2-1【ピカピカの一年生 9:~ソフトなスパルタ~】
巨大蜘蛛の足を
なんとなく分かるのだが、言葉にできるほどハッキリとはしていない。
おっと、今はモニカの動きに注視しなければ。
指摘されてすぐなのだ、ここで気を逸らせば格好がつかない。
俺はモニカの一挙手一投足に意識を戻す。
なるほど、簡単ではあるが、確かにそれだけでまだまだ調整の余地を見いだせる気がするから不思議だ。
だがこれは先読みに近いものがあるので、本当に注意してモニカの動きを見ていなければあっという間に余計な調整になってしまう。
先程付けられた頬の傷は既に癒えていた。
この塗り薬は、おそらく何らかの魔力的薬効があるのだろう。
ミリエスのソニア婆さんが使っていた傷薬よりも治るスピードが早い。
もう殆ど塞がっていた。
というか塗った後が傷口の形に白くなるところとか、アクリラに着いたときの治療ってこの薬使ってるのかもしれないな。
おっと、いけない。
どうやら俺は少しでも余裕が出ると気が散る所がある様だ。
完璧な調整能力に依存しすぎるというのはこういうことだろう。
そしてそれがモニカの問題にもいい影響は与えないことは、今の状態でも薄っすらと理解できた。
◇
「モニカ、君は”身体強化”についてどう理解してる?」
頂上についた時、スリード先生からそんなことを聞かれた。
「えっと、頑丈になる?」
「それだけかい?」
「ええっと・・・」
モニカが悩みこむ。
実際、俺達の中の”身体強化”の位置づけはそんな感じだ。
「身体強化とは、そのまま、魔力で体を強化する事全てを指すんだ」
「全て?」
「そう、だから厳密には”筋力強化”や”思考強化”も、”身体強化”に含まれる」
「そうなの?」
「私に言わせれば何で分けるのかわからないくらいだ」
それは意外な視点だった。
俺達はそれを”スキル化”して使っていたが、”筋力強化”と”身体強化”をハッキリと区分して認識していた。
思考強化系に至っては更に細かく分かれて使っている。
「君達はそれを細かく分けて、その時にあわせて使うことに慣れている。
それは有利にもなるけれど、君達の場合”障害”にもなっている」
「障害?」
「”身体強化”は魔法やスキルである前に、息をするのと同じ”運動”でもあるんだ。
だから息を吸う様に扱えないといけない、君はできてるかい?」
「できて・・・ない、ですね」
俺達の中の身体強化のイメージは、スイッチ方式の”機能”だ。
便利でわかりやすくはあるが、とても運動の一部とはいえない。
「それじゃこれからは、常に全てを使ってみようか」
「全て・・・」
「もちろん全力ではないよ、むしろかけてるかどうか分からないくらい、弱くかけなきゃいけない。 そうすれば動き出しが早くなるよ」
モニカがその言葉を噛みしめる。
身体強化を弱くかけ続ける。
言うのは簡単だが、やるとなると大変だ。
「分かったかい?」
「はい・・・って!?」
スリード先生の問にモニカが答えると、次の瞬間また俺達の体が宙に放り出され、すぐに地面に激突した。
◇
「君の身体強化は、詰めが甘い」
また長い時間を掛けてようやくやってきた、四回目の”アドバイスタイム”。
今回はかなり”確信”に近いことを教えてくれた。
「詰めが甘い?」
「例えば、この子は君より頑丈かい?」
スリード先生が蜘蛛の足の先を軽く揺すり、そこにくっついている今しがた落ちたばかりの男の子を示す。
するとその男の子はしがみついてる足が揺れたことで、楽しそうな声を発した。
「痛がってなかったですよね?」
彼は俺達よりも高い位置から落とされたが、地面についてもケロっとした表情だった。
「痛くないだけで、身体強化の頑丈さは君よりも弱いよ」
モニカが困惑したように頭を捻る。
頑丈さは劣るのに、俺達より高いところから落ちても平気とはどういうことか。
すると今回はそれだけ伝えると、すぐに俺達を地面に落としてしまった。
予想外に短いアドバイスに驚きながら、再び尻餅をつく。
ただ、”前回”のアドバイスのお陰で少しはマシな落下になった。
だが痛みはあまり変わらない。
これはどうにかできないものか・・・・・
その次の瞬間だった。
突然全身に強烈な衝撃が走り、次いで強烈な浮遊感に襲われる。
