進む道の先に、まだ声が残っている。

 だがそれも急速に遠退いていた。


 モニカの視線が今度は逆を向く。

 声の消失が始まった方・・・内門の逆側・・・つまり入場行進の本隊に。


「・・・っ!?」


 ”それ”を見た瞬間、モニカの全身が一気に緊張して固まる。

 その衝撃で、肩車していたリャーダの頭がカクンと揺れた。

 いつの間にか俺達の肩を力強く掴んでいたスコット先生がいなければ、この幼子を取り落としていたかもしれない。

 そしてそれに気づいた俺がスコット先生の顔を見上げれば、これ以上ないほどの冷や汗を浮かべ青ざめる先生の姿が見えた。


 だがその姿が妙だ・・・・スコット先生って・・・



 こんな小さかったっけ?



 その瞬間、新たな音の津波が俺達を飲み込んだ。

 ただ、その”音”はずいぶん小さく短い。

 ”それ”から一定の距離に近づいた群衆が一斉に息を飲む音が重なり、短い異音の波として大通りを駆け抜けていたのだ。


 モニカの目が、”そいつ”をしっかりと捉える。



 魔国の入場行進列、その先頭をまるで怨嗟を切り裂く衝角のように悠然と進む、”一人”の姿を。

 大魔将軍”シセル・アルネス”の姿を。


 そして俺は初めて目にした瞬間に、すぐにこの”音の異常”がなぜ発生したのかを理解した。


 結論は”誰も何もしていない”。

 人々は”己の本能”で、この怪物に悪感情をぶつけることをやめたのだ。


 鈍感な者であれば壁越しに罵ることはできただろう。

 だがその姿に向かって罵声を浴びせられるほど、本能が鈍っている者はいなかった。

 いや、仮にどれだけ強くとも、”あれ”に敵対したくはないし、敵対しているところを想像したくもないだろう。


 感覚的なものを抜きにした ・・・・・シセル・アルネスは、他の魔人より僅かに背が高く、少し筋肉質なだけに見えた。

 筋肉質といっても、それは元々あまり肉付きが良い方ではない”魔人”という種族にしてはであって、一般的な獣人とさして変わりはない。

 身長だって2ブルと少し・・・大魔将軍に関する伝説はおろか、関係者から聞いていた”正しい情報”と比較しても低いくらいである。


 だが感覚的なものを加味した ・・・・シセル・アルネスは、俺達の出会ってきた誰よりも力強く、そして遥かに恐ろしい存在だった。


 周囲など関心はないとばかりに悠然と歩くその姿は、ゾッとするほど洗練されていて、一目でこの人物が尋常ではない体操作を身に付けていることが、それこそ誰にでも ・・・・理解できた。


 モニカに聞くまでもない。

 確実にガブリエラよりも危険だ。


 そりゃガブリエラの方が・・・いや俺達でも【制御魔力炉】を全開にすれば、”力”では勝るだろう。

 だが、シセルとガブリエラが戦えば、死ぬのは確実にガブリエラだ。

 ガブリエラも俺達も”戦略兵器”でしかなく、こんな”戦闘兵器”ばりに動ける”戦術兵器”に睨まれて生き残る術はない。


 せいぜい、相打ち狙いで街ごと消し飛ばすとか?

