第29話 銀色の介入者

《高等部二年生 六月》


 ※ 前回のあらすじ


 とうごうしょうじゅんと共に投棄地区ゲットーの端へと移動したうえごうは、第二校区との緩衝地帯への侵入を拒んでいたどうちゃくじん』の破壊をその目で確認した。後は寺嶋家が大切に隠している『第一校区の秘密』の正体を暴くだけという段階に来て、しろあきらに乱入された。


 藤郷将潤を先に進めるため、風紀委員として向き合った御代僚と正面から対峙する。絶対に認められない相手を黙らせるために、二人は互いに拳を握った。


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 そこは、アイオライトが本拠地として使っていた『小屋跡』だった。

 建築現場にある仮設小屋を少し頑丈にしただけの二階建て。にびいろに錆び付いたトタンの外壁が町外れにある廃工場のような淋しさを滲ませている。吹き晒しになっている金属製の階段に付けられた電灯が弱々しく夜闇を遠ざけていた。


「……ライちゃん」


 一階部分の倉庫の中で、しきもとはるは赤い界力光ラスクに包まれたらいほうを心配そうな眼差しで見詰めていた。雷峰は田舎道に置かれているような木製の小さい祠に手を付き、荒い呼吸を繰り返している。ただ胸の前で両腕を組んで見守る事しかできない自分が歯痒かった。


「……成功、『どうちゃくの陣』を破壊できた」


 雷峰が疲労の滲む声で呟いた。額に浮かぶのは大粒の汗。肩で息をする度に、小柄な背中でツインテールが揺れている。敷本はタオルで顔を拭ってから、立っているのがやっとの体を支えて倉庫の端に置いてあるパイプ椅子に座らせた。


「ライちゃん、大丈夫なの……?」

「……何とか、無理したから反動がすごいけど」


 緊張が解けたのか、雷峰は眠たそうな半目でぽけーっと虚空を見詰めている。隣に腰を下ろして、倉庫の中央に置かれたほこらに視線を向けてみた。


 さいだん、というらしい。

 けっかいじゅつしき界力稜カイドラインを操作する時に必要となる術式の核である。本来はもっと小型で携帯しながら戦うと座学で習ったのだが、『どうちゃくの陣』を破壊するために性能を高めた結果、持ち運びができないサイズになってしまったのだ。


「……ねえハルちゃん、ずっと聞こうと思っていたんだけど」


 休憩して顔色が良くなった雷峰が訊ねてきた。視線は腰に装備してある銀色の界力武装カイドアーツに向けられている。


「ヴィントークって名前なんだよね、ハルちゃんの固有武装ユニークアーツ。どういう意味なの?」

「あー、別に大した意味がある訳じゃないんだけどね……えっと、その、どうしても言わなきいとダメ?」

「うん、気になる」

「そっかー、気になるかぁ」


 うーん、と何度か躊躇した後、敷本は指でクセ毛を弄りながら頬を赤く染めて、


「ウチの初恋の人の名前、だよ……ってライちゃん、自分でもかなり恥ずかしい事をしてるって感覚はあるからそんなニヤニヤとした目で見ないでぇっ!! お願いだからっ、第三者から冷静に現実を突き付けられると心が持たないからぁ!!」

「うんうん、ハルちゃんも乙女だねー」

「もう!! でも初恋の人って言っても、絵本に出てくる主人公だよ。月の王子様で、地球人のヒロインに恋をするの。王子様は知らなかったんだ、自分が月の住人である事を。地球人として育てられて恋もしたのに、掟によって月に帰らないといけない。そんなのは認められないって、王子様は月の使者を相手に抵抗する。一度は月に連れ戻されちゃうんだけど、それでも諦めずに戦ったんだ」

「結末は、どうなったの?」

「……それが、解らないの」


 訝しむように眠たそうな半目を細める雷峰に対し、敷本は申し訳なさそうな口調で続ける。


「最後のページだけ描かれていなかったんだ。ネットで検索しても出てこないから、多分正式に出版社から発行された絵本じゃないんだと思う。作者が誰で、どうして実家にあったのかは今でも解らないんだけどね。どうしても結末が知りたかったからさ、自分で描いてみたりもした。多分、まだ実家の押し入れに残ってるんじゃないかな?」

「ハルちゃんは、どんな結末を描いたの?」

「勿論ハッピーエンドだよ。どれだけ二人の距離が開いても、想いが通じ合っているのなら一緒になって欲しいから。ううん、一緒にならないなんてウチは認めない。だって、じゃないと……淋しいよ」


