1-9【旅の計画 3:~魔法契約~】



「二度とここに来るな!!」


 食堂の店主の罵声が市場の中にこだまする。

 それに対しその罵声を浴びせられた背すじの曲がった小男は、恨めしげな視線を店主に返した。


「・・・わたし、何か見逃した?」


 モニカが少し不安気に聞いてきた。


『分からん、俺もなんであの男が店主を怒らせたのかさっぱりだ、それにまだ何もしてないらしいし』


「この店は客に飯も出さねえのか!」


 小男が吐き捨てる様にそう言い返した。


「お前みたいなのは客じゃねえ!! さっさと失せやがれ!!」


 店主がその言葉と共に手に持っていた鍋を大きく振り上げる。

 流石に殴られては敵わないと思ったのか、小男は小さく悲鳴を上げてその場から逃げ去る。


 店主は暫くの間追い立てるようにその後を追ったが、やがて小男が市場から出ていくところで追いかけるのをやめた。


 カタリ・・・


 その時、背後から聞こえた異音にモニカが振り向けば、すぐ隣りに座るモニカより少し年上の少年が小男が消えた市場の出入り口を心配そうに見つめ、その手がかすかに震えていた。

 そしてその震えが伝わったフォークが皿に接触し異音を発生させていたのだ。


 更に周りを見れば他の人間も皆心配気だったり不快そうな表情で小男の消えた先を見ている。


 やがて小男が完全に見えなくなると、その場に安堵の空気が流れ再び正常な空気が戻ってきた。

 

 そして戻ってきた店主が店内を見渡すと深い安堵の息を漏らし、また何事もなく厨房の定位置についた。


「何だったの?」


 モニカが率直な疑問を店主にぶつける。

 するとその瞬間、まるでその話を蒸し返すなと言わんばかりの僅かに非難するような視線が周囲から飛んできた。

 店主も少しめんどくさ気な表情でモニカを見る。


「お前さん、新入りか?」

「ううん、ここにはちょっと寄っただけ」

「街にもあまり来たことはないのか?」

「うん」


 店主はそこで大きなため息をつく。


「あいつは奴隷商人・・・それも末端の奴隸を集めてくるのを生業としてる奴だ」


 店主がそう言った瞬間、周囲の子供たちが奴隷という言葉に反応して小さく震える。

 どうやらここではよほど歓迎されない職種であることがその様子から読み取れる。


「ここにいるのは、大抵、学のない孤児が殆どだからな、いつの間にか奴隷契約を結んでたなんてことになれば誰も助けられん、そうなる前に見つけて追い出すしかないのさ」


「何で助けられないの?」

「あいつら奴隷契約に魔法契約を使いやがる、魔力で保護された契約だから一般人にはどうしようもできないし、俺みたいな店側もそういうのに干渉できない魔法契約を市と結んでいるせいで何もできないんだ」


 魔力で保護された契約・・・・

 そういえばあのランベルトとかいう調査官も魔力で保護された決まりのせいで、俺達にわざわざ殺すことを宣言しないといけないとか言っていたな。

 魔力で保護されたというのは、そんな時まで破ってはならないものなのだろうか?


