派閥(明治偏) 27 次の日に一人の男が尋ねてきて村田新八ですと大久保の添え状をもって来たのです、座敷に案内し用件を聞くと、こちらに親戚の経芳が逗留していると聞きましたという


派閥(明治偏) 27


次の日に一人の男が尋ねてきて村田新八ですと大久保の添え状をもって来たのです、座敷に案内し用件を聞くと、こちらに親戚の経芳が逗留していると聞きましたというので今渡航の為の、

に買い物に出ていますが時期帰りますよというと、そうですか、今日は村上さんに鹿児島の様子を聞きに来たのです、欧米に視察に行っていまして昨日帰国したのです、大久保さんからは、


鹿児島に帰ったら二度と出て来れなくなるのでこのまま東京で政府で働くようにいわれたのですが、西郷さんに会って真意を確かめたいと思っているのです、鹿児島はどういう事になって、

いるのでしょうかと尋ねるので、今は落ち着いていますが、その内暴発する事は間違いはないでしょうと答えると、西郷さんはどうするつもなんでしょうかと言うので、多分ニセどんに、

担がれる事になると思いますと言うと、


それはいかん何としても止めなければというので、薩摩兵児のエネルギーをどこかで吸収しなければ無理だと思います、貴方が行っても止められるものでは有りませんと言うと、そうかも、

しれませんが、西郷さんをこのまましておく訳にはいきませんと言ったのです、宿はと聞くとこれから鹿児島にたとうかと思っています言うので、暴発にはまだ一二年はかかりますよ、

そんなに慌てなくても、


今日は此処に泊って経芳さんともゆっくり話してみてはと言うと、お邪魔ではないでしょうかと言うので、何も遠慮する事はありませんよと言うと、それならごやっかいになりますと言った、

のです、夕方になり経芳が帰って来て、新八の顔をみると新八さあお戻りやったとなと言うと、おう経芳どんよく東京に出てきたなあ、欧米に視察に行くと大久保さあから聞きもした、よく、

見てきなんせと言ったのです、


二人に風呂を勧めると、うめが風呂場に案内したのです、風呂から上がって来たので真一も風呂に行き汗を流して上がってくると、うめが膳を用意したのです、日本酒で乾杯して欧米はどう、

でしたかと聞くと、すごか文明にに驚きました、日本が250年も鎖国している間に天と地ほどの開きができてしまいました、外国の技術をどんどん吸収して早く近代国家を作らなければ外国、

に飲み込まれてしまいますというので、


だから新八さんみたいな人材が今政府は必要なんですよというと、鹿児島のニセどんはそれがわからんとごわすかなあと言うので、経芳がみんな外国にいけばわかると思うけど鹿児島にいた、

んでは井の中のかわずで分かるはずがないですよと言ったのです、ユキが帰って来て村上の妻のユキにございますと挨拶すると、村田新八です今日はご厄介になりますと言うので、ゆつくり、

していってくださいというと、


経芳が奥方は動物の医者で今農学校で教えているそうなんですよと言うと、フランスでも女子の教師や学者までいました、日本にもいるとは頼もしいですなあと笑ったのです、フランス、

の皇帝ナポレオンはどうでしたかと聞くと、知っているのですかと聞くので、ええ、名前だけですがと言うと、外国人にしてはこまか人ですが、その軍事的センスはすごか人だそうです、

なんと言っても、


中世フランスを改革して一大帝国を作りあげた人ですから人気は絶大だったですよと言うので、いつも懐に手を入れ、我が辞書には不可能はないと言っていたでしょうと笑うと、そうなんです、

よというので、しかし周りのドイツ、イギリス、オーストリアは脅威でしょうと言うと、なるほど大久保さんが言った通り外国の事情に詳しいのですねと感心していたのです、新八さんは今後、

何をするつもりですかと聞くと、


一胆鹿児島に戻り西郷さんに会ったら上京して、教育関係をやろうと思っています、人を育てなければこの国の未来は有りませんといい、特に外国の音楽はす晴らしかったですといい、風呂敷、

に包んだ楽器を取り出したのです、ユキがアコーデオンですねと言うと、知っているのですかと聞くので、ええ、オルガンと同じですが手で空気を入れて鳴らすのですね、何か弾いてくだ、

さいと言うと、


新八がはにゆうの宿を演奏したのです、とても素晴らしい音色でみんな聞き惚れていたのです、曲が終わるとユキがかご~いと言うと、オーストリアに行った時手に入れたのですオーストリア、

はまさに芸術の都で中世風の素晴らしい建築や音楽には圧倒されましたと言ったのです、明日経芳さんは欧米に出発します今日は心いくまで話してくださいといい、寝酒と肴を持って部屋へ、

案内したのです、


この二人は西南の役で敵と味方になって戦い、新八は最後まで西郷に付き添い、城山で官軍の鉄砲の弾に当たり戦死する運命なのです、これが彼ら二人の最後の宴なのです二人は夜が更ける、

まで語り合っていたのでした、翌日は二人を見送る為に連れ立って横浜に向ったのです、そのころの横浜はレンガ造りの建物が並び、桟橋も整備され客船も桟橋に横付けできるようになって、

いたのです、


最初に新八が鹿児島行きの便に乗り名残おしそうに甲板からいつまでも手を振り続けていたのです、経芳のアメリカ行きの船はまだ時間があるのでレストランに入り昼食をとる事にしたのです、

日本で最後の食事をしながら、経芳が新八さんは西郷さん思いやって行ったら帰ってこないでしょう、昨晩は朝まで語りあかして東京に帰ってくると言っていましたが、最後に西郷さんは気の、

毒だ、


出来る事なら自分が身代わりになりたいと言っていたのです、後二三年外国に行っていれば巻き込まれずにすんだんでしょうがと寂しげに話したのです、時間になったので経芳が船に乗り込み、

甲板から名残おしそうに手を振っていたのです、船が水平線に消えたので横浜を散策する事にしメインストリートを歩くと、町には外人が溢れとても日本とは思えない光景です、


町の真ん中にヘボン病院と書いてあります、ユキが有名な人と聞くとああ幕末にアメリカから来た医師なんだよ、専門は眼科だが外科にも通じており日本近代医学の祖といわれるようになるん、

だよ、ヘボン式ローマ字を作り、この人の開いたヘボン塾は明治時代を牽引した高橋是清がおり、生徒の正岡子規や海軍の秋山参謀は日露戦争のバルチック艦隊を撃破するのに重要な役割を、

果たすんだよと話したのです、


後にヘボン塾は明治学院大学となり僕達のいた時代まで続いているのさと説明したのです、看板を見ていると中から一人の日本人が出て来て会釈をして、珍しい格好ですねそれはジーパンでは、

ないですかと聞くのでそうですと答えると、街中で着ても違和かんがないですなあと言ったのです、アメリカの経験があるのですかと言うのでええと答えると、それは懐かしいその辺でお茶で、

もと言うので、


レストランに入りその男がビールとチーズを注文したのです、申し遅れました私は高橋是清といいます、東京で英語を教えていますというので、内務省顧問の村上真一と妻のユキですと挨拶、

すると、貴方もアメリカにと聞くのでええ一年いましたと答えたのです、ビールが来たので3人で乾杯したのです、ここで高橋に会ったと言う事はこれから彼の身に何かが起きるのかも知れ、

ないと思ったのです、

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