2-1【ピカピカの一年生 10:~初遭遇~】


 俺達がアクリラに編入して最初の週末が終わった。


 今週の授業と補習は全て終わり、今はその最後の”やるべきこと”のために、とある施設にやってきていた所だ。

 モニカが目印となる巨大な研究所の建物を興味深げに眺める。

 前回ここに来たときは、緊張でそれどころではなかったが、今回は多少落ち着いて観察する余裕があった。


「超高圧魔力研究所・・・」


 モニカが研究所の看板を読み上げる。

 

『魔力検査の時にいたウォルター・・・博士? のいる研究所だった筈だ』


 俺がその情報を伝えると、モニカが露骨に研究所から距離を取る。

 どうやら魔力測定の時のトラウマが残っているらしい。

 まあウォルター博士は分かりやすい”マッドサイエンティスト”なので、俺としても近づかないに越したことはない。


 幸いな事に、俺達が用があるのは隣の建物だ。

 アクリラでもおそらく上位数カ所に入るであろう巨大研究所の横に、ポツンとある小さな変な形の家。

 ここが俺達の”学校”、スコット先生の研究室がある建物だ。

 だが落ち着いて見てみると、これでも3階建てなんだよな。

 縦長で一階が狭い事と、隣の比較対象が悪すぎた。


 そんな俺達の”学校”の前にロメオを繋いで止め、モニカが研究室の玄関のノブに手をかけて、そこで止まる。


「・・・何かした方がいい?」

『呼び鈴やドアノッカーもないし、建物の構造的に、ここからノックしてもたぶん聞こえないと思うぞ』


 俺がそう言うと、モニカが軽く迷いながらドアノブをひねる。

 すると玄関の扉はあっけなく開いてしまった。

 前回もそうだったが、鍵をかけなくても大丈夫なんだろうか?


 モニカが前回よりも恐る恐る足を踏み入れる。

 中に入ると相変わらず妙に長い廊下が、奥の部屋まで続いていた。


 その廊下を通り抜け、奥の部屋のような空間に入ると更に奥に上に続く階段が見える。


「すいませーん! モニカです! スコット先生いますか?」


 モニカが階段の上に向かってそう叫んだ。

 流石にこの階段を勝手に上る気は起きなかったようだ。

 そして、返事はすぐに返ってきた。


「ああ、君か! 二階に上がってきてくれ!」


 それは”俺達の先生”の声だった。

 どうやら今日はこの上で会うらしい。

 モニカがゆっくりと階段に足をかける。

 こう、無意識に”入っちゃだめ”と思ってた空間に入る時って、妙にワクワクする。

 ただのしょぼい階段なのに。


 階段を上がった先にある二階は、かなり広い空間になっていた。

 というか、一階の立ち入れない空間って一体どうなってるんだろうか?

 二階はそこかしこに机や棚が並び、そこに雑多に様々な資料が置かれている。

 紙だけでなく、球体が紐で吊るされた模型などもあった。

 そしてその中心に、少々やつれた顔のスコット先生が製図台のような机で、大きな定規を使って慎重に線を引いていた。


「悪いがちょっと待ってくれ、手が離せなくてね」


 スコット先生は顔をこちらに向けずにそう言った。

 その表情は真剣そのものだ。

 どうやら少しタイミングが悪かったかもしれない。


「待ってる間、菓子でも食べると良い、君の右隣だ」


 モニカが顔を右に向けると、そこには簡単に片付けられた机の上に皿に乗ったクッキーの様なお菓子と、お茶か何かが入ったポットとカップが置かれていた。

 どうやら俺たちが来るということで用意したのだろう。


 モニカがその机の横にあったボロボロの椅子に腰掛け、ポットからカップにお茶を入れた。

 本当は声をかけて感謝の気持ちを述べたいものだが、スコット先生の様子は声をかけられそうなものではなかった。


 モニカが興味深そうにスコット先生の作業を眺める。

 あの線はなんの意味があるのだろうか?