「破ったらどうなるの?」

「どの程度破ったかの内容に応じて、”制裁”が発動する、あいつらが使う契約だとほぼ仮死状態まで行ってしまう可能性があるらしい」

「でも、その判断は誰が決めるの?」


「契約した本人だ、自分で自分がどの程度決まりに背いたかを無意識に判断して、それに従って”制裁”が発動するらしい」


 つまり”制裁”の発動はその契約内容を理解していて、それでもなお破ろうとした場合に発動するということか。

 これならば”制裁”が発動した場合の言い逃れは絶対できない、なにせ他ならぬ自分が認めているのだから。


『なるほど”悪意”によって破られた場合に限定されるのか』


 おそらく”善意”による違反であれば、別途対応するのだろう。

 それでも意図して反故にされる恐れがないだけ地球の契約とは比較にならない程実効性が高い。


「・・・悪意? 助けようって気持ちは悪意なの?」

『ここでいう”悪意”ってのはその決まりを破ろうという意思のことだ、奴隷契約を認識していて奴隷であることを拒めば、それは意思を持って決まりを破ることになる』


 同様に”善意”とは決まりを破る意思がないことを示す、つまりその内容を知らない状態であれば破っても”制裁”は発動しないのだ。

 ただし奴隷契約の場合、一度でも奴隷であると認識してしまえばもう逃げようはなくなる。

 決まりごとにおける”善意”とは善い行いという意味ではないのだ。


「・・・つまり・・・どういうこと?」

『早い話、意識して破る事はできないんだ、だから魔法契約が結ばれてしまえば周りは見てるしかできなくなる』

「ふーん・・・」


 モニカが納得したようなしてないような曖昧な返事を、俺と店主に返す。

 するとそれを見た店主が肩をすくめた。

 

「安心しな、ここは小さな店だから、見つけたら今みたいに俺が叩き出してやる!」


 店主はそう言って、腕を曲げて力こぶを作る。

 それは俺達に対する答えというよりも、周りにいる子供達を安心させる為のものだろう。

 彼らにとってここは憩いの場であり、生活の場でもあるのだ。

 そこで奴隷の収集が行われれば堪ったものではないだろう。


「ただ、中心部の大きな店では店主が気づかずに手遅れになることも多いらしい、そういう所では自己責任と諦めるしかない」

「冒険者協会横の宿屋の食堂とかは?」


 モニカがこれからまだ何度か利用するであろう中心部の食堂のことを聞く。

 あそこはたしかにかなり大きくて、人も多くそこで行われていることを全て把握するのは不可能に近いだろう。


「なんだい、お前さん冒険者協会に用でもあるのか? あ、なるほど」


 と、そこで店主がモニカの目に気がついたようで、それを見て何かを察したように頷く。

 正確にはその近くに用があるのだが、問題はないだろう。


「あそこは強かったり怖かったり、そもそもあいつらが持ってる簡単な魔法契約くらいなら壊してしまうようなのがいるからな、その中でお前さんのその目を見て近寄ってくるのは、相当頭がぶっ飛んでるやつだけだと思うぞ?」


 どうやらあそこは比較的奴隷商人にとってやりづらい場所のようだ。

 まあそうか、あの小男なら気づかずに踏み潰されてもおかしくない。

 特にあの”青い少女”なんかに奴隷契約を仕掛けようものなら、一瞬で消し炭にされてもおかしくないだろう。

 たしかにそんなところに近づくのは正気とは思えなかった。

 

 どうやらそれほど気にする必要はなさそうだな。


 俺達はそう考え、また注意を目の前の皿へと戻した。





 市場で思ったより長居したこともあってか、ピスキアの中心部に着く頃にはすっかり辺りは真っ暗な闇に包まれていた。

 

 今回も以前と同じ冒険者協会横の宿に入る。

 明日はこの辺を含めた中心部でやりたいことが多いので、ここに泊まるのが一番便利なのだ。


「はいよ、部屋は2階だ」


 受付の男が鍵を渡してくれる。

 この宿は個人利用の客は低層階に纏められているのだが、2階か。

 一度くらい高層階に泊まってみたいものだ。

 それにはグループで利用する必要があるが、モニカの社交性はどの程度だろうか?


 モニカがちらりと宿の食堂を覗いてみれば、モニカより少し年上の少年少女のグループが目に入った。

 その様子から見てどこかの魔法士学校の生徒なのだろうか?

 姿形は間違いなく子供なのだが、市場で働いていた子供たちに見られた弱々しさや不安は殆ど見られない。

 自分達が強者であることを知っているかのようだった。

 彼等ならば奴隷契約に引っかかる恐れはないだろう。


 モニカは誰かを探すように食堂内を見回すが、どうやら目的の人物は見当たらないようだ。

 たぶんあの”青い少女”を探しているのであろう。

 ”エリート魔法士”と戦った経験を得た後に彼女がどう見えるのか気になるのだろうか?

