2-12【新たな日常 10:~迷惑な王女様~】
クラウディアが来てから5日が経過した頃だった。
「・・・あ」
「・・・あ」
朝、授業に向かって出発するために木苺の館を出たところで、そこにあった物を見たモニカとベスが揃って声を上げた。
ちなみに、前日から徹夜で研究室に籠もっているのでルシエラはいない。
そこに居たのは、頭に宝石の木の様な角を生やした立派な”黄金の鹿”。
「えっと・・・ガブリエラ?」
正体を察したモニカが、周りにバレないように小声で問いかけると、その鹿は尊大に大きく頷いた。
もっとも、朝ラッシュでごった返す坂の様子を見る限り、隠す意味はあったのかは微妙だが。
皆口々に「ガブリエラ様」と呟き、聞き耳を立てれば俺達とガブリエラの関係を噂し合っていた。
幸いにも、一応親類という事は公なので問題ないが、その情報が意外と浸透していなくて驚いた。
『モニカ、このような形で会うことになってすまぬ』
黄金の鹿からガブリエラの声がかけられる・・・というか”ウルスラ”の機能で頭に直接話しかけられた。
「ガブリエラなんだね?」
『ああ、今は私の意識をこの子の中に移しておるゆえ、私と思ってもらって構わん』
なるほど、やっぱりこれがルシエラ以前言っていた”鹿に魂入れて徘徊している”というやつか。
普段見かけるこの鹿よりも纏う空気が幾分重たい。
直接見たのはアクリラに来た時以来二度目だが、相変わらずどういう仕組みなんだか。
周りの反応を見る限り、”声”は俺達とベスにしか届いてないらしい。
ひょっとして、以前ベスがガブリエラの招待を断ったから顔を見に来た・・・訳ではなさそうだ。
『そなたには、これから少し・・・その・・・”迷惑”をかけるかもしれん』
「迷惑?」
『なんだろう?』
『いつも、だいたい迷惑かけてるよな』
思い返してみても、ガブリエラが持ち込んだ”対勇者”以上の迷惑ってなかなか無いと思う。
いや、感謝はしてるんだけど・・・
『その・・・”私の姉”がな・・・』
「あ、
何とも端切れの悪いガブリエラの答えに、モニカが問い返す。
そういや、何だかんだで結局あれから何にもなかったから、ガブリエラの姉のクラウディアと”交渉役トリオ”がアクリラに滞在している事などすっかり頭から抜けていたのだ。
『ああ、そなたの”連絡室”をアクリラに設けるために奔走していてな』
「それが迷惑?」
『いや、それ自体は目処が立ったのだが、それ故に本格的にそなたに接触を図るだろう』
「なるほど・・・」
それを聞いたモニカが、少し体を震わせて緊張する。
この前見たクラウディアはかなり”強烈”だった。
「あの人は、いつまでいるの?」
『クラウディア姉さまは、私と一緒に帰る事になっている』
「それって”卒業”までいるって事?」
『そうなるな。 自分の手で私を王都まで連れて帰るつもりらしい』
ガブリエラの声色は、無駄に尊大な鹿の態度とは対照的にいつもの覇気がない。
どうも”あの姉貴”の事になると形無しである。
だがそれよりも、その”情報”は聞き捨てならない。
「ってことは・・・もう”その日”は決まったの?」
モニカが少し寂しそうにそう聞いた。
その日、つまりガブリエラが”卒業”する日。
まあ、正確には去年のアクリラ大祭の研究発表で卒業してるんだが、それから春までの間に身辺整理をする期間がある。
とはいえ早い生徒だともう”退所”は始まっており、”知恵の坂”でもよく”別れ”のシーンを目にするものだ。
『それは、まだ決まっていないが、もうやる事も一通り終わったからの、手続き待ちが済めばすぐといったところだ』
「うん・・・分かった」
モニカが少し気落ち気味に頷く。
『重ねて言うが、姉が迷惑をかけると思うが、あまり気にするな。
おそらく・・・たぶん害はない』
何を持って害とするかはクラウディア次第だが・・・
そんなところか。
『それじゃ、私はこれで行くぞ』
ガブリエラが周囲に視線を送りながらそう言った。
既に見慣れぬ黄金の鹿の姿は大いに周囲の注目を集めており、目の前の坂で渋滞になっていたのだ。
