03 私には帰る場所がある
ソラリアは地面に膝をつきかけたが、剣を支えに再び立ち上がる。
傷を負った脇腹と肩から血が溢れた。
「ここまでだ、歌鳥の勇者」
背中に四本の腕を生やしたアルウェンが、一歩ずつ進んでソラリアに近付いてくる。
「貴様は教会の操り人形に過ぎない。信念なき剣で、俺は止められん」
「くっ……」
激痛を耐えながら、ソラリアは剣を持ち上げる。
残りの体力は少ない。
傷からは血が流れ続けている。
長引けばそれだけ、ソラリアに不利だった。
かくなる上は刺し違える覚悟で、敵が接近する一瞬に勝負を賭けるしかない。
闘志を衰えさせずに前を向くソラリアの姿に、アルウェンは何かを感じたのか、間合いに入る直前で歩を止めた。
「何故だ? 歌鳥、貴様はそこまでして何故戦おうとする。教会の教える正義を本気で信じているのか? そのために命を賭けられるのか?」
「正義なんて……私は教会を信じてはいません」
「では何故だ。何が貴様の戦う意思を支えている」
問われてソラリアは、ここに来る直前に、リヒトと交わした約束を思い出した。戦いが終わった後は、観光旅行中の羊さんパーティーに参加するか否か、返事をする約束をした。
「私には帰る場所がある! 私のプライドにかけて、彼との約束は守ります!」
教会はソラリアにとって帰る場所ではなかった。
ずっと居心地が悪かった。
けれど今、あの少年の隣で安らぎを見いだしている自分がいる。その不思議な感覚を、安堵と共にソラリアは受け入れる。あの時、見栄を張って、少年の伸ばした手を振り払ってしまったけれど。
本当は悪くないと思っていた。
彼と一緒なら、私は一人では辿り着けない場所に到達できるかもしれない。
「はああああっ!」
気合いの声を上げながら、ソラリアは剣を地面に水平にして突撃した。攻撃の目標は、アルウェンの兜。戦いを始めた頃に付けた一筋の傷。それをもう一度突くように、真っ直ぐに剣を叩きつける。
アルウェンは避けなかった。
ガン……と鈍い音が、剣がぶつかった兜から響く。
一拍おいてピシリパシリという音と共に兜にヒビが入った。兜の中央に垂直の亀裂が走り、真ん中から割れる。
「見事だ……」
割れた兜が左右に砕けて落ちた。
アルウェンの背の四本の腕が消える。
額から血を流して青ざめた女性の顔が兜の下から現れる。三つ編みになった長い黒髪が、ばさりと肩に落ちた。
「帰る場所か。それがあれば、きっと私も間違えなかったんだろうな……」
「貴女は自分の行いが間違いだったと認めるのですか?」
「いや、我が復讐に悔いは無い。ただ、歌鳥……」
俺はお前が羨ましい。
かすかな声は、そう言ったように聞こえた。
アルウェンは言葉を切る。ソラリアは待ったが、言葉の続きはもう無かった。いつの間にか、彼女の瞳は暗くなり、胸の鼓動が止まっている。
「
ソラリアは剣を降ろした。
もはや目の前の漆黒の鎧の中に魂が無いことは明白だった。
戦いの終わりを悟って気が抜ける。
地面に膝を付くと、彼女は止血を始めた。
「リヒトと、合流しないと……」
疲労と出血で目がくらむ。
約束を果たさなければ……けれど、もう一歩も動けそうにない。
剣を抱え込んだままソラリアは気を失った。
リヒトと羊のメリーさんは、人間の気配を追って移動していた。
移動の途中で派手な落雷の音が鳴り響いて驚愕する。
「ソラリアの雷撃かなあ」
「メエー(静電気で羊毛がパチパチするね)」
後で無事に合流できれば良いのだが。
一抹の不安を感じつつ、リヒトは
「ごめんよ!」
崩れた土壁の段差を越えると、瓦礫が無い平らな地面が現れた。
付近には、豪華な壺の破片や深紅の絨毯の切れ端が落ちている。
奥には焦げて背もたれが欠けた黄金の玉座が、横倒しになっていた。
ここはどうやら王宮の広間だったようだ。
壊れた玉座の前には二人の人物がリヒトを待ち受けていた。
「レイルと……誰だっけ」
金髪碧眼の少年の方は、幼馴染みのレイルだ。
海際の街で別れて以来である。
「俺はフレッドだ!」
幼馴染みは眉をつり上げて怒った。
そうだった、別人格のフレッドだ。
彼とレイルは違う人格だからか、リヒトとの間に絆の糸が無かった。
いや……。
リヒトは目を細めてフレッドを注視する。
彼の周囲に一切の絆の糸が見当たらない。どんな人間でも必ず誰かと繋がりがあるのに、逆に不自然だ。何か理由があって絆の糸が見えないのか、存在しないのか。
「……ふうむ。あの時の少年か」
仮面を付けた巨漢の男が感慨深そうに言う。
男は片手に身長ほどの長さの、凝った装飾が付いた錫杖を持っていた。どうやらあれが覇者の杖らしい。
「名乗っていなかったかな。俺はオーディンという」
男は名乗ると、顔に手をやってゆっくり仮面を取る。
仮面の下から精悍な壮年の男性の顔が現れる。
隠すほど醜い傷痕があるのかとリヒトは思っていたが、その予想は半分当たっていて半分外れだった。顔の真ん中、鼻の上を中心として頬まで真っ直ぐに交差した二本の線、罰点の形をした傷痕がある。
特徴的な傷は、隠すのも頷ける印象深さだった。
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