 天文学の先生ということだし、星の動きでも書いてるのだろうか。


 モニカが皿の上のクッキーを一口かじる。

 うん、甘くないクッキーだ。

 全く甘くないけど、その他は完全にクッキー。

 お茶の方はこの世界でよくある少し薄めの紅茶みたいなやつだ。

 ただ、他の街で飲んだのとは味が違うので、ひょっとすると違うお茶なのかも。


 数分でスコット先生の作業がキリの良いところまで行ったらしく、手を止めてこちらにやって来て俺達の向かいに座った。


「悪いな、少し立て込んでてね」


 スコット先生が開口一番そう言って軽く笑った。


「あれは何ですか?」


 モニカが先程までスコット先生が座っていた製図台を指差す。 


「ん? ああ、あれは過去のデータをもう一度確認して纏めているだけだ、大したことじゃないよ。

 それよりアクリラには慣れたか?」


 スコット先生が慣れない感じで聞いてきた。

 なんだか、あまりあの作業について触れてほしくないような空気を感じる。

 モニカもそれを感じたのか、それ以上聞くことはなかった。


「まだ・・・わからないことは多いけど、なんとか授業にはついていけてます」

「そうか、それは良かった・・・ロンはどうだ? 君は慣れたかい?」

「毎日、学ぶことが多くて楽しいです」


 スコット先生が俺の言葉に軽く頷く。


「学ぶことがあるのはいいことだ、学ぶ気があるという事だからな。 それじゃ本題に入ろう。

 ああ・・・今週はどうだった?」


 スコット先生が俺達がここに来た”理由”を問うてきた。


 アクリラの生徒はアクリラの枠の中で好きに活動ができるが、それでも生徒にはそれぞれの所属がある。

 なので生徒達はアクリラにいるときは毎週、自分の所属する”学校”の教師に活動の報告を行わなければならない。

 自分の学校の授業を取っている場合はその時に行うらしいが、俺達のように自分の学校の授業を取っていない生徒は、こうして週末の最後の授業の後に報告に来るのだ。


 そして俺達が今週学んだことをスコット先生に伝える。

 あまり代わり映えしない日々だったが、それなりに刺激は多かった。


 まだ同い年と交じる授業は基礎教養だけだが、それなりに同年代の子達にも慣れてきたと思う。

 だが、補習については俺達の細かな癖などの調整がメインで、新たに何かを学ぶことはなかった。

 まあそれが”補習”なのだから仕方がない。

 どうやら本当に範囲だけは受験勉強で十分に追いつけていたようだ。

 穴は沢山あったけどね。

 今はそれを必死に埋めてるところだ。


 スリード先生の”蜘蛛登り”の補習はまだ続いている。

 こういった基礎的な事は続けなければ効果を発揮しないからだが、スリード先生の授業ということでベスからかなり羨ましがられた。

 なんでもスリード先生の授業は戦闘能力に秀でた者しか受けられないらしい。

 どおりであの園児たち、やたら活発だったわけだ。

 しかも幼年部を過ぎれば次は高等部の”エリート”受験者向けの授業しかないという、結構なレア度とステータスの授業なのだ。

 俺達は補習なのでノーカンだが、それでも羨ましがられるくらいには人気の先生だといえる。

 実際、その効果は劇的だ。

 まだ落ちれば痛いし改善点も多いが、それでも以前とは比較にならない程、身体強化が自然になった。

 たぶん旅を始めた直後の俺達なら片手で捻れるだろう。


 だがそれに伴い、以前戦ったエリート調査官ランベルトやクレイトス先生といった高度に訓練された魔法士との差が如実に分かるようになって、ちょっと凹んでいたりする。

 今ならたぶん戦うなんて選択はしなかっただろう。


 スリード先生? あの人は本当に規格外の魔獣だ、比べちゃいけない。


 まあ今週はこんなところだ。


「なるほど、特に変なトラブルもなく過ごせたようだな」


 スコット先生俺達の報告に安心したようにそう返事した。


「変なトラブル?」

「マグヌスの精鋭部隊がアクリラに入っていたのは聞いているだろ?」

「はい」

「たしか共同授業ということだったはずだ」


 それが原因で先週の休日はクレイトス先生の護衛がついたのだ。 

 

