第2章 投棄地区騒乱編

第1話 投棄地区

《高等部二年生 六月》




 しろあきらは劣化してひび割れたアスファルトの道路を歩いていた。


 川面を流れる草舟のように涼しげな少年だ。

 190cmを越える颯爽とした長身。明るい色の長髪は少年のくせに一本に括られた状態で腰まで伸びているが、鼻が高く鋭い顔付きには似合っていて違和感がない。飄々とした物腰は青空を漂う雲のように気ままで、歳不相応に落ち着いた印象があった。右手首には使い古された青いリストバンドを嵌めている。


「……スマートじゃねぇな」


 不愉快そうな口調で曇り空にひとつ。重たい灰色の空は今にも泣き出しそうだった。


「なんか元気ないね、どうしたの?」


 隣を歩くしきもとはる――ハルが不思議そうな眼差しを向けてきた。


 社交的な印象の女子生徒だ。

 制服は意図的に着崩されており、首元には銀色に輝くネックレスが掛けられていた。女生徒にしては高身長で、クセ毛なのか短めの茶髪は軽くウェーブしている。優しげな目許に綿雪のように柔らかい瞳。明るい性格が浮き出したような垢抜けた容姿で、クラスの中でも多くの男子の目を惹くことだろう。アキラと同じく右手に青いリストバンドを嵌めている。


 アキラは外国人のように大仰に肩をすくめながら、


「別に、大したことじゃねぇよ」

「小さいことでもいいじゃん、ウチで良ければ話を聞いてあげるよ?」

「……、」


 言葉にするつもりはなかったが、真剣な顔で言われると無下にもしずらい。足を止めてぐるりと周囲を見回した。


 薄暗い森。

 背の高い木々が視界を遮るように生い茂っている。曇り空のせいか昼下がりでも薄暗く、一人で歩いていれば恐怖に身を竦めてしまいそうだ。梅雨の真っ只中である六月も中旬。バラエティ番組でしか見た事のない熱帯雨林を想像させる高湿度で、夏を予感させる気温も相まって高等部の夏服の下からは汗が染み出していた。


 ここは、投棄地区ゲットーと呼ばれる場所だった。


 界術師育成専門機関ラクニルには開発が中止されたり、使い終わっても撤去されないまま残っている建物や施設が存在している。本来ならこれらを整備して綺麗にするべきなのだが、金銭や利権の問題があり取り壊すことも難しい。結果として、立入禁止にするだけで存在を黙認されてしまっているのだ。学校の管理が行き届いていないため、投棄地区ゲットーには色々とが溜まっていく。真面目な生徒なら絶対に近寄らない無法地帯。雨水や風によってゴミが溜まっていく排水溝のような場所だった。


投棄地区ゲットーも随分と変わっちまった。俺がここに来た時と比べると別物だ」

「そう、だね……ウチもそう思う」


 ハルは難しそうな顔になって、


「アキラはさ、それがイヤなの?」

「……どうだろうな」


 右腕に嵌めた青いリストバンドに触れながら、二年前にラクニルの掃き溜めへと足を踏み入れた時の事を思い出す。

 楽しかった思い出の方が多い。キラキラと輝いていて、大人になっても額縁に入れて飾っておきたいような眩しい光景。毎日が楽しかった、永遠にこの時間が続けばいいと思う程に。アキラにとってここが『居場所』だったのだ。


 じゃあ、今は?


 同じ場所のはずなのだ。時間の経過と共に先輩は卒業してしまったが友人と後輩は沢山残っている。それでも、どうしてか今日の曇り空のように心が晴れてくれない。


「先を急ごう、グズグズしてると雨に降られそうだ」


 沈んだ表情のまま、アキラは歩き出す。

 森の中に伸びているのは、劣化によって表面がヒビ割れた道路だ。何年も舗装され直していないのだろう。アスファルトの表面は砕けて破片が散らばり、隙間からは雑草が顔を出していた。バイクや自転車で走ればすぐに転倒するか尻を痛めそうだ。


「ハルはどう思うんだよ、今の投棄地区ゲットーを?」

「ウチ? ウチは……別に何も感じないかな。色々と変わっちゃったけど、みんなはいるし、それにアキラだって――」


 最後、何やら呟いたような気がしたが小さすぎて聞こえなかった。長い睫毛を伏せたハルの頬には薄らとあけが差している。


 視線の先に背の低い廃ビルが見えてきた。

 四階建ての直方体。剥き出しのコンクリートが灰色の景色の中で寂しさを滲ませる。窓硝子は全て割れており、わずかに縁に破片が残っている程度。元々は白かった壁も経年劣化で色がくすみ、表面には蔦のような雑草が貼り付いていた。


