第23話 統括室へ至る道6

 物事が上手く運んでいる時ほど警戒しろ――確か、初めて言われたのは軍の訓練校で、上官に頭を殴られながらだ。それを痛感したのは、実際に戦場へ出た際に、すんなりと物事が進む時ほど、落とし穴に気付かず、簡単に落ちてしまい、それは落ちるまで気付かない――ということを、楠木くすのき明松かがりは知っている。

 加えて、明松自身は交渉事を得意としていない。経験不足であることを自覚的ですらある。

 今までに経験したことなど、せいぜい、コロンビア戦線における交渉事で、として、中立の立場から状況を眺めていただけだ。

 中立?

 当時のことを思い出せば、単なる使い勝手の良い、いつ捨てても構わない駒だ。眺めているどころか、どちらの勢力に殺されるのか、気が気でなかった。今となっては、二度と経験したくない状況である。

 ――さて。

 改めて統括室に呼び出されて赴けば、室長の此島このしまゆき、副室長の砂野さの霧子きりこ、そして都築つづき寿人ひさとと三名は変わらず。

 記録が行われていることを確認した明松は、制服の裾を払うようにして、笑顔を向けた。

「本日はどのようなご用件でしょうか」

「……白白しらじらしいことを言うんだな」

 変わらず、対応するのは霧子だ。そういう役割なのだろう。

「それでは、私から質問をしても? では失礼して――どうやら、妙な記事が一般に出回っているそうなのですが、あなたがたの管理責任を追及させていただいても? 情報の流出経路、記事にしたライター、記事の差し止め。以上に関してはどうでしょう」

「お前がやったんだろう?」

「――よろしいですか」

 明松はイラついた様子を見せることなく、言葉を続ける。

「この部屋の記録はどこの部署が行っているものですか?」

「電子部門だ」

「では、その記録が流出した際も、電子部門の責任になります。その情報を追えておらず、差し止めもできない。これもまた、同じことでしょう。結果広まった情報に対して、何もしていないのならば、それは統括室の責任になります。――さて、この場合は、私がまず司法部門に出頭して裁判を起こすべきですか? それとも、統括室から電子部門へ警告を送るべきですか?」

「それは…………」

「私は犯人捜しをしているつもりは、ありません。それはあなた方が好きにやれば良いでしょう。しかし、私はその管理責任を追及できる、被害者の立場にあります。そちらがどれほど被害を訴えたところで、こちらは一般人でしかありません。そちらについて、明確な返答が用意されたからこそ、私はここに呼ばれたと、そう理解しておりますが」

「……」

「お答えはいただけますか?」

「調査中だ」

「でしたら、私を呼び出すのは早かったようですね。ほかにご用件がないようなら、帰らせていただきますが?」

「待て。――統括室に入って欲しい」

「何故?」

 その問いは予想していたので、やや苦笑するようにして言葉を返す。

「まさか、今回の記事がそちらの不手際であり、その結果、世論に後押しされるよう考えを改めた――そのようなご理由ですか?」

「お前の実力を鑑みた結果、欲しくなった」

「前回と今回、何が変わったのか、ご存知ですね? 今しがた、私が追及しているよう、情報の流出と一般への記事の存在です。そして今、あなた方は意見を変えた。この二つに関連性を見なくて良いと、そうおっしゃるのですか」

「……」

「――うん、わかった」

 ようやく、そこで室長が口を開いた。

「ごめんなさい、呼び出しは性急でした。ご足労いただいたことは、とてもありがたく思いますが、こちらの都合を押し付けることは誠に遺憾で、改善すべき問題と捉えさせていただきます。本日のところは、お引き取り願えますか?」

「はい、わかりました」

 どう考えても、それ以上の返答はないだろう。そんなことは、わかりきってる。

 ここで素直に頷くくらいなら、明松はもっと早い段階で、それをしているはずだから。

「――ゆき」

 そうして、ようやく、疲れたような吐息と共に寿人が口を開いた。明松よりも背が高く、随分と制服を着崩している。どこのヤンキーだと思うのが、第一印象だろう。髪も明るい色に染めている。

