第22話 少女の告白

《高等部二年生 六月》


※ 前回のあらすじ


 投棄地区ゲットーを破壊した張本人であるとうごうしょうじゅん――ショージュンから、しろあきら――アキラは最後の選択を迫られる。全てを捨ててでもショージュンと協力するか、それとも戦うか、投棄地区ゲットーから逃げ出すか。結論は出そうにない。

 その後、風紀委員会直属の精鋭部隊『とくはん』の冷徹女――なかはらすずより電話が入る。投棄地区ゲットーで暗躍しているのは都市伝説である柊グループで、ショージュンがひいらぎすみと今もまだ繋がっている。信じられないと告げる御代僚に対し、中原美鈴は早く真実を思い出すように告げたのだった。


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 六月最後の土曜日。

 アキラは投棄地区ゲットーにある工房ラボにやって来ていた。

 

 手作り感満載の内装だ。作業台も調度品も全てが日曜大工で作られた木製品。壁際に置かれた棚には、管理人であるアキラの几帳面な性格が反映され、専用工具や界力石クォーツが整然と片付けられていた。

 ジリッ、と天井に吊された裸電球が一瞬だけ点滅する。作業台に置かれたガンタイプ界力武装カイドアーツ『アクディートAMs03-7』の姿が暗闇に沈むが、集中しているせいか何も感じない。木目調の装飾が施されたグリップの外装が取り外され、電化製品の内部を思わせる界力武装カイドアーツ機構システムが晒されていた。


「……ふぅ」


 短く息を吐き出し、アキラは首に掛けたタオルで額に浮いた汗を拭った。無地のTシャツに汚れてもいい作業用の長ズボン。工房ラボでの作業着だ。かなり着古されており、生地にはオイルの染みがいくつも浮かんでいた。

 この工房ラボには空調設備が存在しない。窓を全開にして持ち込んだ扇風機を回しても、蒸し暑さはどうしても残ってしまう。様々な工具が所狭しと並べられて風通しが悪いからかもしれない。壁に掛けられた時計を見ると、午後三時を示していた。


「ショージュンへの答え……どうすりゃいい?」


 回答期限の明日まではもう時間がない。もう一度だけ信じてみるか、敵として銃口を向けるか。逃げ出すのは簡単だ。全ての選択を無視して投棄地区ゲットーに来なければいい。今のクラスにだって友人はいる。普通に授業を受けて、週末は商業地区マーケットで友人と遊んで、残り一年半のラクニルでの生活を退屈に過ごすのだ。それなりの青春を経験して、相応の大学に進学して、企業に就職して、平凡な人生を送ることになるのだろう。


「(本当にそれでいいのか? ここで答えを出さなかったら一生後悔し続ける事だけはハッキリしてる。何とかして納得できる結論を出さなきゃいけねぇ……なのにっ)」


 はんごてのような形をした専用工具を作業台に置いて、ドライバーを手に取った。慎重な手付きで螺子を対角線に締めて、木目調の装飾が施されたグリップの外装を嵌めていく。集中力が切れたせいか、何度も螺子の表面をドライバーが滑った。


『アキラ、いる?』


 外からしきもとはる――ハルの声が聞こえてきた。何か二人で話したい事があると言われたので、邪魔者が入らない工房ラボに呼んでおいたのだ。返事をすると、立て付けの悪い木製引き戸を開けてハルが入ってきた。


「あ、ごめん。作業中だったの?」

「いや大丈夫だよ、もう殆ど終わりだから。そこに座って待っててくれ」


 土曜日だというのにハルは制服を着ていた。休日だからか普段より一つだけ多く外された胸元のボタン。覗く白く細い首筋で銀のネックレスがキラリと光る。スカートも短くなるように折られており、少しだけ目のやり場に困った。


 背後の丸椅子にハルが座る音を聞きながら、アキラは作業の最終チェックに入る。アクディートの隣に置かれたのは黄色く塗装された新作の弾倉カートリッジ。実際にアクディートに嵌めてみたり、界力を流し込んだりして、感触を確かめていく。