 願いを言葉にする度に脳裏を掠めるのは、一人の少年――しろあきらの顔。


「……アキラ」


 目頭が熱くなった。瞼を閉じて、潤み始めた視界から感情が零れないようにする。

 諦めが悪くて、不器用で、何にもできない自分を事を応援してくれた。どんな時でも当たり前のように隣にいてくれて、心の隙間を埋めてくれた。二年前に会った時から気になっていて、一緒に投棄地区ゲットーで過ごす内に、その存在が大きくなっていった。


 本当に、大好きだった。

 これほどまでに誰かと一緒に居たいと思った事はなかった。


「これは、私が言うべき事じゃないかもしれないけど」


 小さな手で背中をさすってくれた雷峰が、優しげな声音で、


「ハルちゃんは間違ってないよ、アキラが変に頑固なだけ。ハルちゃんの告白は、アキラへの襲撃に失敗した時点でショージュンが急遽用意した予備のプランだった。それなのに自分の気持ちを決めただけでも立派。暴走した私とは大違いだよ」

「……暴走?」

けっかいじゅつしきの仕込みをしている途中に偶然アキラと出会って、言っちゃったの。アイオライトに戻ってきて欲しいって、それがショージュンの願いなんだって。その後、すぐに電話で報告したらショージュンにすっごく怒られた、危うく計画が台無しになるところだったって……私はショージュンのためを思って言ったのにっ」


 ぶすーと雷峰の頬が膨らんでいく。


 確かにしろあきらとうごうしょうじゅんが一緒に行動する事になれば、その後の計画シナリオは大きく狂ってしまう。前提が覆されると言ってもいい。ここまで色々なモノを犠牲にしてきた藤郷からすれば簡単には認められないはずだ。結局その後で別の計画シナリオを用意している辺り、雷峰に対する藤郷の甘さが滲み出ている気もするが。


「ライちゃんはすごいね、自分の気持ちにいつも正直で。ウチなんて勇気がなくて誤魔化してばっかりだった。アキラはさ、よくウチに言ってくれたんだ……ハルは誰にも負けないくらい強い意志を持っているって。諦めずに前だけ向いて歩き続けられるんだって。でもさ、ウチはアキラの方が意志は強いって思うの」


 瞳から感情が零れ落ちないように顔を上向けた敷本は、腰に装着したヴィントークを指でそっと撫でる。


「よく迷うし、自問自答して立ち止まるし、興味のない事にはやる気を見せない。でも、一度決めた『基準』だけは絶対に下回ろうとしなかった。周りが何を言っても、アキラは止まらなかった。その偶に見せる本気に、ウチは惚れたの。きっとウチの告白が届かなかったのも、アキラの中で譲れない何かがあったからなんだよ」

「ハルちゃん……」

「逆にさ、あそこでアキラがすんなり受け入れてくれたら、ウチは幻滅してたかもしれないね。感情に流されて楽な道を選ぶのはアキラじゃない。その先が茨の道だって解っていても、自分の軸を曲げずに進んでいける。それこそ、ウチが惚れた御代僚なんだから」


 きっと、これは言い訳なのだ。

 納得していない自分の心を宥めるための理屈付け。だけど、全く無意味な行為ではなかった。何故ならば、胸の中で埋もれていた本当の気持ちを認識することができたのだから。


「安心した、やっぱりウチはまだアキラの事が好きなままなんだ。ウチはまだ恋を失っていない、だったら何度でもやり直せる。ショージュンの計画シナリオが予定通りに進めば、。もう一度やり直すなら、それからでも遅くはない!」


 うん、と力強く頷いた少女の顔から涙は消えていた。


「こうなったらショージュンの計画シナリオを成功させるしかないよ。ウチはもう迷わない、胸を張ってここに帰って来るまで、この気持ちは封印する。そして、何度でも挑戦してやるの。諦めが悪いウチを応援してくれたアキラを幻滅させないように!」

「うん、やっといつものハルちゃんに戻った。それでこそハルちゃんだよ」


 眠たそうな半目を優しく和ませて可憐に微笑むと、雷峰はパイプ椅子から立ち上がった。若干ふらつく足取りで小さな祠へと向かっていく。


「(確かこの後は、連絡があるまで祠を守り続けることになっていたけど……)」


 予定通り『どうちゃくの陣』を破る事に成功したが、雷峰の役目は他にもある。結界内に入っていった藤郷の退路を確保しなければならない。術式の核である『祭壇』が破壊されれば、けっかいじゅつしきが一切使えなくなり、不測の事態に対処することができないからだ。