「でも、そもそも何かできるんですか?」


 言っちゃ悪いが、俺達はもう既にアクリラに入ってしまっているので、あちらが出来ることはない筈だ。

 ”理由”を公開できない以上、正当な理由で俺達に手を出すことは出来ないからだ。


「表向きは何も出来ない、それにアクリラ生は、君達が思っている以上に強固に守られているからな」


 思っている以上に強固・・・なにかあるのかな。

 本当になんとなくだが、俺は感覚器の焦点を制服に合わせる。

 ついてる場所が後頭部なので背中しか見えないが、なんとなくこれが怪しい・・・気がしたのだ。


「じゃあ・・・」

「だが、なんらかの”工作”を行うことは可能だ」


 モニカが安心したような声をだすと、スコット先生がそれを窘めた。

 提示されたのは”表向きでない”方法。

 一応、俺もむしろこっちが”本命”だと感じているが、具体的な手段などは想像できなかった。


「先生はどんなことをしてくると思いますか?」


 俺がそう聞くと、スコット先生が顎に手を当てて考え込む。


「露骨に何かをしてくることはないだろう、だが今後君達と交渉する上で”有利な材料”を集めたりとか、小さなトラブルを起こして君達にストレスを与えるとか・・・」

「意外と・・・陰険なんですね」


 俺がそう言うとスコット先生は何かに納得したかのように軽く苦笑う。

 

「国というのはそういうものだ、公平且つ対等に渡り合えるなどとは思わないほうがいい」

「はい」

「わかりました」


 もとより一人でどうにかなる相手だとは思っていない。

 それは例え俺達が成長して無類の力を得たとしてもだ。

 ”国”という括りはそれくらい”個人”よりも強度が高い。


「何かあったらすぐに私に知らせるように」

「はい」

「わかりました」


「それとマグヌス出身の貴族の生徒には気をつけなさい」

「はい?」

「なんでですか?」


「彼等の中に、君に何らかの圧力をかけるよう指示された者がいる可能性もある」

「はあ・・・」

「マグヌスかどうかは、どうやって見分ければ?」


「見分ける手段はないが・・・貴族の生徒の9割はマグヌス出身だ」

「そんなに・・・」

「つまり貴族の生徒はみんな疑ったほうが良いと・・・」


 ちょっとまて、それって結構な数じゃないか?

 貴族の生徒なんて同級生にもそれなりに数がいるぞ。


「特に高等部の生徒、彼等は一部だが共同授業でマグヌスの精鋭部隊と接触している」

「一部?」

「”エリート”資格の受験希望者だな、まあ優秀な生徒に気をつけたほうが良いということだ」


 そりゃまたアバウトな・・・高等部はともかく優秀かどうかなんてそんな簡単には・・・


「あと大事なこととして・・・できるだけ”ガブリエラ”には近づくな」


 その言葉を聞いて、俺達の頭の中に”?”マークが並ぶ。


「ガブリ・・・」

「・・・エラ?」

「彼女の力はアクリラの基本的な”保護”などものともしないほど強力だ、彼女の立場と性格的に表立って何かすることはないだろうが、彼女の力なら”事故”に巻き込むことで十分に君を消せる」


 事故・・・・

 