 カチ、カチ、と。

 無言の空間に秒針だけが刻まれていった。いつもならハルとの無言は心地良いはずなのに、何故だか今日は心が落ち着かない。焦燥感が砂時計の中身のようにゆっくりと胸の底へと溜まっていく。


「……ねえ、アキラ」


 そっ、と窺うような声音。

 アキラは体が強張った事を悟られないために平静を装ってから、アクディートを作業台に置いて振り返った。


「なんだ、ハル」

「聞いて欲しい話があるんだ……すっごく大切な話なの」


 両膝を合わせて丸椅子に座り直したハルが、ぎゅっと小さな右手を胸の前で握る。優しげな目許に力が入り、瞳が強烈な意志の光に彩られた。


「ウチは考えたんだ……本当に大切なモノは何かって。投棄地区ゲットーに来てから本当に色んな事があってさ、すごく楽しかったの。三大勢力を統一するために頑張った。それが終わってからはみんなで集まって馬鹿をやって、抱えきれないくらいの思い出を作って……全部、なくしたくないって思ってたの。ウチは、アイオライトが大好きなんだよ」


 ハルにとってアイオライトは本物の居場所だったのだろう。絶対になくしたくない心の拠り所だったのだろう。改めて言われるまでもなく知っている事だった――だから。


「でも、ウチにとって本当に大切なモノはこれじゃない」


 ハルの真っ直ぐな言葉を聞いて、思わず言葉を失ってしまった。


「ついでだから言っちゃうね。……実はウチさ、学校に弱みを握られて『仕事』を請けた事があるんだ。『リスト』に名前が乗ったの。界力術の実技試験で悪い成績を取っちゃってさ、成績を書き換えてやるって言われたから。ほら、ウチの家って歳森家の分家関係者じゃん。だから悪い成績を取ると親が五月蠅くてさ……仕事の内容もただ鞄を運ぶだけだったし、引き受けちゃったんだ」

「……ハ、ル?」

「仕事は無事に終わって、成績も誤魔化してもらえた。でもね、段々と怖くなってきたの。次はもっと過激な要求をされるかもしれない、誰かを傷付けるような命令をされるかもしれない……そう考えたらもう普通の生活を送れなくなった気がしてさ、どうしようもなくなって逃げ出したんだ。その先が投棄地区ゲットー――旧『シルバー』だったってワケ。それ以来、ウチは一回も『仕事』を命令された事がないの……理由は解らないけどね」


 長い睫毛を伏せて、消え入りそうな声で話す。その悄然とした姿は亀裂の入った磁器を思わせる危うさがあった。


「何かあるごとに姉弟きょうだいと、他の親戚の子と比較される。無能だって罵られて、落ちこぼれだって馬鹿にされて……いつも苦しさで胸が破裂しそうだった。でもね、泣きそうになった時はアイオライトに来て、元気をもらっていたの。将来の不安も、吐き出せない想いも、全部みんなの笑顔を見て忘れてた。……本当に、ウチはアイオライトがなかったら何にもできないんだな」

「だったら、どうして切り捨てられるんだよ……?」

「だって『本当に大切なモノ』のためにだったら、他の全てを捨ててもいいって思えるから。アイオライトだけじゃない。もし他にも何か捨てなくちゃいけないんなら、ウチは喜んで手放してあげる。それくらいさ、『それ』はウチにとって大切なんだよ」


 うっとり、と優しげに両目を細めたハルが、困惑に揺れるアキラの瞳を覗き込んだ。


「ねえ……アキラはさ、何が一番大切なの?」

「何が、一番……」


 大切か。

 最も失いたくない物は何か。


 かつての楽しかった投棄地区ゲットーも、憧れたアイオライトも、すでにここには存在しない。全ては思い出として記憶に焼き付いているだけ。ショージュンを信用して共に進んでも、ショージュンに銃口を向けても、本当に欲しい物が手に入るとは思えない。


 では、何を理由にして戦えばいいのだろうか?

 何を失わないために、誰と戦うべきなのだろうか?


