003 / アクディート

《中等部三年生 十月》


※ 前回のあらすじ

 

 第一校区中等部三年の生徒であるしろあきらが目を冷ますと、廃墟の一室で手足を拘束されて放置されていた。困惑する彼の前に敵の一味と思われる生徒——とうごうしょうじゅんが現れる。


 風紀委員会にエサとして差し出される。そんな最悪な未来に絶望した御代僚。だが、何故か敵であるはずの藤郷将潤は御代の拘束を解いてしまった。

 恩人である藤郷将潤と共に逃げ出すために、見張りをしている上級生に勝負を挑む。


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 意を決して、しろあきらは外へと走り出した。


 そこは荒れ果てた駐車場跡。

 時間に蝕まれたアスファルトには亀裂が入って、黒い表面を突き破るように雑草が伸びている。駐車場に描かれた白線は細かな破片となって飛び散り、敷地の端には錆びた自転車が適当に数台放置されていた。

 駐車場の中央でしゃがみ込んでいた三人の上級生から一斉に視線が向けられる。その中の一人――縦にも横にも体が大きい男子生徒が立ち上がった。ガラが悪いという言葉を体現したような容姿だ。


「あ、なんだてめぇ? エサがどうして歩き回ってやがる、新入りは何をしているんだ?」

「そこを退不良生徒ストリーデント……悪いが、テメェらのために風紀委員会のエサになる気はねぇよ!」

「なるほど、まずは口の利き方から教える必要がありそうだ」


 デブ上級生は威圧するようにポキポキと指を鳴らした。他の二人は野次を飛ばすだけで動こうとしない。一人で十分という意味だろう。


 十メートル程の距離を開けて、大柄な上級生と対峙する。

 何よりもまずガタイが違う。背丈の大きさだけなら変わらないが、体重差は歴然としていた。針金細工のように長身痩躯な御代に対して、上級生は横にも大きい。筋肉のような張りはなく脂肪の塊なのだろうが、それでも繰り出される運動エネルギーを正面から受ければ一溜まりもないだろう。


「(ビビるな、さっきは不意打ちで捕まっちまっただけだ。アクディートを使って正面からぶつかれば十分に戦えるはず……っ!)」


 ラクニルで実戦的な教育が行われない以上、一般生徒である御代も戦闘訓練を受けている訳ではない。界術師としての実戦は初めてと言っても過言ではなかった。職人アーティストとしてアクディートの活かし方は想定してあるが、それを実践できるかは別問題。『界力実技』の授業で教わった技術でどこまで食い下がれるかは未知数だ。


 互いの出方を窺うような空白。


 痺れるような沈黙を打ち破ったのは相手のデブだった。

 獰猛な笑みを浮かべながらの突進。余った頬の肉が歪に歪み、子どもが見たら泣き出しそうな形相を生み出している。体から溢れ出すのは黄色い界力光ラクス身体強化マスクルを発動しているのだろう。

 懐に入り込んだデブから繰り出される拳を、同じく身体強化マスクルを発動した御代は余裕を持って掻い潜る。一本に括った明るい色の長髪が大きくうねった。


「(やっぱりだ! 投棄地区ゲットーに出入りしている時点で、このデブも真っ当な学校生活からはみ出した落ちこぼれ。このレベルなら素人の俺でも対応できる!)」


 隙を見て距離を取り、アクディートの銃口を向ける。グリップのボタンで『通常弾』を選択して勢い良く界力を流し込んだ。黒く無骨な銃身バレルに黄色い光のラインが走る。刺すような光が収束して周囲の空間を黄色く染め上げた。


 引き金を――絞る。

 電子音を凝縮させた炸裂音が耳を劈いた。


 反動で銃口が上向くのと同時に、一条の閃光が放たれる。だが、螺旋状に空気を穿つそれを、デブはぷっくらした体型に似合わず俊敏に動いて躱してみせた。


「(銃口を向けた時点で警戒されちまった……動き回る相手に命中させるのは俺の腕じゃまだ無理か。だけど動きは止められた)」


 木目調の装飾が施されたグリップを握り締めて界力を流し込む。

 ガンタイプ界力武装カイドアーツの弾丸は二種類に区別される。実弾とだん。それぞれに長所と短所があるがアクディートにはだん方式を採用していた。実体を持った弾丸を一切使わず、刻印術式で圧縮した界力を撃ち出すのだ。


 界力を流し込むことで、グリップの内側に嵌め込まれたエネルギー充填用界力石クォーツが熱を帯びる。八割まで溜まっていることを確認してから、引き金の下にあるボタンを操作して『通常弾』を『刻印弾ペイント・バレット』へと変更した。


「……っ!!」


 アクディートを構えた御代を見て、デブは慌てて跳び退いた。

 だが、デブの足下へと構わず引き金を絞る。亀裂の入った古いアスファルトへと突き刺さる三条の光。駐車スペースを区切る白線を穿つが何も起きない。外したと思ったのだろう、舌打ちをしたデブが苛立ち混じりに突撃してくる。


