第33話 明日に繋がる未練

《高等部二年生 七月》


 ※ 前回のあらすじ


 とうごうしょうじゅんを見逃す事しかできなかったしろあきらは、銃身が灼き付いたアクディートの銃口を向けて、いつか必ず投棄地区ゲットーとアイオライトを取り戻すと誓ったのだった。


 暗い、暗い、森の中。

 悪魔のような冷たい笑みを浮かべた藤郷将潤は、前を向いて歩き続ける。


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 アイオライトが崩壊してから、すでに一週間が経過していた。


 梅雨も明け、本日は夏本番と言っても差し支えがない炎天下がラクニル全体を覆っていた。容赦のなく照り付ける太陽によって、道端でしおれた草花のようにぐったりしているのはしろあきらだ。モノレールの駅から第一校区を貫く『中央通り』の坂道を上るその姿は、まるで何日間も砂漠を彷徨う旅人と見間違える程に疲弊していた。


「暑ッッッつい!! ようやく梅雨が明けたと思えばすぐにこれかよふざけんな! 何が悲しくてこのクソ暑い日に二キロ近くも坂道を上らなきゃいけねぇんだ!!」

「中央通りを走る公共バスとかもないですからね。話題に挙がった事はあるみたいですけど、実現はしなかったみたいですよ」

「……どうして?」

「利用する生徒数を制限できないからです。通学時に雨でも降って生徒全員が利用する事になれば完全にキャパオーバーでしょ? 臨時に本数を増やすとか細かい対応ができる見込みもなく、計画は途中で頓挫しました」


 隣を歩くきりさわなお――ナオヤは呆れたように溜息をつく。いつもは涼しげな後輩も、今日ばかりは苦しそうに両目を細めていた。研いだ刀剣を思わせる鋭い雰囲気も翳り、使い古された道具のようにくたびれて見える。


 先週の内に無事に風紀委員会の入会手続きを終え、アキラは本日より正式に特班のメンバーとなった。よって今回が初出勤。これから多くの時間を過ごすであろう特班の本拠地までナオヤに案内してもらっているのだ。


 少しでも気を紛らわせるために、アキラはガードレールに手を付いて第一校区を眺望する。


 すでに数十分も勾配のきつい峠道を歩いて上っているため、標高はかなり高くなっていた。切り立った崖の下には鬱蒼とした森が広がり、ぽつんと開いた隙間に人工物が顔を見せる。石を積み重ねたデザインの円形の建物は闘技場コロッセオか。少し視線を遠くに向けてみれば陽光を受けてキラキラと波打つ太平洋が目に飛び込んでくる。


「そう言えば、俺のクラスで噂になっていますよ。上級生が何人か無理やり他の校区に転校させられたって」

「一年生にも広まってるのか……そりゃあんな適当な理由じゃあ憶測も飛び交うわな。無理やり校区を移動させられるなんて、何か後ろめたい理由がなけりゃ行われねぇんだから」


 とうごうしょうじゅんらいほうしきもとはるうえごう

 柊グループやアイオライトを巻き込んだ騒動に一応の決着が付いた翌日から、この四名は学校に姿を現わさなくなった。怪しむクラスメイトに正式な通達があたのはそれから一日後。家庭の事情で校区を移動する事になったという発表だったが、それを真正直に信じた生徒は誰もいなかっただろう。


「(……投棄地区ゲットーか)」


 眼下に広がる森に紛れる廃墟や古びた道路を見る度に胸が詰まる想いになる。アイオライトに加わった約二年前からほぼ毎日通っていたのに、たった一週間行かなかっただけで敷居が高くなったように感じた。卒業した後にOBとして部室へ行く感覚に似ているだろうか。


「まだ、未練があるんですか?」

「……さあ、解らねぇ」


 未練。

 取り戻したかったものは完膚なきまでに破壊されたと言うのに、心はまだ囚われたままなのだろうか? 何も手元に残っていないのに、思い出を美化して振り返り続ける。それでは『依存』しているのと同じだ。


 首を振って正面に向き直り、山の斜面に沿って曲がりくねった道路の先に目を向ける。


「ただ、ちょっと寂しいのは事実なんだ。あれだけ大切で、そこにあるのが当たり前だって思ってたモンが、こうもあっさりなくなっちまう。何十年も住んできた家を売って新天地に引っ越すような気分だよ」


 今まで存在が黙認されてきた投棄地区ゲットーだが、今回の一件を経て寺嶋家による本格的な規制が始まった。外部から侵入した何者かが活動拠点にしていた不始末への対応だと発表している。これまでの実質的な黙認とはレベルが違い、今回はかなり強硬な対応をするらしい。不良生徒ストリーデントも無視する訳にいかないだろう。投棄地区ゲットーに行く事が難しくなれば、そこで繋がっていた勢力が分裂するのも時間の問題だった。