「ウチの大切なものはね、これだよ」


 ゆっくりと立ち上がったハルが近寄ってきた。足取りに迷いはない。陽だまりのように暖かく、綿雪のように柔らかい笑みを浮かべて、さっと両腕を開く。そのまま中途半端に振り返った状態のアキラを抱き締めた。


「ウチは、アキラのことが……好き」


 熱っぽい囁きが、そっとかくを撫でる。


「ずっと……ずっと前から好きだったんだよ。ウチはさ、アキラさえ傍にいてくれれば他には何もいらないの。苦しいだけの学校生活にも戻れる。分家の窮屈な世界にだって耐えてみせる。必要だって言うなら、他のなんだって捨ててもいいよ。それくらいに、ウチは本気なの」

「……ハル、」

「だからさ、ずっとウチの隣にいて。二人で投棄地区ゲットーから抜け出して、アイオライトも捨てて、普通の学校生活に戻ろうよ。二人でいれば、どんな辛いことだって乗り越えられるよ。アキラがウチを支えてくれるように、ウチだってアキラを支えてあげる。ウチの気持ちを受け入れてくれれば、どこまでもアキラと一緒に歩いて行く――だから、」


 ぎゅっ、と肩を抱き締めるハルの腕に力が入る。

 ハルのクセ毛が頬に当たってチクチクした。甘い香りが鼻孔をくすぐる。早鐘を打っているのはハルか自分か解らない。夏服越しに伝わってくる体温が、触れ合っているということを実感させてくれた。


 今だったらこの少女を自分のモノにすることができる。そんな邪な欲求すら顔を覗かせる。


 両腕を使ってこの細い体を抱き締めてあげれば、どれだけ喜んでくれるだろう。自分もずっと前から好きだったと伝えたら、どれだけ幸せになれるだろう。様々な暖かい可能性が泉のように湧き出してくる。


「――アキラ、」


 わずかに体を離したハルと、正面から視線が交わった。ふっと微笑むように瞼を閉じて、ゆっくりと近づいてくる。そして、二人の唇が――


「……ごめん、ハル」


 鋭利な刃で心を切り裂かれるような激痛に耐えながら、アキラは告げた。


「俺は、ハルの想いには応えられねぇ」

「……アキ、ラ?」


 掠れた声。

 後ずさりしたハルは驚愕に両目を見開き、唇を半開きにして固まった。


「どう、して……?」

「ハルの気持ちは嬉しい、本気で応えてやりたいって思うよ……だけど、この関係は駄目だ。この繋がり方じゃ、俺は胸を張ってハルを抱き締められない。だってこれは、この関係は――」


 依存、だから。


 最後の言葉は口から出なかった。気付いたのだ、自分自身もしきもとはるという少女に依存することになると。依存したいと思っている事にも。


「わからない……わからないよっ!!」


 小さく首を横に振り、ハルは震える声で叫んだ。


「別に何だっていいじゃん、そんな理屈はどうでもいいでしょ……アキラと一緒にいられるなら、もうそれだけでウチは満足できる。幸せだってハッキリ言える! どんな事情があっても、どんな理由があっても、結末さえ綺麗ならそれだけでハッピーエンドじゃん!」

「駄目なんだよハル、このままじゃお互いを縛り付ける事になっちまう。ハルの人生だって、俺の人生だって、たった一つの道しか見えなくなる。他にも無限に可能性があるかもしれねぇのに、自分を殺してでも過去に縋り付くようになる。依存じゃ駄目なんだ、このままじゃいつか俺達はきっと先に進めなくなっちまうから」


 心が、痛む。

 言葉を紡いでいく度に、罪悪感で脳がかれていく。


「それに、きっとこの選択は後悔が残る。アイオライトも、ショージュンも、やっぱり俺にとって大切なモノなんだ。このまま放り出しちまえば、ずっと心が晴れねぇままなんだよ。それじゃあ俺は、胸を張ってハルを抱き締める事ができねぇ……自分の気持ちに正面から向き合えねぇんだ……っ!」


 納得していなかったのだ。アイオライトとの繋がりを、このまま終わらせることに。

 自分の中で結論を出したい。後悔しない選択をしたい。その先で、どのような結末が待っているとしても。ハルとの幸せな未来を得るためだとしても、途中下車はできなかった。


「だから、ハル……今はまだ、お前の気持ちには――」

……!!」


 俯いて激情を炸裂させたハルの顔から大粒の情念が迸る。嗚咽を堪えるように強く奥歯を噛んだ。クセ毛を振り乱して顔を上げて、濡れた眼差しでアキラを見詰める。真っ赤な目許を覆うように涙が零れ落ちた。


