第13話 観えない世界

 とおきりさわなおが界力術の気配を感じる少し前。

 かみやなぎたかすみは砂浜で行われていた花火から抜け出して、ホテルへと向かっていた。


「(翔子がどっかに行ったって、一体どういう事だ?)」


 アスファルトが整備されたばかりの道路の脇には鉄板や木材といった建材が積まれ、上からブルーシートが被さっていた。どうせ車は来ないと踏んで、堂々の道の真ん中を進んで行く。


 遠江からのメッセージによれば、片羽は風呂上がりに血相を変えてどこかに走って行ったらしい。何もないとは思うが片羽が口にした『嫌な予感』の件もある。心配し過ぎて損する事はないだろう。


 ホテルに到着した。

 玄関である自動扉の端にはドラゴンの頭部を模した白磁器が置かれている。田舎の旅館にあるたぬきくまの置物の代わりだろうか。上柳の背丈ほどの大きさがあり、それだけで宿泊客を呼び込む立派な撮影スポットになりそうだ。


「(マキからの情報じゃ、ホテル裏の駐車場の方に向かったんだっけ?)」


 ぐるりと建物を回り込むと駐車場へと通じるみちがあった。白や黒の砂利の中に石畳が敷かれ、左右には竹で作られた柵や細長い水路がある。まるでちょっとした庭園だ。どことなく中等部三年の修学旅行で行った京都に雰囲気が似ていた。


 程なくして駐車場に到着する。

 オープン前であり、駐まっているのは港から生徒を運んできたバスが四台と、ホテルのロゴマークが入ったバンが三台だけ。その閑散とした様子は、田舎の国道沿いにある深夜のコンビニを思い出させた。耳を澄ませばさっきまで花火をしていた浜辺から波の音が聞こえてきそうだ。


 その中央。

 あらしやまを見上げる格好で、一人の少女――かたばねしょうが佇んでいる。


 安堵に胸を撫で下ろし、上がった呼吸を落ち着かせながら歩き出す。


「良かった、心配したん――」


 しかし、言葉が止まった。


 気付いたから。

 目の前で、明らかに異常な事態が進行している事に。

 

「うん、やっぱりそうなんだ……辛かったよね、ずっと探していたんだから」


 報われなかった生徒の努力を褒める教師ような優しい口調だった。全身から靄のように溢れ出しているのは青い界力光ラクス。キラキラと夜闇に舞い散る蒼玉サファイア欠片かけらは、まるで氷点下の朝日で輝くダイヤモンドダストだ。


 でも。

 そんな幻想的な光景を前にして。


「(……何が、起きてる?)」


 睡眠導入時と同じく、すぅーっと自分の五感が遠のいていく錯覚があった。

 余りの緊張に、口の中から水分が奪われていく。


 背筋に冷たいモノが走るのを感じながら、両目を、限界まで凝らした。


「(……っ!?)」


 そこには。

 誰もいなかった。


 駐車場に照明がなく、薄暗くて姿が見えないからではない。そんな常識の範疇に収まる簡単な話だったらどれだけ良かったか。本当に誰も……いや、『何も』存在していないのだ。片羽の視線の先には、ただ周囲と等しく夜闇が広がっているだけである。


 ぞぞぞぞぞぞぞぞぞっ!! と足のつまさきから頭頂部までを鳥肌が一瞬で駆け抜けた。


「(……このままじゃ、また正体不明の脅威が翔子に襲い掛かっちまう)」


 幼い頃から幼馴染みだけが知覚できた世界、何度説明されても常人では片鱗すら掴めない光景――超自然現象オカルト

 それを認識してしまうが故に、片羽は何度も危ない目に遭ってきた。封鎖されたトンネルで乗用車の内燃機関エンジンが掛からなくなっただけではない。他にも思い出そうとすれば枚挙に暇がない程に、幾度となく理不尽な暴力が牙を剥いた。華奢で柔らかい少女の肌など、紙細工よりも簡単に引き裂くほどの鋭さを伴って。


 夜に一人で泣いていた事も知っている。傷を隠すために包帯を巻いて本土の小学校に登校しているのも見ている。誰にも信じてもらえず、助けを求められない辛さを胸に秘めている事にも気付いている。

 それでも、ただそばにいる事しかできなかった。話を聞いて、不安な気持ちを紛らわせるだけ。とうじゅつてんい』という力を手に入れた後でも変わらない。それどころか、無理をして目の前で大怪我を負ってしまった。


 だけど、今は違う。

 手に入れたのは純粋な力だけではない――あの時は持っていなかった『自信』がある。夢を諦めかけていた時にきりさわなおから貰った『勇気』がある。本気でぶつかって、ようやく和解できた森下瞬ライバルから教えられた『覚悟』がある。


 助けたい。

 強く、そう思った。


 震える膝を拳で殴り、無理やり足をを踏み出――


「だけど、安心して」


 母親とはぐれて泣き出しそうになっている子どもを安心させるように、片羽は力強く告げる。


「私が助けてあげるから。もう苦しまなくても良い、誰にも届かない助けを求めなくても良い。私がこの手であなたの悲劇を終わらせる、必ず」

「……、」


 いつの間にか、体の震えが止まっていた。


 幼馴染みにえている世界を正しく認識する事はできない。彼女が対峙している『何か』の姿だって見えないし、声だって聞こえないし、直面している問題の片鱗すら掴めていない。