「これからは忙しくなりますよ。居場所を失った不良生徒ストリーデントが学校や商業地区マーケットで暴れるようになるでしょうし、『リスト』に加えられる生徒だって増えるはずです。そういうトラブルを解決する事こそ、俺達『とくはん』に課せられた使命なんですから。アキラ先輩の不良生徒ストリーデントだった頃の経験と感覚にはみんな期待しています」

「そうかい、できる限り頑張るよ」


 曖昧な表情で頷きながらも、アキラは両眼を伏せて口を噤んだ。


「(やっぱり話が上手すぎる。なんかナオヤ達には認められちゃいるが、一般生徒の俺が風紀委員会の精鋭部隊に入れる訳がねぇだろうが。大方、寺嶋家は俺を『特班』に入れて動向を監視するつもりなんだろう。俺だってショージュンと一緒に『第一校区の秘密』の在処を見ちまったてるんだから、今までみたく放置されてた方がおかしいんだ。じゃなきゃあんな簡単に入会試験に受かる訳がねぇ)」


 手放しで喜べるような状況ではない。鎖で繋がれたまま、誰かの手の平の上で踊っているだけなのかもしれないのだから。


 だが、どんな思惑が裏にあるにせよ、現状では特班のメンバーとして活動する事が最も効率の良い選択には違いない。一般生徒に戻れば、投棄地区ゲットーの真実に近づく事も、第二校区に転校したショージュンに関わる事も難しくなるだろう。

 それに何より、退屈な教室に帰りたくなかった。意味もなくただ『何となく』を積み重ねるくらいなら、リスクを背負ってでも新しい道を切り拓く方が良いに決まっている。そう思って二年前の十月に投棄地区ゲットーへと足を踏み入れたのだから。


 それからしばらく歩いてから中央通りの交差点を曲がり、二人は森の中へと入って行く。投棄地区ゲットーと違って舗装されたアスファルトの道路だ。梢から差し込んだ木漏れ日が黒い表面で南風に揺れている。


「『特班』の事務所ってのは随分と辺境にあるんだな。もう殆ど終点の寺嶋メモリアルホールの隣じゃねぇか」

「始めは風紀委員会が活動拠点にしている施設に部屋を貰う予定だったんですけど、拒否されたんですよ。特班は風紀委員会から嫌われていますからね、嫌がらせの意味も込めて移動するだけで疲れるような場所に飛ばされたんだと思いますよ」

「それは随分と、気が滅入る情報だな」


 二人は森の中に伸びる道路を進んでいった。眩しい風に揺れる梢が奏でる葉擦れの音。揺れた葉の隙間から鋭い陽射しが瞳に突き刺さる。慌てて瞬きをした直後、記憶の底にしまったはずの色褪せた景色が視界に貼り付いた。


 それは、掻き消す事のできない思い出。

 道路は舗装されているし、木々だって手入れされている。それでも森を歩けば、風の音や揺れる緑が否応なく記憶に焼き付いている光景と重なってしまう。まるで感情が忘れる事を拒否しているかのようだ。やはり、まだ未練があるのだろうか。


「着きました、あれが特班の事務所です」


 森を抜けると、ぽっかりと開けた場所に出た。

 アスファルトが敷かれた空間の中に、ぽつりと二階建ての小屋が一つ。工事現場にある仮設小屋を少し頑丈にしたような見た目で、一階部分は倉庫になっているのかシャッターが閉まっていた。まだ造られて新しいのか乳白色の壁面には汚れはなく、午後の陽射しを反射して輝いている。


「あれ、が……?」


 何事もなく説明するナオヤに対し、アキラは驚きを隠せない。細かな造りが違うとは言え、かつてアイオライトが利用していた小屋と似ているのだ。第一校区が発注しているため同じ型式の小屋が造られるのだろうか。偶然にしては出来すぎている。


「……?」


 小屋の近くに女子生徒が一人で立っていた。彼女はこちらに気付くと、居住まいを正してから近づいてくる。


 くろつるばみ色の長髪が、櫛でかれたように真っ直ぐ背中まで流れていた。シャープな顎のラインや全てを見透かすような鋭い眼差し。背筋を伸ばして姿勢良く歩く姿に隙はなく、まるでうちに秘めた怜悧さが漏れ出しているようだ。展示された美術品のように完璧な佇まいは、一片の曇りなく磨かれた玉石をイメージさせた。