「終わったなら記録を切ってくれ」

「ああうん、霧子」

「もうやった」

 ちらりと見れば、記録中の赤色のランプが消え、寿人は席を立った。

「終わりでいいな? ところで明松」

「なんだ?」

 終わりならばプライベイトだと言わんばかりに、明松は言葉を崩してネクタイを緩め、ボタンを二つほど外した。

「記録が終わったのに、続行してるクソ女に対してはどうなんだ?」

「目ざといな、お前は」

「馬鹿、カメラの目が動いてるだろうが」

「どういうわけか? 俺の住んでる家の周囲に、回線の監視用プログラムを常駐させてるから、その証拠品を今から司法部へ提出しようかって算段をしているところなんだが、俺は優しいからな? そりゃ運動不足のクソ女に、早く取りに来いと走らせるくらいの配慮はしてやる」

「えげつねえ手を打ちやがる。去年の内に、統括室を抜けるって宣言をしたのは正解だったな」

「そう言ったろ」

「だからってこの状況を予想しろってのは無茶な話だろうが」

「――ちょっと寿人、寿人」

「あ? なんだ?」

「知り合いなの? あんた聞いても答えてくれなかったじゃん!」

「夜にベッドの中で一戦終えた後に、そんな愚痴を言われたら俺じゃなくたって答える気を失くすぜ」

「ちょっと寿人!」

「うるせえな、じゃあ今度、ベッドで一戦終えたら詳しく話してやるよ。だいたい、学園に顔を見せればすぐわかる――こいつのことを知らない学生の方が少ないってな」

「言い過ぎだ」

「事実だろうが」

「ふん……そっち、次は学生会長か?」

「おう、選挙戦が始まるからな。経歴は作ったし、お前が邪魔しなけりゃ、そう難しいこともねえよ。学園部とのコネも作った」

「……」

「懸念か?」

「今すぐ、学園部の元社長と繋がっておけ。まだ間に合う」

「――、諒解。その線まで考えてなかった。つーわけだゆき、砂野、引継ぎはほとんど終わってるし、俺はもう行く。いいな?」

「ああ、構わない」

「あとは私がやっとくから」

「明松、ほどほどにな」

「寿人――お前、得物は握ってないのか?」

「……それ、また今度にしてくれ」

「約束だな?」

「チッ、わーったよ」

 都築流棍術と、寿人もまた武術家だ――が、明松がそうであるように、寿人も事情あって、己のことを武術家とは思っていない。

 まあその話は後かと、退室した寿人から視線を戻して、吐息を一つ。

「今から警備部に顔を出すが――そうだな、お前だ霧子」

「呼び捨てか……?」

「じゃあ眼鏡」

「そうではない。私がどうかしたか」

「男の気配がない女を選ぶのは、基本だろう? 業務を全部押し付けて、一緒に来い。椅子で尻を磨き過ぎて、スカートの色が落ちてるようなら、着替える時間をやる」

「こいつは……ゆき?」

「いいよー。迷惑を被ってるぶん、ストレス発散していいからね、そいつで」

「迷惑を被ってるのは俺の方だって言っただろうが。目が腐ってんのか? はは、眼科の前に脳外科だなお前は」

「こいつ口が悪いー。寿人より悪いー」

 明松が無視して出れば、慌てて霧子がついてきた。そのまま統括室を出る。

「移動手段は?」

「フライングボードを持っている」

「知ってる。だから俺も今日は持ってきた」

「……知っているんだな」

「お前らが俺を知っている以上にな」

 サーフボードよりも、スケートボードに近い形状の板を置き、両足を指定のベルトで固定すれば、四センチほど浮き上がる。あとは進行方向に軽く倒してやれば、スムーズに移動するのが、フライングボードだ。速度を出す場合は、体重移動を強くしてやれば良いが、その必要はない。

「お前、結構背が高いな」

「……気にしているんだ、言わないでくれ」

「俺はそんなことを気にしたこともない」

「何の慰めになる?」

「いや、何も。ちなみに、この状況でお前らが助かる道は、どうにかして俺に頷かせる方法しか残されてない」

「それが大変なんだろう?」

「そうでもない。というか、冬芽がやられた映像を見た瞬間から、俺の調査を始めないとな?」

「尾行していたやつを、排除したらしいな……?」

「そうする前に、学園へ顔を出して、冬芽から直接話を聞いて、可能なら遊園街まで足を向けたのなら、こんな失態は犯さないさ。それ以前に、警備部へ顔を見せてたら、俺の尾行なんてやめろと言われただろう」

