1-9【旅の計画 1:~後遺症~】
ザバァ・・・・・・
飛び込んだ途端、湯船から外へ勢い良くお湯が飛んで行く。
『だから、飛び込むなって』
「ふう・・・でも・・・こわいんだもん・・・」
極寒の世界に生きていたモニカはこのように水が溜まっている場所にあまり馴染みがなく、濡れる→凍える→死ぬ という思考回路で無意識に水に対しある程度恐怖感があり、それが溜まっている状態に対してどうしても抵抗があるのだ。
『だからって、飛び込むほうが怖いだろうに』
「・・・うーん・・・ でもやっぱり一思いに入ったほうがまだマシだよ・・・」
ここはカラ地区からピスキア市街に戻る途中にある ”狼の頭” 山の来た時に入ったのとは別の天然の温泉が湧き出している場所だった。
だが、こちらの方が標高が高いので見晴らしがいい。
この山は本当にそこら中から温泉が湧き出して、天然の露天風呂状態になっている場所が多いのだ。
少し先の深いところでは以前の温泉でその気持ちよさを知っていたロメオが、何を思ったか鼻だけ外に出して体全体を湯の中に沈んでいた。
その鼻がちゃんと動いているので生きているだろうが、あんなことして茹だったりしないのだろうか?
そもそも普通、動物って風呂を嫌がるというのに、こいつときたら二回目にしてご主人様より風呂に対して恐怖感がなくなっている。
魔力ロケットの時も少し感じたが順応性がかなり高い気がするな。
パンテシアって種全体がこういう生き物なのだろうか?
そんなロメオの奇行を少しまどろんだ目で眺めながら、モニカが初めて肩まで湯に浸かって体を伸ばす。
ここを訪れたのには単純に温泉に浸かりたかったのと、それ以外にモニカの療養を兼ねてのものだ。
元々、旅の疲れが溜まっていた上に、カミルいわく僅かな”力”のズレによるダメージが乗っている状態だったのだ。
調整したのでこれ以上悪化することはないだろうが、それでも今まで蓄積した疲労がある。
「ああ・・・・なんか背骨がのびる・・・」
温泉の湯にほぐされ、モニカが気持ちよさそうにそう言った。
『やっぱり疲労回復に温泉は効くな』
「・・・本当にそんなに疲れてるの?」
『なんだ、俺が信じられないか?』
「そうじゃないけど、あんまり感じないよ・・・ああ、でも・・・腰からお尻にかけてが・・・」
『凝り固まった筋肉がほぐれてるんだ、そこが一番疲労してるからな』
「歩くのにも戦うのにも・・・よく使うからね」
モニカが実感の篭った表情で湯の中に手を入れ自分の臀部をほぐすように軽く揉む。
『もう一つ、気になることがある』
「なに?」
『思考同調の後遺症の確認だ』
「思考同調の後遺症?」
『正確には制御魔力炉の後遺症だな』
「あれ、すごかったもんね」
モニカからしみじみと畏れと憧れの感情が流れてくる。
彼女の中にもあの時の記憶があるので、あの凄まじいまでの精度の魔力操作を必要とした制御魔力炉が今の自分の手には全く届かない所にあることも、その凄まじい威力も実感しているのだろう。
『ただ、あの凄まじいまでの力を、本当なら使っちゃ駄目な状態で使ったわけだ、いわば用法用量守らずに無理をして使用したに等しい、その後のことも考えると何が起こってるか分かったもんじゃない』
「でも、”力”には問題ないんでしょ?」
『そこは流石に信頼のカミルの腕で調整済みだからな、後で確認したが完璧すぎて”蓋”が外れかかってた痕跡も見つけられなかったよ』
「じゃあ、どんなことが考えられるの?」
『それを知るために、リラックスした状態のデータが欲しかったんだ』
「ああ・・・なるほど・・・」
モニカがそこで何か納得した様な顔をして、湯の中で体を大きく伸ばす。
「温泉にものすごく入りたがってたのは・・・てっきり・・・他の理由かと思ってた・・・」
『・・・?』
「いや・・・なんでもないよ」
モニカが何か意味深な事を言っているが、どういうことだろうか?