それに気づいたモニカが小さく頷くと、黄金の鹿は少しだけ名残惜しそうな目でこちらを見てから、光に包まれ虚空へと消えていった。
「行っちゃいましたね」
成り行きを見守っていたベスがそう漏らす。
それで周りの様子を思い出した俺達も、頭を通学へと急いで戻し、
「うん、わたし達も行こ」
そう言ってモニカは、ベスの手を引いて未だ渋滞中の坂へと繰り出した。
◇
それにしても、クラウディアはどんな迷惑をかけてくるのだろうか。
・・・という俺達の疑問は、疑問に思う間もなくすぐに解決されてしまった。
いつもの様に知恵の坂の麓の食堂で、他の生徒に混じって朝食の奪い合いを行ってると、
「あ! モニカちゃん、みーっけ!」
突如、場違いに高貴且つ無邪気な声が食堂に木霊して、群衆の視線が一斉に入口に向かったのだ。
『え、”ここ”で!?』
モニカも燻製肉と菜っ葉を口に入れた状態で固まりながら、そちらを見つめる。
すると入口の向こうの広間で、他の生徒の驚愕も気に留めずこちらに向かって手を振るクラウディアの姿が。
その顔は、これ以上ないほど笑みに満ちていた。
護衛のつもりなのだろうか、一緒につれてきたヘクター隊長が女子寮に踏み込んでしまったせいで周囲から白い目で睨まれている事などきっと気にもしていないだろう。
その様子を見ながらモニカは、口から野菜についてたソースがボトリと落ちるのも気にせず、固まっている。
『なんでこんなところに・・・』
◯
どうやらクラウディアは、俺達に”連絡室”が出来たことを知らせたかったらしい。
「なかなか物件が見つからなくてね、街中を歩き回ったの。
でもおかげでいい所が見つかったわ!」
そう言って彼女が案内して(無理やり引きずって)行ったのは、
知恵の坂の正面玄関を出て眼の前の大通りを渡り、右に曲がって3つ目の建物の横にある、非常に分かりづらい小道(半年この道を通って初めて道だと知った)に入ったところにある3階建ての小さな建物。
『こんな所があったのか・・』
『ち、近い・・』
なんと驚き、寮の前の馬車乗り場よりも更に近い。
知恵の坂の目の前と言っても過言ではない立地だ。
正面玄関から徒歩20秒といったところか、正面玄関までの方が遥かに長いのは言うまでもない。
その建物は引き渡されて日が経ってないらしく、全ての窓や扉が開け放たれ、塗りたての内装材のひどい臭いが全く目減りしていない。
「まあ、今はこんな所だけど、すぐに良くなるわ。 なんてったって貴族院専属の大工に任せているもの!」
クラウディアがそう言うと、ちょうど件の大工が扉から顔を出し、怪訝な目でこちらを一瞥しながら通り過ぎた。
流石、貴族院専属大工。
身なりはとても職人と思えない程良いし、高度な魔法陣を常時展開している。
きっと両手に巨大な棚を持っていなければ、大工とは思えなかっただろう。
まあ、その巨大な棚のせいでなんとも珍妙なのだが・・・
だが、厄介なことにクラウディアは満面の笑みを貼り付けたまま、強烈な臭いの漂う建物の中へと繰り出したではないか。
「さあモニカちゃん! そんな所に突っ立ってないで入って入って!」
『ええ・・』
モニカが俺に向かって小さく呻き、渋々建物の中へと入っていく。
臭いは外からの段階でも強烈だったが、中に入ると鼻がもがれるかと思った。
慌てて俺は嗅覚の感度を最小まで絞る。
どうやら一斉にリフォームを始めたらしく、そこら中から、ありとあらゆる薬品の臭いが立ち昇り建物中に充満していた。
いくらピカ研で親しんだ手合の匂いだとはいえ、この量はヤバイ。
そして、その中で嬉しそうに”内装計画”を語るクラウディアはもっとヤバイ。
あんた、ここの内装が出来た頃には王都に帰るんだろうが。
俺達の後ろでクラウディアの護衛のヘクター隊長が、見てられないと目を逸らす。
「ここにね! カウンターを置こうと思うの! アルプの家具屋さんでとっても可愛いのを見つけてね、知ってる? あそこ今家具屋さんがいっぱい出来てるのよ」
「あ・・・知ってます」
いや、そもそも俺達の知ってるアルプって家具屋街ってイメージだけど、クラウディアのいた頃は違ったのかな?
