第13話 消えない迷い

《高等部二年生 六月》


※ 前回のあらすじ


 投棄地区ゲットーで起きている不和は、全てとうごうしょうじゅんによって引き起こされたものである。

 風紀委員会直属の部隊『とくはん』に属する冷徹女――なかはらすずから告げられた事実を認めずに、方向性の違いを明確にしたしろあきら。しかし、中原美鈴は一方的に御代を特班にスカウトすると告げて電話を切ってしまう。


 困惑する御代僚を待っていたのは、同じアイオライトのメンバーからの襲撃。かどみやきょうすけの理想を実現させるという目標を共有しているはずなのに、彼らの主張には埋め切れないほど深い溝があった。絶体絶命の窮地に追い詰められた御代を救ったのは、きりさわなおと名乗る高等部一年生のだった。


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 翌週の土曜日。

 アキラはパトロールするため、投棄地区ゲットーの森の中に伸びる古いアスファルトの道路を歩いていた。

 晴れてはいるが、くすんだ青空は流れる雲の白色でまばらに塗られている。夏を予感させる蒸し暑い空気。まだ午前中であり若干の過ごしやすさが残っているが、午後になれば汗ばむ陽気になるかもしれない。


「へぇー、投棄地区ゲットーって広いんですね。もっと狭いと思ってました」


 隣を歩いている投棄地区ゲットー初心者の『野良ノラ』――きりさわなおが意外そうな口調で呟いた。


 線の細い中性的な見た目の男子生徒だ。

 さらさらとした黒髪に、幼い顔付きには似合わない夜の海のような深さを感じさせる黒い瞳。鋭い眼差しと冷静沈着な物腰から醸し出される雰囲気は、幾つもの死線を越えてきた歴戦の刀剣のように卓越していた。背中には巾着袋に入れられた訓練刀が掛けられている。

 特に約束はしていなかったのだが、投棄地区ゲットーにてばったり合流した。今の投棄地区ゲットーの治安は良くない。アキラが足を踏み入れた頃のように風紀委員会のエサとして拉致される事はないとは言え、無視する訳にもいかず、パトロールのついでに案内して回っているのだった。


「(……剣、か)」


 思い浮かべたのは、先週のパトロール中に廃ビルで見つけた戦闘痕だった。強烈な斬撃を浴びせられたように真一文字に抉れた廃墟の外壁。風化しているとは言え、コンクリート製である。一般生徒にはまず不可能だろうと予想していた。

 この後輩ならもしかしたら……と考えるもすぐに首を横に振る。本家や分家関係者の怪物達なら可能かもしれないが、流石にそう予想するのは荒唐無稽だ。でもそう思ってしまう程にナオヤの戦い振りには目を瞠るものがあった。


「(部活動経験者か、何らかの形で本家か分家と関わりがあるのか。何にせよ、一般生徒ってのは有り得ねぇな)」


 色々と謎の多い後輩だ。

 ナオヤは道路の周りに広がる森を興味深そうに眺めながら、


「あんまり人がいないんですね、土曜日だって言うのに」

「まだ午前中ってのもあるが、基本的に今の投棄地区ゲットーはいつもこれくらいってるよ。昔は金曜の放課後から集まって、朝まで遊んだりしていたんだけどな……今となっちゃあ色々と悪い噂もあるし、本拠地に引きこもってあんまり出歩きたがらないのさ」

「悪い噂?」

「そう、投棄地区ゲットーで正体不明の何者かが暗躍してるってヤツさ。誰かさんの目的は不明。寺嶋家、風紀委員会、本土の裏組織って感じで色々と予想しちゃいるがどれもピンとこねぇ。挙げ句の果てにはひいらぎグループだって言うヤツもいるくらいだ」