モニカの考えていた他の理由とやらが、単純に”温泉入りたい!”では無さそうだし・・・・
でも思い当たることはない。
まあ・・いいか。
「それで、なにか分かった?」
『いいや、
「
『俺達の魔水晶・・・・正確にはその固定具か・・・にかなり深刻なダメージが入っている』
するとモニカが太腿を揉んでいた右手を引っ張り出し、その甲を見る。
そこにはいつもと変わらず、黒い手袋とそこに付けられたどこまでも透明に見える魔水晶が嵌め込まれていた。
「固定具って・・・この周りの輪っかだよね」
『そうだな』
それは本当に手袋と魔水晶の間を固定するための輪っかに過ぎないが、同時に魔水晶が俺達の体に密着する唯一の手段である。
「これが壊れそうなの?」
『ちょっといじってみれば分かるよ』
「ええっと・・・」
そう言いながらモニカが指で軽く触れると僅かだが魔水晶がはっきりと動いた。
「グラグラしてるね・・・」
『だろ? 流石にこれはまずいと思うんだよな』
モニカが軽く触れただけで魔水晶はなんの抵抗もなく上下左右にグラグラと動き、いつ外れてもおかしくないように見える。
「魔水晶が外れてもすぐには暴走しないんだっけ?」
『蓋が掛かっている分の”力”は今と変わらず、ただ管理スキルによる日頃の微調整が行えないからそのうち外れるが、調整して日が浅いから数ヶ月は猶予があるだろう、問題は起動している”力”の方だ、完全にスキルの制御から外れてしまって、かなり危険だ』
「前にも聞いたけど、なんでそれが問題になるの? 私だけで耐えられるから起動してるんでしょ?」
『うーん、簡単に説明するとその耐えられるってのが”使える”って意味なんだ』
「使える?」
『簡単に言うとな・・・モニカそこの石、筋力強化無しで持てるか?』
「これ? たぶん持てるよ」
そう言って近くにあった30cmくらいの石をヒョイと持ち上げる。
それは少し重めでは合ったが、持ち上げるだけならなんてことのない重さだった。
「これがどうしたの?」
『今、モニカはその石を持ち上げられる、この状態がいわばその”石”という”力”を使うのに耐えられると判断される状態だ』
「うん」
『じゃあ、それその状態で何日持ってられる?』
「え?」
そこでモニカが戸惑いの声を上げた。
『その石は確かに持つだけなら軽い、だからそれを使うことは可能だが、それを常時持ち続けろとなると話は別だ、要は魔水晶の制御を失えばその石を本当に常時自分で持たないといけなくなるんだ』
「持てなくなったら?」
『自然の摂理に従って石は落ちる、これが”力”だったら何の抵抗もなく噴き出すことになる、つまり暴走状態だ』
「・・・それ、もしかしてカミルさんの書いた紙に?」
『ああ、結構な枠を割いて書いてあった』
ちなみにそこでの説明では石ではなく大剣を使っていたが、モニカにはあまり馴染みのないものなので俺が勝手に手頃な石に変えさせてもらった。
「じゃ、じゃあ・・・これが外れたら・・」
『もちろん、すぐには暴走しないし、そのためのバックアップ機能もあるらしい、数週間は大丈夫だとさ、その間に固定し直せば全く問題ない』
「な、なーんだ・・・・びっくりした・・・」
バックアップ機構まであると聞いたモニカが露骨に肩の力を抜いて緊張をといた。
『じゃあ、ビックリついでにこのバックアップ機構、一度も実用試験をしたことがないらしい』
「え!? それで大丈夫なの!?」
『しかもカミルが組成に関わってないから、動作も不明だそうだ』
「それって絶対ダメなやつだよね・・・・」
『どうやら魔水晶を長時間外しておくということが、高位のスキルには想定されていないらしい、そもそも高位のスキルは本来なら常時大量の支援があって初めて成り立つものだからな、それに複雑すぎてカミルでさえとても全ては把握していない』