一応彼女がアクリラの卒業生であることくらいは知っている。
だからこそ、アクリラ内でのアクリラ生の保護のことも知ってるだろうから、一緒にやってきているわけで・・・
その時だった。
「こんな感じになるの!」
と言いながら、クラウディアがいつの間にか持っていた長めの杖を一振りしたのだ。
その瞬間、目の前の景色が一気に黄色に塗りつぶされる。
嵌められたか!?
慌てて俺が臨戦モードに入りかけるが、次の瞬間目に飛び込んできた光景にそれも霧散した。
「おお!」
モニカが目を輝かせながら驚嘆の声を上げる。
現れたのは、品のいいカウンターが置かれた、シックな執務室といった雰囲気の空間。
ボロボロの床は張り替えられ、何もなかったはずの場所に机や棚が並び、窓には貴族院みたいなカーテンがかかっている。
「どういう仕組み!?」
モニカが興奮して目の前のカウンターに手を伸ばす。
だが、その手は木材に触れる事なくすり抜けた。
「ふふふ、私の専門は幻惑系なの! とっても便利なのよ! それっ!」
すると今度は全体の色味が一気に寒色系に変わる。
「これ、幻? でも」
『視覚情報にハックの兆候はないぞ!?』
普通、幻惑系魔法というのは目標の感覚に対して偽の情報を送りつけるのが定石だが、モニカの五感にそのような”異常動作”は見受けられない。
だが、クラウディアはそれから何度も幻惑魔法を展開し、部屋の模様を次々に変えていく。
その顔はとても得意気だ。
「ふふふ、お姉さんの得意な幻惑は”空間”の方を変えちゃうやつよ、それ! それ!」
クラウディアの掛け声ともに次々と移りゆく部屋の内装。
おそらく彼女が弄っているのは空間そのものの光の反射。
魔力で虚像を作り出し、そこに実際に光を反射させて錯覚させるのだろう。
魔法かスキルか、こちらに影響を及ぼさない幻惑というのが、これ程掴みどころのないものだなんて。
そして、そんな魔法を軽く扱うクラウディアの姿は、やはりこれまで見てきたどの魔法士よりも”魔法使い”っぽかった。
どちらかといえば理屈の分かるこの世界の魔法体系にあって、彼女の魔法はひときわ”魔法らしい”のだ。
それから俺達とクラウディアと、あとオマケのヘクター隊長は、幻惑魔法の模様替えを楽しみつつ連絡室の内装を相談して回った。
まあ、ほぼ引きずられてというのが正解だが、モニカも自分に関する施設とあってそれなりに興味はあるようで、何だかんだと相談は弾んでいる。
どうやらこの建物はアルバレス側と共同で使うことを考えているらしい。
連続する2つの建物の壁をぶち抜いて、1つにしていた。
今はその辺の調整にディーノとファビオが、東のアルバレス領事館に出向いているんだと。
でも、このままだとアルバレス側の内装もクラウディアが決めてしまいそうだけれど。
「ここに連絡用の魔道具とか置こうと思うの! どう思う?」
3階の広めの部屋にやってきた時、徐にクラウディアがそう聞いてきた。
「どう思うって・・・」
「モニカちゃんってゴーレム技術者志望でしょ? だから魔道具とか勉強してるわけだし、設置の問題とか詳しいかなと思って」
いや、詳しいかは置いておいて、流石にそんな精密機器の事を、まだ学生のモニカに聞くというのはどうなんだ?