「柊グループ……あの都市伝説の?」


 きょとん、とした表情でナオヤは眉を顰める。


「ああ。国家予算並の資金力を持つとか、政治家を動かせるとか、日本を裏から操っているとか……まるで中学生の妄想帳に書かれているような連中さ。俺は信じちゃいねぇんだが、この手の話が好きなヤツがいるんだよ。有り得ねぇだろ、そんなの。『第一校区の秘密』とか少し前に流行しかけたらしい『クスリによる人体実験』の噂と同レベルだぜ」

「正体不明の黒幕から、何か被害は受けているんですか?」

「今の所はまだな。ただ連中の目的が分からねぇ以上は楽観できねぇ。アイオライトとしても何らかの対策は考えてたんだが……特には、何も」


 アキラは視線を逸らして、語尾を濁した。風紀委員会と手を組んで問題に対処するというショージュンのやり方を認める訳にはいかなかったからだ。


「それに、別の問題もある。冷戦状態が続いてて、もう半年くらい会議が行われてねぇんだ。アイオライト以外の勢力が何を考えているか解らねぇ。藪をつついて蛇を出す必要もねぇし、大人しくしてた方が身の為だぞ」

「なんか、殺伐としていますね」

「これでも昔はもっと明るい場所だったんだぜ。どっかの施設に集まって意味もなく夜を明かした事もあったし、去年の夏にはバーベキューとか合宿とか、まあ色々とみんなでやったよ。誰もが胸を張って自慢できる本物の居場所だったんだ。もっと沢山の生徒が来てて、毎日が楽しくて、それで……」


 笑みが零れると同時に、鋭い痛みが心を引き裂いた。

 胸の中に大切にしまった思い出を口にする度に、明るかった昔と苦しい今の違いが浮き彫りになっていくような気がした。余りにも大きな差。もう二度とあの頃の投棄地区ゲットーには戻れない。そんな後ろ向きな考えに心が覆われそうになる。


「アキラ先輩は、どうしてずっと投棄地区ゲットーに通い続けているんですか?」

「……?」

「だって、現状にすごい不満があるんですよね。なら、来なければいいじゃないですか。他で居場所を作って、そっちに行った方がよっぽど有意義ですよ。それなのに投棄地区ゲットーに拘るのは、何か理由があるのかなって思ったんです」

「それは、」


 すぐには答えられなかった。

 二年前から今日に至るまで、投棄地区ゲットーに来ることはアキラにとっての日常だった。朝起きて、学校に行って、夜に寝る……そんな当たり前の一部。理由など考えた事がなかった。あるいは、盲目的になるほどアイオライトに依存しているのか。


「……そんな簡単に割り切れるモンじゃねぇんだよ」


 ――ダメだよアキラ! それは逃げてるだけ、諦めてるだけじゃん!


 耳の奥で響いたのは、しきもとはる――ハルの言葉。どうせ元に戻らないのなら捨ててしまうかと弱音を口にしたアキラに向かって、ハルは真剣な表情でこう告げたのだ。


「どれだけあの頃と掛け離れちまったとしても、やっぱり投棄地区ゲットーが、アイオライトが、俺の居場所って事に変わりはねぇんだ。そこだけはブレねぇよ、どんな状況になってもな。ここで全部を投げ出しちまったら絶対に後悔する。それだけはイヤなんだ、だから、俺は……俺は、」


 ショージュンを説得して、投棄地区ゲットーをあの頃に戻す作戦を考えて実行する。

 そんな事が、本当にできるのか?


 歩き出せば止まれない。取り返しの付かない所まで崩壊するか、幸せだったあの頃に戻るか。片道切符しか使うことができないと実感する度に、前に進もうとする両足が銅像のように固まってしまう。


「何かを変えることは、簡単じゃないですよ」


 正面を向いたナオヤは、新兵に経験則を語るベテランのような口調で、


「大切なのは『何を』言うかじゃなくて、『誰が』言うか。どれだけ正論だったとしても、感情に訴えたとしても、言葉だけじゃ何も伝わらない。それを裏付ける立場、あるいは行動が必要なんです。ものすごく難しい事には変わりない、でも——」