「アキラ、あれってもしかして……」

「ああ、廃墟の壁面に亀裂が走ってやがる。それもかなりでかいぞ」


 自然にできたものとは考えにくいが、他の可能性として候補に挙がるのは戦闘痕くらい。どちらにしろ現実的な大きさの亀裂ではなかった。つい数日前に来た時はなかったため、かなり新しい物ということになる。


「確認してショージュンに報告しよう。が本当になるかもしれねぇからな」


 何者かが潜んでいる可能性を考慮して、二人は慎重に歩を進めた。錆び付いた鉄門を抜けた先には五台ほど収納できる小さな駐車場。経年劣化でボコボコに砕けたアスファルトの表面には見慣れた白線が引かれている。


「……静かだね」

「ああ、人の気配がまるでしねぇ。それならそれでいいんだ、脅威がねぇってことだから。でも、」


 周囲に視線を走らせるハルに対し、アキラは寂しそうな声音で、


「昔ならこんなことはあり得なかった、あの頃の投棄地区ゲットーなら」


 本日は日曜日だ。ラクニルも本土の学校と同じく休日である。

 かつての投棄地区ゲットーならば、休日の昼下がりにこの場所が閑散としていることなど有り得なかった。生徒で溢れかえり、楽しげな喧騒に包まれていたはずだ。誰もが笑い合いながら居場所を共有していたはずだ。


「……行くぞ」


 脳裏に上映された記憶を弾き出し、気を緩めることなく廃墟へと近づいていく。

 真っ先に目に入るのは遠くからも確認できた巨大な裂傷。真一文字に抉り取られており、その見た目はまるで大きな唇だ。その他にも細かい傷や亀裂などが無数に存在していた。両手を使って嵐を凝縮させて投げ付ければ、これだけの破壊を実行できるかもしれない。


「どんな界力術を使ったらこんな傷が付くんだ? かなりの規模だぞ、見たこともねぇ」

とうじゅつの剣で斬ったんじゃないの? それか界力武装カイドアーツとか」

「古びてるとはいえコンクリート製なんだ、界力武装カイドアーツか闘術にしても相当な技術と力が必要になる。少なくとも生徒には無理だ……まあ、本家や御三家の怪物共ならやっちまうかもしれねぇけどよ」

「なら、誰が……?」

「解らねぇ、でもいよいよあの与太話が信憑性を帯びてきやがったってのは確かだ」


 不意に。

 人の声が聞こえた。


 言い争っているかのような荒々しい怒号が飛び交っている。発信源までは少し距離があるか。残念ながら会話の内容までは聞き取れなかった。


 アキラはハンドシグナルを使って警戒しながら先に進むことをハルに伝える。こくりと真剣な表情でハルが頷くのを確認して、腰のベルトに装着した革製のホルスターからガンタイプ界力武装カイドアーツを引き抜いた。


 重厚感のある黒いハンディガンだった。

 拳銃……と言うには少し形状が歪か。木目調の装飾が施されたグリップとは裏腹に、銃身はまるで小型の外付けHDDハードディスクを幾つも組み合わせたように無骨で大きい。頭でっかちでバランスが悪いため、見た目の洗練さよりも機能性を重視したといった印象を受ける。素材が加工されず剥き出しのデザインは制作者の趣味が強く反映された結果だった。


 アクディートAMs3-07。

 職人アーティストであるしろあきらが作成したオリジナルの界力武装カイドアーツである。

 ずしりと重みを感じるアクディートを両手で構え、背中を丸めてゆっくりと廃墟の駐車場を進んだ。声の発生源は四階建ての廃ビルの裏側。この場所が放置されて長いのか、足下には焦げ茶色に変色した自転車が転がっている。


「喧嘩、かな?」

「多分な。こんな状況なのによくやるぜ」


 現在、第一校区の投棄地区ゲットーは三つの勢力が睨み合う冷戦状態だった。どんな小さな火種が爆発の原因になるか解らないため、迂闊には動けないはずなのだ。


 くすんだ白い廃墟の壁に背中を付けて、音で周囲の様子を探る。すぐ横には表面の白い塗装が剥がれて黒く錆び付いた室外機が打ち捨てられていた。引き取り手のいない死体のように見えて、少しだけ背筋が冷たくなる。

 隣に控えているハルに目配せすると、緊張した様子で頷いた。いつの間にか、先端に重りのついた長い鎖を両手で抱えている。二本の柄付き銀鎖シルバーウィップ。本土の職人アーティストによって大量生産された汎用品をアキラが独自に改造した敷本小春の固有武装ユニークアーツ――『ヴィントーク』である。