それにどうせプロに聞くんだろうし・・・
「使う連絡用の魔道具ってどんな感じなんですか?」
それでもモニカは聞いてみる事にしたらしい。
「普通のよ、隠し事とかしないから、簡単で早いやつ! ほら役所とかにあるの!」
「もくひょう座標の魔力場を揺らすやつですか?」
「そう! それそれ!」
どうやらクラウディアが言っているのは、一般向けの高速通信装置の事のようだ。
これは相手方の近くの空間に、魔法で穴を開けそこから魔力波を流し込むというもの。
空間に穴をあけるといっても、ガブリエラみたいに巨大なやつじゃなくて、たぶん原子1個も通り抜けられないような小さな物なので、必要魔力はそれ程じゃない。
比較的手軽で秘匿性も高いので、様々な機関や組織で手軽に使う通信用の物だ。
ただし問題もある。
「でも使うのは、あのファビオって人ですよね? この部屋の大きさで性能足りるんですか?」
モニカがその”問題”を指摘する。
いくら比較的低燃費とはいえ使うのはどう見ても魔力の少ないあの役人の男。
となれば、必然的に魔力生成機構なり蓄魔機構なりを備える必要がある。
それで魔力減衰の多いアクリラから王都まで届く性能となれば、ここじゃ・・・
「あ、大丈夫よ。 北にある”ウチの駐屯地”まで届けば、別の専用回線で届くから」
「ああ、そっか!」
クラウディアの言葉に、モニカが目から鱗とばかりに感心した。
そうか、何も端末に全てをやらせる必要はないんだ。
既存のインフラにアクセスさえできれば、その力を借りることも可能。
ルブルムまでは無理でも、ここからマグヌス駐屯地までならどうってことはない。
もっと言うなら、近くの他のマグヌス系施設まででも構わないのだ。
「じゃあ、床の補強もいらないですね」
「そう? でも蓄魔器は重いでしょ?」
「それは下の階に置いてフロウでここまで繋げれば。
通信装置だけ高いところに置けば、魔力源はどこでもいいと思います。 3階くらいなら線材選べば、減衰も無視して大丈夫ですし」
「あらそう? 北向きの窓が無いのだけど、足りるかしら、穴でも開けたほうがいいんじゃないの?」
「空間系なら壁くらい問題なく通りますよ。
それよりも、蓄魔器みたいにノイズの多い装置を近くに置く方が駄目だと思います」
そう言って、部屋に太鼓判を押すモニカの口調はいつになく饒舌だった。
きっとモニカの中ではベル先輩の”魔道具講座”が流れているのだろう。
そして、それを聞いたクラウディアが”すごい、すごい”と褒めるもんだから、意外とおだてに弱いモニカはますます調子に乗っていってしまった。
ほんの少し前までイヤイヤだったのが、今ではこの連絡室で使われる物品について積極的に聞いたりアドバイスをしたりし始めたではないか。
クラウディアはそんなモニカに対して、奇妙なまでに何でも答えてくれた。
中には今後の運用や、財源、所属の予想など、結構な機密ではないかという物まで含まれているから驚きである。
その対応に、いつの間にか俺たちの間にあった、精神的な”壁”は取り払われ、なんとなく居心地もよく感じ始めていたほど。
でもそろそろ切らないと。
『モニカ、時間』
「あ!」
「どうしたの?」
そう、今は朝であり、別に今日は休日等ではない。
「ええっと・・・授業があって」
「ああ! そっかぁ、ゴメンねつき合わせちゃって」
モニカの答えにクラウディアが口元を抑えて、”やっちゃった”とばかりに恐縮し、それを見たヘクター隊長が”言わんこっちゃない”といった感じの表情を作る。
『余裕は?』
『ロメオの足でギリギリ』
でも、その辺の時間配分は俺がキッチリ見ていたので抜かりはない。
ただ、そのせいで本当にギリギリなのだけれど。
「えっと、時間がないので・・・」
「うん! 気をつけてね! 頑張ってらっしゃい!」
「それじゃ!」
モニカはそう言うなり、慌てて建物の窓から飛び出した。
眼下で家具を調整中の大工が怪訝な様子でこちらを見上げている。
3階からなので少々はしたないが、背に腹は代えられない。
午前中は基礎教養の授業だが、数学の先生が結構怖い人なのだ。
そして慌てていたせいか、それともあまりに敵意のないクラウディアに気が抜けていたのか。
俺達は、窓の向こうで「良いスキルね・・・」と不敵に笑うクラウディアの姿を、結局見ることはなかった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
あれからさらに数日経って今日は週末。
「”実験”の結果が届いた」
眼の前に座るスコット先生が、俺達にそう言った。
今週の全ての授業が終わった俺達は、いつものようにスコット先生に今週の”活動報告”をしに来ていたのだ。
とはいえ俺達は、ここ最近大きな事象が立て続けに起こっている”問題児”であるために、他の生徒なら「特に無いです」「わかったー」で済むこの活動報告も、毎回毎回、結構重めなミーティングとなってしまうわけで。
スコット先生の研究室は長時間話せるようにすっかり片付けられ、モニカの好みのやたらと苦いお茶と最近先生がハマっているらしい甘物が当たり前のように用意されている。
「どうでした?」