俺はそれが、先ほどとは比較にならない速度で放たれたスリード先生の太い足に吹き飛ばされたことを理解するのに、僅かに時間を要した。
その威力はパッシブ防御スキルによるフロウの防御がなければ確実に重症を負っていたレベル。
モニカの体が棒きれのように校庭を高速で転がり、その度に全身が地面に打ち付けられ衝撃と痛みが俺達を襲う。
そしてそのまま幼年院の建物の壁に激突してようやく止まった。
「ぐっ・・・・」
モニカが痛みに呻きながら手をついて上体を起こし、何が起きたのか確認するために周囲を見渡した。
「・・・何?」
『えっと・・・スリード先生に吹っ飛ばされた・・・すごい威力で』
俺が何が起こったか伝えると、モニカの驚いた表情でスリード先生を見つめる。
そこには面白そうに微笑む”
驚いたことに、あれだけの威力の”蹴り”を放ったのに、体にしがみつく子供たちに全く影響がない。
「気がついたかい?」
スリード先生がまた問うてきた。
だがその表情には、今度こそ”理解しただろう?”というような確信したものがあった。
そしてどうやら”それ”にモニカも気がついたようだ。
「ロン・・・気がついてる?」
『ああ・・・』
俺もボヤけていた思考に光が差したかのように、ハッキリと今の”違和感”に気がついた。
『今の蹴りの痛み・・・落ちたときと変わらなかった』
それは普通に考えるならおかしなことだった。
今のスリード先生の”蹴り”の威力は、数mの高さから落ちるのとは比較にならない威力を持っていた。
転がってる時にかかった衝撃だって、かなりのものだ。
だが、感じた痛みは殆ど変わらなかった。
何度も地面に叩きつけるような形で蹴ったのは、これを分からせるためだろう。
「気がついたようだね」
「言葉にするのは難しいけど・・・たぶん」
モニカの返答は俺達の問題に対して、何かの”確信”を持っているかのようだった。
「それじゃ、”それ”を意識しながら、ここまで来なさい」
そして俺達がその答えを知るために、今日5回目の”蜘蛛登り”に手をかけた。
◇
「君達の問題、それは必要最低限の”身体強化”しか行わないことだ」
その言葉を聞いたとき、これまでと異なり俺達の中に初めて納得の感情が流れ込んだ。
アドバイスをもらい、その度に落とされ登らされた経験がようやく音を立てて嵌ったかのようだ。
「かなり強力な攻撃にも耐えられるけれど、”それだけ”。
そこに感情や考えがない、”こうしたい”という願望がない。
最低限、体を守るだけのものを、”そういうもの”と思って使っている、だから痛い」
”そういうもの”
考えれば、なんで魔力を体に流すと強化されるのかすら考えたことがない。
ただ、そういう機能があるから使っていただけだ。
だがそれは改めて考えれば必要最低限の強化を行うための、いわば”保険”に近い機能で、それは正しい使い方ではないのだ。
『だから強い衝撃も、弱い衝撃も同じくらい痛かったのか』
俺の言葉にモニカが納得の感情を漂わせた。
「もう一つの問題は、身体強化を分けて考えていること、それもかなり高度に。
だからそれぞれを分けて使うことには長けてるけれど、体の動きとの”連携”に大きな齟齬を産んでいる。 それが不意の動作に悪影響を与えているんだ」
「悪影響?」
「例えばさっきの見えなかった私の攻撃、何で見えなかったと思う?」
見えなかった攻撃・・・モニカの頬を掠めたやつのことか。
俺は再び”完全記録”のログを引っ張り出し、原因を考える。
『直接的な原因は、思考加速が間に合わなかったことだ』
「・・・思考加速が間に合わなかったから?」
「じゃあ、なんで間に合わなかったのかな?」
スリード先生のその言葉にモニカが頭を捻って考え込む。
一方俺はこれまでのデータとの比較から、その答えも得ていた。
『上手くいった時は、全部”戦闘時”だった』
俺がモニカにヒントを送る。
すると予想通り、すぐに合点がいった。
「・・・殺気があるかないか?」
「危機感を感じたかどうかともいえるね、どうやら君が”本能”で脅威と判断したものだけに反応しているようだ」
「本能・・・」
モニカが実感を噛みしめるようにそう呟く。
「おそらくこれまで君は、その力を殆ど戦闘に使ってきたんじゃないかな?」
「えっと、はい」
「やっぱり! そうじゃないかと思ったよ。
