第3章 異世界の人妻と女山賊
旅立ちの朝
出発の日の早朝。
「あらイオナちゃん、今から出掛けるの?」
イオナさんは自宅の戸締りを終えて乗り合い馬車が来る広場に向かおうとしていた所で、起きてきたお隣のモアさんに声を掛けられた。
「はい、おはようございます」
「女の一人旅とか大変だけど、よく決断したわねえ……吉報を待っているわよ?」
「ありがとうございます……少しの間だけ留守にしますけど……よろしく、お願いしますね?」
「任せてちょうだいな。怪しい人をイオナちゃんの家の近くで見かけたら、兵士さんに教えるくらいの事はできるから」
「すみません……それじゃ、行ってきます!」
イオナさんはモアさんに向かって片手を振りながら、自宅を後にした。
広場へと向かう砂利道を歩きながら、僕はイオナさんに今後の事に関して尋ねる。
『乗合馬車を使って今日中に隣国へ到着する予定なわけですよね?』
「そうね」
『聞いている限りだと、そう危険な旅でも無いような気がしますけど……』
「そこからユイナスちゃんのいる首都まで二日くらいかかるし、宿屋に泊まったからって安全だとは言い切れないのよ。特に女の一人旅とかはね」
イオナさんの声は真剣そのものだった。
「辺境の町の宿なんて鍵が付いている分だけ野宿より少しマシって程度なのよ。だから、私が眠っている間は頼りにしているわよ? マモルくん」
『分かりました! 任せて下さい!』
つまり、僕はイオナさんが寝ている夜の間だけホテルの警備員の代わりをすれば良いというわけか……。
いや……警報装置の方が、しっくり来るかな?
「まあ町に着いたら一度、傭兵組合の事務所に寄って、ヨークが入れ違いに家に戻っていないかだけ確認はするけどね?」
『傭兵組合?』
「どこの国にもあるんだけど、傭兵達に仕事を紹介してくれる事務所よ。戦時だと登録代行して部隊に配置しくれたり、陣地までの道程を教えてくれたり、部隊長なんかの責任者への紹介状を書いてくれたり、働きに応じた報奨金の支払いを橋渡ししてくれたり……」
途中からイオナさんの声のトーンが落ちていく。
「認識票や遺体を回収したら……親族に確認して貰ったり……」
イオナさんの歩くスピードが重くなっていった。
『イ、イオナさん? に、認識票って何ですか? 僕、分からないなぁ……』
本当に知らないのだが、わざとらしく聞こえる様な調子で彼女に質問をしてみてしまった。
「丈夫な金属で作られた薄くて小さな板に、名前と番号が書かれてあってね。その番号は傭兵組合に登録されていて、個人の識別に用いられるの。傭兵達は、それを肌身離さずに持って戦地へと赴くのよ?」
イオナさんは気を取り直した感じで、にこやかな声で説明してくれる。
「例えば、遺体の損傷が激しくて誰だか分からない時に認識票があれば、その遺体の身元が確認できたり、戦場で亡くなったけれど遺体の回収が難しい時に仲間達が認識票だけ持って帰ってくれたりして……」
再び段々と暗い感じの声に変わってきた。
『や、やあ! それなら認識票が送られて来なくて良かったですね!? きっとヨークさんは無事だからですよ!』
……我ながら元気の付け方がヘタ過ぎる……。
「そ、そうよねっ!? 認識票が送られて来ないって事は、きっと生きているわよね!?」
でもイオナさんは、僕に気を使ってくれたのか、自分を奮い立たせる為なのか、殊更に僕の考えに同調してくれた。
「……マモルくん」
『はい?』
イオナさんの声は照れているように聞こえた。
「ありがと」
『……いいえ』
僕も少しだけ照れていた気がする。
『イオナさんはヨークさんの番号を把握しているんですか?』
「うん! この都市の傭兵組合で作った認識票でも、王国の傭兵組合への登録は可能だから……」
イオナさんはズボンの後ろポケットから手帳を取り出す。
彼女は、いざという時に僕が闘いやすい服装を選んでいてくれた。
手帳を開いて、何かの文字の羅列を確認する。
……これが、数字? これが、番号?
見たこともない文字だったが、どうやら数字のようだった。
「ちゃんと、ここに控えてあるし暗記もしているのよ?」
『しっかり屋さんですね』
「えへへ〜」
褒められて、ますます照れまくるイオナさん。
そこから広場まで、僕達は無言だった。
だけれどイヤな雰囲気の無言ではなく、希望に満ちた気分でいられた。
広場に着くと、ちょうど馬車が到着していた。
『今日は二台の馬車だけで目的地に向かうんですね?』
『傭兵さん達の帰還週が終わったからね。乗客の人数も少ないし……普段は、こんなものなのよ?』
『へえ〜』
他の乗客達がチラホラと見えるので、イオナさんとは心の中で行う会話に切り替える。
彼女と共に馬車に乗った僕は……。
これで取り敢えず最初の目的地までは、ゆっくりと出来そうだなあ……。
……そう、たかをくくっていた。
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