 でも確かに、それくらい強いだろうからな・・・・

 ルシエラから勇者ブレイブゴーレムを一捻りにしたと聞いた時は、ゾッとしたものだ。

 あの時助けてくれたので敵ではないと思いたいが、考えれば彼女はマグヌスの王女・・・つまり俺達の敵の親玉の娘だ。

 死にたくなければ、避けるに越したことはないだろう。


「さて、それじゃ手続きを済ませようか、バッジを貸してくれ」


 そういってスコット先生がそう言って、どこからともなく茶色い台のような魔道具を取り出し机の上に置いた。

 そしてそこにモニカが胸のバッジを外して置くと、スコット先生がバッジの上に手を当てる。

 だが慣れてないせいか、スコット先生が少しまごついた後、ようやく薄い赤色の魔法陣が展開した。


 これで俺達の報告の手続きが完了するのだ。


「よし、これで終了・・・のはずだ」


 スコット先生がそう言って俺達のバッジを確認し問題がないことを確認すると、返すためにこちらに差し出した。

 そしてモニカが受け取ると、すぐに制服の胸に戻す。

 このバッジは寮の中と、自分の先生の前でしか外してはいけない決まりなので、この確認作業の間は、外では貴重なバッジなしの制服姿になる。

 そういうとなんだかとっても大切な物のような気がするから不思議だ。

 スコット先生の魔力と体温でほのかに暖かい俺達のバッジは、いつもよりも存在感が大きかった。


「さて、もうすぐ日が暮れる、早く寮に帰らないと」


 全ての手順を終えたのでスコット先生が、そう言って帰宅を促した。

 実際、窓の外は夕焼けで真っ赤だ。

 今は一年で一番日が長い時期なので結構遅い時間である。

 アクリラの生徒は暗くなった程度で危険にはならないが、それでもあまり遅い時間まで若年の生徒が彷徨いてると、上級生とかに注意される。

 なのでモニカもスコット先生も、すぐに帰ることに抵抗はなかった。


「気をつけて帰れよ」


 玄関先でスコット先生が少し心配そうに周囲を見回してそう言った。


「はい、先生も作業頑張ってください」


 モニカがロメオの手綱を手にしながら返答すると、スコット先生がロメオの鼻面を軽く撫でる。


「いい獣だ、君も道中気をつけて」

「キュル」


 するとロメオが謙るようにスコット先生の手へ鼻面をこすりつけた。

 どうやらこいつなりにスコット先生との力関係を察したようだ。


「また来週、良い一週間を」

「はい、スコット先生も」


 そして俺達は”知恵の坂”への帰り道を歩き始めた。





 スコット先生の研究所からの帰り道、アクリラの中心部に差し掛かったときだった。


 この辺は商業地区が近いので様々な人達が集まって活気に満ちている筈なのに、妙に人通りが少ない。

 モニカがなんだかきな臭い空気を感じ取り、ロメオの背から降りて周囲を警戒しながら歩いていたところだ。

 

 すると正面から、高等部の制服を着た一団に出くわした。

 見た感じルシエラよりも年上の上級生だ。


 どうやら近くの教室で授業が終わったらしい。

 高等部の授業は中等部よりも遅くまで行われていることがあるので、鉢合わせたのだろう。

 スコット先生に注意されて、すぐにいきなり高等部の生徒に出くわすなんて幸先が悪いな。


 しかもまずい事にその内の何人かが、こちらに向かって歩いてきた。

 さらに悪いことに彼等は”貴族院”の制服を着ている。

 そういや方角的に貴族院ってこっちだっけか。

 何てこった、”高等部”の”貴族”はできるだけ避けたかったのに。


 そしてモニカは大量の上級生を前に固まってしまっていた。

 元々集団に耐性がなかったし、しかもなんとなく怖い上級生だ。

 いつもより萎縮の度合いが強い。

 さらに悪いことに、彼等はかなり優秀な生徒だった。

 優秀かどうかなんて見てわかるのかと思ったが、実際はすぐに分かる。

 何気ない所作や、手慰みに無意識に行ってる魔法が、どれも街中で見かける他の高等部の生徒より明らかに高度だったのだ。


 自分より”格上”の存在の集団に、モニカは完全に睨まれた野生動物の様に動けなくなってしまった。

 高等部に貴族に優秀な生徒。

 これは明らかに”あかんやつ”だ。


 俺は心の中で、何事も無く通過してくれと願う。

 だがこういうのは上手くいかないもので、 


「そこのあなた、道を譲りなさい」

 

 貴族の集団の先頭にいたキツそうな女子生徒に、いきなり絡まれた。

 道の片側をロメオの大きな体で塞いでしまったせいで、彼等が通りづらくなってしまったのだ。

 だがモニカは緊張で何を言われたのか分かってなかったようで反応できずにいた。

 そして悪いことに、それを挑発と取ったのか、上級生たちの表情が露骨に険悪なものになる。


『モニカ、道の反対側に移動しろ』

「あ!? はい!」


 慌てて俺がモニカに声をかけ、状況に気づいたモニカがビクンと反応してから行動に出た。

 だが悪いことは重なる。

 モニカが慌ててロメオを押して移動した先を、ちょうど馬に乗った上級生が高速で駆け抜けたのだ。

 ぶつかると直感したモニカが、慌ててロメオの手綱を引っ張り、その反動で後ろによろめいた。

 そして転けそうになったモニカが無意識にすぐ近くにあった”もの”を掴んで体を固定する。


「あ、」


 モニカが今自分が掴んでる物を確認して顔が青くなる。

 それはよりにもよって、貴族の上級生の集団の先頭にいた、1番キツそうな女子生徒の制服の裾だったのだ。


 ・・・随分と立派な身体強化ですね。

 俺はモニカに引っ張られても微動だにしないその上級生に、”これが手本か”と感心しながら現実逃避した。


 集団の上級生達の表情が、獲物を狩る狩人のような冷たいものに変わる。


 やばい。


「何をしているのですか」


 すると、今度は突然後ろから声がかけられ驚いて振り向くと、そこには別の高等部の女子生徒が立っていた。

 囲まれた!?