君は身体強化を”武器”として捉え過ぎなんだ」
武器。
確かにモニカの使い方は巨大な獣を仕留めるために、極限まで瞬発的な力になるように調整されていた。
それは場合によっては何日も身を潜めて獣を待ち、出会った獲物を確実に仕留めるという、モニカの長年の生存戦略に他ならない。
「もちろん君が、
スリード先生が顔を寄せる。
「君はこの”社会”の中で生きることを選択した。 ならば君の”力”は、君の”危機”に対処できる物でないといけない」
「私の”危機”?」
「今の君の身体強化は殺気のない攻撃には対処できないし、不慮の事故なんかにも対応が遅れる。
君は”ゴーレム技術者”が志望なんだろう?」
「なんでそれを?」
モニカが少し驚いた声を出した。
「昼にザーリャから連絡を受けた、それに前からそうだろうと思っていたしね」
朝話したばかりの情報が午後には共有されているのか・・・どうやら俺たちが思っている以上に、教師間のネットワークは緊密であるようだ。
「ゴーレムともなれば起こりうる”事故”の危険度はかなり高い、少しのミスで予想外の動きをするからね。
それにゴーレムに限らず君の魔力で活動すれば、起こりうる事故はとても危険なものになるだろう。それの対応できないとうっかり自分の頭を潰すなんてことにもなりかねない」
モニカが軽く身震いした。
自分の作ったゴーレムに、突然頭を捻り潰される想像でもしたのだろう。
「だから日頃から薄っすらと身体強化をかけ、どんなこともきっちり最後まで防ぎ切る心構えが必要だ。
といっても長年染みついたクセの矯正だからね、少し時間はかかるだろう。 まずはこの子達に混じって、少しずつ覚えていくといい」
そしてその言葉を最後に、スリード先生は俺たちを支える手を離した。
それからは、ひたすら反復練習だ。
登っては落ち、また登る。
それをずっと繰り返した。
というかこれ、スリード先生の優しい態度で誤魔化されてるが、その内容はかなり”スパルタ”だ。
でもそれを感じさせない”ペース配分”はさすが年季が違うというか。
そんな蜘蛛の教師による”ソフトなスパルタ教育”はいつまでも続いた。
どうやら問題の指摘も一通り終わったようで、細かいアドバイスに内容がシフトしていた。
登るときの効率的な力の使い方、危険な強化のかけ方などを、少しずつ指摘されるだけになる。
もう扱いは他の子供達と同じような感じだ。
だが、まだ地面に落ちる時は少々痛い。
やはり頭で理解したところで、すぐに実践できる類のものではないのだろう。
そのために長時間、これに枠が割かれているのだ。
他の子供達が授業などで入れ替わる中、俺達は日が傾いてもこの”蜘蛛登り”を続けていた。
モニカの表情は真剣そのもので、俺も負けじと意識を集中させる。
身体強化を適切に使うのはなかなか骨が折れた。
かけすぎてもいけないのだ。
特に思考加速系はやりすぎると露骨にペースを乱す。
落ちるときは衝撃をしっかり意識して、必要なだけきっちり強化しきる様に心がける。
だが何度も目論見を外し、その度に痛い思いをした。
それでも緩やかに身体強化をかけ続けるのには効果があった。
不意の対処が目に見えて早くなったし、対処法もより適切に出来る。
それに何より、子供達に混じって”遊ぶ”のには大変な効果があると思い知らされた。
彼等から学ぶことは多い。
生まれてこの方、ずっと”正しい”身体強化と共に生きているので、彼等の動きを見てるだけで細かな部分の勉強になるのだ。
それとモニカにも、自分より小さい者に負けてたまるかという”対抗心”の様なものを掻き立てる効果もあった。
これまで何だかんだで、自分より小さな者と競う事が無かったのでこれは新鮮である。
それに気分転換になる”イベント”も豊富だ。
「あ、こら!!」
突然、補助のルイス先生が声を上げて走り出し、その脇を子供達が猛スピードで駆け抜けていった。
また始まった。
子供達の”脱走”が。
実はエネルギーの塊みたいな子供たちの集団とあって、どうしても授業を抜け出したくなる子が出てくる。
なのでこうして時折、先生たちの隙を突いて集団で脱走を試みるのだ。
巨大な蜘蛛の体から、子供たちがものすごい速度で一斉に飛び出すのはなかなかに壮観だった。
まさに蜘蛛の子を散らす・・・・・
