第5話 小さな戦争

ろっカイじゅつれんめいが本格的に調査した事もあるんだけど、どんな界力術なのか判別できなかった。それどころか効果や規模さえも掴めなかった。理由は明白――使われていた界力術の方式を、私達の技術では解読できなかったから」

「……?」


 特班顧問の早乙女さおとめみやの話に小首を傾げたなかはらすずは、搭乗口前の広いスペースを抜けて大きな丸窓が連なった通路へと進んでいく。


「全く未知の技術体系を見せられた気分だ、これが魔術だと言われても私は信じてしまうだろう――調査に参加した専門家のコメントよ。術式を構築する発想や考え方が、現代のどの方式にも当て嵌まらないの。一説によれば、過去に何らかの理由で歴史から抹消された方式じゃないかって言われているわ」

「歴史から、抹消?」

「発動されたくない界力術があったのか、後世に残したくない技術だったのか。全ては推測よ、眉唾でしかない。だけどロマンがある話よね、解き明かせない謎があるっていうのは。この謎の先には


 という技術がどの時代、何者によって、この世界にもたらされたのか、未だに解明できていない謎の一つである。口伝や紙媒体を問わず一切の記録が残っていないのだ。それはもう意図的に記録が消されたと勘繰りたくなる程に。ネットでは全ての黒幕が『ひいらぎグループ』だと噂されているのが、真相は定かではない。


 コツ、コツ、と特班顧問はヒールによる硬質な足音を船内の廊下に響かせながら、


あまかぜしまは『界術師の島』なんて言われてるくらいだし、意外と世間的に関心が高いのよ。まあだからこそ、このタイミングでろっカイじゅつれんめいは一般公開に踏み切ったんでしょうけど」

「界術師の印象を改善するため、ですか?」

「そう。せめて国内だけでも風当たりを良くしておきたいのよ。最近は界力に関する情報を全然公開しないって海外からも批判を浴びるようになったからね」 

 

 ろっカイじゅつれんめい

 界力術の基礎である方式を生み出した『始まりの八家』の内、辰岡、明峰、寺嶋、夏越、歳森、海藤の六家が資金を出し合って設立した組織である。法律上の区分では『協会』に当たる。界術師関連の行政を執り行うのは霞ヶ関に本部を置くしょうだが、今後の方針や政策の内容を実質的に決定しているのは六家界術師連盟というのが現在の主流だった。


「下手に隠そうとするから好奇心を刺激するんです。もっと情報をオープンにしてやればいいんですよ、どうせ恩恵に預かれるのは界術師だけなんですから」

「そんな簡単な話じゃないんでしょうね。天然ガスや石油みたいなエネルギー資源に乏しい島国からすれば、何としてでも界力の技術を独占したいはずだから」

「蒸気機関による産業革命、石油利用によるエネルギー革命、情報資源によるIT革命……その次はを原料にして何らかの革命が起きると予想している訳ですか」

「それだけの可能性を秘めているのは事実よ。だから少々国際的な立場を弱くしてでも、強硬な姿勢を取る理由は十分に理解できる。なにせ


 界力に関しては、未だに判明していない事の方が多い。

 その内の一つが、界術師は日本にしか生まれないという謎だった。


 社会学、民俗学、生物学、地球惑星科学、自然科学など様々な側面から多くの学者が研究を続けているが、依然として理由は不明なまま。近頃は『記憶次元』に保管された界力術のもととなる神話や伝承――『世界の記憶メモリア』を解明するしかないと真面目な顔で説く一派も現れているほどだ。

 

 北欧神話、ギリシャ神話、エジプト神話、アステカ神話、日本神話……世界には数え切れないほどの神話が存在している。そして、これらの神話の内容は発祥となった土地の風土や住んでいる人々の民族性に依存する。きん技術が発展した場所では鍛冶師の神が登場し、日照りで苦しむ土地では太陽の神が悪者として描かれるように。人々の生活に近かったからこそ、為政者や宗教家は自らの主張や行動に説得力を増すため神話を引用してきたのだ。


 だが、世界の記憶メモリアに保管された神話や伝承は、世界のどの場所にも当て嵌まらない。

 宗教的な側面や寓話、英雄譚などストーリーライン自体は既存の神話と似たような意味合いを帯びているのだが、それがどの国、民族、宗教を対象としているのか分からないのだ。故に、世界の記憶メモリアの研究者は口を揃えてこう言う――まるでどこか他の世界に触れているようだと。


「すいません、着信が入りました」


 断りを入れると、中原は夏服のスカートのポケットから携帯端末を取り出して耳元に当てた。相手は二学年下の後輩――しらづめひょうである。


『た、たたた大変ですすず先輩! ライバルが出現しました!!』


 頑張ったのに! 血を吐く想いで我慢したのにっ!! と何やら切羽詰まった声で意味不明な事を叫んでいるが、中原は持ち前の優秀な頭脳を使って何となくの状況を察した。大方、きりさわなおが知らない女子生徒と仲良くしている現場にでも遭遇してしまったのだろう。