「じゃあ、すぐに替えないといけないね・・・」
『ああ、カミルの紙にも真っ先にピスキアに行って交換しろって書いてある』
するとモニカが興味深げに固定具である台座に軽く触れる。
「これ、まわりのだけ替えればいいの?」
『そうだな、重要なのは魔水晶だけだから台座は替えても大丈夫だ、それなりに値は張るがな』
「いくらくらい?」
『カミルの書いた紙には1000セリスくらいだってさ』
「え!? そんなにするの!?」
モニカが少し大きめの声で驚く。
確かに、こんな小さな輪っか一つに数十万円とは俺でも高い気がするが、
『俺達の魔水晶は普通より大きめで数が少なくて値段が高いらしい、それでも少し安いのもあるらしいが、俺達の魔水晶はかなり強力な力に晒されるから安いのはやめたほうがいいとも書いてあった』
「あの紙にそんなことまで書いてあったの!?」
『というか半分以上はスキルの取扱とその関連の小ネタだったぞ』
「半分以上・・・・」
モニカが半分呆れたような、それでいて何処か嬉しそうな表情になる。
俺もそこは同感だった。
カミルはあの紙に”本題”を書き終えたあと、その余ったスペースに小さな文字でひたすらスキルや魔水晶の取扱についての注意事項をびっしりと書き込んでいたのだ。
そしてその内容はいかにも彼らしい、調整した相手の人生のことを第一に考えた細かな物だった。
あの紙に注意事項を書いたのも俺があれを何度も読み返すだろうと思ってのことに違いない。
「カミルさんにも、頭上がらないね・・・・」
『本当にな・・・』
だからこそより一層、もう半分に書かれたことがまるで嘘であるかのような違和感を強くしているのだが・・・
あそこに書かれていたことのどこまでが本当でどこまでが嘘なのかは分からないが、少なくともカミルが
そしてそれは、願わくば
「うーん・・・なんか緊張が解けたら急にお腹が空いてきた・・・・」
そんな時、モニカが俺の重たい物思いを吹き飛ばすような軽い衝動を口にした。
『そんなこと言って・・・そろそろあれが食いたくなってきただけだろ?』
「あ、わかる?」
『分かるも何も、胃袋は決して嘘をつかないからな』
「血も暫く飲んでなかったしね、カミルさんのところは美味しかったけど野菜ばっかりで、ずっと物足りなかったんだよね」
そう言ってモニカは湯船から上半身だけ身を乗り出して、近くにおいてある腰下げバッグの中身を弄りだした。
「ふふーん!」
そう言ってバッグの中から取り出したのは金属製のコップ。
そしてそこには、なみなみと搾りたてのプロクロスの血が注がれていた。
シリバの村でこの味を知ってから、モニカはずっとまたこれが飲みたいと言っていたのだ。
俺としても生臭いことに変わりはないが、はっきり違いが分かるほど他の獣の血よりも味がいいのでまだマシか。
「前来た時はいっぱい動物がいたのに、今日はこれだけしか見つからなかったけど、それでもこいつがいたからまだ良かったね」
『恐ろしく素早かったがな』
「うん、ロンがいなきゃ絶対捕まえられなかった・・・」
モニカが少し悔しげな表情で虚空を眺める。
おそらく先程の無駄に走り回った狩りを思い出しているのだろう。
このプロクロス、この前来た時にこの近辺で大量に見かけたエルクロスと同じ鹿の仲間だが、体が小さい上に足の速さが無茶苦茶速い。
しかも異常に察知能力が高くて近づくことも困難だったのだ。
持っていた図鑑にその旨が記載されていたので知った気になっていたが、まさかモニカが森の中限定だがスピードで負ける相手がいたとは・・・・魔獣化したアントラム以外に。
まあ、とにかく今は俺の