 それでも、確信があった。

 きっと、これはそんなに難しい話ではない。


 困っている誰かを助ける――ただそれだけの単純明快で、美しい物語なのだと。


「(だったら、俺は何をするべきか)」


 そんなの、考えるまでもなかった。

 決して一人になんかさせない。様々な物がえるという理由だけで、そのちっぽけな背中に全ての重荷を乗せたりしない。


 上柳は決然とした表情で歩き出す。

 たった一人で戦おうとしている幼馴染みヒーローに手を貸すために。


「翔子。その話、俺にも手伝わせ――」


 何気なく声を掛けた瞬間だった。


 ばずんっ!! と。

 無理やり接続を断ち切ったような炸裂音が鼓膜を叩いた。


「タカ、君っ!?」


 上柳に気付いた片羽の顔が驚愕に染まる。同時に全身から溢れ出していた青い燐光が弾け飛んだ。ぐらっ……、と貧血でも起こしたみたいにふらついたため、慌てて両腕で軽い体を支える。


「(青い、界力光ラクス……?)」


 先ほどまでは心霊現象に気を取られて気が回らなかったが、よく考えれば違和感がある。

 界力光ラクスとは界力術を発動する時に生じる摩擦のような現象だ。逆に言えば、界力術を発動しなければ発生しない。


「(翔子は殆ど界力術が使えないはずだ、それなのに……?)」


 一体どのような術式を行使していたのかは不明。だが、明らかに近づいて来る上柳に気付いた瞬間に何らかのバランスが崩れていた。そのせいで苦痛を伴う反動が幼馴染みを襲った可能性が高い。


 最悪の想定に、ドッと全身から冷や汗が噴出する。

 顔を青くしている上柳を見て、片羽が苦しそうに眉を顰めながら、


「どうして、ここに……?」

「しょ、翔子!? 大丈夫か、何があった!! てか界力術なんて使えたのか?」

「あれは、私の界力術じゃないよ。周波数が合って交信しようとしたら、相手の方から接続規格チャンネルを合わせてくれたの。それが界力術という形で出力されたんだと思う。私達の脳が読み込める書式フォーマットに変換してくれたんだよ」

「……?」


 言っている事が抽象的で分からない。片羽がこういう発言をするのは、音楽や絵画といった芸術関連の情報を受け取った時だ。


「私は大丈夫……だけど、このままじゃ危ない!」


 上柳の腕に支えられながら、片羽は顔を青くして叫んだ。


「博物館を襲った突風が、また!」



      ×   ×   ×



 夜の浜辺だった。

 

 黒い夜空に浮かぶ三日月に照らされた砂の原。準備中と看板の出ている海の家の隣にはゴムボートや折り畳まれたパラソルが置かれており、シーズンになればそこそこの盛り上がりを見せそうだ。炎天下に晒されていた昼間に比べれば幾分か過ごしやすいが、じっとしていても汗ばむ気温に変わりはない。


 辺りに満ちているのは、波の音と手持ち花火をしている生徒の楽しそうな騒ぐ声。ほのぐらい夜闇をキャンバスにして赤や緑といったカラフルな炎が舞っている。笑い声と共に夜空へ舞い上がる煙が、少し離れたこの場所まで独特な火薬の香りを運んできた。


 そんな夏の思い出の一ページを背景にして。

 いまりょうは、波打ち際に立ったまま首を傾げていた。


「(あれは、何だ……?)」

 

『それ』を見つけたのは、第一校区の風紀委員として問題が起きないように周囲に注意を払っていた時だった。花火の残量的にもそろそろお開きだと考え、仕事に付き合わせていた他の特班メンバーに声を掛けるべきかと考えていた頃合いである。


 立っている場所から百メートルほど離れた黒く揺れる海の上。

 月明かりに照らされた景色の一部が、


 陽炎や蜃気楼とも見え方が違う。強いて例えるなら、超高濃度のガスが漏れ出して空気の屈折率を変えた様子に近いか。いっそパソコンの編集ツールを使ってそこだけピントをズラしたと言われた方が素直に飲み込めそうだった。


 最初、ただ目が疲れているだけだと思った。

 だがしばらくして、その『歪み』が何かの形を模している事に気付く。


 十メートルは左右に伸びた翼に、海面を打つ長い尾。時折姿を見せる鋭く尖った輪郭は頭部か。象のように太く強靭な後ろ足に、猛禽類を思わせる鉤爪。たった一粒の塩を何十リットルもの水に溶かしたのと同じくらい存在感は稀薄だが、二つの双眸がこちらに向けられているのはハッキリと感じられた。