「今じゃないと意味がないの! だって……だってウチはもう……っ!!」

「ごめんハル……今はまだ、お前の想いには……」

「――っ!!」


 口を引き結んで顔を伏せたハルが唐突に走り出す。乱暴に引き戸を開けて工房ラボから飛び出していった。


 途端、室内に息の詰まる静寂が訪れる。


 カチ、カチ、と無情にも正確に時を刻み続ける秒針の音が、失った事実を客観的に告げている気がした。ふと開いたままの引き戸が視界に入り、最悪な気持ちで胸が詰まる。


「……スマートじゃねぇよなクソッタレがあッ!!」


 ガンッ!! と、作業台を思いっきり叩き付けるも、上に置かれたアクディートや工具が飛び跳ねるだけだった。小指の付け根辺りが切れて、薄らと血が滲む。まるでアキラの八つ当たりに作業台が抗議しているようだった。


「……、」


 ゆっくりと時間を掛けて立ち上がり、ふらふらとした足取りで歩き出す。そして、開けっ放しの引き戸を閉めるために手を伸ばした――瞬間だった。


 ぐぅわん、と視界が歪曲わいきょくする。

 既視感デジャビュ。もう何度目になるか解らない不快感が脳を激しく揺さぶった。


「っ!?」


 倒れそうになって近くの棚に手を付いた。

 いつもなら無視してすぐに追い出そうとするが、今回ばかりは『誰かの光景』を必死に視界に焼き付けようとする。他に手掛かりはないのだ。ならば、を逃す訳にはいかない。


 その記憶は、引き戸を閉めた後に界力武装カイドアーツの調整用器具が収められた棚に向かっていた。


 確信があった。

 頭の片隅に隠していた予想が、ハッキリと形になろうとしている。

 

「……くそったれ」


 本来ならば。

 少しでも深く考えていれば、すぐに辿り着けるはずだったのだ。


 妖精の悪戯フェアリー・ウィズパー。術者の命令を『思い込み』として対象の意識に上書きする精神術式。発動条件は対象の『動揺』と、指を鳴らす『音』を聞かせること。音を聞かせた相手なら問答無用で界力術の対象になる。


「(あの時、ブロンズから逃げ出すために戦った時だ。俺は妖精の悪戯フェアリー・ウィズパーを使ったショージュンに助けられた。でも、不可解な事がある。俺はハッキリと指を鳴らす音を聞いていたのに、?)」


 ――俺達を見なかった事にしろ。


 ショージュンの命令の内容だ。『俺達』というのがショージュンとアキラを指していると思っていた。ブロンズから逃げる事しか頭になかったからそう思い込んでいた。

 だが、その『俺達』がショージュンとブロンズの不良生徒ストリーデントを指しているとも考えられないか? 思い込ませる対象にアキラも含めていたと言えないか? 投棄地区ゲットーの争いから無関係な一般生徒を遠ざけるという観点ならそう解釈もできる。実際に、ショージュンはアキラを術式範囲内に入れて妖精の悪戯フェアリー・ウィズパーを発動していたのだから。


 あれは、実験をしたのではないか? アキラに妖精の悪戯フェアリー・ウィズパーの効力が及ぶかどうかを試すために。一人の人間に一度しか効果を及ぼさない術式を使う事で。


「……、」


 誰かの記憶に従って、アキラは器具の棚から調整用の界力石クォーツを取り出した。まるでアメジストのような透き通った紫色の結晶だった。


 そして、界力石クォーツに入力された『文字』を読み取る。


「――――――ああ、そういうことか」


 妖精の悪戯フェアリー・フィズパーの解除条件は一つ。自分の状態に対して、関わりの深い第三者から論理的に矛盾を突き付けられること。


 そして、その第三者とは。

 


『ショージュンと一緒に、第一校区の秘密を見つけた』


 たった、その一文だけで。

 アキラは、全てを思い出した。

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