 それだって発動までのタイムラグで如何様にも殺せるか。 

 少なくとも”生き残る”の基準は満たせまい。


 ただ、これはまいったな・・・


『逃げれるイメージがない』


 こりゃ多少の小細工は正面から踏みつぶされるだろうな・・・


 俺が苦虫を噛み潰したような声を出し、モニカがそれに感情で同意する。

 大魔将軍を一目見た瞬間に、準備していた”逃げ算段”は一瞬にして跡形もなく瓦解していた。

 システムを混乱させた隙に逃げるつもりだったが、こんなのが相手ではそもそもシステムに頼らせる事すらできるか。


 まあ、この事実を知れただけでも来た価値はあるだろうけど。

 ただ、モニカはその点についてはあまり関心を示していなかった。


『あの靄の動き・・・まだ、何かわからない?』


 たまにチラチラと大魔将軍の方に動くが、基本的にモニカの視線はずっとこの場を埋めつくす”黒い靄”を追って大通り中を彷徨っていたのだ。


『残念ながらな』


 相変わらず雲のように漂うその靄を感知できるのは、俺達の”視覚”だけ。

 分かったことといえば、見えている理由が”視神経”によるものではなく、脳の視覚野にこびり付いた【制御魔力炉】の魔力の残滓に反応しているということくらい。

 それだって、あの靄が”魔力”ということを意味しているわけではない。

 【制御魔力炉】から新鮮な魔力が供給されない状態で、魔力を見る機能は残らない筈なのだから。

 もしかすると、あれは俺達の【制御魔力炉】で生成される魔力と近いのか?

 だが、ガブリエラのにあんな反応はしなかった。


 モニカの目が焦るように黒い靄の動きを追う。


 その感情からして、”事”が起こるまでの時間は残されていないのだろう。

 だが、何が起こるというのか。

 モニカに聞いても、帰ってくるのは混乱した”記憶の断片”だけ。

 どうも、【予知夢】で見せる光景はいつもと異なるフォーマットで記憶されるらしく、その解析に結構な手間がかかっているらしい。

 モニカはなんとなくそれが分かるらしいが、前提となる感覚が存在しない俺には、まずその感覚の理解から始めないといけないのだ。

 まあ、これはそのうちできる。


 黙って待ってても仕方ないので、建設的なことをするべきだろう、と俺達は取り合えず魔国一行の様子を確認することにした。


『兵装しているのは”大魔将軍”含めて40人ってところか、入場行進にしちゃ、ちと物騒だが、国の規模を考えればだいぶ少ないのかな』

『でも武器持ってないひとでも、つよい人たくさんいるよ?』

『なるほど、足りない分は文官に偽装しているのか』


 ただ、全員がそういうわけではないようで、特に偉そうな格好の文官は贅肉の方が多かったりと、どう見ても戦えそうではない。

 おそらく、替えの利かない”大臣”かそれに準じる役職なのだろう。


 あと重要なこととして、武装している全員が身長の倍以上の長さの棒を抱えていることだろうか。

 ”魔人棒術”なるものが有ると資料には載っていたが、俺達と随分似たようなタイプの棒を使うらしい。

 モニカが腕が時折、架空の棒を掴む仕草をするくらい、その出で立ちは似ていた。


 俺達の興味は、次に魔人の”身体的特徴”に移った。

 彼等の見た目は、話に語られるほど異形ではない。

 せいぜい肌が紫から土色の間といったくらいのもので、シルエットは”角の生えた純人”といえるだろう。

 少なくとも、普段アクリラで生活している身からすれば、下手をしなくても特別意識するような外見ではない。


 ただ、”身体機能”については、”生物”という括りの中でさえかなり異形寄り ・・・・である。


『やっぱりみんな、”ムネ”が大きいね』

『骨格は男性的なのに、肉付きは女性的なんだな』

 

 俺達が所感を共有する。

 魔人はこの世界の脊椎動物でも非常に珍しい、完全な”雌雄同体”で、体内にそれぞれの機能を一揃い持っている。

 そのため、他の動物ではそれぞれの性別の時だけ発達する部位が、両方発達しているのだ。

 おかげで、あのマッチョな兵士も、あの女たらし感満載のイケメン文官も、皆必ず胸に立派なものをぶら下げている。

 まあ、ついでにあのおっとり美人さんや、魔王横の巨乳の侍従さんの股の間にも立派なもの ・・・・・が・・・

 ・・・どちらもサイズ感は個人差はあるが、純人種と同等だろうか?