 しかも彼女も貴族院の制服だ。


「ヘルガ様!?」


 キツめの女子生徒が驚いたように後ろの女子生徒に声をかける。


「説明を」


 ヘルガと呼ばれた女子生徒が鋭い目で、俺達と上級生の集団を見比べながらそう聞いた。

 どうやら彼女は貴族の中でも格上らしい。


「この者が、我らの通行の邪魔を!」


 キツめの女子生徒の言葉に、モニカが慌てて弁解しようと後ろを振り向き、ヘルガの目を見た。

 その瞬間、ヘルガ様とやらの顔が驚愕の染まる。


「あなたは・・・」


 まるで幽霊でも見たかのような驚きようだ。


 俺はそこで緊張の度合いを一気に高める。

 間違いない、このヘルガという生徒はモニカの顔を知っている。


高等部+貴族+優秀な生徒+俺たちを知っている= 大 ピ ン チ ! !


 俺の頭の中がこの状況に激しく混乱した。


「ここはこの時間、授業のない生徒は立ち入らないようにと周知しているはずです!」


 ヘルガが叱責するようにモニカにそう言った。

 だがそんな事は聞いていな・・・あれ?

 俺は事務局でもらった”注意書”の中に該当の記述を見つけてしまった。

 どうやらこの授業は”要人”が出席してるため、無用な混乱を避けるために関係のない生徒は近づかないようにとの事らしい。

 ああ、これは完全に”やっちまった”。


 もう少し念入りに”地図作り”を行っていれば避けられたものを。

 どうやらこの”トラブル”は俺の不注意によるものだったようだ。


 あれ、でも”要人”って?



「その方ら、何を腑抜けておる、後ろが詰まっておるぞ」


 その瞬間、まるで覇者のような重みを持った声が周囲の音を切り裂くように響き、上級生の間に水を打ったような静けさと、鋭い緊張が伝播した。

 モニカもその”存在”を本能で感じ取り、無意識に顔をゆっくりと正面に戻すと、そこに本物の”規格外”を見つける。


 同じ服の筈なのに、明らかに他の貴族の制服より高級感が漂う制服に、純金と言っても信じそうなほど金色に輝く髪と瞳。

 しかもその髪型はレリーフのように複雑な形をしている。

 

 これはモニカでなくても瞬間的に”ヤバい奴”と理解できた。


「ガブリエラ様!」

「ヘルガ、この醜態はなんだ」


 あ・・・この人がガブリエラか・・・先日はお世話になりま・・・

 ってスコット先生に近づくな言われた要素、全部揃っちまったじゃないか!?

 なんだ、役満か!? 48000点か!?


 流石にこの集団の中で”事故”はないと思いたいが・・・


「ガブリエラ様、この者が粗相を・・・」


 するとキツめの女子生徒が慌ててそう言ったが、もうその表情はキツくもない。


「無礼な! ガブリエラ様は発言を許可してないぞ!」


 するとヘルガの鋭い叱責が飛ぶ。

 あぶねえ、モニカが緊張で喋れなくなっていて良かった。

 いや、よくないか。


「よい! だがヘルガ、私は”この醜態はなんだ”と聞いている」


 ガブリエラがそう言いながら凍りつくような視線を、もうどこもキツくもない女子生徒に向け、その生徒が冷や汗を流しながら後ろに下がった。


「そこの者」


 すると今度はこちらに視線を向け、その緊張でモニカが軽くビクリとなった。


「この無作法者共を許してやってくれ、週末で浮かれておるのだ」


 そう言うと上級生の集団が露骨に縮こまりながら一歩後退った。

 