「(敵になりそうな組織はショージュンが動けなくしてるし、森の中には柊グループの人達もいる。直接的な危機がウチらに迫る事はないはずだよね?)」



 ビクゥッ! と。

 唐突に倉庫の入り口から聞こえてきた声に反応して肩が縮んだ。


 声の主は、サイズの合っていないぶかぶかな制服を着た小柄な少女だった。欧州風の顔立ちで、きらりと光る口許の八重歯。先端が内側にカールしたショートカットから生えているのは優雅な毛並みのネコミミだ。頬には三本ヒゲがペイントされている。


「(いつの間に、近づいてきたの……全く気配を感じなかった)」


 顔から血の気が引いていく。

 最初、目の前に何がいるのか解らなかった。写真に無理やり画像を切り貼りしたように、少女の存在が景色から浮いて見えたのだ。奇抜な格好をしているからではない。もっと根源的。街を歩いていたら、チョンマゲで帯刀した本物の侍を見かけたが如く違和感。理性ではあり得ないと解っていても、実際の光景という現実が培ってきた常識を削り取る。


「そんなに怯えるなよ、マイフレンド。安心しな、あーしはハルルンの味方だよ。カスミちゃんから伝言を預かってきたんだにゃ」


 カスミ——ひいらぎすみか。

 翡翠のような美しい緑色の瞳を妖しく輝かせ、ネコミミ少女は楽しそうに告げた。


「事態の悪化を確認、計画シナリオ予備セカンドプランへ変更。至急、合流地点へ急行せよ」



        ×   ×   ×



 墨を塗ったように黒い森。乱立している木々の合間を縫うように、とうごうしょうじゅんはゆっくり歩を進めていく。


「(二年半ぶりになるのか、ここに足を踏み入れたのは)」


 前回と違うのは血の匂いがしない事だろうか。緑を覆い尽くす鮮烈な赤色に、鼻孔に突き刺さる饐えた匂い。思い出しそうになって吐き気が込み上げるが、首を振って過去の幻影を脳内から追い払った。


 目的地は前回入ることができなかった洞窟である。ここまで大々的に寺嶋家が何を隠したがっているかは判然としないが、公にしたくない情報なのは間違いない。政治家のスキャンダルの証拠のようなものだろうか。たった一言で世界を変える力を持った絶対秘密トップシークレットだ。


「(洞窟の中身さえ確認できれば、俺は寺嶋家に対して最強の交渉材料を手に入れる事になる。情報というナイフを連中の首筋に当てられる。そうなれば、例え俺がどんな対価を要求したとしても大人しく従うしかない! これでようやく対等、『始まりの八家』の一角と互角の立場で交渉ができる! 復讐の足掛かりを作れるし、!!)」


 腹の奥底から湧き上がる笑いを堪えるのは困難だった。歪に吊り上がった唇が不規則に震え、紫水晶アメジストの瞳からは快哉が輝きとなって放たれる。時間が停止したような静寂を、藤郷の静かな笑いが揺らしていた。


 夜風が頭上で織り重なった梢をざわめかせ、黒い天井に一筋の亀裂を入れる。梅雨が染み込んだ腐葉土は少しだけぬかるみ、支えにしている硬い樹の幹もわずかに湿っていた。手の平に付着した樹皮を振り払い、木立の隙間から月明かりが差し込む森の出口を目指していく。

 投棄地区ゲットーとは違い、第二校区との緩衝地帯であるこの森は静かだった。ひいらぎすみに協力してもらい、邪魔をする可能性がある存在の動きを政治的に制限しているのが功を奏しているのだろう。いくら寺嶋家と言えども、柊グループの存在を無視できない。少なくとも洞窟の中を確認するまでの時間は稼げそうだ。


 木々の隙間から差し込む月明かりが見えた。森から抜け出し、開けた空間へと踏み入れる。


 屹立する岩壁と深い森に挟まれた狭い空間。教室くらいの広さか。足元は下草に覆われており、歩く度にサクサクと心地の良い感触が足裏に返ってくる。岩肌には自然にできたと思われる洞窟が大きな穴を開け、重油のように粘度の高い暗闇を溜め込んでいた。


 その正面。

 まるで洞窟の入り口を封じるように、一人の男子生徒が立っていた。


「やあ、待っていたよとうごうしょうじゅん。こうしてこの場で会うのは二回目になるかな」


 月明かりを受けて輝いているのは絹のような銀色の長髪だ。長身痩躯な体付きに、全てを見透す切れ長の瞳。中性的で端正な相貌には柔和な笑みが浮かんでいるが、まるで何枚も仮面を重ねて被っているように心の裡は読み取れなかった。対峙していると仲良くなれそうな親しみ易さと、近づくべきではないという警戒心が同時に呼び起こされる。心の距離感が数秒ごとに変わる不気味な相手だった。


