四層の死闘


二層でコボルトに殺されかけてから、四日が経過した。


三層に出現する魔物はこれまでのものと変わらず、スライム、ゴブリン、コボルトの三種類だった。多少レベルが上がった個体ではあったが、それでも誤差のようなものだ。一日でボス部屋の真ん前まで攻略して、次の日にボスを討伐した。


ボスの魔物がコボルト五匹で最初は拍子抜けしたが、見た目とは裏腹にこれがまた面倒なボス達だったのが印象的だった。


最初の内は全く気が付かなかったのだが、コボルト五匹が皆一定の知恵を持っていたのだ。そのせいで、無難に戦っていた俺は気付いた頃にはやつらの術中に嵌まっていて、何度も死にかけた。


――――いや、ラーシェの援護が無ければ、早々に死んでいただろう。俺はまたしてもコボルトに不覚をとったんだ。


三層攻略後、ギルドに報告しに行ったあと宿で十分な睡眠を取ってから、またダンジョンに潜った。


昨日は四層のボス部屋に辿り着く前に時間が夜になってしまい、体調を崩さないためにその場で切り上げた。ダンジョンの広さが増したことと、ゴブリンの上位種であるゴブリンソードが出たこと。そのせいで、ダンジョン攻略が思うように進まなかったのだ。幾らステータスの優位性があったとしても、俺だけでは出来ることに限りがあるのだろう。


そして今日になって四層攻略を再開し、ようやくボス部屋の前に着いた。すでに時刻は午後三時過ぎだから、急がなければすぐに日が暮れてしまう。


ボス部屋の扉を開けると、中にはゴブリンソードが一匹いるようだ。見た感じ他の魔物は見当たらない。


しかし、今までの経験上これが只のゴブリンソードである筈はない。通常のゴブリンとは違う赤色の体表や、刃の潰れたボロボロの剣を持っているところは、普通のゴブリンソードと同じだ。どうやら見るだけでは分からないようだ。


「ラーシェ、援護を頼む。俺が切り込みながら通常種との違いを見極めるから、俺が危険になるまではゴブリンソードを遠くから牽制しておいてくれ。」


「分かったよ。じゃあボクは扉の近くにいるから、危なくなったら念話で教えてね?」


「ああ。」


剣を鞘から抜き、ゴブリンソードがいる方向へとゆっくりと移動していき、間合いを詰めていく。この時点で襲い掛かって来ないということは、それなりの知恵があるのか。とにかく俺の敵意に反応を見せなかったことは、まぐれや偶然の類いでは無いだろう。


ゴブリンソードと対峙し、その挙動を淀み無く見据える。


ゴブリンソードが手に持つ剣は油断無く中段に構えられ、俺を真っ直ぐに見返してくる双眸には、自信のような輝きが窺える。


「やっぱり、只のゴブリンソードじゃない・・・・・・。」


どちらかと言えばカウンターが得意な俺は、ゴブリンソードが動き出すのを待ち続けるが、それに対してゴブリンソードはじっと様子を見ているだけ。次第に緊張感が高まっていき、空気が張りつめていく。


まるで伸びきった細い糸が千切れる寸前のような緊迫は、俺とゴブリンソードを神経質な波の中へと誘い、海の底へと沈めていく。


―――――そして、極限まで伸びきった糸は、ちょっとした外的要因で切れてしまうものだ。


・・・・・・カコンッ。


天井の僅かに欠けた石が、自然落下の法則に従って垂直に落ちた。


「―――――ッ!!」


弾けた緊張感に従うかのように、俺の体が反射的に前に出てしまう。


そして、それはゴブリンソードにも言えたことで、同じく前に飛び出していた。


「ぜあぁぁ!」


ゴブリンソードが手に持った剣を振り下ろしてくるのに合わせ、俺は黒い剣を下から上に振り上げた。


スシャアァ!


辺りに響いた音は強烈な打撃音ではなく、何かを滑らせるような音で―――――俺の剣はとんでもなく薄い角度で、ゴブリンソードに受け流されていた。


「・・・・・・なにッ?!」


そのまま流れるような体捌たいさばきでもって剣を迫らせるゴブリンソードに一瞬気圧されるが、すぐにその懐へと飛び込んだ。


至近距離の相手に対して、剣という武器は不得手なものだ。ゼロ距離の敵に対して最も有効な攻撃手段は、素手をおいて他はない。


ゴブリンソードに肉薄した俺は、尚も剣を振りかぶろうとする右腕を掴み、視界いっぱいに広がる醜悪な顔面を、思いっ切り殴り飛ばした。


グギァァ!と喚きながら鼻を押さえるゴブリンソードは、急いで顔を上に上げるが、すでに俺はそこにはいない。


ゴブリンソードの右に移動していた俺は、剣を上段に構えて振り下ろした。


しかし、またもやその剣は薄く受け流され、ゴブリンソードは剣を突き出してくる。それを腕を守る鉄製のガードナーで弾き、追撃として放たれた回し蹴りを、半身を反らして回避する。