「これで進めるだろう、早く寮に帰るがよい」


 その言葉通り、上級生達が後ろに下がったことでまるで道のような空間ができていた。

 モニカがガブリエラに頭を下げてから、その空間を通る。

 緊張で声が出なかったが誰も咎めない。

 この場で緊張していないのはロメオくらいなものだ。

 俺が心の中で、”こいつすげーな”とロメオの評価を上げる。


 一方、ガブリエラは覇者のように仁王立ったままその場を一歩も動かず、モニカが横を通り過ぎてもこちらを向いたりはしない。

 そして俺達が通り過ぎたあとも、まるで空間に打ち込まれた楔のように微動だにしなかった。


 もう俺達を遮るものはいない。

 まるで逃げるように高等部の生徒達の集団が2つに割れ、俺達が通る道ができていた。


 そしてそこを通り抜け、角を曲がってしばらく進み、上級生の姿が見えなくなった所で、ようやく俺達の体から緊張が抜ける。


「ふあああぁぁ・・・」


モニカが変な声を出して肺の中の空気を絞り出し、新鮮なものに入れ替える。

 気がつけば心臓が早鐘を打ち、明らかに暑さとは別の理由で噴き出した汗で制服が濡れていた。


『こええええええ』

「・・・ビックリしたぁ・・・」


 俺達がそれぞれに”初遭遇”の感想を述べた。

 明らかにあれは”別格”だ。

 時々見える”本気”のスリード先生と互角かそれ以上のオーラ。

 正真正銘の化物である。

 ”あれ”が、俺達の比較対象とか正直勘弁してくれってレベルだ。


 ルシエラは、”あんなの”によく悪態つけるもんだと感心した。

 正直今の俺達じゃ、なんの感想も出てこないくらい差がある。


『ありゃ確かに、近づかないのが賢明だ』


 俺の言葉にモニカが頷く。

 そしてロメオの背中に飛び乗ると、そのままいつもより足早に寮を目指して走り出した。





 ロンとモニカの去った”現場”では、未だ緊張状態が続いていた。

 そんな義務はないのに誰もその場を動けずにいる。


 ヘルガはその状況に生唾を飲み込んだ。


 だがそれも少ししてから、ガブリエラ様が纏う空気が薄らいだことで終結する。

 あの”下級生”に絡んでいた集団は、ガブリエラ様が彼等に全くなんの興味も持っていないことを察すると、逃げるようにその場を後にした。

 どうやら彼等は、この場でガブリエラ様に声をかけるほど愚かではないようだ。

 ヘルガはその事に少し安心する。

 

 ガブリエラ様はどんな理由であれ、”他人”が下級生を虐めるのを許しはしない事を知っていただろうに。

 相手が平民だろうが年下だろうが、道なんて譲ってしまえば無用な緊張を招かずに済んだものを。

 最優秀クラスなので自惚れていたのだろう。

 これだから下級貴族は・・・


 だがあの少女は・・・

 ヘルガが今しがた見た中等部の少女について思い返す。

 その顔には見覚えがあった、いや明らかに”知った”顔だった。

 だが、そんな馬鹿な・・・”あのお方”は私が生まれる前に死んだはず・・・


 その時、ふと目の前にガブリエラ様が手を差し出しているのに気がついた。

 慌てて持っていた荷物をガブリエラ様に渡す。

 これは2人の間での”決まり事”だった。


 臣下の荷物を主が持つなど逆ではないかと思うが、それを指摘すると”マジギレ”するので誰も指摘しない。

 未だに幼少期の頃の、それを”ヘルガに”叱責してしまった哀れな侍従長が、貴族院の幼年舎の壁にめり込んでいる光景がトラウマの様に浮かんでくる。

 彼女の中では、”ヘルガの荷物を持つのは自分の義務である”、という法はかなりの強度を誇っていた。

 普通の魔法士は両手が塞がるのを嫌がるが、ガブリエラ様はそんなことを気にしたりはしない。


 それと週末は私と一緒に貴族院まで歩いて帰ることも。

 私はガブリエラ様より2つ学年が下で授業は異なるが、そのためにこうして迎えに行くのが慣わしだったのだ。

 ガブリエラ様は無敵だが、こういう変なこだわりが多く、幼少期から付き合いのない人間では扱いが難しい。

 

「お優しいですね」

「ん? 何がだ?」


 私の言葉にガブリエラ様が、珍しくキョトンした表情になる。


「下級生が絡まれてるのを、お助けになるなんて」


 私が本心からそう言うと、ガブリエラ様が呆れたように息を1つ吐いた。


「ヘルガ、私が助けたのはあの小娘ではないぞ」

「え?」


 ガブリエラ様の言葉に私が驚きの声を上げる。


「まったく・・・身の程をわきまえぬ愚か者の多きことよ、特にこの授業は己が強者だと勘違いしている者が多くて困る」


 そう言ったガブリエラ様の表情は、珍しい事に・・・・・・不満が見て取れた。

 

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