005 / 妖精の悪戯
《中等部三年生 十月》
※ 前回のあらすじ
風紀委員会が違法に『
二人の上級生を倒したが、残り一人のツンツン頭に負けてしまう。絶体絶命のピンチに訪れたのは、
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澄んだ秋晴れの青空の下に広がる朽ちた駐車場跡。
ようやく夏が過ぎて涼しさを感じさせるような気温の中で、無様に打ちのめされた御代僚は劣化したアスファルトに這いつくばっていた。ツンツン頭の上級生に蹴り飛ばされた身体が痛む。歯を食い縛る度に自分が負けた事を実感させられ、言葉にならない悔しさが全身を駆け巡った。
「(……ショー、ジュン?)」
何とか上半身だけ起こして、ゆっくりとした足取りで近づいてくる藤郷将潤を視界に収める。
触れれば折れそうな程に身体は華奢で、喧嘩慣れしているようには見えない。だが暗い色の前髪が掛かる顔に一切の焦燥は浮かんでいなかった。
「そこまでにしましょうよ。見苦しいですよ、先輩」
藤郷は育ちの良さを窺わせるような品のある笑みを浮かべて告げる。だがツンツン頭の上級生は訝しむように眉を顰めて、
「あ? 何言ってんだ新入り、指図できるような立場じゃないだろ」
「それは解っています。だから交渉させてください」
不快そうに顔を歪めるツンツン頭とは対照的に、藤郷の顔には冷たい笑みが広がっていく。
「先輩、
「……それが、どうしたっ?」
ツンツン頭の顔が青く染まる。震える声に泳ぐ視線。明らかに狼狽しているのが見て取れた。
「いえ、偶然小耳に挟んだのですが……先輩、組織の金を横領しているそうですね。近頃は羽振りが良いそうで、更には自慢までしているとか。色々な人から同じような話が聞けました」
「っ!? な、なにを根拠にそんなこと……っ!!」
「否定するのは結構ですが、早めに対応することをお勧めします。末端とは言え、先輩が相手にしているのは本土の裏社会なんです。粗相をすれば未成年だろうが容赦はしない。このままじゃ、風紀委員会のエサになって少年院に入れられる方がマシだと思えるような地獄に落ちますよ」
「て、てて適当な事を言ってんじゃねえぞ新入り! ぶっ殺されてえのか!!」
怒りに顔を歪めたツンツン頭が吼える。明らかな虚勢。そのままの勢いで藤郷へと大股で近づいて行く。
「(……ま、まずいっ!!)」
明らかに喧嘩慣れしていない藤郷では、
「別に貴方の罪を証明したい訳じゃないですし、動揺さえしてくれれば十分なんですよ」
御代の心配など余所に、藤郷将潤は静かに告げる——その端正な顔に悪魔のように冷たい笑みを浮かべながら。
【
緑色の
五月の新緑を思わせる鮮やかな緑光が、空気に晒したドライアイスのように藤郷から溢れ出した。
藤郷の右手がゆっくりとツンツン頭へ向けられる。左手は片目を隠すように顔に添えられていた。場を支配するのは神社や教会といった神域と見紛う程の圧倒的な
【――俺達を見なかった事にしろ】
パチン、と。
右手の指が鳴らされた。
途端、ツンツン頭の顔付きが変わる。まるで外部から無理やり停止信号を打ち込まれたロボットのように、ビクッと揺れて動きを止めたのだ。
「分かった、言う通りにしよう」
ツンツン頭は無感動に頷く。アスファルトで気を失っている他の上級生には目を向けず、ただ呆然とその場で固まった。
「お前は本当に馬鹿だな、アキラ」
苦笑いを浮かべた藤郷がこちらに近づいてくる。離れた位置に落ちていたアクディートを拾って差し出してくれた。
「……ショー、ジュン?」
ズキッと頭が疼いた。