「そう……なのか?」

「去年の尾行訓練で、対象が誰だったのかも調査してないみたいだな……まあ、隠していたのは俺だが」

「何者だ、お前は」

「なんでその疑問を、もっと早く抱かないんだ? 行動が遅いのは美徳じゃなく、間抜けの証明だ。実行が遅いならともかくも、な」

「何が言いたいのか、よくわからん」

「そういうやり方をしてるんだよ。なに、そのうちにわかる――見えたな」

「警備部か。一体、何をしに?」

「主に、状況に対する困惑を愚痴に変えたクソ野郎から、話を聞くため」

「――は?」

 なんだそれはと、続く前に話を変える。

「そういえば、フライングボードってのは、競技として何かできると思わないか?」

「ん?」

 ボードに乗ったまま、減速して入り口で認証をして中に入った明松は、脇道に逸れるようなルートを選ぶ。

「遊びを教わってな」

 僅かに加速した、と思えた瞬間には、明松が後方宙返りを決めていた。

「――なっ」

「これが簡単な技だ」

「いや待て、待て、――無理だろう!?」

「現実を否定してどうする」

「そもそもフライングボードは、障害物を乗り越えるにしても、十センチ以上の浮遊は内部プログラムで規定してある、安全制御が働くため、不可能だ」

「だとして? ちなみに、俺のボードはお前のものと同様に、市販品だ」

「理屈か? なら……」

 そうだなと、一拍の時間をおいて。

「ボードは基本的にバランサーと安全装置、この二つで成り立っている。そして――ああ、そうか、なるほど? 自重のかかる下方向が〝地面〟であると認識しているのなら、ボードそのものに、空中が地面であると認識をさせれば、可能だな?」

「思ったより、頭は回るんだな。その通り、側面方向に力をかけ続ければできる。安全装置を誤魔化すわけだ。実際にはお互いに触れることのできないボード上でも、それを可能にする方法も……っと、到着だ」

「男子が好きそうな話題だな……」

「そいつは偏見だ。間違っちゃいねえよ」

 ボードを脇に抱えた明松は、片手を差し出す。

「なんだ?」

「ボードを寄越せ」

「あ、ああ、すまん」

 四番目の訓練用闘技場、その入り口の受付は無人だったが、そこにある預り場所にボードを立てかけた。

「上だ、観覧席に回る」

「ん……わかった」

 思ったよりも、きちんとこちらに配慮するんだなと、霧子が思えば。

「思ったよりも素直なんだな?」

 なんてことを言われる。

「性格は悪そうだな」

「軍にいて戦場に出ていりゃ、このくらいが普通よりちょっと下くらいだ」

「いやそれも待て。そもそも軍属には規定年齢が」

「ボードと同じ」

「む、ぬ……」

 現実的にそうであるならば、その方法を考えろと暗に伝えて、明松は小さく笑った。それでも考えようとする人物ならば、悪くはない。

 観覧席は二階部分にあり、そこから見下ろせば全体が広く見渡せる。広さはおおよそ、200メートルトラックが描けるくらいだ。

 座席の間の階段をゆっくりと降りる。

「おい霧子、どうした来い」

「あ、ああ……」

 動揺も理解できる。何故なら、闘技場内部は今、屋根のない建物が作られていたからだ。

 上から見ると、壁の区切りが多く見えるため、何の迷路かと思うことだろうが、よくよく見れば、個室なども存在し、更に俯瞰したのならばビルのワンフロア、その設計図面にすら見えるはずだ。

