第10話 合法的報復

以下、実体験に基づく即興のシナリオで行われたロールプレイである。


上司役、産業医鍛治京子(以下上司)

部下役、相田光俊(以下部下)


上司

「駄目じゃないか、相田くん。また今月も業績伸びてないよ」


部下

「はい、自分なりに努力しています」


上司

「してないじゃないか、だって結果出してねえし。自分なりにやってんのが間違ってるんだよ」


部下

「頑張ります…」


上司

「だーいたい俺達の若い頃はよ、営業先で土下座までして契約取って来たもんだぜ。出会った人間は全てカネにしてやる。その覚悟で行けよ」


部下

「別にそこまでしなくとも…」


上司

「あ?俺の指示に文句を付けようってのか?だーかーら最近の若い奴は使えねえんだよ。人事もなんでこんな売り上げにならない奴採用したのかねー」


部下

「…すいません」


上司

「それによう、お前Mちゃんと付き合ってるみたいだな?ブログ見たぜ」


部下

「すいません、勤務時間外の事までは」


上司

「無能者が小賢しい口利くんじゃねーよ!女とイチャイチャしてる暇があったら仕事取ってこい!」


部下

「…」


上司

「何だよ、今度はだんまりかよ。てめえよくも上司からのメール無視しやがったな。俺の指示1つでお前を無職にする事も出来るんだぜ」


部下

「それは、理不尽です」


上司

「利いた風な口利くんじゃねえ!」


タカヒロくんの元上司、相沢光俊は机の端を掴んで小刻みに震えている。


「あらどうしましたか?相沢さん。お顔の色が悪いようですが」


京子さんは表面上は柔らかな声と態度で相沢に接した。


相沢は2年前まで部下に浴びせてきた暴言の数々を鏡に映されたように再現させられてこの身に浴びて初めて、


ああ…橋本はここまで恐怖を感じていたのか。それを俺は。と自死に追いやった部下の耐えている横顔を思い浮かべた。


「このような圧力と嫌がらせが半年以上続き、さらにセリフと同じ内容のメールが何百通も続いて部下は去年三月末、自宅で首をくくりました」


「じゃあ、相沢さんは四つ葉商事事件の加害者か?」


他の参加者四人が、この人殺しめ、と犯罪者を見るような血走った目で相沢を見た。


「東さん、本山さん、永森さん、武内さん」と京子さんは参加者たちそれぞれに感情を抑えた眼差しを向けて


「あなたたちも部下へのハラスメントで訴えられ、降格、出向の処分を受けてもそれが治らずこのセミナーに来ることになった方々ですよ。

被害者が自死してないという差ひとつで簡単に加害者は加害者を攻撃出来る事例、いま見させて頂きました。はい、相沢さんお疲れ様でした」


それまで冷静に責め立てられて追い詰められて、いきなり突き放された相沢は両手で頭をかきむしり、


「…嫉妬してたんだ。若くて爽やかで誰にも好かれる。俺が持ってないもの全部持っているあいつに」


と今ある気持ちを吐き出さなければ自分の中で濃縮された毒で自分が死んでしまう。とばかりに京子さんに告白した。


「部下の方がお亡くなりになったと聞いた時、どう思いましたか?」


「やり過ぎたし、しくじったと思った。と同時にすっきりした。これで目障りなあいつの事を考えなくていい」


「すっきりした。というのが本音ですか?」


ああ、と相沢は酒焼けして黒ずんだ頬に引きつった笑みを浮かべて、


「なあ先生よ、近くに虫を見つけたら反射的に手で払って追い払うか叩き潰すのが人間の本性ってもんだろ?すべからく人間ってのは2つ3つのガキの頃からいじめの愉しみを覚えるサルなんだよ」


根元的に俺は悪くない。と居直った。


「ここは他者に許しを求める場ではありません」


結局のところ、こいつは自分の過ちを全く反省していなかったか…部下を二人死なせておいて。と京子さんは小さく絶望のため息をついた。


「存在が不快なら異動なり何なり攻撃しない手段をいくらでも見つけられた筈です。部下を二人死なせた。その事実はあなたの人生から消える事はありません。

次、武内さん」


他4人のロールプレイングが終わるまでの間相沢はじっ…と窓の外の雨を眺めていた。


と同席した男性看護師が後で報告してくれたが、京子さんにとってはもう過ぎた事であった。


本当は恐かった。

機会があるからそうした。

これはあなたが敵討ちをしてくれ、ということなのだ。


と相沢にロールプレイをしている間、京子さんはタカヒロくんの形見のキーホルダーを握ってなんとか理性を保っていた。


セミナーが終わってからしばらくして相沢は早期退職を願い入れ、半年後に肝硬変で死んだと聞いた。


ハラスメント加害者の本音を聞いてしまった京子さんは所詮、人間の心というのは性善説と性悪説の戦いであり悪事を行いたい衝動に死ぬまで抗い続ける…という考えを持つようになった。


自分の人生にひとつの決着を付けた京子さんはそれから一年間、産業医として淡々と日々を過ごした。


そして、2003年7月。


相談者が去った医務室の自分のデスクでボールペンを置こうとした京子さんはぱたり、とそのまま脱力してデスクに突っ伏し、


PCのキーボードの下にたまたま敷いてあった波照間島のパンフレットが目に入って、


海が見たい。と思ってそれを実行した。










































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