長い間使われてこなかった脳の部分に突然血が通う感覚。それはまるで、意図せずして知らない誰かの知識が記憶の奥底から溢れ出してくるような――
「……思い込み、か?」
上半身だけを起こした御代は、アクディートを受け取りながら怪訝そうに訊ねた。
「
『始まりの八家』の一つ
「……そうか、」
藤郷が苦々しく唇を噛んで、わずかに両目を伏せた。複雑な感情が揺れ動く
「随分と察しがいいんだな、同じ界力術を使う知り合いでもいるのかい?」
「いや……いねぇけど」
「だとしたら大した推理力だ、将来は探偵になれるんじゃないか?」
自然な口調で告げた藤郷は、アスファルトに座り込んだ御代へと手を差し伸べて、
「さあ今の内に逃げてくれ。これで、もうここにいる理由はないはずだ」
「だったらショージュンも一緒だ。お前だけ置いていく訳にはいかねぇよ」
「だから俺は――」
「おいおい! なんだよこの状況はさあ!!」
野太い声が飛んできた。
駐車場の入口。錆び付いた鉄門の向こうには、大量の生徒を引き連れた一人の男子生徒が立っていた。高等部の制服をきた大柄な少年……いや青年といった方が見た目的には正しいか。鋭い三白眼に角張った顔付き。サングラスを掛けてジャケットを羽織れば、繁華街の裏路地で威張っていてもおかしくない容姿だった。
「くそ、早過ぎる……話が違うぞ!」
突如として現れた大柄な男子生徒を見て、藤郷が両目を見開いて驚愕する。
「……誰だ、あいつ?」
「この集団――『ブロンズ』のリーダーだ」
ブロンズ? と首を捻る御代を尻目に、藤郷は苦虫を噛み潰したような顔で何やら小声でブツブツと呟ていた。
大柄な男子生徒は駐車場で呆然と立ち尽くすツンツン頭へと近づいていく。
「おい何があった? 説明しろ」
「……なにって、俺は何も見ていないですよ」
虚ろな目をしたツンツン頭が気の抜けた声で言った。
「俺は何も覚えていない。ただ、ここ立っていただけな——」
ドゴォッ!! と。
大柄な生徒が放った強烈な一撃がツンツン頭を躊躇なく吹っ飛ばす。
「なに寝ぼけたこと抜かしてやがる、そんな訳がないだろ。てめぇの役割は見張りだったはずだ。これで目ぇ覚まさないなら、てめぇもエサにするぞクソ野郎」
「――っ!!」
びくん、と弱い電流が走ったように身体を強張らせるツンツン頭。慌てて周囲を見回した後、全てを思い出したのか恨みがましい視線を藤郷へ突き付けた。
「気付かれたか」
「?」
「俺の界力術が解けたって意味だ。俺が書き込んだ『思い込み』と現実の矛盾を突き付けられたんだよ、関わりの深い第三者から。くそ、もう他に策は……っ!!」
「もう一度『
「無理だ! 同じ人間には一度しか効かない。それにさっき自分で言っていたじゃないか、効果を発動させるには対象の『動揺』が必要だって!! 人数も、暴力も、向こうの方が上。悪いが、これだけ精神的有利に立っている人間を動揺させる方法なんか俺は知らない!」
「何だよそれ、使いにくい界力術だな!」
「(……クソ、どうすりゃいいっ!?)」
状況は解りやすく最悪だ。
新たに現れたブロンズのリーダーと、その後ろに控える十数人の
ならば勝利条件は一つ。リーダーに『
「(
可能性は限りなく低い。御代はすでに大きなダメージを負っている。藤郷の界力術も戦闘向きではない。それでもチャンスは今この瞬間だけ。駐車場の入口付近で固まっている連中に一斉に攻め込まれたら完全に希望を失ってしまうのだから。
やるしかない。
どれだけ薄い可能性でも、もうこの道しか残っていないのなら。
「ショージュン!! 俺に考
えがある、と言おうとした口が止まる。
藤郷へ目配せをした瞬間。
ゴバッッ!! と、眼前の空間を赤い轟風が走り抜けたからだ。
「……は?」