さらに剣を構えようとするゴブリンソードだが、俺は軸足とされている左足を払うことで、攻撃を中断させると共に転ばせた。


倒れ様にゴブリンソードが無理矢理剣を振るい、俺の髪の毛を数本巻き込んで空を薙ぐ。


全く反応できなかった俺は、驚愕に顔を歪めながら今更後ろに飛び退き、ゴブリンソードは立ち上がって俺を警戒する。


バクバクと心拍数を上げる心臓が、身の危険を伝える警鐘を鳴らすが、ここで止めるつもりはない。


今度は俺から攻撃に転じた。


ゴブリンソードに剣で対応されないように、最高速で地を駆けるが――――「嘘だろ?!」ゴブリンソードの目は、確実に俺を捉えていた。


「それなら!!」


さらに動きに緩急を混ぜ、左右に動くことでフェイントを入れる。やがてゴブリンソードの眼前に迫った俺は、走った勢いを殺さずに剣を振り下ろし――――その寸前に僅かに踏み込みをずらした。


受けのタイミングを逃したゴブリンソードは、想定外の攻撃に対応出来ないようだ。受け流すことを諦めて、剣の腹で受け止めた。


このまま叩き切ってやる!


ギシッ、とゴブリンソードの剣が悲鳴を上げ、俺の黒い剣がその刀身に僅かに食い込んだ瞬間、ゴブリンソードはわざと剣を打ち合わせ、切り口が鋭くなるように自分の剣を切断し、前に出てきた。


咄嗟に身体を横っ飛びにさせて回避行動を取ろうとするが、いかんせん振りかぶった勢いを殺しきれない。


ボス部屋の薄暗い照明を鈍く反射する刃の潰れた刀身が、その速度を落としていく。いや、違う。死を前にして、俺の感覚が研ぎ澄まされているんだ。まるでコマ送りのようにスローモーションで俺の首もとに迫る刀身は―――――


「やっぱりボクは、ゴブリンが嫌いだよ。」


首の動脈を切り裂く寸前、ラーシェに素手で掴みとられた。あまりに突然の出来事に驚いて、ラーシェが来た方向へと顔を向けると、ラーシェを終点として地面が一直線に抉り取られていて、数瞬遅れて辺りに突風が巻き起こる。


「な・・・・・・なにが?!」


既に起こった事柄に対して、思わず無意味な質問が口から零れ落ちる。


「【瞬歩】っていうスキルだよ。本当はこの間使えるようになってたんだけど、あるじの体が耐えられないだろうから、教えてなかったんだ。ボクの体なら大丈夫だけど、あるじの体だと負荷が掛かるから、本当にやっちゃ駄目だめだよ。」


ラーシェは掴んでいる刀身を離すと、暗い――――まるで深淵の底を覗くかのような暗い瞳で、ゴブリンソードを見下した。


「俺がやるから、手を出さないでくれ!」


今にもゴブリンソードをミンチにして、ハンバーグの材料にしてしまいそうなラーシェに、俺は懸命に話し掛けた。


「分かってるよ。危なくなった時以外は、手は出さないよ。」


ラーシェの威圧を受けて地面にへたり込んでしまったゴブリンソードだが、ラーシェが戦う意欲を見せずに壁にもたれ掛かるのを確認すると、過剰にビクビクしながらも立ち上がった。


「グギャァァァ!」


何の前触れもなく急に叫び声を上げるゴブリンソードに驚き、俺は剣の柄を握り直してしまうが、只気合いを入れただけのようだ。


剣を両手で持って、ゴブリンソードが俺に向かってきた。


上段からの切り下ろしを半身で躱し、繰り出される回し蹴りを左手で払う。さらに前に出てくるゴブリンソードに合わせて一歩下がり、突き出された剣に俺の黒い剣を合わせる。


するとやはりゴブリンソードは剣の角度を薄く持ち代えるが、ここで俺は前に出た。右にずれるゴブリンソードの剣を、俺の黒い剣が追従し、何度も、何度も、何十回もひたすらに剣で追い掛ける。


スシャア。


ゴブリンソードの剣を追い掛ける俺の黒い剣が、刀身の上を無抵抗で滑る。右にずれきった剣を、今度は左に動かす。それと同時に互いの間に広がる僅かな間合いを詰めてゴブリンソードに肉薄し、俺はその腹を殴り付けた。


痛みに顔を歪めるゴブリンソードの剣が、その軌道から僅かにそれる。


ズシャァァァア!!


刀身を滑る音に、少しばかりの摩擦音が混じった。


――――ここだ!!


「うぉぉおお!!」


思い切り地面を踏み込み、左肩を突き出してゴブリンソードに体当たりをする。そのまま倒れこんだゴブリンソードの首もとに剣を突き立てようとし、それを見たゴブリンソードが、また薄い角度で剣を構えた。


「でっっァァァアア!!!」


叫ぶように剣を思い切り叩き落とし、二つの剣が接触する。火花を散らして刀身の上を滑り落ちる俺の黒い剣が、ふいに動きを止めた。


初層ではまず御目にかかれないような、高い切れ味を持つ黒い剣。それと幾度と無く打ち合ったゴブリンソードの剣は、半ばから砕け散ったのだ。


そのまま首を狙う俺の黒い剣を、ゴブリンソードが俺の手ごと押し返した。力と力が拮抗するが、それは一瞬で傾いてしまう。


俺の全体重を乗せた剣は、いとも容易くゴブリンソードの膂力を上回り、その首をはねたのだ。


大量の返り血を体に浴びながらも、俺は勝利の余韻に浸っていた。


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