「落ち着いてください、敵を知る前に戦いを挑むのは自殺行為です。まずは一度戻って体勢を立て直しましょう」


 イエッサー!! と元気よく返事をした白詰が通話を切る。ピシッと敬礼を決めている二学年下の後輩の姿を思い浮かべて思わず口許が綻んだ。


「相手は氷ちゃん?」

「ええ……そう言えば、京子先生は氷華さんと知り合いでしたね」

「そうね、氷ちゃんが赤ちゃんの頃から知ってるわ」


 古いアルバムを眺めるように目を細めた早乙女が、優しい声音で続ける。


「仲良くしてあげてね、あの子が楽しそうにしている姿を見るだけで私は嬉しいの。ううん、私だけじゃない。当時の事を知っている人からすれば、きっと今が奇跡みたいに思えるはずだから」


 一体、しらづめひょうに何があったのか。

 気にならないと言えば嘘になるが、聞かない事にしていた。白詰はあけみねの分家関係者だ。界術師の世界の闇は深い。知った所で何もできないのなら、こうして仲の良い友達でいる方がいいだろう。


「ちなみに、どんな話をしたの?」

「ちょっと奥手な後輩を焚き付けて、意中の相手とくっつけようとしているだけですかね」

「……問題になるような事はやめてね?」

「安心してください、特班としての節度は守りますよ。腐敗した他の風紀委員と同じにされたくはないですから」


 一階通路を進んでいると、前方から何やら賑やかな電子音が聞こえてきた。

 ゲームセンターだ。ただし商業地区マーケットにあるみたいな最新機種を詰め込んだものではなく、温泉旅館やデパートのオモチャ売場の端にあるさびれたタイプである。時間を潰すためというよりも、景色の一部として旅を演出するために用意されているといった印象すら受けた。そこだけ十年ほど時間が止っていると言われても信じられそうだ。


 事実、導入されている何世代も前のアーケード機やスロットの前に座っている生徒はいない。意図的に照明が絞られた薄暗い空間には、デモプレイを垂れ流すディスプレイの光と安っぽい電子音だけが満ちていた――はずだった。


 知り合いが二人いた。

 彼らは風紀委員で、特班のメンバー。

 具体的には班長のいまりょうと、新入りのしろあきらである。


「覚悟しろよアキラ! オレの一撃を受け止められると思うな!!」

「クソッタレ、そう何度もやられて堪るか! いくら班長ボスが相手とは言え昼食の限定プリンだけは絶対に渡せねぇんだよォォォおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 エアホッケーであった。

 カン!! カカン!! と、プラスチックの白い円盤パックが反射する音が連続する。長身痩躯の御代が一本に括った長髪を振り乱して応戦しているが、戦況が芳しくないのか、唇を噛んだ顔には冷や汗が浮かんでいた。


「悪いがアキラ、次で決めさせてもらうよ」


 がんっ!! と持ち手マレットを台に叩き付けて円盤パックを止めた今津が、獲物を狙う獣よりも鋭い眼光を浮かべた。

 大地に深く根を張った大木のようにガッシリした少年だ。先端が緩くうねった前髪に、太い眉が印象的な朗らかな顔付き。休日は近所の子どもと一緒に遊んでいてもおかしくない気さくさだが、垂れ目に浮かぶ鋭い瞳や引き締まった肉体からは、一般生徒には出し得ない確かな威圧感を放っていた。


『始まりの八家』の一つであるなつごえ。今津家はその御三家に当たる。高等部二年生にして第一校区の代表候補生に選出されるエリートで、風紀委員会の副委員長。四月に行われた模擬戦ではきりさわなおに『三方式同時使用』という最後の切り札を出させた正真正銘の怪物だったりする。


 今津はマレットを持った右手を大きく引き、卓球でサーブを打つ直前と同じく重心を低く落とす。


「出直してこいよ新入り、ワンサイドゲームの絶望を味わうがいい!」


 弾丸のような一撃。

 白い閃光と化した円盤パックが、真っ直ぐ青いボードの上を引き裂く。全く反応できなかった御代のマレットの横を駆け抜け、甲高い音と共にゴールに吸い込まれていった。


「これで限定プリンはオレの物、アキラは蓋についた部分でも卑しく舐めていればいい」

「くそがァァあああああああああああああああああッ!! ふざけんな、なんでこの人こんなエアホッケーが強いんだよ! 反則だろうが、ゲームになってねぇ!!」

「貴方達には特班としての節度とかないんですかっ!!」


 ここが公共の場である事を忘れて騒ぐ馬鹿二人に近づいていきながら、額に青筋を立てた中原が鋭く叫んだ。流石に騒ぎが遠くまで伝わってしまったのか、「お、なんだ? なんかイベントか?」と通行人が立ち止まってこちらを眺めている。