前回は最低限の換金アイテムだった狼の尻尾だけ持ち帰ったが、今回は体も小さくて肉も美味しい獲物なので全部捌いて持っていくつもりだ。
もう少ししたら全部血が抜けるだろう。
今は内臓を抜いて、モニカ曰く生で食べた方が美味しい部位を切り分けて防寒用の”家”魔法の範囲外に並べて冷やしていた。
湯上り後のオヤツにするらしい。
そして手に持ったコップを片手に湯の中に戻ると、まずは軽く一口と、モニカが口に含む。
やっぱり、プロクロスの生き血は他と比べるとかなり飲みやすいな。
「?」
その時、モニカが何か違和感を感じたのを俺が感知した。
『どうした? 不味かったか?』
「いや・・・・そんなことはないんだけど・・・」
何か気になったようだが、特に気にするほどではないと考えたのかモニカはそのままコップに入った生き血を一気に飲み干した。
口の中いっぱいに生臭い臭いが広がり、俺の思考に僅かに吐き気が上ってくる。
ただ、以前よりそれは少ないので俺も慣れてきたのだろう。
しかしやっぱり生臭いなぁ・・・
本当に嬉しそうな様子のモニカには言えないけれど、どこまで慣れてもキツイものはキツイ。
しかも、今日は後からやって来る不快感がなんかいつもより増しているような・・・・
「うっ!?」
その時、寒気を感じるような不快感とともに、胃の内側がひっくり返るような痛みが走る。
そして次の瞬間、食道を胃液がせり上がってくる感覚とともに、モニカが慌てて湯船から飛び出し、すぐ近くの窪みに胃の中の内容物を吐き出した。
『どうした!?』
「うう・・・はぁ・・・はぁ・・・ううっ!?」
俺の声に答える余裕もなく嘔吐が続く。
尚も残る不快な生臭さ・・・
だがこの不快感は明らかに俺ではなくモニカの体からもたらされているものだ。
その激烈な反応にモニカ自身もかなり驚いていた。
すぐに温泉に浸かっているというのに寒気が俺達を襲い、同時に冷や汗が噴き出してきた。
そして尚も嘔吐が続く。
まるで体の中の全てが胃の中の異物を排除しようと躍起になっているかのようだ。
ハッとした表情でモニカが木に吊るされたプロクロスに向かう。
そこには相変わらずポタポタと血が滴り落ちる本体と、そこから切り分けられた生肉が置いてある。
血が腐っていたか?
そんな訳はない、さっき絞ったばかりだしその味は以前のときと比べても遥かに新鮮だった。
だが、いつの間にか新鮮な肉を見つめるモニカの中に、言い知れぬ不快感と恐怖が滲んでいた。
『・・・・大丈夫か?』
「だいじょう・・・うっ・・・大丈夫・・・ちょっと気持ち悪いだけ・・・」
気持ち悪い・・・・モニカが自分の人生を掛けて大好きと豪語できる筈の、生肉と生き血に向ける言葉とは思えなかった。
モニカは本当に小さな時から獣の生き血を好んで食し、そうやって生きてきた。
そんな彼女がこの程度の生臭さでこれほどの拒否反応を見せるわけがない。
では、一体何が原因か・・・・思い当たることが一つある。
【思考同調】
その後遺症でモニカの生臭さに対する耐性が俺に引きずられて低下したのだ。
おそらく同調した人格を元の状態に戻す過程で、戻り切らなかったものがあるのだろう。
それは、僅かだが俺の生臭さへの耐性が増えたことからも窺える。
一見して目につく人格の変化がなかったために何も変わらなかったような気がするが、その残滓は間違いなく俺達を蝕んでいたのだ。
尚も風呂桶代わりの岩にへばり付くような状態で不快感と戦うモニカの中で、俺はその可能性に薄ら寒い物を感じ、今の自分が本当に自分といえるのかに僅かに疑問が生じたことで、まるで足元が崩れ去ったかのような恐怖を感じていた。
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