モニカに代わって俺がそう答える。
彼女は用意されたお菓子を頬張るのに忙しいというのもあるが、モニカ自身まだよく分かっていないことも多いので、先に俺が要点を伝え、後でモニカが総括として”感想”を述べるというのが、この活動報告での大体の流れになっていた。
「単刀直入に言えば、全ての観測所で”変化なし”だったそうだ」
「遠いところも?」
「ああ」
その答えに俺は少し落胆した。
良いニュースがある、外に出たくらいでは”俺の動作”は検知されない。
悪いニュースがある、なんで検知されないのかは闇の中だ。
「まあ、距離を伸ばしていくしか無いが、アルバレス国内に向かう分には問題ないということだ」
スコット先生が手元の資料を読みながらそう結論付ける。
「ということは、”里帰り”は問題ないってことですね?」
「そうなるな」
ヴァロア伯爵が俺達を引き受ける条件として提示した、今年中の伯爵領への訪問。
どうやらそれは問題なく行えそうである。
「その件について、アルバレスから連絡があった。 君達の”準備”が整えば”迎え”の人員をよこすということだ」
「”準備”っていうと・・・」
「”第2種郊外活動免許”、なんでそんな物が必要なのかは、未だに理解できんが」
そう言いながら、スコット先生が本当に理解できないとばかりにこめかみに手を当てる。
「レオノアさんの話だと、ヴァロア領ってすごい奥地にあるらしいんですよ」
俺がそう言うとスコット先生は小さく唸った。
「うーむ・・・まあ、アルバレスは未踏の地も多いからな・・・そういう所なのかもしれんか」
なんとも納得できそうで出来ないといった感じだろうか。
ただ、たしかに100kmも移動すればどこかの人家にあたるトルバ出身のスコット先生には、北国の人を寄せつけぬ土地のことなど理解しきれないのだろうと思ってくれたみたいだ。
実は俺達はアルバレスからの要請とかそんなのは別にして、単純に郊外活動免許がほしいと考えていた。
外で動けるのは魅力的だし、ついこないだまで俺達に縁のない物だと思っていた事も大きい。
それに魔獣討伐は金になるしな。
そんなわけで俺もモニカも既に免許試験の申請は済んでるし、取った後どうするか色々とウキウキ気分で語り合っていたりしたくらいなのだ。
「それで・・・今週はどうだった?」
「いやあ・・・結構大変でした」
とりあえず話を進めることにしたらしいスコット先生の問いに対し、俺は染み染みとそう答える。
「大変というと・・・”あの王女”か」
「はい、”あの王女”です」
もちろんそれは”金髪じゃない方”のこと。
「予想以上にクラウディアの接触が多くて・・・授業とかにも平気で混じってきますから」
「噂は聞いている」
俺の言葉にスコット先生は苦笑した。
授業を取ってないため接点の少ないスコット先生にまで、そんな噂が流れているということは、もうアクリラ中で俺達の事が伝わっていると見ていいだろう。
まあ、それも無理はない。
連絡室が設置されてからというものの、クラウディアは想像以上に俺達に絡んできた。
どうやら家具の配置には興味はあるものの、専門的な設備などはからっきしのようで、ディーノとファビオのあの”交渉人コンビ”に全部丸投げして、ひたすら俺達の観察に時間を費やしていたのだ。
特に戦闘系の授業と、専門系・・・つまり魔導具関連の授業と、次いでにピカ研には必ずと言っていいほど・・・いや、全部か。
王女様なんてものを初めて生で見て、対応に苦慮していたベル先輩には本当に申し訳ない。
本気でこの場を借りて謝罪したい。 それくらいアタフタしていた。
とにかく俺達がどれだけ強いのかと、何がしたいのかが見えそうなところには必ず居た。
もちろん”あのクラウディア”が、ただ眺めているわけはなく、あの独特の天真爛漫さで授業に混じって戦闘訓練では手合わせまでしたくらいである。
そこでわかったのだが、クラウディアは別にそれほど強くはない。
アデルやシルフィと互角ってくらいで、グラディエーターを起動したらかなりあっさり勝ててしまったくらいである。
いや十分に強いっちゃ強いんだが、なにぶん妹は”アレ”だし、一応”エリート”資格も持ってると聞いていたんで、もっと化け物じみた強さなのかと思っていたのだ。
だが、少なくとも戦闘のセンスは”並以下”とはモニカの評である。
彼女の強みである幻惑スキルは確かに強力ではあったが、こちらの感知系、解析系スキルを使えば脅威ではなかったし、むしろ使わない方が疑心暗鬼になって厄介なほど。
しかも負けると、子供みたいにわんわん泣くのでタチが悪い。
「いったい何がしたいのか・・・俺達を探りたいのでしょうけど、あれじゃちゃんと判断できてるかどうか」
と俺はスコット先生にこの一週間の経緯を説明すると、先生は顎に手を当てて考えにふける。
「ふむ・・・聞いていた限りだと、探りというよりも、関係を築きたいという風に感じるな」
「関係ですか?」
「ああ、そうだ。 少しでも良い印象を持ってもらおうという意思がありありだ」
「だとしたら、効果は薄いですね」
少なくとも今は”迷惑”という印象が強い。
これで関係改善につながるのか?