遅れてやってきた風が左右に分けた前髪を揺らす。
目の前にいるのは大柄な男子生徒。
空気に溶け込む
「(あ、赤だと……ふざけるな!! どうしてそんな高
青、緑、黄、橙、赤、紫、黒、で上がっていく界術師の
赤色まで到達するのは、界術師全体でもたったの一割以下だ。
目が合った。
大柄な男子生徒がこちらを睨み付けていた。
――殺される。
ぞぞぞぞっ!! と全身の肌が
本能に突き刺さる恐怖。脳が痺れるような衝動に従って反射的にアクディートを構え――
ぐりん、と視界が反転する。
広がるのは秋の青空。
知らぬ間に浮いている体と、込み上げてくる強烈な吐き気。猛烈な速度で繰り出された拳が胴体に直撃したと理解した時には、すでに数メートル上空を舞っていた。
「……ぐッ、がはぁっ――チク、ショウ……ッ」
受け身も取れず、表面がボコボコに砕けたアスファルトに落下して何度も転がった。
力の差があり過ぎる。
大柄な男子生徒の動きが全く見えなかった。あれだけの速度を出しているのなら、使っているのは
離れた場所で倒れている藤郷も動く気配がない。完全に伸びていた。
ジリ、と近くで足音が聞こえた。
大柄な上級生が獰猛な笑みを浮かべて見下ろしている。どうやって痛め付けてやろうか。そんな黒く濁った心の声が聞こえてくる。
「……どう、して」
気付けば、口が開いていた。
「どうして、赤色なのに、
「赤色だから、なんだよ」
対して、大柄な上級生は三白眼に険を乗せて告げた。
「
角張った顔に歪んだ笑みを浮かべ、
「確かに夢を見たさ、もしかしたら俺も『何者』かになれるんじゃないかって思ったさ!! 界術師の学園で
ああ、同じだ。
目の前で悲痛な叫びを迸らせる上級生も、御代と同じくラクニルに蔓延した理不尽の被害者。抱えている事情や理由は違うのかもしれないが、心を押し潰している絶望は同じだった。
「(ならきっと、あいつらもみんな……)」
駐車場の入口付近で待機する十数人の
おそらくここにいる全員が何かしらの理不尽を経験しているのだろう。普通の学校生活を捨てて、危険を顧みずに
「だからさ、お前が風紀委員会のエサになってくれよ」
三白眼に狂気を滲ませて、大柄な男子生徒が近づいてくる。
「最低な事をしてるってのは解ってるよ、俺だって本当はこんな事をしたくない。俺が望んでいた学校生活は、青春は、こんな暗いものじゃなかった。だけど、この居場所を失う訳にはいかないんだ、俺達の居場所はもう
「(……だめだ、否定できねぇ)」
反論しようにも、浮かんできた言葉を突き付けることができなかった。
共感してしまったから。
大柄な上級生の言葉を間違ってると言えなかった。
これはバッドエンドなのだ。
大柄な上級生が感じている絶望はどこまでも正しい。絶望する時期が早いか遅いかの違いでしかないのだ。その悔しさが痛い程に伝わってくる。
そう。
だから。
「それは違うぜブロンズのリーダー、テメェの考え方は根本から間違ってる」
その言葉は、鮮烈に御代僚の脳に響いた。
すぐ目の前。
御代を守るように空から降ってきたのは、一人の男子生徒だった。
筋肉質でがっしりとした体格。着ているのは高等部の制服。彫りの深い顔立ちで、実直さを感じさせる鋭い目付きには野性的な凄みがある。整髪剤できっちり固められたオールバックで、太い腕には青いリストバンドが嵌められていた。
突然の登場に驚いて、一歩後ずさった大柄な上級生が焦った口調で訊ねる。
「だ、誰だ……お前」
「
にやり、と力強い笑みを頬に刻んで角宮恭介は宣言した。
「覚えておけ、もうすぐ
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