 だが、俺の記憶の中の彼女は未だにその得体の知れ無さがこゆるぎもしていない。

 むしろ、俺達を圧倒した調査官がそれほど多くの魔法陣を同時に展開しなかったことから、あのとんでもない量の魔法陣の同時展開を行った”青い少女”の実力の凄さがより際立っているくらいだった。


 結局、モニカはお目当て・・・・の人物を発見できなかったため、早々にその食堂を後にして自分の部屋へと向かう。

 今回はモニカのお眼鏡に叶う人間は居ないようだ。

 モニカは、もし観察するに値する何か”を感じるようなら積極的にその人間を観察しようとするところがあるのだ。


 前回も来たのでモニカが慣れた足取りで宿屋の階段を上がる。

 残念ながら今回泊まる部屋は2階なので階段で登るしか無い、”エレベータ”は5階より上の階限定らしいのだ。

 もちろん、2階に階段で上がるのが面倒というわけではない。

 ただ単に俺がこの世界の”エレベータ”を使ってみたかっただけの話である。

 

 部屋に入るとモニカはすぐに着ていたものを脱いで、下着姿の状態でベッドに倒れ込む。

 すると、どこからともなく疲れと睡魔が一気に噴き出してきた。


「おやすみ・・・・」

『ああ、おやすみ』


 そしてその言葉を最後に視界が暗転した。





※※※※※※※※※※※※※※




 夜明け・・・・・・



 太陽が東の空に上り新たな一日が始まる。


 その様子を窓の向こうに眺めながら、北部連合ピスキア支部警備隊長のウバルトは己の内に渦巻く謎の不安と戦っていた。

 特に何か異変があるわけではない・・・・いや、無いわけではないが、それがこの不安とどう繋がっているのかはハッキリとはしなかった。


 先日のカラ地区の東で起こった魔力噴出災害。

 鑑識の報告する内容は、それが火山性の魔力変動に由来するものであると結論づけていた。

 さらに一過性のものであり、ピスキア行政区の他の火山性魔力溜まりに大きな変動がないことから局地的な魔力の偏りが噴出したものであろうということも。

 

 ただウバルトはそれをそのまま信じてはいなかった。


 彼自身は魔法士ではあるが魔力学や科学の専門家ではなかったし、火山の専門家でもない、この地域の火山性魔力を長年観測してきたわけでもない。


 ただ、彼が長年触れてきた”魔力”というものに対する理解が、この現象が鑑識がはじき出した様な現象であるとはとても思えなかったのだ。

 ただ、それを具体的に示す証拠は何もない。


 それと、その近くで発見されたという中央の調査官の遺物。

 調査官自身は見つかっていないが、聞けば中央貴族の一員だというではないか、何故そんなものがこんな北国にあるのか皆目検討もつかなかった。

 一応、連合代表に確認を取っては見たが、魔力傾向の調査の許可という回答しか得られなかった。

 

 そもそも、何故北部の調査に中央の人間が地元の警備隊にすら知らされずに調査を行うのか?

 その不可思議な行動に、一部ではその調査官と噴出災害との因果関係を疑うものまでいる。

 何を隠そうウバルト自身がその筆頭だ。

 それに中央から派遣されて運用している機関の職員の様子がなんだかおかしい。

 必死にこちらに何かを隠そうとしているらしく、その言動にはかなりの量の嘘が混じっていた。

 

 それに何かきな臭いものを感じていたこともあって、現在行われていた討伐遠征を中断させ、警備隊の本隊を一日以内にピスキア行政区のどこにでも向かわせられる位置で駐留させて、その連絡役として優秀な部下を何人か市内に帰還させている。


 それは最悪の場合市内での災害発生を想定したものだった。


「我ながら、臆病すぎるか・・・・」


 ウバルトが、そう自嘲気味に窓辺で呟く。


 その時、窓の向こうで鳥たちが一斉に飛び立つ様子が目に入ってきた。


 気になって座っていた窓辺の椅子から立ち上がり、窓から身を乗り出してその様子を観察する。

 鳥たちは不気味な鳴き声をがなり立てながら群れで一斉に同じ方向に移動していた。

 

 またその数が半端ではない。


 まるで市内の鳥が全て何かから逃げ出そうとしているかのごとく、雲一つない朝焼けの空を黒い霞のように覆っていた。


 そしてその様子を見ながら、ウバルトは心の中で自分の不安がさらに強まっていることに気がつく。


 長年の経験から、ウバルトは自分ほどに高度に訓練を積んでいる魔法士の不安が、例え根拠がなかったとしても無視していいものではないことに気がついていた。



 では、一体何が起こるというのか?



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