第22話 統括室へ至る道4
寝起きの頭のまま、下着をバスケットに放り込んでシャワーを浴びる。そうすればだいたい目が醒めるのだが、なんで脱衣所に衣類を置いておかないんだろうと、タオルで躰を拭いて思うのだ。おそらく、設置する時間がない。仕事が忙しい――そんな言い訳は、果たしていつまで使えるのだろう。
下着にシャツだけの格好だが、一人暮らしなので構わない。朝食がトースターでパンを焼くだけで、ミルクを一杯とまるで手のかからないものでも、目を瞑るべきだ。あるいは、見て見ぬ振りをしておこう。
食事中に、ノート型端末を起動するのも、行儀が悪いなどと言ってはならない。
「んー」
しかし、昨日の展開はどういうことだろうと、天井を見上げる。
展開は早く、そうなることはわかっていた。特に冬芽は実害を被ったし、何度も思い返して眠れない日が二日もあった。まだ忘れられない。
ただ、違うことが一つ。
最後に。
そこがわからない。
展開はそこで打ち切り、続く手はない。
まったくよくわからんと視線を戻した先に、今日のニュースが表示されていた。
「――やられた!」
思わず、そう叫ばずにはいられず、両手を叩きつけて立ち上がる――が、思い直してトーストを口の中に放り込んだ。
慌てて両手で操作をするが、どのニュースサイトでも、トップの記事の見出しは同じ。
〝全サイン取得の猛者、統括室が拒絶!?〟
続く操作で全社長にメール送付、そして牛乳を飲み干した。
断ってから、更に一手。それが冬芽の経験したことで、その際には対価を用意されていたが、今回はなし。
そう、対価など必要ない。
同時におかしいとも思う。
そもそも流出する情報か? ――否だ、ほぼ密室で行われたものであり、記録は状況の推移を見たかった社長たちが、電子部門の現社長へ依頼したものだ。盗める記録ではない。
流出したのは、事実としても、情報価値を考えれば〝独占〟を選択するのがブンヤと呼ばれる連中だ。けれど、違う系列のサイトでも発表がある。フリーのライターだとて、今は個人を囲う時代だ。それなのに情報の共有ができている。
――流出経路がわからない。
「……明松が何かをした?」
いくつかの部署が、部隊を送り込んで尾行をさせたらしいが、妙な動きはなく、食事をして自宅に帰っただけ。電子部門が同様に、回線の監視をしているらしいが、特に報告はないようだ。
だが結果は出ている。
「得をしたのは、誰だ」
決まっていると、前提を崩さないことを決めた。
あと着替えることも決めた。カップは洗って、珈琲を落として、寝室へ。
個人を動かしたい。どうしたらいい?
動かざるを得ない状況を作ればいい。
その一つが、世間の声である。
今回のことと照らし合わせてみれば、明らかだ。
現室長の
しかし、それは社長に対してのこと。
一般にこの情報が、その真偽はともかくとして流布した場合、もっとも危険なのは統括室の立場だ。
そもそも、何をやっているかわからないような部署なのだ。憧れ、評判、そうしたものが高ければ高いほどに、――印象が悪い方へ傾けば一気に崩れる。
考えてみれば、簡単なことだ。
前代未聞、開始から一ヶ月も立たぬ内に、あろうことか初めて、社長全員のサインを集めた者が、現実に存在しているのが確かなのだ。そこに偽りはなく――そして、それを、断ったのも事実。
この構図は、覆らない。
簡単に言えば、こうだ。
現統括室の室長だとて半数なのに、何様のつもりだ?
社長の立場からすれば、そういうことにも慣れている。粗探しをされて、常に批判されているようなものだから。
「……ふう」
スーツに着替えて姿見をのぞき込む。タイトスカート、ソックスで脚の露出は少な目。シャツは白、二つボタンは外しても胸元は見えない。なんだろう、ちょっとは男から声をかけられても良い見た目だと、そう少しは思うのだけれど、男の気配が一切ないのは何故だろうか。
やっぱり社長という立場だろうかと、原因は全てそちらに放り投げ、リビングへ戻った。
珈琲を改めてカップに注いで、椅子に戻る――さて。
手順だけを追えば、どうだろうか。
できるかどうかを度外視したのならば、まず映像を入手する。それからフリーライターにでも接触して、映像を手土産に記事を書いてもらう――まあ、それだけのはなしだろう。
しかし、冬芽の印象だけで言えば、書いてもらうなんて行動が、明松の印象にない。
「第三者の介入がある……のは、確実だけど」
それが、誰でどんな人物なのかは、わからない。
「でも、協力者なんて少なければ少ないほどいい」
わからないのならば、棚上げして。
現実を見れば。
統括室は今、窮地に陥っている。
入室を拒絶したことを汚点として、それを返上したいのならば、明松に対して入室してくださいと、請わなくてはならない。お願いします入って下さい、と言う必要すら、あるだろう。
そうなれば?