「モニカ、捕まえておいで」
そういう時、スリード先生は決まって俺達にルイス先生の手伝いを指示する。
最初は本当に手伝いなのかと思ったが、高速で動き回る子供たちを捕まえている内にその考えは変わった。
どうやら”こちら”も補習の一部らしい。
”蜘蛛登り”が基礎の確認と練習なのに対して、こちらはより”実践的”な練習だ。
身体強化を使いこなし縦横無尽に走り回る子供達を怪我させないように捕まえるには、かなり高いレベルでの身体強化が必要になる。
子供達を追いかけて走り回るだけで、”蜘蛛登り”で感じた改善点の効果がすぐに実践で調整できるのだ。
”基礎と実践”
その反復でのみ得られる、魔法士としての”正しい体づくり”を身につけることこそが、この”補習”の真の目的だと実感できた。
そしてもう一つ。
「ねえちゃん、はええよ!」
「ウニョウニョするやつ、それずっこい!」
モニカの脇に抱えられた子供達が不平を漏らす、それに対し、
「2人とも動きが目線でバレてるよ、それじゃ逃げられない」
とモニカが自分で感じたアドバイスを送る。
その口調は、いつもよりも滑らかなものだった。
もしかするとこの補習の本当の目的は、こうして幼年部の”園児”と戯れることで”年長者”としての振る舞いを覚えることなのではなかろうか。
それはこの
そのとき、俺の中で何かがカチリと嵌まる感覚が流れ、思考の中に”新しい
どうやらまた何かのスキルが起動したらしい。
予知夢が起動してから2日で新しいのが起動するとは珍しいな。
今回はどんな”奴”だろうか?
だが俺は、その情報を一目見るなり心の底から驚いた。
それは今まで起動したどの”スキル”とも、全く構造や考え方が異なるものだったのだ。
しかも”コイツ”は・・・・・
だがなんで”今”これが起動した?
この”補習”がキッカケなのは間違いないが・・・
俺は以前提示された、そのスキルの必要条件をもう一度思い出す。
そうか・・・
身長、手先の器用さ、魔力操作、魔力変質、魔法知識・・・
随分と回りくどい言い方があったもんだ。
『モニカ、伝えることがある』
「どうしたの?」
モニカが怪訝な表情になる、俺の様子がいつもと違うことに気がついたのだろう。
だが
『”ゴーレムスキル”が起動した』
俺がその情報を伝えると、モニカがその場で足を止めて目を見開いた。
今自分が聞いた言葉が信じられないかのようだ。
すると脇に抱えた子供達がモニカの様子にキョトンとなる。
「・・・本当に!?」
モニカがその言葉を絞り出すまで少し時間がかかった。
無理もない、”そのため”にここまで来たようなものなのだ。
だが、残念な情報も伝えなければならない。
『何にもできないけどな』
「え?」
『起動したのはゴーレムスキルの”大枠”だけで、”中身”は起動してない、どうやらこいつは”箱”の中に”物”を詰めていくイメージのスキルらしい』
それはこれまでとは全く異なる考え方のスキルで、自分で”組み立てて”いくタイプだった。
”ゴーレムスキル”という枠の中に、今使えるスキルを組み合わせて放り込んでいくようだ。
いわば”フランチェスカ”の”拡張キット”というイメージが近いかもしれない。
俺の中の領域にこれまでの
まだ何も操作するものはないが、領域が分割されているというだけでこのスキルが他とは”別格”であることが理解できた。
おそらく起動条件の”本当の意味”は、これを扱える”体づくりの知識”なのだろう。
「なんでそんな面倒な・・・」
モニカが少々呆れたような、疲れたような複雑な表情になる。
『さあな、それは組んだやつにしか分からないだろう、だがこれで”方向性”は分かった』
もしかすると、それがこの”スキル”の狙いかもしれない。
少なくとも難しいゴーレムスキルの”本体”を闇雲に狙うよりも、こうして”看板”だけでも見えれば辿り着きやすくもなる。
モニカが肩透かしを食らったような何ともいえない苦い表情を作ったが、俺は逆に晴れやかな気持ちになっていた。
まだ何にもできない”スキルもどき”だけど、それでもずっと頭の中を覆っていた闇の中に光が差したような気がしたのだ。
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