「直接会うのは初めてですね。初めまして、なかはらすずです」

 

 中原美鈴――特班の冷徹女。

 アキラの目の前で立ち止まった静かな少女は、柔らかく微笑みながら手を差し出した。


「なんだ、電話で聞いてた声から想像してたより随分と顔付きが優しいじゃねぇか。もっと教育ママみたいな怖い顔をイメージしてたよ」

「そちらこそ。てっきり間抜け面かと思ってましたが、意外と凛々しくて筋の通った顔をしてます」

「意外とって何だよ……」


 どうやら、中原は極度の負けず嫌いらしい。自分は何も感じていないと言外で主張するために笑顔で嫌味を言い返す辺り筋金入りだ。


 ここは突っかかった方が折れるべきだろう。

 アキラは降参の意も込めて、白く綺麗な手を握った。


「御代僚さん、投棄地区ゲットーでは色々と酷い事を言いましたが、全て水に流してくれると助かります」

「お互いにな。むしろ初対面で気を遣わなくてもいいから楽なくらいだぜ」


 冗談交じりに言ってやる。向こうとしてもその距離感で問題がなかったのだろう。握り返す手に力を入れ、どこか楽しそうに頬を緩ませた。


「それではまずは他のメンバーに挨拶をしてください。班長も氷華さんも事務所の二階で貴方を待っています」

「……そう、だな」


 中原に進むように促されたが、アキラはなかなか踏み出せなかった。


「どうしたんですか? まさか緊張でもしているとか?」

「いや、別にそういう訳じゃねぇけどよ」

「なら、何か踏み出せない理由でもあるんですか? 例えば、特班に加わる前に清算しておくべき未練や後悔が残っているとか」


 中原は剣呑な表情を浮かべた。電話越しによく聞いた相手の心に切り込む鋭い声音。怜悧な眼差しも相まって、その突き放す雰囲気は真冬の北風のように冷たい。炎天下に晒されているのにも関わらず、御代の背筋を冷たいモノが走り抜けた。


「ずっと、心に引っ掛かっている事があるんだ」


 一歩。

 しばらく経ってから、ようやくアキラは進み始めた。


「どうして、ショージュンは最後までリストバンドを外さなかったんだ? あれは俺達の魂の証だ、悪意を持ってアイオライトをぶっ壊すつもりなら付けたままってのは考えにくい。リストバンドを付けたまま去って行った姿からは、何か別の意図を感じちまうんだよ……これは、俺の勝手な願望なのかもしれねぇけどさ」


 どんな理由があったとしても、投棄地区ゲットーを破壊したショージュンを許すつもりはない。だがそう思う一方で、ショージュンを信じたいと思っている自分もいるのだ。


 悪意ではなく、藤郷将潤なりの正義。

 その正体を見つける事はできなかった。それでも、ショージュンは確かに言ったのだ。なくしたくない、失うのが怖い――理屈で否定できたとしても、この言葉を嘘だとは思いたくなかった。


 もし、だ。

 次にショージュンと会った時、背中を預けるべき味方になっていたら?

 真実に辿り着いて、ショージュンの事を敵だと思えなくなったら?


 どんな感情が胸中に去来するのか想像も付かない。


「当事者のくせに、俺は全容を把握できていない。ハル達がどうしてショージュンに付いて行ったのかも解らねぇままだしさ……結局、最後の最後まで蚊帳の外――だからこそ、特班に入ったとしても俺がやる事は変わらねぇよ。顔も知らねぇ誰かの思惑とか、新しい仲間とか、そういうちっぽけな事で迷う必要なんてなかった」


 小屋の前に着いたアキラは、ふっと口許を綻ばせて吹き晒しの階段を見上げる。


 この世界に変わらない物なんてない、とひいらぎすみは言った。事実そうなのかもしれない。時間は流れ、時代は移り、人間は入れ替わり、場所は劣化する。多くの人の願いを無視して、変化という巨大な波が全てを飲み込んでしまう。


 だけど、やっぱり、変わらない物だってあるはずだ。

 それこそが、本物の居場所の条件なのだから。


 アキラは右手に嵌めた青いリストバンドに触れる。


「この未練は、依存じゃない。明るい未来を目指すための希望なんだ」


 ハルに教えてもらったから。

 どんな結末が待っていても、成功の確証がなくても、立ち止まらずに歩き続ける――そんな高潔な心がどれだけ強くて、格好良いのかを。たまには泥臭く生きてみるのもいいものだ。


 さあ、新しい物語を始めよう。

 アキラは階段を上り始める。


「いいね、スマートだ」

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