 そう、そのシルエットはまるで――


「……ドラ、ゴン?」

「どうしたの稜護君?」


 隣に立っている特班顧問の早乙女さおとめみやが怪訝そうに首を傾げる。今津は両眼を見開いたまま、震える指先を『歪み』に向けた。


「……あれが、見えないんですか?」

「あれ? 何かあるの?」


 額に手でひさしを作って海を見渡すも、早乙女の表情が晴れていかない。『歪み』を見つけられないのではなく、どうやら完全に見えていないらしい。他の生徒も同様なのか、誰も気付いている様子がなかった。


「(……界力術がオレに対して使われたのか? たつおかの精神術式なら対象を限定して幻覚を見せる事も可能だけど)」


 もしそうならすでに術中に嵌っているため、文句なく大ピンチという事になる。


 だがその可能性は薄いだろうと切り捨てた。

 今津稜護の実力カラーは最上位の黒色から一つ下の紫色。界術師全体でもたったの3%しか到達できない出力を誇っているのだ。加えて夏越『御三家』出身であり、界術師として幼い頃から英才教育を受けてきた。本土の裏社会で活躍するような界術師が相手であっても、精神術式が使われた時点で看破して対策を講じてやる自信があった。


「(このオレに気付かせる事なく界力術を成功させる? 有り得ない、そんな例外的な状況を想定するだけ無駄だ)」


 では、どうして自分にだけえている?

 界力術でないとすれば、あれがただの自然現象だとでも言うのか?


 チリチリ、と。

 眉間の奥にあるすいたいが焦げ付く感覚で、暗礁に乗り上げていた思考が分断された。これは紛れもなく界力術が発動した気配。狙撃手スナイパーに銃口を向けられたのような圧力で息が詰まる。


 明確な、殺意。

 巨大な翼をはためかせ、ゆっくり上体を持ち上げる。まるで紅蓮の焔でも吐き出すかの如く、大きく口を開けて長い首を上向けた。


「(何か——来るっ!)」


 全身から火花みたいに迸る紫色の界力光ラクス。脳内を真っ赤に染める危機感に従い、反射的に界力術を発動する。


 とうじゅつようさいよろい』。

 通常の闘術が、記憶次元に保管された特定の英雄を再現するのに対して、要塞鎧が再現するのは神話である。力を借りるのは、神をも打ち滅ぼした名も無き千の英霊達。ただの人間では有り得なかった『記憶次元への記録』を成し遂げる程の戦争を、今津稜護はその身に宿して力を振るう。


「うおおお、おおおおおおおおおおっ!!」


 闘術発動に必要な『』を溜める時間は殆どない。全力にはほど遠い出力しか期待できないが、それでも力の限りを尽くす。


 右腕を持ち上げ、弓を引くように胸筋を張った。闘術発動に必要な『構え』だ。連動させた術式を精神内に存在する『保管領域アーカイブ』から引き出し、『構築領域ファクトリー』を経由させて界力次元へとうえいする。


 専用術式――『ほう』。

 神をも貫いた人類の矛が、今津の拳から真っ直ぐ放たれる。


 ゴォッバァッッ!! と。

 撒き散らされた莫大な衝突の余波が、海面に巨大なクレーターを穿った。


 バラエティ番組でしか見ないような巨大扇風機を何台も併用すれば、これだけの突風を生み出せるかもしれない。圧倒的な風力によって分厚い壁と化した空気の層が、砂や海水を巻き込んで生徒達へと襲い掛かった。


「(相殺、できたか!?)」

 

 謎のシルエットから放たれたのは、暴風の槍とも形容すべき破壊の嵐。乗用車や屋根瓦すら巻き上げるエネルギーの束が、放たれた矢と同じく一直線に突き刺さるのだ。砂浜に直撃していればどれだけの怪我人が出ていたか想像もできない。


「(……もう、いない?)」


 倒した訳ではないだろう。そこまでの手応えがない。


 しばらく警戒していたが、再び謎のシルエットを見つける事はできなかった。浜辺に打ち寄せる波の音だけが、夜の静寂に染み渡っていく。言葉を失った生徒達が、使い終わった手持ち花火を持って呆然と立ち尽くしていた。


「稜護、君……?」


 隣で早乙女が両眼を丸くしていた。ボサボサに乱れる一房に結った長い髪。軽くウェーブした前髪を直しながら、震える声で訊ねる。


「何が、あったの?」

「……分かりません」


 黒い海を見たまま、神妙に首を横に振る。


 界力次元と精神との接続を解除する。ぱっと弾けていく紫色の界力光ラクス。いないと分かっていても、隙を狙われている気味の悪さがずっと背中に貼り付いていた。


ハクリュウ伝説、か」


 博物館の責任者であるおくひとは言っていた。

 天風島に使われた封印が弱まっていると。そのせいで、突風や白い少女の幽霊と言った怪奇現象が起きているのだと。


 もし、だ。

 正体不明の『歪み』が何らかの条件で出現し、それがどういう訳か今津稜護にしかえていないというのであれば、次こそは本当に生徒に被害が出る。


 夏越家の分家関係者として。

 第一校区風紀委員会の副委員長として。

 黙って看過できる問題ではない。


「調べる必要があるのかもしれません――この島で、一体何が起きているのかを」

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