 そうとは知らずに、感情的になった御代は長い腕を振って、


「仕方ねぇだろうが冷徹女、俺の限定プリンが班長ボスに奪われちまったんだぞ! しかもわざと自分が得意な土俵で勝負を仕掛けてきやがったんだぜ!」

「アキラ、それは語弊があるな。先に限定プリンを賭けて勝負しようと言ってきたのはそっちだったはずだ。であれば、勝利を掴むために最大限の努力をするのは当たり前だろ? 勝負方法を決める時からすでに戦いは始まっていたんだよ」

「いや、エアホッケーにそこまで上手いも下手も……」


 台の中央に設置された得点表を見て、唖然とする。


 11対0。

 今津稜護の完封勝利だった。


「(確か、昼食の限定プリンはホワイト・アロー号の名物でしたっけ?)」


 乗船した時に手渡されたパンフレットにそう書かれていたのを思い出した。何でも世界的に有名な菓子職人パティシエが監修しているらしい。朝の情報番組で特集されたり、バラエティ番組で景品として扱われたりした事もあるそうだ。


「(あまりにも売れ過ぎてネット通販は半年待ち。他に売っているお店もなく、食べるためにはホワイト・アロー号に乗るしかない……そんな貴重な一品だとか)」


 ふと、胸のうちに湧き上がった欲望。

 中原は財布から硬化を取り出して、投入口に押し込んだ。


「班長、確認しておきたいんですが――」


 足下にある取出口から円盤パックを回収して、静かに青いボードの上に載せる。マレットを握った中原を見て、今津も重心を低くして身構えた。


「――ここで私が勝てば、限定プリンは総取りという認識で合っていますよね?」


 一閃。

 中原の右腕が横薙ぎに振われた直後、壁面で一度反射した円盤が今津の防御の隙間を潜り抜けてゴールへと滑り込んでいった。


「あの班長ボスから、ポイントを奪い取っただと……!?」


 愕然と両眼を見開いた御代を尻目に、中原は左手で顔に掛かった前髪を払う。


 鮮やかな一撃だった。

 スピードやパワーで無理やり押し切るのではない。相手の呼吸の合間、目線での誘導、反射の角度……そういった目には見えない技術が折り重なり、御代ではたったの一点も奪えなかった今津稜護の鉄壁を打ち破ったのだ。


 今津稜護が巨大戦車の徹甲弾ならば、中原美鈴は鉄をも切り裂く達人の一閃。

 剛、と、柔。

 相反する二つの究極が、正面から激突する。


「……面白い」


 円盤パックを青いボードに置いた今津の瞳に、野生の獣も巣に逃げ帰りそうな程に獰猛な光が滲んだ。大きく両頬を持ち上げて、決闘を申し込む騎士のように決然と告げる。


「このオレから点を奪った腕前は本物だ。であればこの勝負、受けない訳にはいかないなあ!」


 なになに? 何か限定プリンを賭けて風紀委員が決闘するらしいぞ! しかも片方はあのいまりょうだぞ!! と、騒ぎを聞きつけた生徒達がわらわらとゲームセンターの中に集まってくるが、勝負に集中している当人達は気付いていない。中には携帯端末で動画を撮影している生徒もいるため、特班メンバーによる騒動がバッチリ記録に残ってしまっていた。


 特班としての節度はどこにいったのやら……、と頭を抱えた特班顧問の想いは届かない。


 入手困難な限定プリンを賭けた頂上決戦の火蓋が。

 今、切って落とされる!



      ×   ×   ×



 そんなゲームセンターで勃発した小さな戦争を、とおきりさわなおと別れてレクリエーションルームに戻る途中で知った。何気なく眺めていたSNSに動画が投稿されていたのだ。


「これって第一校区の……風紀委員? しかも片方はいまりょうじゃない」


 霧沢との激戦を見ているからか、全力でエアホッケーをする今津の姿がすんなりと受け入れられない。普段は裏稼業に従事している超強面の男が、娘の小学校の運動会に参加して笑顔を浮かべているくらいの違和感がある。


 大きな丸窓が連なった船内通路を歩きながら、遠江は動画の音量を上げる。


 どうやら昼食に出る限定プリンを賭けた試合らしい。勝者は長い黒髪の女子生徒。だが勝ったのに何故か真っ赤にした顔を両手で覆っているし、敗者である今津稜護は絶望に打ち拉がれて床に膝を付いていた。何というか、誰も幸せにならない不毛な争いだった。


「旅行が人をおかしくしたのかしら」


 今もまだ気分が乗らないし大丈夫だとは思うが、羽目を外し過ぎないようにしようと心に誓ったのだった。

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