という俺の思いは、すぐさまスコット先生に切り捨てられた。
「いや、効果はあるさ。 既に彼女のことを”脅威”とは感じなくなっているだろう?」
「そりゃ、そうですけど・・・」
そこで俺はハッとする。
確かに俺達はこの一週間、クラウディアの”無害っぷり”をこれでもかと見せつけられ、うっとおしいとは思っても”脅威”には感じていなかった。
そしてそれはある意味で、向こうが最も求めているものではないだろうか?
「つまり、騙されているっていうことですか?」
「そんな感じはしないけど」
モニカがお茶を啜りながらそう付け加える。
意外とモニカはその辺敏感に感じ取るので、騙されているというのは考えづらい。
「嘘を付くだけが心理操作ではないぞ? 正直な感情を
いや、この前見た限りでは、あの子はむしろ、そういう方法に長けているだろう」
なるほど、たしかにそう言われればそうだ。
そう考えるなら、単純に”心象を良くしたい”という目的に置いて、彼女ほど優秀な者はそう居ないだろう。
純粋な好意を四六時中ぶつけられて、悪い感情を持つのは難しい。
そして彼女は多分、
「でもだったら、どうしたら良いですか? 俺達、どっちも”そういうの”苦手ですし・・・」
「何もしなくてもいいだろう、君達はマグヌスと敵対したいのか?」
「いいえ」
「ならば好きにさせておけばいい、彼女の狙いも関係改善だろうからな」
「だと良いんですけど」
モニカの将来を考えるならマグヌスと仲良くはしたいが、関係改善というのが向こうの都合だけが良いのも癪である。
「それに、それほど長くも居ないだろう」
「あれ、でもガブリエラを連れて帰るって・・・」
モニカはそこまで言ったところで、スコット先生の言葉に含まれている情報に気づいて固まった。
「ってことは・・・
モニカの問にスコット先生が小さく頷く。
「4日後、ガブリエラがアクリラを去る事が正式に決まった」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
スコット先生の研究室からの帰り道、ちょうど今日卒業の生徒の別れの場面と出くわした。
「イヤだ!! 兄ちゃん行かないで!!」
初等部の生徒と思われる小さな子が、そう泣き叫びながら卒業する生徒の服に縋り付き、顔を埋めて泣いている。
それを前に2人の兄貴分はどうしたもんかと困り果てていた。
もうこの数週間、街のあちこちで見られる光景だ。
それをモニカはちょっと不思議そうに見つめている。
来るときは興味なしといった感じだったのに、今は気になるのは間違いなく”ガブリエラの情報”を聞いたせいだろう。
『モニカは、ああいうのはスッパリ別れるタイプか?』
『わかんない・・・寂しいのは分かるけど』
どうやら泣きじゃくる男の子の感情が、理解できそうで理解できないといった感じか。
モニカの思考に、なんともいえない”モヤモヤ”が広がるのを感じた。
『わたしも、ああなると思う?』
『ガブリエラの時?』
『うん』
『どうだろうね、泣けばいいってもんでもないからな』
『そっかぁ、泣けばいいってもんでもないのか、それならよかった』
『よかった?』
『たぶん、”泣けないだろうな”って思ったから』
どうやら、どの様にガブリエラを送ればいいのか考えていた様だ。
きっと、泣いてる子が多いのを見て、何でそうなるのか理解できなくて、自分が異常なのか不安になったらしい。
モニカにとって”泣くような別れ”とは、それこそ”今生の別れ”級しか経験がない。
だから、別に死に別れるわけでもないこの”別れ”に泣くのが理解できないのだ。
『まあ、その時になればどういう反応するか分かるさ』
なので俺はとりあえず、そう言っておくことにした。
きっと、その時にはどうせモニカは泣くだろうから。
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