 深呼吸を一回。

 全神経がピンと伸ばした糸のように張り詰めた瞬間、アキラは廃ビルの影から躍り出た。


「テメェら、そこで何をしてる!!」


 建物の影に沈んだ薄暗い空間。森との境界を示す金網フェンスに囲まれたその場所で、五人の生徒が界力術を交えて取っ組み合いの喧嘩をしていた。


 アキラは両手でアクディートを構える。狙いは五人から少しずれた場所。腕を伸ばして足を肩幅に開く。銃身バレルの先端にある照星フロントサイトを視界の中央に収めて狙いを付けた。


 引き金の下にあるボタンを操作して『通常弾』を選択。グリップを強く握り締めて、思いっきりを流し込んだ。途端、まるで血が通ったように歪な形状の黒いハンディガンに黄色い光のラインが走る。


 躊躇いなく引き金を絞った。

 小型の外付けHDDハードディスクを幾つも取り付けたようなデザインの銃身バレルから迸る黄色い界力光ラクス。針の如く鋭い光が銃口の先で球のように収束する。直後、螺旋状に回転する一条の光となって薄闇を真っ直ぐ貫いた。


 電子音を重ねて加工したような発砲音が炸裂する。


 一斉にアキラへと向けられる視線。驚きに満ちたそれが恐怖の色に染まるまで時間は掛からなかった。


「所属と名前を言え、場合によっ――」

「に、にに逃げろ!! 『アイオライト』だ!!」


 血相を変えた生徒達が瞬時に喧嘩を止めて動き出す。アキラの警告を無視して身体強化マスクルを発動。各々の界力光ラクスを薄闇に滲ませながら金網フェンスを飛び越えて森へと逃げていく。


「ま、待てテメェら!!」

「誰が待つか! !!」


 怒りを顔を歪ませた一人の生徒が叫ぶ。その間にも蜘蛛の子を散らすように生徒達は鬱蒼と生い茂る森の中へと走り去って行った。


 残されたのは後味の悪い静寂。

 憮然とした表情のまま、アキラはアクディートをホルスターにしまう。先ほどの生徒達は知らない顔ばかりだった。おそらくは敵対勢力の中でもかなり下っ端か、どこの勢力にも属さない野良ノラか。放っておいてもすぐに大きな問題に発展することはなさそうだ。


「アキラ、大丈夫?」

「……なにが?」

「すっごく辛そうな顔をしてるけど、何かマズい事があったの?」


 鎖の界力武装カイドアーツを片付けたハルに怪訝そうな眼差しを向けられる。柔らかい印象を受ける端正な顔。クラスの中で間違いなく目を惹くであろう明るい雰囲気には、しかし薄い陰が浮かんでいた。


「何でもねぇよ……俺の思い過ごしだ」


 ぶっきらぼうに言い放ったアキラは、逃げていった生徒達を追うことなく駐車場へと戻っていく。


 ――風紀委員会に魂を売った裏切り者。


 先ほどの生徒の言葉が脳内で反響する。

 アキラが所属する勢力――『アイオライト』が風紀委員会と裏で繋がっていて敵対勢力に攻撃を仕掛けている。そんな根も葉もない噂が流れ出したのは二ヶ月ほど前。それ以来、投棄地区ゲットーにおけるアイオライトの地位は下落する一方だ。近頃では冷戦中の他二勢力が手を組んで諸悪の根源であるアイオライトを殲滅するという噂まで飛び交っている。


 勿論、これらの噂は真実ではない。だが他の勢力が風紀委員会の被害を受けている中で、アイオライトの生徒だけが一度も風紀委員会の処罰対象になっていないのも事実。このような憶測に発展しても文句は言えなかった。


「(いつから変わっちまった……?)」


 冷戦状態と疑心暗鬼。

 笑顔に溢れたあの頃の投棄地区ゲットーの面影はどこにもない。


 残ったのは色彩を失った灰色の景色だけ。


 それでもまだ、ここは自分の居場所なのか?

 またあの頃に戻ることができるのか?


 拭いきれない心のもやに辟易してアキラは空を仰ぐ。気持ちを切り替えたいが、生憎と視界いっぱいに広がったのは垂れてきそうなほど重たい鉛色。ぽつり、と唐突に冷たい液体が頬を叩く。どうやら堪えきれなくなったらしい。


「アキラ、雨だよ!」

「……ああ」


 小走りで駆けていくハルの後ろを追い掛ける。


 足取りは重い。

 アキラは恨みがましそうに灰色の天井を睨み付けた。

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