 その瞬間。

 カッ!! と花弁が開くように黒いアスファルトの表面で黄色い閃光が迸った。


 雷の沼パラライズ・スワンプ――刻印弾ペイント・バレットによって投影した術式だ。黄色い沼に落ちたデブが、電撃の痺れにも似た強烈な衝撃を受けて大きく仰け反る。


「(掛かった!!)」


 御代が使ったのは刻印弾ペイント・バレットだん方式を採用したガンタイプ界力武装カイドアーツでのみ使用可能な特別な弾丸である。


 界術師が界力次元や現実次元に術式を書き込むことを『投影』と言う。『始まりの八家』の一つであるとしもりが生み出した方式『こくいんじゅつしき』の場合、現実次元の『面』に触れなければ刻印を投影することができない。だが、刻印弾ペイント・バレットはその制約を無視できる。着弾した『面』に術式を刻印。弾に込められた界力を消費して、一度だけ術式を発動させる事ができるのだ。


 刻印弾ペイント・バレットで扱う刻印術式は、ゲーム機で使うソフトのように弾倉カートリッジを入れ替えることで変更できる仕様だ。しかしまだアクディートを完成させてから日が浅いため、対応した弾倉カートリッジは『雷の沼パラライズ・スワンプ』しか作成できていなかった。


 動きを止めたデブを冷酷に見下ろし、眉間に銃口を向ける。


R.I.P.リップ――まずは一人だ」


 Rest in Peace――『安らかに眠れ』という意味の俗語スラング


 に告げて即座に『通常弾』に変更――迷わずに引き金を絞った。

 光の矢が一直線にデブの眉間を撃ち抜く。トラックに撥ねられたが如く勢いで風船のように膨らんだ体が後方に弾け飛んだ。背中から盛大に転倒し、白目を剥いて動かなくなる。


「(いける……アクディートがあれば俺だって戦えるっ!!)」


 湧き上がる興奮を味わうように、御代は好戦的な笑みを浮かべた。


「お、おい――このエサがっ!!」


 残り二人の上級生が慌てて立ち上がった。

 一人は整髪剤を使ったツンツン頭で、もう一人はチビでピアスを嵌めた上級生。デブが倒されたことで気を引き締め直したのだろう。青筋を立てた二人の顔から怒りが火花のように迸る。身体強化マスクルを発動させたのか、各々の体から界力光ラスクが溢れ出していた。ツンツン頭の実力カラーは橙色で、チビピアスは緑色だ。


「(くそ、オレンジがいるのか。グリーンは何とでもなるけど……っ)」


 青、緑、黄、橙、赤、紫、黒、の順で表されるカイじゅつ実力カラー

 本音を言えば、相手に橙色がいるとは予想外だった。ラクニル全体における実力カラーの平均は緑と黄の中間で、橙色以上に達するのは界術師全体でも三割程度。ツンツン頭の上級生はかなりの力を持っている言える。ラクニルの掃き溜めである投棄地区ゲットーに堕ちるとは考えにくい。


「(だけど対応はできる。高等部にもなって界力術を使わずに身体強化マスクルに頼っている時点で、腕に自信がねぇって言ってるみたいなモンなんだ! 臆する事はねぇ!!)」


 ちらり、とグリップへ視線を落とす。

 木目調の装飾が施された中央には縦に黄色いラインが刻まれている。これは充填用界力石クォーツに溜められた界力の残量。光のラインが指し示すのは最大値の四割程度だった。


 走り出した二人に銃口を向け、動きを牽制する。

 咄嗟に反応できなかったのか、苦々しく唇を噛んだ上級生が地面に縫い付けられたように動きを止めた。彼らの足元には白眼を剥いたデブが倒れている。刻印弾ペイント・バレットによる術式起動は一度のみであり、すでに雷の沼パラライズ・スワンプの光は消えていた。


「(計算通り!)」


 勝利を確信した御代の顔に鋭い笑みが刻まれた。すぐさま身体強化マスクルを発動。ぐっと膝を折り、秋晴れの空へと高く跳び上がる。二人の上級生の頭上が頂点になるように十メートル上空で放物線を描いた。黄色い燐光が水飛沫のように零れ落ちている。


 重力と上昇力が釣り合った刹那。

 羽ばたいたようにふんわりと宙に漂った御代の瞳には、砕けたアスファルトの上で驚愕に両目を見開く上級生が映った。実力カラーが黄色でここまでの動きができるとは思わなかったのだろう。


 御代僚はガンタイプ界力武装カイドアーツを作成する職人アーティストとして、使用者の立ち回りを知る事を目的として授業に参加していた。アクディートが活かされるのは、相手と中距離を維持した高速戦闘。それを実現させるために身体強化マスクルも『移動』や『跳躍』といった要素を中心に鍛えており、実力カラーに合わない跳躍を実行できるのだ。その代わりとして、『速度』や『強度』が必要される近接戦闘には対応できないのだが。


「(俺にはこれしか取り柄がねぇんだ、初見殺しで悪いがこれで決めさせてもらうぜ!)」


 宙で一回転して体勢を整えつつ、地上で固まっている上級生二人へ銃口を向ける。彼らの足下——刻印弾ペイント・バレットで投影した術式の『起点』へと、銃身バレルの先端にある照星フロントサイトを重ねた。