 さすがに【透視】を使うのはリスクが大きいので、あくまで服の上から見える範囲での判断なのだが。


 ちなみに”大魔将軍様”はたぶん貧乳だ。

 胸自体は”大迫力”なのだが、あれはどう見ても大胸筋が9割以上である。

 少しだけシンパシーを感じたのは、ここだけの秘密。


 魔王様は俺達と変わらないくらいに小柄。

 年齢は40代と聞いているが、魔人の成人年齢的に10歳相当の体格ということだろう。

 体は子供、頭脳は大人な名探偵ってことか。


 俺達がそんな事をして時間を潰していると、いつの間にか舞台車はついに俺達の前にまで辿り着いていた。

 ちょうど眼前を大魔将軍シセル・アルネスが歩いている。 

 その歩みは相変わらず悠然としたもので、周りのすべてを歯牙にかけていないかのよう。


 だが、モニカから上がってくる感情からして、”内側”ではそれほど平和ではないらしい。

 どうも俺には全く感じ取れない次元の感覚で、シセルとモニカは牽制しあっているみたいなのだ。

 そりゃ警戒するか。

 こちらとしては穏便に行きたいものだが、相手としてはいきなり本丸を待ち構えられる形になっているので仕方はない。


 ちょうど達人同士が斬り合う前のアレをやってる形だな。

 そう言うと大層なものに感じるが、俺としては”モニカも達人ごっこができるんだなー”くらいの感想しかない。

 何せ偶に体が筋縮する以上の事は何も感じないのだから。


 モニカも無視すればいいのに”意識の当て合い”を仕掛けられて、”手が出なければ良し”とばかりに嬉々として乗っている。

 だが、俺ごときではどちらが優勢なのかは分からないが、モニカいわく『力は意外と弱いが、手も足も出そうにない』とのこと。

 早い話が片手間にボコボコにされてるわけだ。

 さすが大魔将軍。


『強化システムは使うなよ』


 と俺は釘を刺すだけ。

 こういうのは手札の晒し合いなわけで、実戦でもないのに切り札を見せる意味はないのだが・・・

 ・・・モニカのこの反応、確実に”エアグラディエーター”は使用済みだな。


 

 その時、シセルの視線が不意に上を向いた。

 いや、正確にはモニカの注意が突然上を向き、シセル・アルネスがそれに釣られた。


 そこにあったのは、相も変わらぬ”黒い靄”・・・ただし、完全に変わらない訳では無いらしい。


 その靄は、急に膨らみ始めたかと思うと・・・唐突に弾け、黒い煙となって消えたのだ。


「!」


 シセルの動きがピタリと止まり、それに釣られて魔王の舞台車がギギギという音を残して止まる。

 群衆も、警備兵も舞台車の上の魔王も皆、何事かとシセルを覗き込んだ。

 だが、天下の大魔将軍は、何かに魅入られたかのように天を見つめている。


 そう・・・見ていた・・・・



『ロン・・・はじまるよ』



 モニカがそう忠告したのと、実際に”それ”が始まったのがどちらが先かはよくわからなかった。

 大通りを埋め尽くすように漂う靄達が、先程の靄に続けとばかりに一斉に膨らみ始め、限界を迎えたと思われるものから、順に破裂し始めたのだ。



 まるでシャボン玉のように、次々に膨らんでは弾ける靄の雲。

 その破片が煙のように周囲に広がり溶けていくのを、何人かが目で追う。

 黒い靄が膨らむ所までは目で見えぬが、破裂して飛び出た黒い霧は目視可能らしい。

 言われなければ気づけぬほど微かではあるが、それは確かに可視光として視覚で検知できる現象だった。


 だが、その煙はすぐさま霧散すると、そのまま空気の溶けるように消えてしまう。

 殆どの者には、蚊の群れが遠くを飛んでいるようにも見えることだろう。

 少なくともその光景だけで、異常に感じる者がどれだけいるかは疑問だ。


「・・・!?」


 俺達以外で最初に”異変”に気づいたのは近場だとスコット先生、ほぼ同時にエリクとスマイソン大尉が続く。

 だが、そこからほとんど時を置かずして他の者もそれに続いた。

 今度の異変は、黒い靄と違ってハッキリと周囲の状況を変えていたのだ。


 俺の観測スキルが周囲の魔力傾向の急激な変化を検知し、けたたましいアラーム音となって警告を飛ばし始める。


『なんだこりゃ・・・空気中の魔力が・・・』




 

 黒く染まっていく・・・



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