てらじまあおっ!!」


 第一校区の生徒会長。寺嶋家時期当主候補の筆頭。

 いくつもの肩書きを持つ最悪の敵が、悠然と行く手を阻む。


「やってくれたね、藤郷将潤。柊グループの動向を探るために、わざと自由を与えて泳がしてみたらこの様さ。まさか喉元にナイフを突き付けられるとは思わなかったよ、完全にこちらの油断だ。キミの行動からひいらぎすみの存在へと辿り着けた訳だけど、『第一校区の秘密』と比べると割に合わないよ」

「……おかしいですね、貴方の事は柊グループの力を使って介入できないよう政治的に動きを封じたはずですが」

「ああ、おかげでかなり無理をする事になったよ。だからこそ、こうして私自身が動く羽目になったんだ。まあキミの場合は妖精の悪戯フェアリー・ウィズパーがあるから、誰かと一緒というより私一人の方が安心できるんだけど」


 挑発するような声音を受けて、藤郷は唇を噛んだ。

 学校側には使えないと思い込ませていたはずなのに、何故か妖精の悪戯フェアリー・ウィズパーが使える事が知られている。これでは手品師から道具を奪い取って客前に出すようなものだ。タネと仕掛けで奇跡を起こす彼らが丸腰になれば、常識と物理法則に支配された一般人と同じでしかない。


「……大した自信ですね、自分ならば妖精の悪戯フェアリー・ウィズパーを防げるとでも言いたいんですか?」

「当たり前だよ、緑色の実力カラーに後れを取るほど本家の界術師は甘くない。キミは頭が良いからか戦略を過信しているようだけど、勝敗を決するのは戦術の積み重ねだよ。どれだけ準備をした戦略でも、たった一つの戦術イレギュラーによって瓦解する事を学んでおくべきだった。あと少しでも思慮深ければ、こんな袋小路に迷い込むことはなかっただろうに」


 細く白い手で左右に分けた前髪を搔き上げる。嘲弄を含んだ笑みが口許から溢れた。


王手チェックメイトだ、とうごうしょうじゅん。キミは少し遊び過ぎた。柊グループについて知っている事を喋ってから消えてもらうよ。何も成し遂げずに野垂れ死ぬ絶望を存分に味わうといい」


 界力術を使った戦闘になれば、万が一にも藤郷には勝ち目がない。相手は寺嶋本家出身で、将来的に界術師の頂点の一角に座ることがほぼ内定しているエリート中のエリート。一歩も動けずに意識を奪われるという確信があった。機転を使うとか、裏を掻くとか、すでにそういう次元の話ではない。虎の子の妖精の悪戯フェアリー・ウィズパーの存在も漏れているとなれば、いよいよ為す術がなかった。


 文字通り、絶体絶命。

 目の前に腹を空かせた虎がいる状態で崖っぷちに立たされたような状況。逃げ道はおろか、戦うという選択肢すら意味をなさない。


 だけど。

 それでも。


「(――計算、通り!)」


 込み上げてくる炎のような高揚感を必死に隠す。

 

「(妖精の悪戯フェアリー・ウィズパーに対処できる? それは驕りだよてらじまあお実力カラーの違いがあっても『動揺』さえすれば問答無用で効果が及ぶ。どれだけ投棄地区ゲットーで実験を繰り返してきたと思っているんだ? 俺の前に一人で来るよう誘き出された事に気付いていない時点で、お前は敗北に向かって歩き始めているんだ)」


 計画シナリオの目的は洞窟内で『第一校区の秘密』の正体を暴く事だが、その途中で寺嶋蒼希が介入してくる場合も想定してあった。むしろ、敢えて穴を開ける事でこの状況を作り出すつもりで動いていた。第一校区の秘密を使った寺嶋家との交渉において必ず障害として立ちはだかるこの男を、あらかじめ妖精の悪戯フェアリー・ウィズパーの呪縛に嵌めるために。


「(実力カラーの違いを利用した力尽くで妖精の悪戯フェアリー・ウィズパーを破るつもりなら無駄だ。確かに動揺の度合いが低ければ効かない事もあるが、この俺がそんな中途半端な根拠で死地に踏み込む訳がないだろ。お前を殺す刃は研いである。慢心に足元を掬われて地面に這いつくばれ、王手チェックを掛けているのはこちらなんだよ!)」


 たった一つの切り札を握り締めて、藤郷将潤は銀色の怪物と対峙する。

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