「……?」

「――時間は掛かるかもしれないし、他にも問題が起きるかもしれない。それでも前に進み続ければ、きっと変えられる。俺はそう思っています」


 迷わず真っ直ぐ告げたナオヤを見て、ふと奇妙な感覚が込み上げてきた。


「(ああそうか。似ているんだ、あの二人に)」


 かどみやきょうすけとうごうしょうじゅん

 二人と共通しているのは、一般生徒には醸し出せない鋭く深い空気感。決して曲がらない芯のようなモノを持つ霧沢直也の在り方は、迷い続けているアキラの目に鮮烈に映った。


「何かを変えられるのは、お前らみたいな人間なのかもしれねぇな」

「……?」

「いや、先に進もう」


 二人は森の中に伸びる古い道路を進んでいく。気付けば足元は土が剥き出しの砂利道になっていた。まばらに生える雑草を踏み付けて行くと、森を抜けて開けた場所に出る。


 目の前に広がるのは一面の草原だ。

 じっとりとした湿度を含む南風が草原を薙ぎ、大海原のように波立たせている。仰向けに倒れ込めば気持ちよく横になれそうな天然の敷布団。膝下まで丈があるため、全体を見渡せば浅瀬が続く大きな草の湖といった印象を受けた。今まで木々に囲まれた狭い道路を歩いてきたせいか、視界いっぱいに広がる景色には心が晴れるような開放感があった。


 ガサ、ガザ、と膝下まで丈のある雑草を掻き分けて、二人は草原の奥に入っていく。


「……ここは?」

「第一校区の投棄地区ゲットーの一番端だよ。ほら、あそこに金網フェンスが見えるだろ?」


 200メートル程先には錆びた金網フェンスが横に連なり、敷地を区切っている。


「あれが境界線だ。向こう側に見える森は校区間の緩衝地帯になっていて、越えた先が第二校区ってことになるんだが……実は、誰一人として越えた事がないから本当かどうかは解らねぇんだよ」

「一人も、ですか?」

「ああ。もちろん校則で禁止されているってものあるが……何というか怖いんだよ、取り返しが付かなくなりそうで。金網フェンスを越えた生徒は学校に拘束されて二度と戻って来られねぇって噂もあるくらいだしな」


 草原の中央には、まるで死に時を逃したように一本だけ木が生えている。わずかな青葉を茂らせただけの節くれた老木。うろには深い闇が湛えられ、何枚も重ねて貼り直したようなダークブラウンの樹皮はボロボロと剥がれ落ちていた。今にも朽ち果てそうな見た目だが、依然として思わず息を飲むような威圧感は健在である。

 何十年……いや百年以上か。ラクニルが創られるよりも前から、この地で世界を見てきたのだろう。その時代を集約したような在り様を目の当たりにして、思わず神社の境内のような神秘性を感じずにはいられなかった。


 隣で立ち止まったナオヤが、金網フェンスを食い入るように見詰めて、


「あれは、『けっかい』……? いやでも、ここにあるはずは……」


 難しい顔で何やらブツブツと呟いて考え込んでしまう。自分の世界に入り込んでしまったナオヤを尻目に、アキラは老木を見上げた。


「(俺は、どうするべきなんだ? どんな選択なら納得できる?)」


 抱えている問題は四つ。

 アイオライトの分裂に伴う冷戦状態の継続。正体不明の『誰か』による暗躍。風紀委員会直属部隊『特班』の介入。アイオライトと風紀委員会がアキラの手によって協力状態にあるという誤解。


「(多分こいつらは全部繋がっている。別々の問題に見えても根っこは同じ。多くの問題が同時に起きたんじゃなくて、一つの問題から解りやすいものだけが表面化したと考えるべきだ)」


 別々に水面に浮かぶ睡蓮スイレンの葉でも、水底を覗き込めば同じ茎から生えているように。点と点で出来事を捉えていては真相には辿り着けない。別々の問題の共通点を探し出して、その先にある答えを探し出す必要がある。