 刻印術式の特徴は二つ。

 一つ目は投影が完了した刻印術式は、たとえ輝きを失っていたとしても術者の意識が外れるまではその場に残り続けること。二つ目は術式の『起点』に界力を流し込めば再度界力術を発動させられること。つまり、界力を固めて作られただんを起点に命中させれば、術式を何度でも再利用できるのだ。だん方式を採用した場合のみ実行できる裏技である。


R.I.P.リップ――吹き飛べっ!」


 体が宙を流れ始める直前に引き金を絞った。

 電子音を凝縮した発砲音と共に黄色い閃光が空気を穿つ。アクディートは起点から一定以内の距離に弾を撃ち込めば、自動的に軌道が修正される仕様にしてある。砂鉄が磁石に引き寄せられるように、だんが半径数センチの起点へと吸い込まれていった。


 カッッッ!! と眩い輝きが開花する。脈を打つように黄色い閃光が黒いアスファルトに迸り、二人の上級生に牙を剥いた。

 即座にビクンと体を痙攣させて転倒したのはチビでピアスを嵌めた上級生。身体強化マスクルを発動していたとしても実力カラーは御代の一色下。雷の沼パラライズ・スワンプに耐えられなかったのだろう——だが。


「なにっ!?」


 体を仰け反らせたツンツン頭の上級生だったが、その場で踏ん張ってみせた。ダメージはあるが決定打には至っていない。


「(どうして倒れない!? 実力カラーが一色くらい上でも対応できる出力で設計してあるのに!)」


 刻印術式において実力カラーの影響が出るのは一度に投影できる術式の数だけだ。雷の沼パラライズ・スワンプは時間を掛けて作成した刻印弾ペイント・バレットである。この場で投影した刻印術式ならば、実力カラーが上の相手に通用しないのも理解できるが、刻印弾ペイント・バレットで通用しないのは納得できない。


「(俺の設計ミスか!? 弾倉カートリッジに保管した術式に不備があった、それか射出口自体に問題が!?)」


 重力に捕まってアスファルトに引き落とされる中、思考だけが高速で回転していく。

 ツンツン頭の上級生が御代を鋭く睨み付ける。このままでは着地の瞬間を狙われる。何とかしなければと思ったが、実戦での経験値が不足している御代では、心を支配する動揺を打ち消すことはできなかった。


 空中で身動きが取れない御代へ向かって、橙色の界力光ラクスを放ったツンツン頭が真っ直ぐに突っ込んでくる。右肩を突き出すような格好のタックル。身体強化マスクルによって得た速度と強度を利用して生み出した運動エネルギーを余すことなく炸裂させた。


 ゴッッガァッッ!! と強烈な衝撃が御代の細長い体を弾き飛ばす。ビルを解体する時に使われる巨大な鉄球が直撃したと錯覚した。肺から押し出される空気。呼吸困難に喘ぐ頃にはすでに何メートルもアスファルトを転がっていた。

 酸素を求めるように咳き込みながら仰向けになる。どこか切ったのか舌には鉄の味が付着していた。霞み掛かる視界には憎たらしい程の青色が広がっている。薄い雲を流す秋の高い快晴だ。


「(……痛ってぇな、チクチョー)」


 立ち上がろうとしてアクディートを手放している事に気が付いた。探そうと顔を上げた瞬間、鋭い蹴りが胴体に突き刺さる。


「ごぼぁっ!?」


 腹の底から何かが押し出されるような不快感。ふわりと体が浮いて、また表面がボコボコのアスファルトへと激突する。

 奥歯を噛み締めて全身に力を入れるも、また起き上がる前にツンツン頭に蹴り飛ばされた。痛め付けるのを楽しんでいるのだろう。不快な笑い声が雨のように降り注ぐ。


 全身を這い回る痛みに顔を顰めながら、御代は霞む視界で空を見た。


 投棄地区ゲットーに行けば、何かが変わると思っていた。理不尽な界術師の世界も、退屈で窮屈な教室も、関係のない場所なら新しく始められる。満たされない心の穴を埋めてくれるような出来事が待っていると信じていた。


「(違うんだ、そんな理想郷はどこにもねぇ……同じなんだよ、俺自身が何も持っていないから)」


 ギリッ……、と奥歯を強く噛んだ。

 望んでもいないのに中途半端な界術師の適性を与えられ、八方塞がりな環境の中に押し込んで、劣等感だけを植え付ける。どれだけ努力しても、実力カラーや家柄といった先天的な要素の差は埋められないのだ。これでは冤罪で牢獄に閉じ込められ苦役を強いられているのと同じだった。


「(負けて、堪るか……っ! こんな理不尽に屈して、諦めて、終わってなんかやらねぇ!!)」


 気力だけで意識を保つ。何とか逆転の一手を導き出すために顔を上げ――


「そこまでにしましょう。見苦しいですよ、先輩」


 声がした。

 痛む首を無理やり動かして声の主を見てみる。


 とうごうしょうじゅん

 中等部の制服ブレザーを着た華奢な男子生徒が、紫水晶アメジストの瞳に妖しい光を湛えて歩いてきた。

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