「ところで霧子」

「な、なんだ?」

「同居してる、お前んとこの祖母は元気か?」

「ああ、八十を過ぎてもまだ、元気にしている、が……知っているのか?」

「繁華街の年寄り連中に声をかけてみろ。あのヤンキーはまだ元気なのかと、呆れたような顔をするぜ。まったく、統括室にいるなら、もっと顔を広くしろ――ん」

 下まで降りて、手すりに腕を乗せるよう見下ろしてやれば、すぐに体格の良い男が気付いて声を上げた。

「――明松かがり!」

「よう、村上むらかみ

「てめえこりゃ一体どういうことだ!?」

「どうもこうもない、楽しいおもちゃだろ?」

「そういうことを聞いてるんじゃねえよ!」

 ああこのことかと、明松が言っていた、困惑を愚痴に変える野郎が誰なのかわかった霧子は、小さく頷いていた。

 警備部社長の、村上である。

「おい、これはどうなってる?」

「ん、ああ、いわゆるシミュレーションシステムみたいなもんだ。警備部の制服を着た連中が中にいるだろ? あれ、実際には隣の闘技場で似たようなことをやってる。鼻歌交じりで今、中に入っている女が、映像じゃなく実際の人物」

「――映像? これがか?」

「砂野か……こいつがな? よくわからんが、質量再生型の立体映像なんだと。質感はまるで本物そっくり、出したり消えたり、一体どういう技術なのかさっぱりだ」

「訓練用のおもちゃとしては、助かるだろ? お前にとってはそれで充分じゃないのか、村上」

「いや、そりゃお前……」

「それともあれか? 前警備部社長と、前電子部社長との合同開発ってあたりが、気に入らないか?」

「ぐ……」

「機材の手配をしたのは俺だし、経費を払ったのも俺だが、作る過程を二人で楽しんで、お前はその結果を得た。――どこに不満がある?」

「わかった、わかった! もう文句は言わん! たとえ無断で相談もなく勝手に持ち込まれたとしても、だ!」

「言わんと宣言してから言うのは、その、交渉術か何かだと思えばいいのか?」

「さぞ得意なんだろうさ。にしても、おい村上、一般の部員とはいえ錬度がちょっと低くないか? ギョクが相手に、何もできてねえだろ」

「あのチビっ子にセオリーがないからだ!」

「言い訳……」

「なにか言ったか砂野!?」

「失礼、何も」

「間抜けどもめ、と言ったんだ」

「言ってない……」

 だがと、霧子は短く言葉を切って。

「……確かに、電子部門の霜月しもつき元社長なら、可能だな?」

「なんのことだ?」

 笑いながら言われても、とぼけているのが丸わかりで、ここでは答えないと言っているようなものだ。

「む……本当に映像なんだな」

 倒された人物は消えていき、珠都たまつが出てくると、全ての映像が消えてから、今度は山――いや、森林の多い場所が投影される。

「なんだ、やっぱりチェシャもきたのか……」

「知り合いか?」

「ああ、俺が拾ったやつ。おい村上、チェシャはそれなりにから、気をつけろ」

 実際に、チェシャはセオリーを踏んだ。

 自身に課しているルールは一つ、、それだけ。

 それだけを守るために、チェシャはあらゆる技術を学んだ。

「なんだあれは、殺し屋の技術か?」

「似たようなもんだ。まあ、そこそこだよな」

「よくわからん。それより、すまないがもう行っても構わないか?」

「前社長連中への謁見と、繁華街の聞き込みか?」

「隠そうとは思っていないし、その示唆をしたのはお前だ」

「連絡を入れておいてやる。聞き込みをするヤツはいるが、敵じゃないから脅しはするな――ってな」

「む……」

「気にするな。それと、しばらくすれば解決して、俺はおそらく統括室に入る。その間の時間は、そう長くない。調査は効率的にな、霧子」

「……今更だが、やはり、そう気軽に名前を呼ばれると、複雑だ」

「さようで」

 皮肉のつもりだろうが、なかなか可愛らしい捨て台詞じゃないかと、明松は笑って見送った。

 いずれにせよ、これ以上はなく、流出した記事の鎮静化を待って、明松は統括室へ入ることになる。

 立場を得て、異種族が夜間に行動できるようになり、統括室の作業システムは大幅に変更が加えられる――そして。

 おおよそ、一年後だ。

 柴田しばた剛史つよしが、拾われたのは。

「明松、お前、なんかあいつに甘いな?」

 にょきっと、手すりにぶらさがって顔を出した珠都の言葉に、明松は苦笑する。

「好みの女には甘くもなる」

音琴ねことに言うぞ?」

「妹にはもう言ってある」

「その妹至上主義、どうかと思うぞ」

 いつものことである。



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