「(何もかも情報不足だ、これじゃあ動きようがねぇ。まずは色々と調べねぇと)」


 アキラは老木から第二校区へと続く金網フェンスに視線を向け――


「――ッ!?」


 瞬間、強烈な幻影が視界に重なる。

 針でも刺さっているのかズキズキと頭が痛む。脳の記憶を司る部分が燃えそうな程に熱い。立っていられずにその場で膝を付いた。


「なんだ、これは……既視感デジャビュ!?」


 歯を食い縛りながら必死に痛みに耐える。何十秒……何秒だったかもしれない。時間の感覚すら曖昧になる苦痛が唐突にすぅと引いていく。残ったのは大切な事を忘れたような喪失感と、顎先から地面に垂れていく冷や汗だけだった。


「アキラ先輩!?」

「だ、大丈夫だ……」


 慌てた様子で駆け寄ってきたナオヤに対し、絞り出すような声で無事を伝える。怪訝そうに顔をしかめたまま、慎重に立ち上がった。


 脳に浮かんできた光景。

 誰かと一緒にあの金網フェンスの向こう側に進んでいた。それも二年前、投棄地区ゲットーにやって来るよりも前に。


「(なんだこの光景は……?)」


 確証が持てない。他人の記憶を移植されたと言われた方がまだ信じられそうだ。

 それでも気のせいだと割り切れられない。心が忘却を拒否している。姿も名前も知らない誰かに早く思い出せと言われてるような気分。実感のない焦りだけが胸に募っていく。


 ガサガサと。

 草木を掻き分けて森の中から一組の男女が現れたのはその時だった。


「随分と苦しそうだねアキラ、ここで何をしているの?」


 一人は人形のようにこぢんまりとした少女だ。

 両眼は常に眠たそうな半目で、その可愛らしい顔立ちは見る者の保護欲を刺激する。真横に切り揃えられた前髪に、足の付け根まで伸びる淡い色のツインテール。全体的に小柄な高等部の夏服を着た女生徒である。


 もう一人は反対にガタイの良い高等部の男子生徒だった。

 運動部に属していたと思わせるような筋骨隆々とした体付き。彫りが深くてくっきりとした顔に浮かぶのは小さな目鼻立ち。刈り込まれた短髪に自信に満ちた勝ち気な表情は、戦場で一番槍として敵陣に切り込んでいく兵士を想起させた。


 らいほう――ライメイとうえごう――ゴウキ。共にアイオライトのメンバーだ。


「お前ら、どうしてここに……?」


 珍しい組み合わせだった。

 ライメイは基本的にショージュンにべったりだし、ゴウキは単独行動が多い。この二人だけで、しかも土曜日の午前中に、行動を共にしている光景には違和感しかない。


 嫌な予感が胸を締め付ける。何か、アキラの知らない場所で重大な出来事が進行しているような――


 額に浮かんだ冷や汗を夏服で拭うアキラに対し、ゴウキは大仰に肩を竦めて、


「ただの面倒な野暮用だよ、お前には関係ないから安心しておけ。だけど本当に来て良かったぜ、おかげでアキラの苦しむ姿を見逃さずに済んだからなあ」

「あぁ?」


 ゴウキの挑発するような物言いに、アキラは剣呑な視線を突き立てる。だがゴウキの顔に浮かんだ神経を逆撫でする嘲笑は消えない。無意識の内に革製のホルスターからアクディートを引き抜いていた。


「テメェ……そんなに死にてぇなら今すぐここで!!」

「やめて、私達はアキラと争う気はない」


 ライメイが抑揚の薄い声で言った。感情の読めない半目に睨み付けられて渋々アクディートをホルスターに戻す。


「けどライメイ、争う気がねぇって言う割に相棒はやる気満々みたいだぜ?」

「それはいつものことでしょ。ここで出会ったのは本当に偶然だよ。でも、だったら丁度良い。アキラ、私の話を聞いて」


 静かな声で、ライメイは告げた。


「アイオライトに戻って来てよ、それがショージュンの願いなんだから」

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