明松の返答がどうであれ、現統括室は、明松の下に位置することになる。
上下関係が明確でなくとも――たぶん、逆らえない。
それが明松の望み? いや、しかし……と、考えたところで携帯端末が着信を告げた。表示を見て少し驚いたが、繋ぐ。
「はい」
『おう』
「初めてじゃない? 遊園街の社長サンが、私に何の用?」
『おいおい、お互いに被害者だろう? 加えて、以前のパーティじゃほかの野郎が向ける厭らしい視線から守ってやったじゃねえか』
「忘れた」
そうかいと、
『しかし、まあ――くっ、あはははは! いや笑っちゃいけねえが、こいつぁ愉快だ!』
「愉快? どこが?」
『考えてもみろ。慌てた統括室が
「……ありえそう」
『あははは、笑うしかねえなあ、おい!』
「あんたは、どうせ
『まさか、実害を被ったのは事実だし、俺との交渉は記録しちゃいなかったが、ありゃ冗談じゃねえ。柊、お前の時は随分と優しかったぞ』
「――優しい?」
『そうさ、あいつはちゃんとお前の流儀に付き合った。つまり、俺に対しては、俺の流儀で挑みやがった。下手を打ってたら、俺の部下は全員ひっくるめて、遊園街から消えてただろうな』
「……冗談でしょ?」
『だったらサインなんかしねえよ、馬鹿。正直に言って、統括室がどうなろうが知ったことじゃないが、明松の動向は気になってる。そこで確認だが柊、フリーランスの真贋は鑑定したか?』
「ああうん、キジェッチ・ファクトリーに連絡を入れて、確認したもらった。本物よ」
『だろうな。次だ、明松の使ってる電子回線や自宅の周辺のネット、そっちで制圧してるか?』
「そっちって一括りにしないで。電子部門の
『オーケイ。次、尾行に何人くらい回してる?』
「それもうちはやってないけど、たぶん五人くらいじゃない? 警備部からは出てないらしい」
『行政、開発、統括室、学園……ま、あと一つは非公式か。尾行の技術は、現役部隊の学生連中にやらせるには難しいから、警備部で訓練を受けた連中が中心だろうな』
「ああうん」
部隊と言っても、仕事を回しているだけで、直属というわけではないのだが、現実的には直属のように見られている。
この都市には、そういう学生グループが、それなりにいるのだ。社長側も、それを便利に使っている。
だが。
「何を考えてんの」
『お前の時と同じだ』
「は? なにが」
『だから、起きた結果を見て、――どうすれば正解だった?』
「――」
そう、確かに冬芽はそれを考えた。
あの時はウイスキーを対価として出される前に、席を立つことだったが、これは。
「今回は、逃げ場がなかった?」
『あったさ。呼び出す前に認可してやりゃよかった』
「それじゃ手順を踏んでない」
『その手順を変えろって明松は言ってんだろ?』
言ってはいないが、裏を読めばそうだ。
『おそらく、かなり準備をしているはずだ』
「一年くらいとか言ってたような……」
『一年! ――ははは、それを真に受けてんのか、お前は』
「――え?」
『一年前にこっちに戻ってきたってのは聞いてるか?』
「ああうん、外に二年くらい出てて、中学三年で戻って来たって話ね。何をしてたかまでは、さすがに調査できてない」
『……』
「なによ」
『いや、秘密裏に外との繋がりってのは、必要だろうなと思ってな。今回のことでそいつを痛感することになった』
「そっちは、こっちより情報あるんじゃないの、そういうの。日本以外の客も、住人も多いんでしょ」
『それでも個人を追うのは難しいからな。ともかく柊、戻ってきたその時点で、キジェッチのフリーランスは手にしていなかったか?』
「……いや、その可能性は低い」
『じゃ、社長三名と交渉するための対策を考えるのに、一年いるか?』
――確かに。
一年という時間は、長すぎる。
『話を戻そう。どうせお前みたいな小娘は、じゃあどうしていたか、なんてことを考え始めて、ドツボにはまった挙句、ああもうすぐ仕事の時間だと逃げ出すからな』
「うるさい……」
『今回のことだ柊、まずは行動。あいつ統括室を出た後は何をしてた?』
「聞いた限りじゃ、どうも繁華街に顔を出して、ラーメン食べて帰ったって」
『――繁華街』
しばらく、沈黙があった。
「なに? 言えないこと?」
『ん……繁華街と繋がりがあるのは警備部とうちだけだ、詳しくはそっちに聞いてみろ。ただ一つ言えることは、うちのシステムは繁華街を参考にしてる』
逆じゃないのか、と思ったが、冬芽は黙っておいた。規模が違うが、瀬戸がそう言うのならば、事実なのだろう。
「つまり、今回のように情報を流すくらいは簡単にできるってことね?」
『仕組みをきちんと知っていて、協力を得ればな。だがまあ……どうなんだろうな? 俺が気軽にそっちへ行けるなら、確認してみても良いんだが』
「なによ」
『可能性の話だ、柊。統括室での会話が終わって、十五分前後でデータを入手できる人物に心当たりは?』
「……、明松はできない」
『そうじゃない、もっと視野を広げろ。いやもう答えろ、
「そりゃ電子部門の社長だし、録画の主導をしてたんだから、できるでしょ」
『技術の話だ柊。同じことができたヤツが一人いるだろう?』
いる。
それは、電子部門に限らず、どの部門にも一人は必ずいる――つまり、それは。
「先代の社長が関わってる?」
『さほどリスクを負わず、実践前のいい練習にならないか?』
「実際に現場への影響力はない――けど、前社長が関わってるなら、データを盗むくらいはできる」
『電子部門に限らず、だ。さて、こっちから質問して答えさせてばかりだ。サーヴィスでそっちから質問を聞いてやるよ』
大きく、深呼吸を一つしてから、冬芽はノート型端末をぱたりと閉じた。
「そんなに悪くないと思うんだけど、なんで私、男の気配がないの?」
『おおい、かーちゃん! 経済部の社長がクソ面倒なこと言ってんだけど!』
『なんて? ……ああうん、自分で探そうとしないクソ女が言いそうなことだねえ』
『聞こえたか?』
「今日は仕事休む!」
統括室がどうであれ、
冬芽にとってはそっちの方が重要である。
まあ、そんなことを言っても、休めないのはわかっているが。
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